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【5月31日】あめ☔️

こんばんは。Emmaです。

都市対抗野球の東京都二次予選をYouTube中継で見ながら、noteを触っています。
スポーツ中継を見ていると、自然とひとりごとを言ってしまうのは、わたしだけでしょうか。笑
つい力が入って、いろいろつぶやいてしまいます。。それだけ、スポーツ観戦は、わたしの心を楽しませてくれることのひとつです。

来週からは、バレーボール・ネーションズリーグの地上波中継がはじまるので、こちらも楽しみです^^

本日はこちら。

『鶏口牛後』を考える

わたしは、自分のこれまでを振り返ると、よく考える命題があります。
『鶏口牛後』、結局どちらがいいのか、という命題です。

故事成語としての『鶏口牛後』のそもそもの意味・由来はというと、、

戦国時代の弁舌家・蘇秦は、強国・秦に対抗するため、諸国の同盟を実現しようとしていました。その諸国のひとつ、韓の王に対して、同盟を勧めた殺し文句が「鶏口牛後」です。
漢文訓読ふうに読むと「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」。小さなニワトリの口(=小国の指導者)でいたほうが、大きな牛の尻(=大国の下っ端)になるよりいい、ということです。
大国の秦に飲み込まれるのではなく、小国の韓の王のまま、同盟に協力してください。これが蘇秦の主張でした。『史記』の「戦国策」に出ている話です。

コトバンクより

つまり、『大きな組織の末端のにいるよりは、小さな組織のトップになる方が良い』という意味です。

わたしの人生において、これを強く意識することは、学業です。

わたしは中学校まで田舎の公立、高校からは県内でも随一の進学校で学生生活を送りました。

学業については、鶏口牛後でいうと、まさに中学までは『鶏口』、高校は『牛後』でした。
中学校までは一目置かれ、、いわゆる優等生っぽく過ごしていました。
委員長っぽいこともたくさん引き受けて、人前に立つことも多く経験しました。
こんなふうに片田舎では通用していた学力でしたが、
県内トップクラスの生徒が集まる高校では、中の下どころか下の下。
最初の1年くらいは、勉強で本当につまずいて、精神的にもかなりやられました。
ただ、挫折したからこそ、自分の中に潜んでいたプライドを捨て去り、素直に貪欲に生きることを学びました。

だから、鶏口なのか、牛後なのか、どちらがいいのか。
わたしは、どちらも得られることがあるし、どちらも経験すべきことだと思います。
自分に合う合わないはもちろんあるので、最終的にどちらを長く経験するのかは、自分次第。

何事も経験ですね。^^


自分語りを多くしてしまいました。

明日もがんばろう!


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