平凡な自分に向ける泥臭い応援歌〜SixTONES『こっから』個人的解釈〜

SixTONESが歌う綺麗な英詞も好きだけれど、手のひらから糸を吊るして思うがままに日本語を操るSixTONESが好き。
リズムだけが先行してしまうほどに心地よい韻の中にとんでもない熱の篭った日本語が隠れていると胸が疼く。
近々で言うと『人人人』なんてその類だが、その応用編とも言える『こっから』を耳にしてしまったらそんなの昇天ものだ。




平凡に Born in the ニッポン
産声オギャー 行く先は荒野

ここの歌詞からもわかるがこの曲は日本人(日本語を母語とした人間)相手にした楽曲だと思っている。
日本に生まれることが平凡である、という前提。
そこに一見乱雑にさえ思えるがよく見ると計算し尽くされた日本語歌詞に対する自信が見え隠れする。
生まれた環境は周りと一緒。そこの部分でまず秀でたところはなく周囲に最も多い“平凡”という荒野へと産声を上げたその瞬間から歩き始める。



ノーマル以下が如何にして
地下深く眠る鉱脈掘れますか?

生まれた瞬間から平凡という荒野に生きていく中で自分が標準(≒平凡)以下であることを知ったことで出るノーマル以下。
生まれた瞬間に平凡を持ち合わせたと思っていたが生きていく中で平凡ですらないことを知る。
そんな人間が目には見えない、そこにある確信もない、自分の人生のうちで掘り当てられるのかもわからない、掘れば掘るほど生産性も落ち、目の前が暗くなっていく中でどうにかして鉱脈を掘る方法を模索する。
否、自分に現状を落とし込もうとする皮肉なのかもしれない。



知るか!伸るか反るかしかねぇこの世の中
確かな価値観など無価値か

知るか!は果たして前述した問いに対しての答えなのか。
はたまた伸るか反るか(=成否はわからないが天に任せ思い切って物事を行う)しかない世の中に対する反発心なのか。
自分の中にある確固とした価値観など無意味にも思えるほど成功も失敗も神任せのこの世に振り回される。



カッとなったってこの葛藤で
生まれた Take は Cut できん Yo

そんな世の中にイラついてムカついてカッとなっても、そんな世の中に対する葛藤によって生み出されたTake(=撮影ショットや録音セッション、広く言えば見解や解釈)は誰にも消せも切り離せもしない。



I can’t be someone else, Oh I know, I know…
このブレーキを 壊したいの したいの
これだけじゃやれねぇってわかってる
でもこれしかねぇからこれにかかってる
間違ってる未来でも俺には光ってる
Let it fire!

私は他の誰でもないことはわかっている。既存の何者にもなれないし、憧れの人にもなれないことなんてこともわかっている。
だからこそ自分のやりたいことをやりたいのに自分の中にあるブレーキが“これ”に対する自分の動きにストップをかける。
そんなブレーキなんて壊してしまいたい。

平凡以下である自分の現状と実態のわからない鉱脈との差に戸惑う。これだけじゃやれねぇ。
でも何者でもない自分が自分で持っていると思っているものは“これ”しかない。
だからもう、これでいくしかない。
鉱脈だと信じ掘り続けた地面は周りから見たら何もないただの地層でも、その先に鉱脈が光る様子が自分には見えてしまった。
そこでやっとブレーキを壊して心に火をつける。



燃やすこの闘志 その鉄格子
ぶち壊し どうしようもないままが
自分なんだ こっから始まんだ
いつかの童心もって努力し
夢と相思相愛になれるはずなんだ
こっから、こっから始まんだ

着火された心は自分の周りにある常識や一般論、できないだろうという自分の心(=鉄格子)をぶち壊そうと戦う意気込み(=闘志)に変わる。
“ぶち壊す”は物をめちゃくちゃにする、乱暴に壊すなんていう雑な表現だ。
丁寧に物事ひとつひとつをこなしていくとかいうことはどうしようもないままの自分の中で燃やされた闘志には有り余ってしまってできない。
でもその乱雑さが自分なんだと認められる勇気。
自分の弱さを愛せる人間が1番強いなんて聞いたことがあるけれど、そんな自分をやっと享受できるのがこの部分。

まだ自分が平凡以下だなんて夢にも思わず大きい夢を描けたあの頃を思い出しながら努力し続ける。
夢を追う、でも夢を叶えるでもなく(自分からの一方通行で夢は受け身)、夢とお互いに想い合うということがポイント。
夢にさえも愛されなければ、平凡以下は描いた夢など叶えられない。



1,2,3,4 順番通り
行ってないだけで予定通り
ローリンローリン 転がってけ
よりどりみどりの一生

字幕なしで聞いていた時、ずっと「順番通り ってないだけで予定通り」(一般的な順番通りに見えないかもしれないけれど、言ってなかっただけでこれが自分の予定通りですよ)
かと思っていたけれど、実際は「順番通りってないだけで 予定通り」だった。
自分の思い描いていた順番通りになんて行っていないけれど辿り着く先は予定通り、とか、順番通りにいかないことなんて予定通りという意味だったのかと推測。
確かに前半の解釈だと自分の中でうまく行き過ぎてしまっている。
この曲は自分の中で思い描いているものもうまく行けないでいるところがあるのがミソだ。
ただ我が道をゆく自分を誇るのではなく、なかなか自分の道に踏み出せず、踏み出しても果たしてそこが正解なのかと路頭に迷う自分を奮い立たせる曲だと解釈している。

選り取り見取り(=選択が自由で好き勝手選び取れる)の一生で揺れ動く自分(ローリンをどうやって解釈するのか迷ったのですが、転がるというより揺れ動くという方向に受け取ってみました)。
よりどりみどりをひらがな表記にしたことで慎太郎くんのメンカラであるが入ったこともローリンでRollin’ を彷彿とさせるのも粋だなぁ。



こっから?どっから?わからん
だって燃料自体はすっからかん
こらアカンわ 楽観し簡単にゃ済まぬまさに難関

鉱脈を掘ることを決めてもどっから始めればいいかわからない。
こっからってどこ?
そんな基礎的なこともわからないのは、まだ何も始められていないから。燃料として蓄えられるような感情がまだ自分の中に燃えたぎっていないから。
そんな自分をこらアカンわと笑い飛ばせるほど楽観も出来ないし、簡単に済ませられるほどのものでもない。
ついにぶつかってしまった難関。


一人になりたくても人だらけ さらけ出すにも一苦労なわけ
聞かれたくない サイレンピーポー
でもどこ行ったって “人人人(ピポピーポーピーポー)”

周りには大して信頼もしていない人がたくさんいて本当の自分をさらけ出すなんて出来ない。
自分をさらけ出すのもなかなかに勇気もエネルギーもいる。そのひとつだけでも果てしない労力を使う。
そしてここのサイレンはずっとサイレントだと思っていたんです。
しかしここがサイレンだったことで、やっとのことで曝け出しても何も言わないサイレントなピーポー(その曝け出した姿を見て見ぬふりをしたり存在を無視してきたりする人々)という解釈からサイレンなピーポー何を言っても警報ばかりを発する人々)という解釈もありだなぁなんて。
でも「聞かれたくない」というセリフが前にあるので、ピーポーが人という意味を担うのは「人人人」の部分だけで、周囲に大勢の人がいると自分から発せられる悲鳴や弱音、限界を知らせる警報(=サイレン)が聞かれてしまう。聞かれたくないから1人になれる場所を探してもやはり周りは人だらけ。という解釈が一般的なのかな。
ぜひ多くのオタク有識者の方にお話お伺いしたい。

アイドルである彼らに当てはめてみると、常々大我さんが「アイドルは苦しいことや辛いことをリアルタイムでファンに共有してはいけないと思っている(ニュアンス)」と言っているのに重なります。
ふと見せる表情、雑誌のインタビュー内容のちょっとした変化、有料ブログの内容、プライベートでも撮られる写真。それらから生み出される想像、憶測。
自分から出されるサイレンを聞かれたくないのに、強すぎる正義感やただの外野から向けられる好奇の目。憶測がまるで真実のように受け入れられて集まる同情や批判。
どこに行っても自分を見ている大勢の人たち。果たして彼らに本当のサイレンを鳴らせる場所などあるのだろうか。

この曲の前身とも言える『人人人』を入れてきて、かつサイレンのピーポーと重ねる佐伯youthKさん。
『人人人』もアイドルとして生きる中でずっと自分の中で鳴り続けるサイレンを見ないふりして迷信程度の「手のひらに人と書いて飲み込む」という動作をすることで、やっとステージ上で輝くアイドルとして立っていられる、けれど我々はそんな姿など微塵も想像せずにただ笑顔の彼らを見て笑顔になっている。といったいったメッセージ性を感じていたのでそこの部分も重なるところがあるなぁと。
何はともあれお洒落すぎ…



「俺、悪くない。なんも間違ってない」
自分じゃない何かのせいにしたい
天才じゃないの ダッセ わかんなさい

何かとうまく行かないことがあればすぐに「自分のせいじゃない」と自分に言い聞かせて自分の至らないところから目を背ける。
この部分を聞くと北斗くんが一万字でJr時代のことを語った際に出てくる「人を責めると自分が正しいように思える(ニュアンス)」「自分を何者かに見せようと必死で。誰よりも本人が、自分は特別な人間じゃないことに気づいてたのに。」という言葉を思い出す。
なんとかして自分を正当化させようとする人間臭さ。青さ。幼さ。
そんなことを天才はしないなんてわかってる。っていうか自分が天才じゃないことなんて疾っくの疾うにわかっている。
それなのに何故だか自分が天才だとか、自分は他の人間とは違うとかどうしてか勘違いを繰り返す。
そんな勘違いダサいから、いい加減自分が天才じゃないことくらい分かれよという自嘲

また『人人人』に重ねて申し訳ないのですが、ここの部分は盛り上がりからの急な落ち着きで本音感が強いので「ホラオレラ〜」の部分が脳裏に浮かびます。
そしてRosyを彷彿とさせる振りに、共鳴の「正気じゃない〜」のメロディを合わせてくるセンス。圧巻。脱帽。好き。(語彙力)



これ フィクションじゃない
よく見なさい 天賦の才などない
でも やめられないみたい
あたしゃ阿呆か馬鹿みたい

この人生は決して妄想でも作り物でもない。
うまく行っているように見えていたとしてもよく見れば生まれながらに備え持った才能(=天賦の才)など全くなくて、フィクションとは比べ物にならないほど。
今までの努力をよく見ないでただ【天才】という言葉で片付ける人々に対して言っている部分もあるのでは?
そんな恵まれた環境でもない、生まれた瞬間に授けられたものもない。それなのにその夢を追うことをやめられない。
普通の人間ならもうやめているであろう場面でも夢を追い続けている私は阿呆か馬鹿でしかない。
でも確かに結局夢を掴むのって大体阿呆か馬鹿ですよね。
阿呆なふりでも馬鹿なふりでもしないと夢なんて追えない。



見てみたいこっから燃える未来
メラメラ まだまだ 自分で決めつけんな限界
探せお前の正解 本当の自分なんて居やしねぇ Yo!
高くなきゃダメ 低くてはダメ って思い込んでることこそがダメ
好きこそ物の上手なれ で次こそ終える根比べ

ここで出てくる自分の限界はイコール鉄格子なんじゃないかなぁなんていう推測。(個人的な趣味ですがここの鉄格子は「知らぬ間に築いていた自分らしさの檻」と重ねてしまいます。(分かる人には分かるやつ))
ここの部分から自分に対してより強気で語りかける。
周りの正解と自分らしさを考慮した上でいつのまにか出来上がっている限界。
ただその正解は一般の型にはまった正解で、自分らしさなどどこにもない。
「高くなければ!低くちゃだめ!」っていうその基準こそが平凡でその思い込みこそ変えなくてはいけない。

あくまでも私の感覚だが、「好きこそ物の上手なれ」と「根比べ」は相対する意味な印象。
そもそも「好きこそ物の上手なれ」は楽しんでやることで上手になる、もしくは熟達することは楽しめないとできないという意味だが、「根比べ」は根気や忍耐力を競い合うこと。
その根比べを次こそ終えるということは、根気や忍耐など競い合わずとも好きな物だからずっと熱中できるとか、ずっと追えるとかそういうことを言っているのではないか。



Oh しのごの言わずに動け
道なき道ほど進め
劣等も嫉妬も叱咤なる燃料
Let it fire!

環境や才能などになんのかんのと文句を言ったり、進まない理由をつらつらと語って面倒な言葉を並べていないで動け。
この足掻き方というか奮い立たせ方が凡人の泥臭い努力の仕方そのものな気がする。
今までの人たちが歩いたことで作られた道ではなく、まだ誰も踏んでいないその土地を踏み進む。
周りに比べて自分が劣っているように見える苦しさや、妬み嫉みも自分を大声で叱って励まし燃料になる。
さっきすっからかんでスタート地点すらわからなかった燃料は、どんどん深く世界を知って、周りを知って、自分の立ち位置を知ったことで感じた劣等感や嫉妬が担った。
その燃料で今情熱を燃やす。



燃やすこの闘志 その鉄格子
ぶち壊し どうしようもないままが
自分なんだ こっから始まんだ
いつかの童心もって努力し
夢と相思相愛になれるはずなんだ
こっから、こっから始まんだ

1,2,3,4 順番通り
行ってないだけで予定通り
ローリンローリン 転がってけ
よりどりみどりの一生


1,2,3,4 順番通り
行ってないだけで予定通り
ローリンローリン 転がってけ Yo
こっから始まんだ




SixTONES 10thシングル『こっから』。
先述以外にも4が彗星ポーズだったり、マスカラの振りが入っていたり、きょもじゅりAmazing!!!!!!の腕組み卍が出てきたり、ジェシーくんが両手を広げて背中から倒れ込むところはNAVIGATORのMVを思い出させたり。
過去を彷彿とさせるシーンも多かった。
結成から9年目、デビューから4年目の今。昨年がとても辛かった、踏ん張ったと言っていた今。現在地や未来の継続を表す『こっから』という楽曲を歌う彼らをとても誇りに思う。
そして彼らの苦しさをリアルタイムで見せずに作品に閉じ込めるアイドル力に圧倒されるばかりだ。


この曲が主題歌のドラマ『だが、情熱はある』も沸々と熱量を上げている。
これからストーリーも佳境に入り、どんどんと『こっから』も主題歌として寄り添っていくのであろう。
数々の歌番組でも披露されることが発表されている。
彼らがどのような表情で、歌声で、アレンジで、音源とは違った曲の顔を見せてくれるのか楽しみでたまらない。


日々の葛藤も嫉妬も劣等も全てを燃料にして、サイレンすらも聞かせずに阿呆で馬鹿な振りをしながら追い続けている夢を「一緒に見よう」と満面の笑みで言ってくれる彼らに感謝を込めて。
そして彼らに光って見えた未来がどうか明るいものであるようにと願う他ない。

2023.6.1   えぽ

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