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次世代デジタルライブラリーでいろいろ検索する

結論。便利である。おもしろい。

次世代デジタルライブラリー 根津権現裏

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E6%A8%A9%E7%8F%BE%E8%A3%8F&searchfield=contentonly

文芸年鑑 昭和5年版 

『根津権現裏』の著者である藤澤清造が健在だった頃の略歴
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1077746?keyword=%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E6%A8%A9%E7%8F%BE%E8%A3%8F&page=4

検索結果が示す「コマ数」を、半角数字で入力すると……

……入力したコマ数に連動して、該当箇所が表示される。

上図のように該当箇所を閲覧できる。全文テキストデータもダウンロードできる。

藤澤淸造*
明治二十二年十月、石川縣七尾町に生れる。小學校卒業後、專ら獨學。永く「演藝畫報」記者をしてゐたことがある。小說「根津權現裏」の著のほかに、小說、戯曲などがある。
(現住)東京市外上荻窪六〇六

引用元:『文芸年鑑 昭和5年版』

出版年鑑 昭和8年版

凍死したことを含む藤澤清造の略歴(昭和7年1月に死亡しているため)
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1125711?keyword=%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E6%AC%8A%E7%8F%BE%E8%A3%8F

藤澤淸造氏
小說『根津權現裏』の著によつて一躍文壇に認められ、一方劇通家であつた藤澤淸造氏は、潔癖性による淸貧と病弱の結果精神に異狀を呈しつゝあつたが、一月二十五日ふらりと外出の儘行方不明となり、二十九日芝公園內六角堂の傍に行路病者として死體となつて發見された。享年四十三。

引用元:『出版年鑑 昭和8年版』

加藤武雄『わが小畫板』

根津権現裏に言及している
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1899852?keyword=%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E6%A8%A9%E7%8F%BE%E8%A3%8F

(略)F君來訪。F君の長篇「根津權現裏」の讀後感を語る。「根津權現裏」大いに世に著れずと雖も、新進文壇屈指の名篇なるは深く余の信ずるところ。F君、毒舌縱橫、しきりに世を罵り、文壇を罵る。蘇峯先生の口吻を藉りれば、『亦、一個痛快の漢』だ。續いてY・N君來る。F君より話の「女性」へ短篇寄稿の件引受けることにする。

引用元:加藤武雄『わが小畫板』

「F君」=ふじさわせいぞう

次世代デジタルライブラリー 藤澤淸

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E8%97%A4%E6%BE%A4%E6%B7%B8&searchfield=

次世代デジタルライブラリー 藤沢清造

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%B8%85%E9%80%A0&searchfield=

旧漢字の場合、新字の場合など。
検索結果をいろいろ試してみるのも楽しい。

室生犀星『生ひ立ちの記 : 附・性に眼覚める頃』

ほんの少しだけ藤澤清造に言及している
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1259829?keyword=%E8%97%A4%E6%BE%A4%E6%B7%B8

 自分は根津の古い下宿屋に越して行つたが、安野は或時自分に薄汚い罵を逞しくする或男を下宿に連れて來て、自分に無雜作に紹介した。この男は盲縞の筒袖を着た山伏のやうな藤澤淸造だつた。自分は彼の言葉の中にある、「あいつら」といふ內容が文壇の大家を暗示してゐるものであることを知り、藤澤と文壇との關係的な接觸が自分に初めて「文壇」を接近させて見せた。自分は藤澤に會ふ前まで文壇的な氣持には遠く,寧ろの詩人であることに不滿を感じなかつた。彼のいふ文壇は雜作もない手近いとこにあるらしかつた。

引用元:室生犀星『生ひ立ちの記』

上記資料は「総ルビ」なので、2022年2月7日23時ごろにダウンロードした「テキストデータ」は、「親文字」と「ルビ」が混じっており……

次世代デジタルライブラリからダウンロードしたテキストデータの一部

……「ルビが混じっている箇所」と「底本の本文」を照らし合わせながら手作業で修正する必要があった。
とは言うものの、この底本はOCRが苦手とする「総ルビ本」でありながら、全編「ルビだらけ」の本文をそれなりの精度で読み取っている。えらい!

室生犀星 『女ノ図』( 所収の「洞庭記」)

藤澤清造について語っている
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1209398?keyword=%E8%97%A4%E6%BE%A4%E6%B7%B8

ダウンロードしたzipファイルを解凍すると、下図のように「コマ番号ごとに分割された本文テキストデータ」にアクセスできる。

ダウンロードデータのファイル名の末尾が「コマ数」を示している

藤澤淸造の隣二階にゐた男らしい考へ方と遣繰りと、そしてまた向ふ見ずな最後まで貧乏人の心構へをもつより外に方法がなかつた。藤澤淸造に剃刀を借りて顏をあたつたあとで、藤澤淸造はいつもいふのであつた。人の剃刀をさんざ使ひやがつて仕事もしないでのうのうして、いい氣なもんだ。てめえのやうなごくどうは今に飯も碌すつぽ食へなくなるだらう。そして彼藤澤淸
造は三島霜川先生の小說の筆耕をしてゐて一枚四錢あて貰つてゐた。その仕事の分前を僕にもしてくれたが三島先生は後でこの原稿はまるであて字だらけで讀めはしないぢやないかと叱られたさうであつた。

引用元:室生犀星『洞庭記』

尾崎士郎『人生読本』

藤澤淸造の凍死について言及して、讃えている。https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1230427?keyword=%E8%97%A4%E6%BE%A4%E6%B7%B8

 自殺した藝術家にはまだしも夢と誇がある。藤澤清造が芝山内で凍死したときにわれ/\の胸には悲壯な文學精神の波うちをつたふるものがあつた。

引用元:尾崎士郎『人生読本』

演劇年鑑 1925年版

略歴。出身地や当時の住所記載あり。1925年=大正14年。
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1017515?keyword=%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E6%A8%A9%E7%8F%BE%E8%A3%8F

藤澤 淸造
明治二十二年十月二十一日、石川縣七尾町に生る。學歷は小學校卒業後獨學。演藝畫報の記者、松竹キネマの脚本部員たりし事あり。小說「根津權現裏」戯曲「恥」等がある。現住所、東京市本鄕區根津須貿町二七松翠閣内。(電話小石川四四四一)

引用元:『演劇年鑑 1925年版』

だんぐみの版面においても、OCR結果のテキストデータが乱れるようだ(2022年2月7日23時現在)。

演劇年鑑 1925年版

以下、興味あることをつらつらと次世代デジタルライブラリで検索してみた。

次世代デジタルライブラリー 慊りない

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E6%85%8A%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%84&searchfield=contentonly
あきたりない

次世代デジタルライブラリー 慊ない

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E6%85%8A%E3%81%AA%E3%81%84&searchfield=contentonly
あきたらない  or あきたりない

次世代デジタルライブラリー 慊い

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E6%85%8A%E3%81%84&searchfield=contentonly
あきたらない  or あきたりない or きら

次世代デジタルライブラリー 自刄說

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E8%87%AA%E5%88%84%E8%AA%AA&searchfield=contentonly

次世代デジタルライブラリー お菜

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E3%81%8A%E8%8F%9C&searchfield=contentonly

次世代デジタルライブラリー お蕎麦

https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext?keyword=%E3%81%8A%E8%95%8E%E9%BA%A6&searchfield=contentonly