第八章 海苔卷
白山巢鴨行きの電車は、かなり込んでいた。私が其處の腰掛けに腰をおろすのには、二人の乘客に、左右へ少しずつ辷かって貰わねばならなかった。
見ると、此の電車の乘客の多數は、今乘すててきた駿河臺行きのそれよりは、一體に好景氣な者ばかりだった。例えば、洋服を着けた者、若しくは和服の者は、セルやネルの上へ、袷羽織を重ねていた。中にはインバネスを引掛けている者もいた。私はそれをみていると、また寂しい思いに攻められてきた。それは外出してから、何か忘れものをしたような氣がするので、考え考えして歩いてきて、丁度其處へ來合せた電車に飛びのりして、いざ切符を買おうとして、蝦蟇口を忘れてきたのに氣づいた時の心持ちだった。こうなると獨り私の胸の中のみに、しとと秋雨が降りそそぐもののように思われてならなかった。そして、痛む足を引きずって、わざわざ牛込あたりまで出掛けていった袷の無心も、時のはずみからだとは云え、碌碌それを切りだしもせずに、今こうして、自分とは比較を絕した身なりの人達の間に圍まれて、寂しく歸っていかなければならないのかと思うと、身の哀れさ味氣なさが、一時に込み上げてきた。其の中にも氣になるのは脚だった。此の上脚を惡くしては、それこそ泣きっ面に蜂だと思うと、心はただ一筋に、左脚へ向って集ってきた。堪えがたい不安に驅られて、集まってきた心は、淚ぐましい目に瞬き一つしないで、凝とそれを見詰めていた。
やがて、電車が春日町へきて止まると、幾人かの人がおりて、幾人かの人が入ってきた。見るとそれらの人達は、皆川の中からでも這いあがってきた犬のようになっていた。でなければ、手に手に、濡れそぼった傘を持っていた。それに依ると、外はまた雨になったらしい。
私は何氣なく、目を運轉手臺の方へ向けると、向う側の端寄りに、二十歳前後の女が一人掛けているのが目についてきた。髪は銀杏返しに結っているらしかった。生えぎわは扁平にみえて良くはなかったが、しかし、ふくよかな其の前髪と鬢とが、どんなに顏の陰影を濃く深くしていたか知れない。それと特色は目だった。細い目だが、それだけにまた切れの長い目だった。それが私には、あのエメラルドのように思われた。あの磁石のようにも思われた。また、あの燐のようにも思われた。何故と云って、其の目は男の胸へ、少くとも私の心を火のようにし、私の心を吸吸して、うれしく喜ばしてくれたからだ。
で、私は盗むようにして、凝とそれを見ていると、其の時はまだ私の胸へ、四月ばかり前に別れてしまった千束町の女、其の女の名はさきと云ったが、それの面差しがはっきりと浮んできた。殊に其の女の目つきを見ていると、顏の生えぎわから鼻の形、それから、口つきまでが、あのさきをまのあたり見ているように思われてきた。それは外でもない。其の目つきが不思議なくらい、さきのそれに似ていたからだ。それが今し方、神樂坂を通ってくる間に、一心に思いつめ、考えつくした心持ちを、此處でまた、新に深く思いかえさせてきた。そして、これから私は、しとしとと降りだしてきた雨に打ち濡れて、豚小屋にもたとえたい自分の部屋へ歸えると、垢と汗とに塗りかたまっている破れ蒲團にくるまって、寂しく獨り寢しなければならないのだと思うと、私は一層のこと、此の儘電車が顚覆してくれれば好いとも思った。そして、私も電車の下敷きになって、殺されてしまえば好いと思った。が無心の電車は私の心持ちなどを察してくれよう筈がない。それはただ先へ先へと駈けるのみだ。其の中私は溜らなくなってきて、凝と目を閉じていた。
やがてのこと、
「白山、白山上。」と呼ぶ車掌の聲が聞えてきた。其の時私ははっと思って、漸く我れに返ってきた。そして、電車の止まるのを待って、靜に車掌臺の方から下りてきた。無論私は、其の時は後方を振返えろうともしなかった。しかし私は、これが不斷なら、何を忍んでも、私がそれまで目をつけていた女の前を通ると云うだけの、果敢ない機會をつくる爲に、幾くら足に無駄をしても、私は敢えて運轉手臺の方からおりたに相違ない。だが其の時に限っては、不斷よりは一段と其の希望に燃えてはいたが、そうだ、一段と其の希望に燃えていただけに、私は態と其の反對の側からおりてきたのだ。
下へおりたつと、雨は横しぶきに降りしきっていた。私は石崎から、用意の爲に借りてきていた、破れ蛇の目にそれを凌ぎながら、肴町の方へ歩きだした。
すると、其處へまた、深い穴でも穿たれたように、一時に食慾を感じてきた。もうそうなると、足を運ぶ勇氣もなくなってしまった。で、どうしたものかと思って、まるで拾うようにして歩いてくる中に、ふと私は、大觀音手前に、一軒の鮨屋があったのを思いだしてきた。すると僅にそれに勵まされて、不自由な足を引きずりながら、其處の店頭へきてみると、もう表戶が締っていた。それを見た時には私は、多年粒粒辛苦して建築した住居を、一夜の留守の中に、悉皆烏有に歸してしまったのを目にするような氣持ちがした。私は低徊去るに忍びないもののようになって、暫く其處に立っていた。そして、見ることもなくみてみると、丁度戶の隙間から、かすかに燈火が洩れていた。其處で私は、何も試しだと思うところから、其處の耳門になっているところの戶を押してみたのだ。すると、造作なくそれが内の方へ軋みこむ拍子に、内から、
「誰方。」と云う聲がしてきた。
「鮨を少し頂きたいんですが、願えましょうか。」
私は、相手の聲を耳にした時には、途中で遺失して、思いあきらめていたものを、偶然手にした時のようなうれしさを感じた。
「いかほど。少しなら出來ますが。」
内からは私の聲に應じて、こう云う挨拶が聞えてきた。
「濟みませんが、二十錢だけ、いや、二十五錢だけ願います。」と云ってから、直ぐ後をつづけて、「海苔卷を二三本拵えてください。」と云いおわると、私は其處へぴたりと跪座して、合掌したくなってきた。
「はあ。」
また内からは、私の言葉が切れると、簡單にこう云うのが聞えてきた。
そっと中を覗いてみると、其處に一人の若い者がいて、それが私の爲に、鮨を握っていた。やがて、
「お待ちどうさま。」と云う聲とともに差出す新聞紙を、金と引換えに受取ると、私はもう咽喉が鳴ってきた。私は、十足ばかりも歩いてきて、其處で先ず新聞紙を解くと、今度はもう一重經木でもって包んであった。其の包みの横っ腹から、一つ抓みだして、口へ入れることにした。本當は下地をつけて食べなければならないのだが、私にはちょっとそれを手にする當てはなかったところからも、もうそう云うことは忘れたようになって、無我夢中で頰張ってしまったのだ。
鮨は、鮪に小鰭、烏賊に玉子燒の握りと、其の外に、海苔卷が六つはいっていた。私は順順にそれを口にしながらも、またしみじみと金が欲しくなってきた。金さえあれば、こんなさもしい思いをして、雨中を歩きながら、わずか二十五錢の鮨を貪り食わなくとも好いのだ。それにつけても金の入る方法はないものか。そうだ。私に金さえ持たしてくれるなら、私は失いかけている健康も、回復することが出來るのだ。そして、それに依って、完全とはいかないまでも、少くとも現在よりはも少し確實に、生活の保證を得ることが出來るのだとは思うが、しかし、其の金を得る方法は、悲しいかな現在の自分には惠まれていない。惠まれていないとすれば、所詮は盗み諞りをする外には仕方がない。ところで私には、それを斷行する意志がない。──そう云うことは、私の良心が許さない。そう思いつめてきて、兩側に建てつらなる家家を見た時には、堪えがたい嫉妬の情に驅られもした。そして、鮨を食べつくして、地上へ經木を打ちすてた時には、其の夜の出來ごとと云う出來ごとが、凡べて悔恨の種となって身に迫ってきた。
「ああ、何時までこうした生活を續けねばならないのか。」
愚痴なようだが、またこう思うと、はらはらと兩眼から、熱い淚が落ちてきた。其の淚を拂ってみると、其處はもう團子坂の下り口になる。私は其處へかかった時には、それこそ、一生浮びあがることの出來ない、深い穴の中へでも入っていくような、寂しいと云うよりも不安な、不安なと云うよりは寧ろ恐ろしい思いに驅られてきた。其處を、ひと足ごとに足元を氣にして、靜にしずかにおりてきたのだ。だから坂の途中にある、錢湯の樣子も、また其の隣家の鰻屋の樣子も、──鰻屋の二階では、每夜遅くまで、新内(※歌謡芸の一種)を敎えているのだが、それらの樣子には耳目も振らずに、まるで聾の馬車馬のようにして下ろしてきたのだ。