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第45節

 白鳥に来ると、そこにはもはや前期の教養という様な、そうしたものの何等の影響をも受けていなかった。硯友社の気分あたりからは、すっかり全く離れて来ていた。また、藤村、抱月、荷風などの持った様な、そうしたロマンチツクな気風からも、全く別なものになって来ていた。
 かれにおいてはもはや美にあくがれるというようなところはなかった。またわざと美を誇張するというようなところもなかった。『詩』または『歌』、そういう気分にも何等の共鳴を持っていなければ、そうかと言って、爬羅剔抉(※人の秘密や欠点を徹底的にえぐり出すこと)の快を貪って、無暗にメスを振うというような浅薄さにも堕していなかった。つまり四十二三年頃の虚無思想に最も合った性格と言って差支えないものであった。
 しかしかれは真に迫るということについて、何ういう考えを持っていたか。また『実行と芸術』ということについて何ういう考えを持っていたか。それを私達は考えて見なければならなかった。かれは真ということに対しても傍観的でなかったか。真とは何ぞや? 本当とは何ぞや? それが誰にわかるか? 君にそれがわかるか? こういう風に私は曽て一度反問されたことがあったのを記憶しているが、真に迫るという問題はそういうことではなくて、──わかるとかわからないとかいうことではなくて、できないながらも、わからないながらも、何うかその真に迫る程度を近かくしたいという願望から起って来た運動ではなかったか。何うかして本当のことを書きたい、一行でもいいから本当のことを書きたいと思ってでてきた運動ではなかったか。それをそういう風に言ったのは、何うしたわけか。あまりに本当ということを私が高調するので、それでちょっとからかって見たのか。それとも曽て二葉亭が==本当なんてどれが本当だかわかりやしない==と言ったのと同じ意味で言ったのか。その何方であるかが、長い間私にはわからなかったが、この頃になって、いくらかそれがわかるような気がして来た。
 それは『毒婦のように』という作がある、それあたりからであるが、かれはあらわす作家でなくて、つくる作家ではなかったかと思った。自己の創造した世界に読者を伴れて来ることの技量は非常にすぐれているけれども、その書いたものは、あまりこの実際に証券を持っているものではなくはなからうか。本当ということよりも、如実に書きあらわすということの方がかれに取っては大切であったのではなからうか。そしてそういうところからあの皮肉な反問が起って来たのではなからうか。こう私は思った。
 かれの作は主観的ではあるけれども、それは傍観的主観であって、「実行と芸術」においての実行的主観ではないのではなかろうか。「どれが本当だかわかりはしない」という反問は同じであっても、二葉亭の実行的主観とは全く違って言われたのではないのであろうか。否、そう思って見て来れば、かれの書いたものについての疑惑がすっかり解けて行くような気がした。
 ただ、物を見ている。じっと見ている。そこにひとり手に感じが起って来る。それだけならまだいいけれども、それ以上に、皮肉に、白眼にかれは世間や人間に対していはしないだらうか。メスを振うだけの冷かさがあれば、その一方にそれを治してやろうとする熱い感激もひとりでに伴って来るわけだが、かれにはそうした冷かさもなくはないか。あまりに冷淡に周囲を見回していはしないか。
 しかし、それも性質であり、気分であり、遺伝でありとすれば、敢て非難するには当らないかも知れないけれども、かれにも『二家族』だの、『毒』だのという作のあるのを見ると、単にそういう風に言って了うことは私にはできなかった。
 かれも曽ては『実行と芸術』上の芸術家ではなかったか。『一夜』などという作があったではなかったか。深く入って見ようとする作家であったではなかったか。『毒』などの真に迫った形は──尠くとも作者の即いている形は、西鶴のあの切味をすら思わせるに十分な作ではなかったか。
 ここで私は近松と西鶴との相違を論ずる必要に迫られて来た。「だってそうじゃないか。近松には拵えたところがある。それははっきりとわかる。お俊伝兵衛だったか何だったか、両方とも書いているものがあるが、それなどを見てもすぐわかる。近松は何うしても、『本当』という度数において不足している。いかにも中途半端である。拵えている。それも、浄瑠璃にするのだから、近松はああ書かなければ為方がなかったのであろうと言うものもあるけれども、僕はそうは思わない。近松はつくることを主にした作者なのだ。つくらなければ満足ができない作者なのだ。あらわす作者ではなかったのだ」
 こう私が言うと、それをきいていたSは遮って、
「それが、何ういう風に正宗氏と関係するんだね?」
「つまり、近松に近いというのさ………。いや、誤解しちゃいけない、あの書いたことじゃない、その手法がさ………。考え方がそういう風だと言うのさ。だから、『毒』や『二家族』のように、つくったものよりあらわしたものの方に還って来たら何うか? つていうのさ?」
「そうかな? 僕はそれほどにも思わないけれども………」こう言ってSは考えて、「そして君はその西鶴と近松との相違をそのつくった作家とあらわした作家との二つにわけるのかえ?」
「そうはっきり言うわけじゃないがね? また場合によっては、あらわす作家であろうが、つくる作家であろうが、それはかまわないわけだけどもね、すぐれたものさえできればいいものだろうがね? それは批評するだんになって、感じをあらわすために言うんだよ。君だって、西鶴と近松とを比べれば、真に迫る度数の違うことはわかるだらう?」
「それはわかる。しかしそれはつくる作家とか、あらわす作家ということから起って来た差違でなくて、その持った才能の如何によるんじゃないかね?」
「そう言ってもいいだろう。しかし、君の言い方よりも僕の言い方の方が進んでいるよ。少くとも心理的だからね?………」
「そうかな」
 Sは笑った。すぐ言葉をついで、
「それじゃ秋声氏は?」
「それはまたおのずから別だね。秋声氏はまた別に論ずるつもりだがね。つくる作家としては、秋声氏は決して旨くはないね。何方かと言えば、不得手だね。話す作家、あらわす作家だよ。創造するという形から言えば、正宗君の方がずっと巧みだ──しかし、あとで考えて見て、正宗氏のものよりも秋声氏のものの方が余計頭に残っているのは、それはなぜだらうね? あらわしたものが余計にあるからじゃないかね。人の話をきいて書いたにしても、秋声氏の方が深く飲み込んでかかっていはしないかね?」
「さあ」
 Sは容易に肯けないというようにした。
「じゃ、泡鳴とは?」
「泡鳴もつくる方の作者じゃないね。大抵自己をあらわしたものだね。かれには出来不出来があって、全集などを見ると、ひどいのがあるが、自分のことを書いたものには、いいものがあるからね?」
「何んなもの?」
「『憑物』とか、『毒薬を飲む女』とか、『耽溺』とか、ああいう風なものは、皆な本当だからな?」
「白鳥だって、自己をあらわすことのいいのを知らないのではないよ。ただ、止むを得ずああいうものを書くんだよ」
「そうかしら?」
「そうだと思うな。その証拠には、近頃だって、自分のことを書いたものがあるじゃないか。それから島崎君なども、自分のことばかりを書く作者だね」こうSは言って、『いろいろに言うけれども、つまりはこういうことになるかも知れないね。自分のことを書くにしても、それを何ういう風に書きあらわすかという、それが問題になるんだね? 正宗君なども、そう言えば、何処かで自分をあらわしているにはいるんだね。クリエイトしても、そのつくった形にかれがあらわれているというわけになるからね?」
「そうも言えるね?」しかし私はそうは言いたくなかった。