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第3節

 思うに、こんとんとしたものの中から、いろいろなものが浮び上ろうとしていたのであった。いや、そんなものはいけない。いや、そんなものは古い。こう互いに批評し合った。雅俗折衷ということが言われ、地の文と会話とはわける方がいと言われ、また一方では地の文と会話とが旨くまじり合っている方が文章が旨いのだと言われた。文体ということが、まだはっきりきまっていないのであった。その時分の文壇では、個人の文章スタイルなどと言うことは、まだ口にさえのぼらない時代であった。
「そうだね。たしかにそういうところがあるね。全体の運動──言いかえれば、 ※31メイン・カアレント、それもあるが、それを貫いて個人々々の性格ということが活躍しているね。それが面白いね。山田がああいう風にわるく ※32ハイカラに外国の模倣ばかりをやり、評判のいのにつれて、『都の花』に入り、『いらつめ』を発行し、極端な進歩派をまわしたので、 ※33ざきは山田以上に外国語も出来ながら、わざとそうした ※34バタくさいものをしりぞけて、やれ ※35さん、やれ ※36西さいかくという風に保守派になって対抗して行くような形になって行ったからね。はり人間だね。矢張お互いの個の性格ということだね?」こうその時分のことを知っているある人が言ったが、実際それはその通りであった。こうようみように対抗して、わざと『 ※37こう』と言ったようなものや、『 ※38いろざん』『 ※39おうしようくん』と言ったようなものを書いた。
 今日では、さん ※40きようでんを読むものはほとんどなくなってしまったが──その時代を研究するものでもなければ読むものは全くなくなってしまったが、その頃には、まだそうした ※41さくのものをも文学青年達は読まなければならないのであった。否、さんきようでんばかりではなかった。ずっとあとの『 ※42はっしようじん』の ※43じようや、『 ※44しやはっそう』の ※45まんていおうなども読んで見なければならなかった。 ※46がきぶんのものなども、社会ではまだある勢力を持っていた。で、私達はさん ※47いっは勉強するつもりで読んだのである。流石にそれを模倣するという気にはならなかったけれども、旨いものであると思って読みふけったものである。
 紅葉と ※48はんとが西鶴を掘り出して来たのは、それから一年ほどであったが、これなども矢張山田のバタ臭いのに対抗する形があったのであった。つづいて ※49よしおかしよてんから『 ※50しんちよひやくしゆ』が出た。
 この『新著百種』の二号に、あえこうそんの『 ※51ほりもの』というのが出た。つまりこうそんばりの文章──当時にあっては、先ず先ずこれを一番中心の文体としなければならないものであった。最早古いものとされてはいたけれども、それでも十巻の『 ※52むらたけ』を読むものは、まだまだ沢山にあった。この文体は露伴から ※53いちように行った。そしてそこで絶えた。つまり紅葉はその極右党の小説を『新著百種』の二号に載せて、極左党の山田に対抗させたつもりであったに相違なかった。
「そうかな?」
「それはそうさ………。」しかし、山田の声価は長くつづかなかった。実力がなかった。最新派をのりりながら、外国文学に於ける知識をそう大して豊富に持っていなかった。それに、作としてもすぐれたものを出さなかった。『都の花』に出た『 ※54いちごひめ』は、かれに取っては、非常に努力したものであったであろうけれども、しかし最早『武蔵むさし』時代のように文学青年を動かさなかった。それに反して、紅葉は次第に頭をもたげた。
 それに、一方に国文の運動がおこって来た。しきりに和文が流行した。 ※55おちあい ※56なかむらなどという人達が頻りに歴史ものや、小説に似たようなものを書いた。そしてそれはかなりに盛んな運動であった。一時は全く外国文学の模倣か圧倒されるとは思われるくらいであった。「そうさね。ああした運動のおこったというのも、いかに社会や文壇がこんとんとしていたかということを思わせる材料になるね。無論、その運動はバタ臭い外国文学派に対しておこったものに相違ないのだが、一方には、またいかに当時の文学に文体をいうものがきまっていなかったかということを思わせるに足りるね。山田や長谷川の言文一致もあまり急進的で突飛すぎる。そうかと言って、こうそんばりのあの文体も面白くない………。西鶴だって今の用には足りない。それよりは、いにしえふくそうじゃないか。中世時代以来、文章は乱れて来ているけれども、現に、日本にも ※57おおかがみとか、 ※58へいとか、 ※59げんとかいうものがあるじゃないか。あれにえすのが正当だ………。そうすれば、純粋な日本文学が生れる。こういう風に、あの落合や小中村の連中は思ったんだね? しかし、あんな古文で小説は書けないよ」こんなことを誰かが言ったことを私は覚えていた。たしか、『国民之友』の正月ろくにも、そうした ※60ふくぶんで書いた小説の掲載されていたことがあった。
 ある日、あるところで、私はその話をした。そして言った。
「いや、あの復古文の影響は、かなりに大きくつ広かったね」
 と、それをきいていたB君はかたわらから言った。
「一時はあれになると思ったものもあったと見えるね?」
「そうかな………。しかし、僕はそうは思わなかった」
「何しろ、あの復古文で小説を書く時代が二年くらいあったよ。現に、それを修行したものもあるよ」
 こう言ってB君は考えるようにした。やがて言葉をついで、「現にい例がある。そら、 ※61おうがいぎよに『 ※62ふみづかい』というのがある。あれなんかまるふくぶんだからな。何せ、あれは、一度落合に見てもらったっていうからね?」
「そうだってな」
「それに、『 ※63うたかたの』だって、はりそうだよ。つまり、あの時分には、和、漢、洋を一つに丸めることが一番肝心だったんだね。」
「それはそうだ──」
「のんきなもんさな──」
「でも、こういうことはあると思うね。何と言っても、文学はその時代の反響だ………。その時代の反響を受けずにはどうしたっていられない。つまり、外国模倣から保守主義、保守主義と国家主義との接触、そういう空気からあの復古文の運動はおこったんだね。日本もそう馬鹿にしたもんではない。現にこういうものがある。こういういものがある。こういう風に思ったんだね。あの時分ほど昔のものの翻刻された時代はなかった。」
「本当だ………」
 B君もその時分を思い浮べるようにした。
 たしかそれは明治二十五六年頃であったと思うが、その時分には、私にはそれまで学んだ漢文や漢詩が全く不必要になったような気がした。今まで馬鹿なことをやっていたような気がした。これから先、漢文や漢詩を作ったって、それがいくら上手になったからとて、それがどうなるものかと思われた。で、私は長い間母や兄からもらったづかいで買いためた ※64かんぶんこうぶんしゆうだの、 ※65とうしゆうだのを古本屋へ二束三文で売って、そしてその銭で近松や西鶴の十銭本を買った。源氏物語などをも買った。私が歌を本式に ※66まつうらたつ先生について習ったのもその頃からであった。


※31メイン・カアレント……main current 時代のしゆちよう
※32ハイカラ……西洋風を真似た身なりや様式のこと。明治三十年代から使われていた和製英語?
※33ざき……─こうよう(一八六七―一九〇三)。小説家。けんゆうしやの創立メンバーであり中心的存在。『じようこん』(一八九六)。『こんじきしや』(一八九七)。
※34バタくさ……西洋かぶれ、西洋の気配を感じさせる人や物を指す。
※35さん……しきてい─(一七七六─一八二二)。洒落しやれぼんこっけいぼんびようごうかんの作者。滑稽本『うき』(一八〇九)、『うきどこ(一八一三)』。
※36西さいかく……はら─(一六四二─一六九三)。うきぞう(大坂京都の娯楽的な町人文学)を書いた。『好色一代男』(一六八二)。
※37こう……尾崎紅葉/著。けんゆうしやに関わる人々が登場する楽屋小説。
※38いろざん……にんいろざんのこと。「悲恋」を扱った尾崎紅葉の出世作。一八八九年刊。
※39おうしようくん……尾崎紅葉『やまとしようくん』(一八九五年)の誤り。
※40きようでん……さんとう─(一七六一―一八一六)。さくしや・浮世絵師。黄表紙本『うまれうわきのかばやき』(一七八五)。洒落本『つうげんそうまがき』(一七八七)。
※41さく……江戸時代後期における通俗小説(洒落本・滑稽本・黄表紙など)のこと。著者(さくしや)には知識人(武家階級を含む)が多い。
※42はっしようじん……滑稽本『はなごよみはっしようじん』のこと。りゆうていじよう/著。
※43じよう……りゆうてい─滑稽本の作者(生年不明─一八四一)。じっぺんしやいっしきていさんに次ぐ人気作者。はなしとしても活躍した。
※44しやはっそう……しやはっそうやまとぶんのこと?。まんていおう/著。一八四五年/初編。くさぞうごうかん
※45まんていおう……さくしや(一八一九─一八九〇)。右記参照のこと。
※46がきぶん……さくしや・新聞記者(一八二九─一八九四)。『西せいようどうちゆうひざくり』(一八七〇)、『なべ』(一八七一)等では、明治時代における開化風俗を描いた。
※47いっ……じっぺんしや─(一七六五~一八三一)。江戸後期のさくしや。滑稽本『とうかいどうちゆうひざくり』(一八〇二)。
※48はん……こう─(一八六七─一九四七)。小説家。当時の文壇において尾崎紅葉とそうへきを成した。小説『五重塔ごじゅうのとう』(一八九二)。
※49よしおかしよてん……よしおかしよせきてんのこと。英語学習誌の発行に始まり、けんゆうしやの機関紙である『らく文庫』の第四期から発売元を引き受けた。
※50しんちよひやくしゆ……吉岡書籍店が企画したそうしよ(単行本シリーズ)。尾崎紅葉『色懺悔』、あえこうそん『掘出し物』など。実質的なけんゆうしやそうしよだが、非けんゆうしや作家である幸田露伴の作品『ふうりゆうぶつ』も含まれる。
※51ほりもの……あえこうそん/著。一八八九年刊。
※52むらたけ……あえこうそんの著作集。全二十巻。一八八九年から一八九〇年にかけて刊行された。
※53いちよう……ぐち─(一八七二─一八九六)。小説家。はじめ和歌を学んだが、家長であった父の死をきっかけに生計のため職業小説家を志した。井原西鶴の文体を規範とする。短篇小説『たけくらべ』(一八九五)。『にごりえ』(一八九五)。
※54いちごひめ……やまみよう/著。一八九二年刊。当時の文壇において「ゾラの借り物だ」という批評があった。
※55おちあい……─なおぶみ(一八六一─一九〇三)。国文学者。歌人。和歌(短歌)の革新につとめた。「あさ社(浅香社)」を結成しててっかんなどを育成する。叙事詩『こうじよしらぎくうた』(一八八八)は、西南戦争にまつわるいのうえてつろうの漢詩を翻案したもの。
※56なかむら……─よしかた(一八六四─一九二三)。国文学者。本名・いけよしかた。国学者・なかむらきよのりの養子になったが、のちふくせいした。おちあいなおぶみはぎよしゆきと共に『日本文学全書(全二十四巻)』を編纂した。
※57おおかがみ……藤原ふじわらのみちながの栄華を中心に描いた、紀伝体と問答体をまじえた歴史物語。きようのひとつ。作者不詳。成立年代は11世紀後半から12世紀前半とする説が多い。
※58へい……へいものがたりのこと。平清盛を中心とする平家一門の興亡を描いた軍記物語。作者については諸説あり。成立年代は13世紀とする見方が多い。『しようものがたり』ともいう。
※59げん……げんものがたりのこと。むらさきしき/著。平安王朝の最盛期における宮廷文化や貴族生活を描いた長編フィクション。成立年代は十一世紀初め。全五十四巻。
※60ふくぶん……ぶんのこと。平安時代のや語調をえてもちいた文章のこと。江戸中期から明治時代にかけて、おもに国学者らのあいだで使われていた。明治以降では、言文一致の機運が高まるなか、もりおうがいが『ふみづかい』やアンデルセンの翻訳小説『そっきようじん』にて雅俗な文体を試みている。
※61おうがいぎよ……もりおうがい(一八六二─一九二二)。小説家。陸軍軍医。ぎよとは、文人や詩人のごうに添える語。『まいひめ』(一八九〇)。『ウィタ・セクスアリス』(一九〇九)。『たかぶね』(一九一六)。『しぶちゆうさい』(一九一六)。
※62ふみづかい……もりおうがい・著。一八九一年刊。鷗外(本名・りんろう)が軍医時代にドイツ留学したときの体験を踏まえて書かれた短篇小説。『舞姫』『うたかたの記』とあわせた、通称・ドイツ三部作の一編。
※63うたかたの……もりおうがい・著。一八九〇年刊。ドイツ三部作の一編。
※64かんぶんこうぶんしゆう……とうだい中期の文人官僚・詩人であるかん(七六八─八二四)の作品集。ぶんこうおくりなあざな退たいはくきよと並び称された。
※65とうしゆうそうだいの文人官僚・詩人であるしよく(一〇三六─一一〇一)の作品集。号はとう。『せきへきのふ』(一〇八二)。
※66まつうらたつ……歴史学者。国学者。歌人。号はしゆうへい(一八四四─一九〇九)。やまたいやなぎくには、松浦の「紅葉会」に入会して和歌を学んだ。