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第57節

 あたりを見回したときに、文壇に何があったか? 「時」が一番先きに眼についたそうだが、その次には何があったか? もっと具体的に何があったか?
 つまり私達の後には、白鳥、秋江、小劒(※上司。小説家。花袋が『鱧の皮』を激賞)の諸氏があったと同時に、何が私達の対照として見られていたか。享楽主義か。否。後期自然主義か? 否。印象主義か? 否。やはり、次の新しい時代と一緒に生れて来た人道主義がその一番はっきりした対照ではなかったか?
 別言すれば、それは若い時代にかえることであった。四十二三の時代と二十八九の時代との対照であった。つまり新しい理想主義がそうした若い時代に芽を出し始めたのであった。私はその時分、しきりに『白樺』を手にしたことを記憶している。
 そしてその若い時代は、その若い時代の読者を師いて、若い時代のために、その前の時代と争う形を取った。そしてそういう人達は、自然主義を単に傍観主義だと言った。傍観でなしに、超越であったことを知らずに──。また知っていてもわざとそれを知らぬ振をして──。次に自然主義を不健全な、不道理な、魂を無視したものとした。不健全どころか、不道理どころか、その理想主義の不健全、不道理を通過した上に起って来た解剖、観察であるということをも知らずに──。魂を無視したどころか、魂を磨くことをつとめた主義であったのに──。しかしそれは理屈ではなかった。善悪でもなかった。そうなって行くべき自然の経路であった。そうでなければ若い時代はその持った若い時代を何うすることもできなかった。
 しかしこの若い時代からは、芸術的に見て何ができて来たか。武者小路実篤氏も、志賀直哉氏も、有島武郎氏も、里見弴氏も、長与善郎氏もすべてその『白樺』に筆を取った人達だが、そういう人達も皆なてんでんばらばらに別の方に出て行く形にはなって行きはしなかったか。中でも里見氏と武者小路氏とではことに別な方向を取るようになりはしなかったか。否、有島武郎氏もまた全く別な方向を取るようになりはしなかったか。志賀直哉氏はそれでもまだ武者小路氏と近い──そこにもとの『白樺』の人道主義があるという人もあるかもしれないけれども、しかも新しい村の主人公と『暗夜行路』の作者とでは、その間に抜くべからざる別な感じと気分とを持っていはしなかったか。むしろこの『白樺』の連中は、今までの中流階級──士族階級、準士族階級に対して起った貴族階級の合同乃至覚醒と言ったようなものではなかったか。
 あまりに長く中流階級に文壇の枢軸を握られて来たので、そのために、奮い起った一つの運動ではなかったか。
 それを思うと、今のプロレタリアの運動なども、興味あることと思わなければならなかった。これもやはり、労働階級の覚醒と見てしかるべきもので、そこから、そうした作者の生れて来るということは、当然でもありまた喜ぶべきことのひとつであらねばならなかった。『白樺』の貴族階級が大正の一時代を代表したと同じように、今度は労働階級から出た作者達が一時代をつくる時が遠からずしてやって来そうに私には思われた。
 しかも、人道主義の人達から何が生れたか。何んな芸術が生れたか。それが時代から時代への橋渡しにはなっているけれども、しかも大した作品を残しているとは私には思えなかった。武者小路氏に何があるか。『ある男』などはあれは果して芸術ということができるか。戯曲なども沢山に書くには書かれたようであるけれども、そう大してすぐれたものが残っているか何うか。それは氏の価値については、別な意味でいろいろなことが言われ得る。前の時代においての徳富蘆花氏や、私達の時代においての相馬御風(※文学者。『都の西北』『春よ来い』を作詞)氏などと比べて評して見ても、いろいろに言われ得る。ことに、ああした階級から労働にまで出て行った形、「本当の人間」を生きようとした形、そこには尊敬すべきものがたしかにある。しかしあのままでは芸術は生れて来ない。実行の方に偏りすぎている。それも島村抱月氏のような実行でなしに、実行即芸術の実行でなしに、普通の人達の実行以上にいくらも出ていない。あれでは少しあきたらなく思われる。
 里見弴氏は『白樺』の連中ではあったけれども、人道主義の群の中の作者とは何うしても思われなかった。それは、今では全くそこから離れて来て了っている。かれは別にして一派を成している。氏の芸術の中に、鏡花の作が影響しているのなども、特に指摘しなければならないものの一つであった。
 志賀直哉氏も今では人道主義などという名目には甘んじてはいないであろうと思われた。年を経るにつれて、氏も次第にそうした感傷や理屈や主張から離れて行っているように見える。『暗夜行路』の行き方などから押すと、かれも次第に現象主義に近寄って行く様に見えた。
 さて、この人道主義の結果に何が生れたか。何ういう収穫があったか。私の見たところでは若い時代の若い運動以上にそう大して文学史上を飾るような芸術は生れて来なかったようである。では、これからは何うか。これからとても、そうした主義からは、やはり大したものは生れて来そうにも思われなかった。