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第1章 浅草 朝から夜中まで(4)

鳩に豆を売るお婆さん 十一時

 仁王門に入ったら、左手を見上げよ。軍艦のような鳩舎。ゴロ、ゴロ、ゴロ。地にはノドを鳴らして、鳩、鳩、鳩。
 豆を売るお婆さんが六人。皺だらけの顔が渋紙のように光っている。でも、頭に手拭をのせているから恰好はとれている。硬ばった笑いで、坊ちゃん、嬢ちゃん。
「鳩に豆をおやり下さい。」
 小さな可愛いお客さんは、彼の足を突っつきそうにして寄って来る鳩に、夢中になって豆をバラ撒く。撒く。撒く。するとお婆さんは、すかさずその手に、次から次へと、豆の皿を渡す。お母さんが止めます。
「ねえ、もういいのよ。」
 でも、きかない。豆、豆、豆。
   つかむ気の子を少しづつ逃げる鳩
 それでも、豆を撒けば、また飛んで来る、だから坊やは、豆、豆、豆。

 この豆売のお婆さんも、資本主義を否定することは出来ないのです。このハト豆の権利を持っているのは、浅草で麻屋といえば有名です。昔は白馬の隣りに茶屋を出していました。(白馬といえば、今は伝法院の中に入ってしまい、元の処にはいない。だから、新しい浅草ファンは、白馬なんて言っても知らないかもしれませんが。)この麻屋は、民衆法律の片岡呑海の妻君の親元です。
 ハト豆の売上げはどの位あるか。特に、例えば四万六千日とかいったような物日には、一人が二三十円も売り上げることもあるが、まず平日は五六円だ。平均は一ヶ月二百円位である。
 このうち、三分の一が売子の所得で、あとは麻屋が居ながらにして、懐にするのである。もっとも、豆は麻屋から出るのだが、資金といっては、あの若干の大豆だけで、他は、半期に二十円かそこらの税金を、区役所に収めるだけなのである。
 すると、お婆さん達の収入は、一ヶ月六七十円ということになるのだが、ここに余徳がある。それは、子供を連れて、豆を撒かせ、一円なり、二円なりの金をおいて、ツリを取らずに行く旦那方があるのだ。つまり総花だ。これはお婆さん達でよろしく分配するのである。ナンダカンダでかれこれ百円にはなるのであろう。
 この中のお婆さんの一人。花川戸に住んでいるが、酒好きで、寝酒を欠かない。そして真っ赤になって、寝巻きを着ないで寝るのが道楽だといいます。そして、近所や、公園出入りの若い者らに小金を貸している。金の話になると、浅草寺伝説の一つ家の老婆のように、一歩もひかず、頑固だというが、真ッ昼間は、子供に愛嬌を振りまいて、
「鳩に豆をおやり下さい。」

底本

浅草底流記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916565/20
コマ番号 20~21