血の呻き 中篇(16)
三二
次の日、靴屋は自分の肩を負傷した。彼は、連れの男と一台のトロを押していた。それが、隧道の出口を離れるとすぐ、制動機が壊れて、転覆してしまったのだ。彼等は、二人とも、トロの下敷になった。人夫等が駆けつけて、彼等を掘り出した時靴屋は自分の頭がまだ胴に続いてる事を発見ると、急に元気づいて這い出て来た。彼は、左の肩を制動機の把手でつき破られて、その手がまるで利かなかったが、勢よく呶鳴った。
「関やあしねえ。俺を一寸部屋まで連れてって、寝かしてくれ。此所を、塩で洗って明朝まで寝てれば、癒ってしまう」
「そうか。手前は、きついな。じゃあ、誰か此奴を連れてけ……」
梟は、人夫等に言った。二人の人夫が、彼を抱いて行った。
もう一人の男は、右の膝関節を、めちゃめちゃに砕いてしまって、立つ事が出来なかった。彼は、声を立てて泣きながら、人々に曳ずり出された。其奴は、もう四十位いの瘠せた小男だった。
「立ってみろ!」
梟は、その男に呶鳴った。彼は、両手をついて踠くようにしたがどうしても立てなかった。
「怠け者! 足が折れっちまった事を喜んでけつかる。坑へ埋めるぜ!」
梟は舌打ちして、忌々しそうに言った。その男は、ぼろぼろ涙を滴しながら、掌を合せて梟を拝んで、泣声で哀訴した。
「お助け下さいませ。明日、明日は、きっと働きます……」
そして、声を立てて泣きはじめた。
「きっとだぜ! 怠けて愚図ってやがるからそんな目にあうんだ……」
その男は、古手拭でそこを縛られて、彼等の仕事の済む間、そこへほって置かれた。
一時間経っても、靴修繕師を連れて行った人夫等は、帰って来なかった。
「何だ! 彼奴等は……。犬奴! どこを彷徨てやがる……」
無論、その男等が、彷徨てる所ではなく、自分の足に鞭打たんばかりにして走っている事とは、どの監視者も気がつかなかったのだ。
木の瘤のような顔をした監視者は、妙な蹙面をして、呟いた。
「畜生奴等! 俺が行って見て来てやる」
「俺も行って来る……」
ヴルドッグも、彼の後から歩き出した。二人が、部屋へ帰った時は、そこには靴屋が、傷口をすっかり塩で洗ってしまって、片眼の親爺に襤褸布片で縛ってもらっていた。
「どうした。彼奴等は……」
「彼奴等……?」
「ほら、手前を引ぱって来た連中さ」
「行ったよ」
「何所へ行った」
「現場へ……。もう幾度も往復出来る位いも前に……」
「なんだと……、」
梟は、呻り出した。
「畜生! とんぼをうちやがった……」
「よし、俺が行く……」
木の瘤のような監視者が走り出した。
「いいかい。汝一人で……。解ってるかい」
「解ってる……。何も彼も……」
彼は、杖を担いで飛んで行った。
川を越えるか、その断崖を攀じ登るかする外、その鉄道敷地をクチアンの町へ出るより仕方なかった。彼は、真直にそこへ走って行った。
木の瘤は、その晩とうとう帰って来なかった。夜中になってから、四人の監視者が、二人の人夫を連れて出かけた。その人夫等は忠実な、つまり監視者等の為ならば自分の頭に対してでも、歯を露出して吠え立てるかも知れない連中であった。残った監視者等は、一人も寝なかった。彼等はそして、焚火を囲んで人夫等を見張った。些しばかり微動ぎしたものも、呶鳴られた。眠り痴れて譫言を言ったものも、叱られた。
人夫等は、此連中がそんなにも不機嫌になって理由をすっかり承知した。然し、彼等は事件がどんな風に展開しているのか、些しも解らなかった。で、黙り込んで寝息も立てないで、襤褸の中に軀を跼めていた。
所が、そんなにもひどい見張の中に、あの片足潰れてしまった人夫が、逃走した。
彼は、その事件が擡がった為に、どんな手当もうけないで、土間の隅に放って置かれたのだった。彼は、泣声を立てて、煩く強請んだ。
「一寸、外の水溜りまで連れてって下さい。あすこで、足を冷したく御座います。まるで、火にでも焙てあるように熱って、たまりません」
「煩い。こん畜生! めそめそしあがって……。汝、一人で行け!」
「一足も、自分を曳ずって歩く事が、能きませぬ……」
「ちえっ! 蟾奴!」
顔の焼け爛れた監視者は彼を、布片かなぞのように摑みあげて、戸外の水溜りへ曳ずって行った。
「朝までも、寝てあがれ! 吠えると承知しねえぞ……」
そして、彼をそこの地面へ投り出して行ってしまった。彼は、朝までも、吠声を立てなかった。二十分の後には、そこにはいなかったのだ。
彼は、砕き潰された片足を曳ずって、匍ってそこを逃れ去ったのだった。幸い、誰もこの男に注意しなかった。尤も、此奴は、そこでは必要がなかったのだが……。
彼等は唯、何でも言う事の出来る口を持った人間を、放してやる事を嫌ったのだ。で無論、彼でも摑まったら、殴り殺されてしまうか、それよりももっとひどい目に会う事は、きまっていた。
彼は、一哩を、殆んど一時間も費って、のろくさと歩いた。それでいて、まるで重い荷を曳く馬車馬のように喘ぎながら歩いた。そして、漸く四哩位いの所で、町の方から帰って来る、捜索隊の連中に出あった。
然し、彼は、百碼も前からその足音を聞いて、熊笹の籔の中に潜り込んで、まるで土塊のように息を凝していた。彼等は、声高に何か争うようにしながら、通り過ぎた。彼は、また自分の足を曳ずって這い出してすっかり夜が明けてしまってから、町へ着いた。
監視者等は、夜明け頃に部屋へ帰って来た。然し、彼等の持って来たものは、唯重たい疲労と埃とだけであった。
「あの、木の瘤野郎……。罰あたり犬奴! 彼奴まで見えやがらねえ」
梟は、腹立しげに、誰にともなく呶鳴った。事実、その罰当りの木の瘤のような顔の監視者も、何故だか逃げてしまったのだった。