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第7節

 露伴はしかし私に取っては忘れられない作家であった。あの真面目さ、あのねばりの強さ、またあの輪郭の大きさ──それは書いたものには大したものはないかも知れない。またその位置としても、常に新派から押されるような形になっていたかも知れなかった。しかしそれでもかれは私にはなつかしかった。
 かれに『枕頭山水』という一冊の旅行記がある。それを私は今でも愛読している。『突貫紀行』などは中でもことに忘れられないものであった。そこにははっきりとかれが出ていた。若い強いかれが出ていた。北海道の電信技手の職を捨てて、本だの着物だのを売って、それを旅費にして、徒歩旅行で東京へと帰って来たさまは、今でもはっきりと私の眼に残っていた。あの人跡の希な七戶あたりで、やたらに食わせる茸に当てられて、腹が痛んで終夜眠られなかったことや、野蒜から松島に来て、塩竃で一文なしになったさまや、仙台でやっと少しばかりの金を工面して、夜通し歩いて、その時分やっとできたばかりの郡山から汽車に乗って帰って来たさまや、その福島から二本松に来る並木松の下で、月の明るい光の中に仰向に倒れて人生を思ったさまなど、今思ってもはっきりと私の眼の前に浮んで来る。それに、始めて書いた『露団団』が売れて、その原稿料で、大晦日から正月にかけて下野から碓氷、木曽の方まで旅行して、名古屋に出て帰って来た『酔興記』などにも、いかにも若々しい活気が充満していて、何とも言われないなつかしさを感じた。木曽の須原の花漬売、それを何ういう風にかれがその作の中に用いたかということなども、私にある静かな芸術家らしい感じを与えずには置かなかった。亀山から四日市に来る途中で、知らない旅客と駈けくらをしたあたりなども、いかにも露伴らしい感じがした。
 『地獄渓日記』あれも忘れられないものの一つであった。それは例の『国民之友』の夏期付錄に出た『一口剣』を赤城の山の中に書きに行った日記であったが、それを読むと、若い作家がさびしい敗屋(※原文ママ。あばらや)の中にひとりいて、雲のかかったり晴れたりするのをじっと眺めているさまだの、碌なランプもなしに、油煙で鼻の穴の黑くなるような夜を送ったりするさまだのがはっきりと私の眼の前に浮んで来て、それと同時に、お蘭のような女をああした主人公に配した作者の心境がいろいろに思いやられた。『蝶一つわれに添寝の山家かな』いかにも静かな芸術家の心の境ではなかったか。
 しかしその旅行記も、『易心後語』『まき筆日記』と段々流行作家になって行けば行くほど、そうしたさびしさや静さがなくなって、慌だしいものになって行ったのが何となく惜しいように私には感じられた。
 『地獄渓日記』あたりの静けさは、あの芭蕉の静かな心持と共通していはしないか。ああいう境が芸術家としては最も貴いのではないか。ああいう心境が長くつづくということは、それはむつかしいことであらうけれども、しかしそれが続けば、立派なすぐれた作品ができて行くのではないか。こんなことを私は今でも考えた。ずっと後に、志賀直哉氏がやはりあそこに行って、短かい文を書いているが、それも旨いものであったが、それ以上に私はあの『地獄渓日記』を愛読した。
 私はある日ある友達と次のような話をした。
「何うも、やはり、若い時のあの心持がいいんですな。露伴ばかりじゃない。私でもそうだ。この間、古い反古を整理すると、その中から、若い時、旅に持って歩いた手帳がでてきた。それにも一面に歌が書いてある。つまり、歌を考え考え歩いたのをそのままそこに書きつけて置いたのだ………。でも、その中におもしろい純な歌があるからね。今ではとてもあんな無邪気な心の境にいることはできないというような純な歌があるからね。………つまり、あまり世の中に染まりすぎるからいけないんだね? そのために、折角持っていたものを失って了うんだね?」
「そうですかね?」
「ちょっときくと、君などでも可怪しいように思うでしょうけども、何うもそうだ……。それは社会に触れることも肝心だ。社会ばかりではない、人間の心の火と水の中に入って行くことも肝心だ。しかし、大抵なものは、そこに入って行っただけでなしに、すぐそれに染まって了うからね。染まってもいいけれど、そうすると、すぐそこから出て来られないからね。そこが恐ろしいね?」
「でもその純な心持ばかりでいるわけにも行かないでしょう?」
「それはそうだ………。小說家などにはことにそうだ。しかし染って了って、その心を失くして了っては駄目ですな………。何処までもその芸術家の静けさを保持していなくっては──?」
「………?」
 友達は何か言おうとして、しかもそのまま口を噤んだ。
『それで、あの芭蕉の晩年の心持が尊いんです」私はつづけた。「曽て私はこういう提唱をしたことがある。無自覚──自覚──無自覚。つまりその芭蕉の心持というのは、あとの無自覚、つまり自覚を経て来た無自覚ではないでしょうか。何も彼もやって見た。そしてその上で静かになった。それが尊いのではないでしょうか。」
「そうかも知れませんな」
 私もそのまま黙った。私はいろいろなことを考えた。その芸術家の静けさということについては、ことになお深く考え続けた。(流行作家になるからいけないのだ。そのために、段々そうした気持がなくなって行って了うのだ………。社会的になるのだ………社会に適応する心持ができて行くのだ………。そうすると、心が汚れる。白くして置かなければならない心が黒く染まる。心が騒がしくなる。それでいけなくなるのではないか)