2013年(平成25年) 西村賢太『一私小説書きの日乗』お仕事タイムライン
2013年(平成25年)の出来事
『一私小説書きの日乗』(文藝春秋、2013年2月)
『棺に跨がる』(文藝春秋、2013年4月)
『歪んだ忌日』(新潮社、2013年6月)
TOKYO MXの『ニッポン・ダンディ』のレギュラー出演を突如降板する(2013年6月4日)
『苦役列车』(『苦役列車』の中国語訳)(2013年8月、北京联合出版公司)
『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』(幻冬舎文庫、2013年9月)
西村賢太の偽Twitterアカウント(なりすまし)が現われる(2013年11月ごろ)
『寒灯・腐泥の果実』(新潮文庫、2013年11月 )
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(角川書店、2013年12月)
一私小説書きの日乗 憤怒の章(シリーズ第2巻)つづき
2013年1月
2013年1月1日
年賀状37枚が届く。8枚を書く。
気だるく終日無為。
2013年1月2日
単行本『一私小説書きの日乗』の著者校用ゲラ。昨年11月に文藝春秋から出る予定だったが、担当者とトラブルがあり放置していた。謝罪があったので作業再開した。
2013年1月3日
年賀状12枚が届く。4枚を書く。
「作家の口福」第4回を書く。
2013年1月4日
年賀状4枚が届く。1枚を書く。
『週刊ポスト』1月18日号 (発売日2013年01月04日)を購める。巻末カラー頁に「有名人・著名人今年の年賀状」として手書き年賀状を掲載している。
単行本『一私小説書きの日乗』のゲラ。
2013年1月5日
年賀状4枚が届く。1枚を書く(未知の読者に対する返礼として)。
『朝日新聞』別刷が速達で届く。「作家の口福」(「ケダモノの舌・エサはエサとして」)掲載分。
TOKYO MXで「東京の窓から」が放送される。石原慎太郎と対談した回なのでリアルタイムで観る。
テレビを観てしまったせいで、「したてに居丈高」の原稿はかどらず。
2013年1月7日
年内の仕事の予定を細かく立てる。
単行本『一私小説書きの日乗』のゲラ。
2013年1月8日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」(※二重括弧と一重括弧の表記揺れあり)の今年最初の生放送に出演する。
帰室。
「東京者がたり」第11回を書く。
2013年1月9日
サウナから帰室。
2時間ほど仮眠。
『文學界』2013年2月号が届く。「破鏡前夜」掲載号。保存する。
『週刊現代』から依頼された、水道橋博士『藝人春秋』の書評を書く。
2013年1月10日
四谷三丁目で、田畑氏・出版部の斉藤氏・桜井氏と忘年会。
解散後、田畑氏と「風花」へ。
帰室。
2013年1月11日
『一私小説書きの日乗』のカバー案が届く。ピンとこず。信濃八太郎の起用を提案する。
「したてに居丈高」第10回を書く。
『一私小説書きの日乗』のゲラ。
2013年1月12日
六本木で、『サライ』の別冊企画の仕事。
帰室。
夜7時に、「平成教育委員会2013!! ニッポンの頭脳決定戦SP」を観る。先日収録したビートたけしとの共演番組。リアルタイムで観たかったので。
『朝日新聞』『週刊現代』『週刊アサヒ芸能』のそれぞれの著者校ゲラを済ませて、『一私小説書きの日乗』のゲラ。
2013年1月13日
新潮社経由で、東映から『苦役列車』映画版のDVD各種が届く。特典付ブルーレイ版、通常版、レンタル版、各々4本ずつ、合計16本。
知人に配るつもり。
映画『苦役列車』は、キネマ旬報の2012年度ベストテンの第5位、貫多役の森山未來は主演男優賞を獲得したことを知っているが、「公開時あれほど投票権を持っている御用評論家どもに褒めちぎられていて、何ゆえ一位にならぬのかが解せぬ」と述べている。
2013年1月14日
大雪。
『新潮』2013年3月号用の80枚を書き出すが、はかどらず。
2013年1月15日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
神保町でエロ本を購める。
『新潮』原稿がはかどらず。
2013年1月16日
『新潮』原稿、はかがゆかず。創作バイオリズムの「”駄目”な方の周期」に入った。
2013年1月17日
単行本『一私小説書きの日乗』の著者校を、バイク便で文藝春秋に戻す。
『新潮』田畑氏に電話して、2013年3月号用の原稿が間に合わないことを伝える。田畑氏、あれこと食い下がってくる。半ば強引に電話を切る。
細田マサシ『坂本龍馬はいなかった』(彩図社)を読む。「ニッポン・ダンディ」の火曜日と木曜日を担当する放送作家。
2013年1月18日
新橋のしゃぶしゃぶ屋で、フジテレビ「ボクらの時代」2013年2月10日放送分のロケ撮影。玉袋筋太郎と伊集院光との鼎談。二氏との共通点や撮影当日のエピソードをあれこれと語っている。
2013年1月20日
「したてに居丈高」第11回を書く。
田畑氏から何度も着信があるが、怖くて出られず。
2013年1月21日
田畑氏から連絡あり。80枚の原稿は2013年4月号にスライドする旨を了承してもらう。
気分転換のため、浅草の演芸ホールで過ごす。
帰室。
2013年1月22日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
神保町でエロ本とエロDVDを購める。
清水おさむの漫画『美しい人生』を読む。青林工藝舎の高市真紀からの献本。
2013年1月23日
返事を要する手紙を2本書く。
赤坂のTBSで、「日曜ゴールデン何やってんだテレビ』2013年2月10日放送分の収録。
帰室。
録画しておいた、先週分と先々週分の「太陽にほえろ!(マカロニ編)」の再放送を観る。テレビ埼玉。
2013年1月24日
連続手淫。(※この日は何もないのであえて残した。このタイムラインまとめは、「買淫」や「手淫」は原則的に省略する方針。)
2013年1月25日
四谷三丁目の焼肉店で、幻冬舎の永島氏・有馬氏と『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』の打ち合わせ。
帰室。
2013年1月26日
届いていた『小説現代』五十周年記念号(2013年2月号)を読む。高田文夫のリニューアル連載の次の頁に、「東京者がたり」第11回が掲載。「同誌の両方の担当者である柴崎氏の粋なはからいのような気がする」と述べている。
坪内祐三の連載、木内昇の読み切り短篇も読む。
カタログハウス(「通販生活」)から、記事の再録依頼。
シナリオ作家協会から、5枚の原稿依頼があったが断る。「自分が原稿仕事を断ったのは、書評以外ではこれが初めてのこと」と述べている。(※ちなみに2012年8月10日にはインタビュー取材を初めて断っている)
TBS『調査情報』という冊子?から依頼された、テレビ番組に関するアンケートを書く
JKA(競輪、オートレースの団体)の広報誌『ぺだる』(季刊)に書いた随筆(「跨がらずとも」)の著者校。
「したてに居丈高」第12回を書く。
煙草を切らす。買いに行くのが億劫なため、昨年JTのインタビューを受けたときに貰った一缶千円の高級ピースや試供品を開封する。
2013年1月28日
新潮社経由で、台湾語版『苦役列車』(新雨出版社)の見本が7刷届く。巻中に、訳者の張嘉芬氏による長文の「作者紹介」があり、それについて感慨を述べている。
2013年1月29日
藤澤淸造月命日。不参。
TOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。”言わせろダンディ”コーナーで、淸造忌のことを話した。
帰室。
「したてに居丈高」第13回を書く。
2013年1月30日
返事を要する手紙を3本書く。
単行本『一私小説書きの日乗』の再校ゲラとカバー最終案がバイク便で届く。
「したてに居丈高」ゲラを訂正。
2013年1月31日
雑事を片す。
2013年2月
2013年2月1日
七尾に向かうため、午後便の飛行機に乗る。
第14回「淸造忌」挙行。祥月命日より3日遅れ。
16年前はじめて墓参りに訪れたことを思い出す。
2013年2月2日
帰京。
「一私小説書きの日乗」再校ゲラ。
2013年2月3日
帰室。
「一私小説書きの日乗」の再校ゲラのつづき。
2013年2月4日
浅草の演芸ホール。
2013年2月5日
各社からの支払調書が揃う。確定申告の準備をおこなう。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。<言わせろダンディ>のコーナーで、先週の淸造忌挙行を話す。
2013年2月6日
新小岩で、江戸川区総合文化センターで催された「平成24年度 江戸川区教育研究会 研究発表総会」記念講演に出る。区内の書店主と対話形式。
東京都江戸川区二之江第二小学校の現校長を経由?して依頼されたものだから引き受けた。約1時間。
帰宅。
ワタナベエンターテインメントの土居氏から不快な連絡あり。「本日の講演内で”人権上許されない発言や体罰問題に大しての不適切発言があったことを、教育委員会から、来場した教員にお詫びと訂正を述べることを(賢太に)了承してもらいたい」という申し出。拒否する。(※物書きとして矜恃や教育長の態度について憤懣について語っている。ついでに新潮文庫の新任部長や部下の悪口もほき出している)
2013年2月7日
「したてに居丈高」第14回を書く。
2013年2月8日
「東京者がたり」第12回を書く。
2013年2月9日
徳間書店から、織田啓一郎のデビュー単行本『谷中ゲリラアーチスト』が届く。帯文を書いた為。ネタ繰り。
2013年2月10日
新宿の紀伊國屋サザンシアターで、「我らの高田”笑”学校 しょの四十二」を観る。高田文夫が復帰して初めての開校。浅草キッド(水道橋博士・玉袋筋太郎)、松村邦洋、ほたるゲンジ(桐畑トール)、ますだおかだ、バイきんぐ等も出演。
『小説現代』の柴崎氏と出くわす。
ラストの大喜利コーナーで、高田文夫から呼ばれて舞台に上がることに。1年2ヶ月ぶりに直接対面した。その際、「客席に尻を向けるな!」と叱られる。ほたるゲンジ(桐畑トール)の持ちギャグである”ニャンコ祭り”を一踊りする。
終了後、打ち上げの宴に加わる。玉袋筋太郎と連絡先を交換する。
2013年2月11日
徳間書店の崔氏から依頼された文庫解説の対象作をメモを取りつつ再読する。親本(単行本版)を献本されて読んだのが3年前。
2013年2月12日
半蔵門のTOKYO FMで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰室。ふたたび外出。
コンビニにてエロ雑誌を購める。
2013年2月13日
何がなし体がだるい。
帰宅。
ノートを広げるが、下書き、はかがゆかず。
2013年2月14日
体調悪い。
帰室。
寝床で古本を読む。
2013年2月15日
『新潮』田畑氏に電話して、今月校了号の提出が無理であることを告げる(※これを「白旗を掲げる」と称している)。来月校了号向けの短篇についても日延べを了承してもらう。今回の田畑氏は「わりとあっさり引き下が」った。いわゆる「駄目の流れ」。
2013年2月16日
「したてに居丈高」第15回を書く。
文藝春秋からバイク便で届いてた4月刊行の短篇集(単行本『棺に跨がる』)のゲラ。「<秋恵もの>はこれで終わりと云うわけではない」と述べている。」
2013年2月17日
赤羽まで散歩して古本屋にも立ち寄った。
深更、「信濃路」で飲みながら『新潮』2013年5月号用の短篇30枚のネタ繰り。
2013年2月18日
上半期までの仕事の予定を立て直す。
単行本『棺に跨がる』のゲラ
2013年2月19日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。事前に、控室で来週収録のテレビ「東京者がたり」の番組スタッフと打ち合わせをした。
鶯谷の「信濃路」で田畑氏と打ち合わせ。原稿を連続して落としたことを謝罪。今後のことを相談。
2013年2月20日
日比谷で、ダイアモンド☆ユカイとその義弟(ユカイの妹の配偶者でありユカイよりも16歳年長)と一杯飲む。
帰室。
昭和50年代のプロ野球雑誌を拾い読み。
2013年2月21日
『小説現代』2013年3月号が届いたので、高田文夫の新連載第2回と坪内祐三の連載「酒中日記」を読む。そして自分の連載「東京者がたり」(鶯谷篇)の挿絵カットもチェックする。
単行本『棺に跨がる』のゲラ
2013年2月22日
東京會舘で第149回芥川賞(藤野可織「爪と目」)・第149回直木賞(桜木紫乃「ホテルローヤル」)授賞式のパーティーに出席する。
田畑氏・(終始にこやかな)矢野編輯長とも出くわす。エレベーター脇の椅子にふんぞり返っていると中村航から声を掛けられる。4年前に挨拶したことがある。
四谷三丁目の焼肉屋で、田畑氏と2人して飲み食い。
2013年2月23日
文藝春秋から、単行本『一私小説書きの日乗』の見本が届く。23冊目の単著。信濃八太郎によるカバー装画。中扉の絵を含めて「これまでの拙著のうちで最もいい」と述べている。
2013年2月24日
「したてに居丈高」第16回を書く。
単行本『棺に跨がる』のゲラ。
2013年2月25日
微熱あり。無為。
2013年2月26日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。エンディングにおいて明日発売の単行本『一私小説書きの日乗』を宣伝する。
帰宅。
2013年2月27日
文藝春秋社で、女性誌のインタビュー。
四谷三丁目の焼肉屋で、出版部の大川氏、『文學界』の森氏・田中光子編輯長と打ち合わせ。
帰宅。
「したてに居丈高」第17回を書く。
2013年2月28日
激しい胃痛。
スリムクラブ・真栄田賢の初エッセイ集『自分が嫌われてると思ってる人へ 』(ワニブックス)のゲラ刷りを読む。帯文を書くため。
2013年3月
2013年3月1日
ガスター、ムコスタの服用が効いたせいなのか胃痛なし。
テレビ東京の天王洲スタジオで、「たけしのニッポンのミカタ!」2013年4月26日放送分の収録。
テレ東での番組出演は初めて。楽屋の外からは京浜運河が見える。新東海橋も。『苦役列車』のなかで港湾作業に向かうマイクロバスで天王洲にやてくる場面があることを思い返す。
帰宅。
崔氏から依頼されていた、堀江貴文『拝金』(徳間文庫)の解説を書く。
2013年3月2日(土)
夕方、上京した知人と会った。
(※知人女性は、土日休みの勤め人?)
2013年3月3日(日)
税理士事務所宛てに必要書類を発送。
女性誌インタビューゲラ。
「したてに居丈高」のゲラ訂正。
『自分が嫌われてると思ってる人へ 』の帯文を書く。
知人と合流。
2013年3月4日
雑用一束。
単行本『棺に跨がる』のカバーラフ数種を眺める。信濃八太郎の図柄。
2013年3月5日
雑用一束。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
鶯谷の「信濃路」で、幻冬舎の有馬氏と『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短編集』の打ち合わせ。
2013年3月6日
『棺に跨がる』の著者校の提出を延期したい旨を連絡する。
雑用一束。
税理士事務所で納税額について説明受ける件も延期。
2013年3月7日
「したてに居丈高」第18回を書く。
雑用一束。
2013年3月8日
『新潮』2013年5月号用の短篇(「歪んだ忌日」)シノプシスを改めて作成する。
帰室。
藤澤淸造「刈入れ時」を復読する。
昭和53年の毎日放送「横溝正史シリーズⅡ」のDVDのうち『不死蝶』全3話を一気に観る。
レトルトのカレー(先週受けたインタビューの女性誌の女性編輯者からもらった高級なご当地カレー)を食べる。
2013年3月9日
単行本『棺に跨がる』ゲラ。
ダイアモンド☆ユカイ『Respect』をBGMに。
2013年3月10日
日本テレビの麹町スタジオで、深夜枠のクイズ特番「タカトシのクイズ!サバイバル2」2013年3月27日放送分の収録。団体戦。
2013年3月11日
単行本『棺に跨がる』の著者校ゲラをバイク便で戻す。
「あとがき」を書く。
2013年3月12日
池袋の東武デパートで返礼品を購める。
TOKYO MXの楽屋で、『週刊プレイボーイ』のインタビュー取材。「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰室。
雑用一束。
2013年3月13日
『読売新聞』文化面、<本のソムリエ>欄の2枚弱を書く。正岡子規『仰臥漫録』『病牀六尺』など。3月17日付で掲載予定。
病院で、痛風の予防薬をもらう。
2013年3月14日
確定申告を終える。住民税は昨年の半額。
2013年3月15日
「したてに居丈高」第19回を書く。
有楽町のニッポン放送で、「オールナイトニッポンR」で放送する「決戦!お笑い有楽城」の公開収録。2013年3月30日放送。審査員役の一人として。MCは松村邦洋。
収録前の控室で、高田文夫事務所の番頭ともいえる松田健次に会う。ワタナベエンターテインメントの社長・渡辺ミキ、藺牟田氏にも会う。
帰室。
雑用一束。
2013年3月17日
雑用すべて片付く。
短篇「歪んだ忌日」に着手する。先週作成したシノプシスは見送り、別の筋を立てた。
2013年3月18日
新潮社の会議室で、投稿誌『抒情文芸』のインタビュー取材。
6時から、宮台真司と対談。コアマガジン『スーパー写真塾』の企画(宮台真司×西村賢太『幸福学』対談)。2013年7月号~10月号までの全4回。
帰り道、例の「新潮文庫の魔太郎じみた例の者」が警備員に大して「西村賢太はまだいるか?」と問い合わせていたことが判明。「胸糞悪い野郎」と述べている。
四谷三丁目で田畑氏と酒を飲む。
2013年3月19日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。ゲストは江上剛(えがみごう)。江上剛のペンネームの1字である、新潮社の現出版部の第二編集(※輯ではない)部長の江木氏は、文庫部長時代に(賢太が)大変お世話になった人物。
帰室。
「歪んだ忌日」のつづきを書く。
2013年3月20日
「歪んだ忌日」下書き分の昨日書いたものを清書。下書きを終える(25枚)。
2013年3月21日
「歪んだ忌日」下書きを清書。ここから第3工程の訂正入れ、第4工程の著者校ゲラの訂正で「滅法書き込むことになる」ため、最終的に30枚前後に増える。
『文學界』2013年5月号の短篇(「跼蹐の門」)に取りかかる。
2013年3月22日
虫歯で歯が痛む。ロキソニンを服む。
「跼蹐の門」の昨日書いた下書き分の清書。
雑用を片す。
「跼蹐の門」のつづきを書く。
2013年3月23日
清書と下書き。
2013年3月24日
書店で、インタビュー掲載の『サライ増刊 美味サライ2013春号』を購める。出版社から届かないため。
帰室。
清書。朝6時に書き上がる。
2013年3月25日
歯痛が続いている。
下書きを終えた「跼蹐の門」を清書する。
「歪んだ忌日」の第3工程(清書したものをさらに訂正する作業)をおこなう。書き終えたのちバイク便で新潮社に送る。
田畑氏から連絡あり。「歪んだ忌日」採用。
「跼蹐の門」の手直し。
『文學界』の森氏に連絡してバイク便で送る。
2013年3月26日
森氏から「跼蹐の門」採用の連絡あり。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰室。
映画「八つ墓村」のサントラCDをエンドレスでかけつつ、「歪んだ忌日」「跼蹐の門」に最終工程の訂正をおこなっていく。
訂正した原稿をファクシミリで送る。
2013年3月27日
森氏から「跼蹐の門」が校了したという連絡あり。
「歪んだ忌日」の著者校正。稲垣潤一「セルフ・ポートレート」をエンドレスでかけながら進める。書き直し部分が病的に多いと嘆く。訂正箇所が入り組んでしまったのでファクシミリではなくゲラ現物をバイク便で返送する。
田畑氏から疑問点3点の連絡があり、その部分を修正したのち、校了。
2013年3月28日
出版社から掲載誌届かないので、自分のインタビューが載った『週刊プレイボーイ』2013年4月8日号を購める。「いきもん伝 第17話 西村賢太」
2013年3月29日
藤澤淸造月命日。不参。室内墓地に供花。
雑用一束。
「したてに居丈高」第21回を書く。
佐伯一麦の新刊『還れぬ家』(新潮社)を読む。
2013年3月30日
浅草の演芸ホール。
帰室。
佐伯一麦『還れぬ家』のつづきを読む。
深夜3時、公開録音に参加した『オールナイトニッポンR 決戦!お笑い有楽城』をリアルタイムで聴く。「自分のキンキン声はどうにも聴き苦しい」と述べている。
2013年3月31日
徳間書店から、堀江貴文『拝金』(徳間文庫)の新刊見本が届く。解説を書いているため。
『en-taxi』次号用短編(「朧夜」)のネタ繰り。
2013年4月
2013年4月1日
歯医者にかかる。10年ぶり。
佐伯一麦『還れぬ家』を読了。
2013年4月2日
祖母の祥月命日。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰室。
小島政二郎(こじま・まさじろう)『緑の騎士』(昭2 文藝春秋社)を復読。
2013年4月3日
新宿の小田急ホテルセンチュリーサザンタワーで、ダイアモンド☆ユカイと対談。(『en-taxi』 2013年春号 vol.38 に掲載)。カメラマンの石川氏がユカイのレッド・ウォーリアーズ時代と何度か仕事をしていた。
終了後、ユカイは佐野に帰る。田中陽子編輯長とライターの橋本氏と飲む。
2013年4月4日
サウナ後、帰室。
新宿の末広亭で夜席を聴く。
小島政二郎『緑の騎士』のつづきを復読。
十菱愛彦の戯曲『小栗上野の死』(昭4 第一出版社)を復読。
2013年4月5日
『新潮』2013年5月号が届く。短篇「歪んだ忌日」掲載号。
歯医者。
帰室。
ふたたび外出。
四谷三丁目の焼肉屋で、新潮社の桜井氏・田畑氏と打ち合わせ。桜井氏とは2013年6月刊の短篇集(単行本『歪んだ忌日』)、田畑氏とは『新潮』に提出する創作の期日について。
帰室。
2013年4月6日
「したてに居丈高」第22回を書く。
「跼蹐の門」掲載の『文學界』2013年5月号が繰り上げ発売日にもかかわらず届かないので書店に購めにゆこうとするも豪雨なので断念する。
スリムクラブ・真栄田賢『自分が嫌われてると思ってる人へ 』(ワニブックス)の<はじめに><あとがき>を読む。
2013年4月8日
歯医者。長引くと告げられる。
短篇「朧夜」を書き始める。ノートに7頁。
2013年4月9日
「朧夜」の下書きの書いた分を清書。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
布団に腹這いながら(下書き)ノートをひろげて、うたた寝する。
目覚めたあと、下書き1頁弱。
2013年4月10日
「したてに居丈高」第23回を書く。GW変則進行のため締め切りが早くなっている。
帰室。
「朧夜」のつづきを書く。ノートに7頁。都合15頁で終了。
2013年4月11日
「朧夜」の清書のつづき。清書は合計21枚。
いちど外食したあと、「朧夜」全体の訂正作業に取りかかる。「滅法に書き込む悪癖を今回も発揮す」と述べている。
明け方4時すぎに、「朧夜」一応の完成。ファクシミリで送稿する。
2013年4月12日
『en-taxi』田中編輯長から、「朧夜」採用の連絡。
午後1時にバイク便で著者校ゲラが届く。「戻しは夕方6時まで」と指定。加筆して返送する。
「東京者がたり」第13回を書く。「遅れに遅れてしまったもの」と述べている。
「朧夜」を読み返したらミス4箇所を見つけたので、田中陽子編輯長に連絡する。反映間に合う。
2013年4月13日
歯医者。左上の1本を抜歯する。その隣の歯の治療が厄介で、他2本を抜歯予定。
2013年4月15日
歯の疼きが酷い。本を読む気になれず。
江戸川乱歩のテレビドラマシリーズのDVDを4本観る。
左の歯でしか噛めない。
2013年4月16日
痛み止めを服む。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰路。
寝床で、藤澤淸造『根津権現裏』をアタマから復読。
映画『病院坂の首縊りの家』のサントラCDを聴きながら晩酌(午前5時)。
2013年4月17日
歯が疼く。
「痛み止めを服むとそれなりに鎮まるが、連用で些か頭がフラフラする」と述べている。性欲おきず。
寄贈されてたまっていた週刊誌を拾い読み。
浅草の演芸ホール。
帰室。
『根津権現裏』のつづきを復読。
2013年4月18日
歯の疼き、だいぶ治まる。
サウナ後、帰室。
次の短篇のネタ繰り。
『新潮』(大正13年)1924年2月号を拾い読み。
2013年4月19日
「したてに居丈高」第24回を書く。
歯医者。残しておくつもりだった左上の歯1本を抜歯することに。左上の奥歯2本を失った。
左下に虫歯、右下に親知らず有り。
2013年4月20日
新刊の単行本『棺に跨がる』の発売日。信濃八太郎の装画を「いい」と述べている。24冊目の単著。
2013年4月22日
終日在宅。無為。
2013年4月23日
「したてに居丈高」第25回を書く。
歯医者。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
2013年4月24日
文藝春秋社の会議室で、女性誌『MORE』のインタビュー取材。
終了後、『文學界』の森氏と田中光子編輯長と焼肉(おそらく、いつもの四谷三丁目の叙々苑)。「風花」に流れる。
2013年4月25日
サウナから帰室。
届いていた『en-taxi』 2013年春号 vol.38 を開く。短篇「朧夜」掲載号。
『小説現代』2013年5月号を拾い読み。「東京者がたり」(「旧花園町」その一 掲載)。
2013年4月26日
所用を済ませたのち歯医者。抜歯。
バイク便で届いてた、単行本『歪んだ忌日』の著者校ゲラをすこしいじる。
2013年4月27日
赤坂のTBSで、「リンカーン」2013年5月21日放送分の収録。
帰室。
単行本『歪んだ忌日』中の、「膣の復讐」ゲラ訂正。
2013年4月28日
部屋の掃除。3時間を費やす。
外食後、帰室。
佐伯一麦の最新刊『光の闇』(扶桑社)を読む。
単行本『歪んだ忌日』のゲラ。
『田中英光全集』第7巻(芳賀書店)を復読。英光のパワフルな文体に接すると「また自分も自分なりのド下手な小説に取り組んでみようとの勇気が湧いてくる」と述べている。
2013年4月29日
藤澤淸造月命日。不参。
サウナ後に帰室。室内墓地に香華を手向ける。
単行本『歪んだ忌日』のゲラ訂正。
自分のカルピス好きについて述べている。
2013年4月30日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。戦場カメラマン・渡部陽一がゲスト出演。さらにオセロ中島知子も緊急生出演したので報道関係者が詰めかけた。
帰室。
青林工藝舎『アックス』第92号を拾い読み。(※清水治と鈴木詩子について言及している)
2013年5月
2013年5月1日
この日記(文藝春秋『本の話WEB』)の連載が今月いっぱいで終了する、ことを述べる。1回、1週分を基本400字詰原稿用紙5枚。
原稿料は相場より低い。まともな校正も校閲も通さず、締め切りを急がせる「嘗めた媒体」であり、現編輯長の「出世の為の保身より生じた(と思しき)検閲・削除要請がある」と悪口を述べている。
鶯谷の「信濃路」で田畑氏と打ち合わせ。
2013年5月2日
大手町で所用を済ませる。
早稲田の古本屋街に寄る。久々すぎて新鮮な気持ちを味わう。源氏鶏太の角川文庫2冊を購める。
穴八幡下でカツ丼を食べて「尾崎一雄気分」と述べている。
ゲラ訂正。
新潮カセットブック・松本清張の短篇2本入りを聴きながら晩酌する。
2013年5月3日
サウナ後に帰室。
『週刊現代』GW合併号を開く。ユニクロ関連記事でコメントが掲載されているため。
源氏鶏太のサラリーマン物を立て続けに2冊読む。
2013年5月6日
単行本『歪んだ忌日』のゲラ訂正。
帰室。
2013年5月7日
所用で日本橋に赴く。
いったん帰宅。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰室。
『新潮45』2013年6月号の特集頁用のエッセイ(「唯ぼんやりした不安」)を書く。5枚。
2013年5月8日
単行本『歪んだ忌日』のゲラ。
帰室。
永瀬三吾『売国奴』(昭32 春陽文庫)を十数年ぶりに復読。(※双葉文庫『日本推理作家協会賞受賞作全集』のものではない、と述べている)
2013年5月9日
届いていた『新潮』2013年6月号と『文學界』2013年6月号を開く。先月刊行の『棺に跨がる』と2月刊行の『一私小説書きの日乗』の書評が載っているかもしれないため。
『新潮』2013年6月号には、阿部公彦による『棺に跨がる』の書評あり。
『文學界』2013年6月号には、藤野可織による『一私小説書きの日乗』の書評あり。
「したてに居丈高」第26回を書く。
2013年5月10日
『スーパー写真塾』誌でおこなった宮台真司との対談ゲラの一部が届く。全4回のうち、まず2回分(2013年7月号と2013年8月号)
『抒情文芸』誌のインタビューのゲラ。
夕方に歯医者。
単行本『歪んだ忌日』のゲラ。「ほとんど改稿に近い」と述べている。
2013年5月11日
サウナ後に帰室。
単行本『歪んだ忌日』のゲラ。
2013年5月12日
サウナ後に帰室。
「よく買いに行く肉やの女主人(?)に頼まれていた色紙を二枚書く」と述べている。
台湾語版『苦役列車』の版元から、読者プレゼント用のサイン本用の荷物が届く。サインを書いて新潮社を窓口として返送する。
「東京者がたり」第14回を書く。
単行本『歪んだ忌日』のゲラ。
2013年5月13日
単行本『歪んだ忌日』のゲラ。最後の念入れ確認作業。
「東京者がたり」の著者校が届く。
ふたたび単行本『歪んだ忌日』のゲラ。
新潮社出版部の桜井氏に連絡して、バイク便を手配。のち、受領と確認済みの連絡が来る。
帰室。
2013年5月14日
「思うところあり、『本のWEB』と云ういい加減な媒体での日記連載を取りやめる」と述べている。連載予定期間の終了まであと3回を残していたが、検閲がやかましいため。
移転先として『野性時代』を挙げる。この日記の起源である、「松の内枝萃」を掲載しているため。
しかしながら、一私小説書きの独語(「野性時代」2011年(平成23年)9月~2012年(平成24年)8月連載 未完)を、「勝手に無断で」止めている前科があるため、自信がない。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
帰室。
岡田鯱彦『予告殺人』(昭33 同光社)を読む。うち「石を投げる怪人」「姉の手は語る」は初読。「妖鬼の呪言」「死の断崖」は他の刊本収録のものを読んでいる。二十数年前のこと。
「この版元のこと故、前者二篇も自分がすでに読んでいる短篇の改題作かも知れぬ」と述べている。
2013年5月15日
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!!」2013年6月放送分の収録。
帰室。
「本日記に関することも含む雑用一束」と述べている。
2013年5月16日
日記のことを含めた雑用一束。
帰室。
「したてに居丈高」第27回を書く。
2013年5月17日
玉袋筋太郎のラジオを聴きながら雑用一束。
四谷三丁目の焼肉店で、田畑氏と打ち合わせ。原稿の予定の立て直しの相談。
2013年5月18日
『新潮45』2013年6月号が届く。「唯ぼんやりした不安」掲載号。
浅草の演芸ホールで夜席を聴く。
”藤澤淸造スポット”である久保田万太郎旧居跡(きよあと)に佇む。そのあと安寿司屋へ向かうのがいつもの流れ。握りではなくチラシ寿司に変更したことを「川崎長太郎気分」と述べている。帰室。
川崎長太郎の短篇を5篇ほど復読。
2013年5月19日
サウナ後に帰室。
『俳句界』2013年7月号のエッセイを書く。
田中英光『酔いどれ船』を半分ほど復読。
夏八木勲主演『白昼の死角』DVDを観返す。
2013年5月20日
日本文藝家協会篇『ベスト・エッセイ2013』に再録する「韓国みやげ」にすこし手を入れる。新宿の末広亭で夜席を聞く(※原文ママ)。
(※)憤怒の章ここまで
一私小説書きの日乗 野性の章(シリーズ第3巻)
2013年5月21日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。「昔、厭ったらしいアルバイト先に不貞腐れながら出勤していたときの感覚と、だんだん似てきた」と述べている。
帰室。
佐藤さとるの児童物2冊を復読。
2013年5月22日
返信を要する手紙2本を書く。
『野性時代』に移籍後、第1回目の「一私小説書きの日乗」を整えて、編輯部にファクシミリで送稿。
(※角川書店に赴き、山田氏・藤田氏・吉良氏に頭を下げて連載引き継ぎを依頼した顛末を書いている)
夜11時。明後日に抜歯を控えているので、コチラのほうも一本抜いておく。
帰室。
寄贈の週刊誌2誌を熟読。
貰った映画のDVD2本を観る。
2013年5月23日
『小説現代』2013年6月号が届く。高田文夫と坪内祐三の連載、「東京者がたり」の挿絵カットに目を通す。
四谷三丁目で、知人(たぶん例の女性)と焼肉。(夜7時)
夜10時半に解散。
帰室。
「したてに居丈高」第28回を書く。内容は『本の話WEB』で日記連載をやめた件について。
2013年5月24日
雑用一束。
歯科医院(歯医者)で、左下の親知らずの抜歯。二分割してから骨も削って約1時間を要した。
2013年5月25日
抜糸痕に疼痛を感じる。
新潮社経由で、『スーパー写真塾』2013年7月号が届く。(※底本では「六月号」とあるが誤り。珍しい)
録画したテレビドラマ「3人家族」10話分を一気に観る。BS11放送で、昭和40年代前半の制作。「大層面白い」と述べている。
2013年5月27日
抜歯痕の痛みがひどい。後頭部の痛み。
『新潮』2013年8月号用の短篇に取りかかろうとするが集中できず。
ボルタレンを連用する。
痛みをこらえながら雑用をこなす。
2013年5月28日
抜歯痕の痛みがつづく。
ボルタレンを服む。
半蔵門のTOKYO MXで、いつもより30分早く入り、控室で来週収録のTBS深夜番組の打ち合わせ。
「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。「二月頃から、本当につまらなくなった」と述べている。
四谷三丁目で、幻冬舎の有馬氏と打ち合わせ。
帰室。
抜歯痕の痛みからくる後頭部の痛みに苦しむ。
ふたたびボルタレンを服んで寝る。
2013年5月29日
藤澤淸造月命日。掃苔不参。
室内墓地に香華を手向く。
2013年5月30日
ボルタレンを服む。
浅草の演芸ホールで、知人と夜席を聴く。
ふたりで「安寿司屋にて一献」と述べている。
夜11時すぎに解散。
2013年5月31日
歯科医院。ドライソケットの状態であることを告げられる。短気を起こし「通院スケジュールを含めた医院側のミスではないか、と強く詰る」と述べている。抗生物質と鎮痛剤を処方される。
「したてに居丈高」第29回。
2013年6月
2013年6月1日
別の歯科医院を探して初診を受ける。しかし「ドライソケットはどうしようもない」と告げられる。ドライソケット由来の激痛にうんざりする。
2013年6月2日
北区の休日緊急歯科診療所へ行く。消毒と薬の注入をしてもらったら痛みがすこし薄らぐ。
吉田聡の新刊『七月の骨』第6巻(小学館 ビッグスピリッツコミックススペシャル)が届く。第2巻に帯文を書いてから献本で届いていた。
結城信一の短篇集『青い水』(昭30 緑地社)を読む。冒頭の「春」「流離」と表題作を復読。見返しに著者毛筆署名あり。
単行本『歪んだ忌日』の書店用POPの文言を書く。
2013年6月3日
ボルタレンを服む。
赤坂のTBSで、深夜バラエティ「ゴロウ・デラックス」2013年7月18日放送分の収録。
新潮社近くの中華店で、友川カズキと酒を飲む。本然のマネージャー氏、フリー編輯者・佐々木青年、友川氏の"無償マネージャー"たる若者3名などが同行。
この中華店の少し先にある小さなレストラン(閉店済み)で、『新潮』の矢野編輯長と初めて会った。
「ニッポン・ダンディ」から連絡。不快な内容。
2013年6月4日
抜糸痕の痛み、だいぶラクになる。ロキソニンに変更して服用。
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。火曜レギュラーから水曜金曜の隔週レギュラー出演になったことを突然告げられる。
「放送の終わり間近、突如自分は得意の擬態を捨て、本然の素顔たる不機嫌そのものの表情に戻す。 / そして終了と同時、最早一片の未練なくこの番組から降りることを決め、恒例の出演者写真撮影を断り、誰にも挨拶せず控え室へ」と述べている。
「自分は今日限り辞めさしてもらうことを明言する」と述べている。降板騒動について事情を述べているくだり。
帰室。
藤澤淸造の随筆を読み返す。
2013年6月5日
羽田空港の第2ターミナル。マネージメント会社(ワタナベ?)の土居班から新入社員の三輪氏が同行。玉袋筋太郎&同マネージャー氏と合流。明日収録のCS放送(※SPEEDチャンネルで2013年6月20日~24日の期間に随時放送分の収録)のロケ前乗り。「ニッポン・ダンディ」降板の件を玉袋に話す。
福岡空港に到着。(賢太は)初めて九州上陸。
玉袋と中洲で飲む。そのあと各々の部屋でデリバリー買淫。
2013年6月6日
久留米市内。JR久留米駅頭にて「玉袋筋太郎の競輪場へ行こう! #14 久留米編」ロケ開始。
からくり時計、ブリヂストン通り、博多ラーメン発祥の店、久留米競輪場。
「ギャンブル嫌いの自分は、その種のものはおろか、パチンコすらもまるでやらぬ」と述べている。5千円勝ったが、1万9千円の損。
福岡空港。
2013年6月7日
ワタナベエンターテインメント土居氏とプロダクションの取締役と面談。「ニッポン・ダンディ」降板の件で「予想以上の厳重注意をうける」と述べている。深省。これをもって正式降板となる。
ダイアモンド✡ユカイにお詫びのファクシミリを送る。
「したてに居丈高」第30回を書く。
2013年6月8日
抜歯痕の痛みがほぼ消え去る。鎮痛剤の必要なし。
新潮社経由で「抒情文芸』第147号が届く。長めのインタビュー掲載号。小説(私小説)入選作のページに同人誌「煉瓦」で共に書いていた人の名前あり。
2013年6月9日
小谷野敦の新刊『川端康成伝 双面の人』(中央公論新社)を読む。
新宿の末広亭。知人と夜席。
「かに道楽」に移動して食事。
2013年6月10日
『川端康成伝 双面の人』を読み終える。
六本木の東京ミッドタウン内のNOTTVで、生放送「#エンダン」に出演。
2013年6月11日
サウナから帰室。
溜まっていた要返信の手紙を4通書く。
『野性時代』2013年7月号が届く。「日乗」を眺めて感慨に耽る。信濃八太郎氏のイラストが「信濃路」を描いたものであろう、と述べている。
鶯谷の「信濃路」で田畑氏と打ち合わせ。
2013年6月12日
書店で『MORE』2013年7月号を購める。掲載誌が送られて来ないため。新刊の著者インタビュー(「私小説の雄が描く女の逆襲!」)掲載号。
雑用一束。
2013年6月13日
TBSで、特番「100秒博士アカデミー」2013年6月23日放送分の収録。MCはダウンタウン。休憩中の齋藤孝と会話する。『どうで死ぬ身の一踊り』と『暗渠の宿』を読んだという。
TBSの控え室で、テレビ東京の深夜特番スタッフと打ち合わせ。
帰室。
勉誠出版から届いた封書を開く。私小説アンソロジー(コレクション私小説の冒険)の第一回配本が9月にズレ込む知らせ。(※この本についての感慨を述べている)
知り合いから、「ニッポン・ダンディ」降板についての野次馬根性の問い合わせが数本きて不愉快になる。
2013年6月14日
「したてに居丈高」第31回を書く。
2013年6月15日
「したてに居丈高」第32回を書く。
帰室。
下書き用ノートを拡げるも「はかがゆかず」。
2013年6月16日
小説の書き出し、うまくいかない。
『新潮』の今回の提出期限。6月25日朝までに出せば8月号に掲載してくれるのだが、間に合わそうにないことを悟る。
2013年6月17日
下書き用のノートを拡げるが、はかがゆかず。「ダメな方の周期に入った感じ。/自分の場合、その"負"のバイオリズムは年に二、三度も巡ってくる」と述べている。
「買淫がしたい」と述べている。(※知人女性に対する義理は? 気持ちが離れているのか?)
2013年6月18日
池袋の喫茶店で、明後日収録のTBSの番組スタッフと打ち合わせ。
西部デパートの地下の食品売場で買い出し。
帰宅。
東京創元社から、創元推理文庫版『大坪砂男全集』の既刊分3冊の寄贈本が届く。自分でも今年1月の発刊時から買い購めていた。
「大坪砂男、朝山蜻一、大河内常平、潮寒二の四名は、戦後探偵作家中で自分が最も好む面々だ。」と述べている。
病院で、痛風の薬、コレステロールを下げる薬をもらう。三ヶ月ぶり。
小説の下書き進まず。
2013年6月19日
『新潮』の田畑氏に連絡して、今月校了分は間に合わないことを告げる。「日頃温厚な田畑氏も、珍しく少しく気色ばむ。」と述べている。ドライソケットの激痛に負けたかたち、と弁明している。
2013年6月20日
千歳烏山のフードスタジオで、VTR撮影。
自宅に戻る。
TBSで、さきほどの番組収録のつづき。
2013年6月21日
雑用一束。
2013年6月22日
電話を数本かける。
「したてに居丈高」第33回を書く。「前回分のものと差し替える」と述べている。
『俳句界』2013年7月号(「エッセイ」)、『スーパー写真塾』2013年7月号(※8月号の誤り。宮台真司対談の第2回)が届く。
きのう新潮社から届いていた、単行本『歪んだ忌日』見本を開く。25冊目の単著。「寄贈用の謹呈箋六十枚に、宛名入りの署名をし、落款を捺す。それをリストと共に新潮社に返送」と述べている。
横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』を復読。
2013年6月23日
下北沢の「OFF・OFFシアター」で、トークライブに出演。「学校、サイコー!」 at 下北沢OFF・OFFシアター。出演者は、、アルコ&ピース、マンボウやしろ、鬼ヶ島・アイアム野田ら。
来場してくれた田畑氏と新宿の寿司屋で飲む。原稿が間に合わなかったことをお詫び。「払いも、まるまる氏の財布に委ねる」と述べている。タクシーチケットもタカる。
帰宅。
仮眠。
予定の立て直しを図る。
歯痛なくなる。
2013年6月24日
買淫した以外、特になし。
2013年6月25日
新潮社出版部の桜井氏から、『朝日新聞』2013年6月16日の読書面の記事が届く。六角精児が『苦役列車』を紹介しているため。
『日刊スポーツ』2013年6月16日の芸能面に<水道橋博士明かす 西村氏降板劇本番で真似た>という見出しの記事をみて苦笑する。
鶯谷の「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。柴崎の婚約報告を祝う。
帰宅。
2013年6月26日
浜町スタジオで、テレビ東京の深夜帯特番「六角さんのぬる~いなやみ」2013年7月13日放送分の収録。回答役の一人。朝日新聞読書面のお礼を述べる。そのコメントが書店用POPに流用されるとか。
帰室。
「したてに居丈高」を書きかけるがやめる。
旧『村山槐多全集』を復読。「16歳時の気持ちが蘇える」と述べている。
2013年6月27日
礼状を2本書く。
明治古典会七夕大市の目録を眺める。今年も藤澤淸造関係資料の出品なし。田中英光のウブ口の書簡一括あり(創刊すぐの『群像』編輯者宛)。
台場で、玉袋筋太郎の月例ライブ「スナック玉ちゃん」を観覧。中盤でステージ上に呼ばれていろいろしゃべる。「ニッポン・ダンディ」降板もイジられる。
六本木の打ち上げに誘ってもらう
2013年6月28日
玉袋筋太郎が出演しているラジオ「たまむすび」を聴く。(※昨日のことを話した模様)
雑用一束。
ホテルオークラで、新潮三賞のパーティーの方のみに参加。
西加奈子と話す。
田畑氏と『文學界』の森氏と合流して、駒込の焼き鳥屋へ行く。
2013年6月29日
藤澤淸造月命日。不参。
室内墓地に香華を手向ける。
酒井順子の新刊『そんなに、変わった?』(講談社)を読む。
浅草の演芸ホール、"淸造スポット"の久保田万太郎旧居跡、安寿司屋。
2013年6月30日
「したてに居丈高」第34回を書く。
雑用一束。
新宿3丁目の串揚げ屋で、フジテレビのバラエティー番組「爆笑 大日本アカン警察」2013年8月11日放送分のロケ撮影。<串揚げ大食いレース>という企画。合計52本でギブアップ。5名中の3位。
帰室。腹いっぱいで酒を飲めず。
2013年7月
2013年7月1日
新潮社の会議室で、『サンデー毎日』2013年8月4日号の単行本『歪んだ忌日』著者インタビュー。インタビュワーである南陀楼綾繁の古書関連の著書を愛読していた。初対面。続けて、放送大学の担当者と打ち合わせ。来月ラジオ版で収録する「藤澤淸造の特別講義」について。
会議室に矢野編輯長がやって来て原稿提出期日について口論となる。賢太は予定表を投げつけソッポを向き、矢野氏は退室する。戸惑う田畑氏に八つ当たりをかまして、タクシーチケットを受け取らずに新潮社から去った。
2013年7月2日
矢野氏と田畑氏それぞれからファクシミリが届くが釈然とせず。
気分転換のため銭湯へ。
夕方六時に高円寺へ向かい、水道橋博士とフリーライター荒井香織氏で駅前で落ち合い、近くの居酒屋で飲む。水道橋博士のおごり。
帰室。
2013年7月5日
二日ぶりに室に戻る。
雑用。
『新潮』田畑氏に電話する。その夜、鶯谷「信濃路」で田畑氏に矢野編輯長への不平不満や愚痴を述べて、それを出張中の矢野氏へそのまま伝えることを依頼する。
2013年7月6日
終日はかどらず。
平田俊子の新刊『スバらしきバス』(幻戯書房)を読む。エッセイ集。
2013年7月7日
サウナ。混雑していたので身体が汚れたように不快。
朝日書林の荒川氏から電話。本日開札の七夕大入札会の落札品の知らせ。田中英光の書簡一括、坂口安吾の署名本、江戸川乱歩の色紙。それぞれ下札から二番目で落札。芥川龍之介の書簡一点も同様。以前、福田久賀男の旧蔵品の短冊を一枚持っていた。しかし12、3年前に売りこかしている。「芥川賞のツラ汚し」なので、せめて年に二度は芥川の墓所へ花を手向けて敬意を払い続けている。
2013年7月8日
六本木で、水道橋博士と対談収録(『en-taxi』2013年夏号 vol.39)。
帰宅。
『新潮』編集部と決着つかず、次作の予定が立たず。イラつく。
『スーパー写真塾』2013年9月と2013年10月の宮台真司対談ゲラ。
2013年7月10日
テレビ朝日本社で、クイズ番組 「Qさま‼」7月22日放送分の収録。雑草軍団の一員という役割。そのあと控え室で『朝日新聞』生活文化部の後藤記者によるインタビュー。参議院選挙について(2013年7月13日夕刊 ここに注目! 2013年参院選 「人間らしい生活を」)。わざわざ大阪本社からやって来た。
帰室。
ダイアモンド✡ユカイの新刊『育爺。』(講談社)を読む。『タネナシ』の続編。
「東京者がたり」第15回を書く。村山槐多がらみ。
2013年7月11日
池袋のリブロ本店で、単行本『歪んだ忌日』刊行記念サイン会。定員分の百名が来場。今回が4回目。3回はすべて『苦役列車』関連。「月刊の安読書マガジン」「書籍紹介コーナーのあるくだらぬ情報番組」「司書気取りのバカ丸出しの書店員たち」から丸無視されていることについて述べる。サイン会のことは伝えていなかったのに玉袋筋太郎からスタンド式の祝花が届いた。
『文學界』森氏と会場で別れ、新潮社の4名の編輯者。新宿の「かに道楽」に移動したところで矢野編輯長が参加する。揉めている次作スケジュールについて、やはり決着つかず。険悪な雰囲気になる。和解には至らず。休戦として、とりあえず手打ちの杯を交わす。2013年8月号校了号に提出することを約束する。
新潮文庫の新担当である杉原氏と初顔合わせ。書店用POPの見本を受け取る。新潮文庫『苦役列車』の六角精児による紹介コメント付き。
田畑氏は蟹料理に夢中。矢野編輯長は「また自分だけ貴重な毛蟹の甲羅ミソを、二匹分平らげる」と述べている。
2013年7月12日
既知と未知の人物から贈り物がいくつか届く。ワタナベエンターテインメントの渡辺ミキ社長から立派な花が届く。新潮社から例年通り、宝「純」25度が1ケース届く。「いい出版社だ」と述べている。
水道橋博士との対談ゲラを確認して返送。
2013年7月13日
「したてに居丈高」第35回を書く。サイン会について。
「東京者がたり」第15回のゲラ。
随筆「韓国みやげ」所収の日本文藝化協会編『ベスト・エッセイ2013』(光村図書出版)をパラパラ繰る。
ダイアモンド✡ユカイとレッド・ウォーリアーズ時代の盟友シャケのコンビ制作のニューアルバム「PACHISLOT『あしたのジョー2』オリジナルサウンドトラックを聴く。
2013年7月16日
起き抜けに小便をしたとき軽く腰の筋を痛める。
新潮社の会議室で、金曜日の生放送番組の打ち合わせ。ワタナベエンターテインメント土井氏が同席。『週刊現代』の著者インタビュー。六角精児対談の担当をした伊藤記者。
腰の痛みが悪化する。
鶴巻町「砂場」で田畑氏と酒を飲む。
帰宅。
翌朝まで寝たり起きたり。
2013年7月17日
田畑氏から連絡があり、藤野可織が「爪と目」で第144回芥川賞受賞したことの報せ。田畑氏に当落結果を教えるように頼んでいたため。
藤野可織に対する感謝の念を述べている。角川書店が自社PR誌(本の旅人)ですら書評一つだしてくれず初版三千部だった単行本『人もいない春』の書評(『文學界』2010年10月号)をしてくれたことに恩義を感じているため。ちなみに、「本の旅人」の新編輯長は「野性時代」の窓口役でベタ褒めしてくれていたのに、と恨み言を述べている。
ちなみに、文學界の前担当者は「突如異動する旨の葉書一枚くれたきり、次の窓口役を紹介するでもなく、そのままの状態になっていた」と。
藤野可織の書評を読んだ頃、ちょうど「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を書いており、その3日後に「苦役列車」に取り掛かっていた。藤野可織にはそれ以降、献本をはじめた。その後、わざわざ芥川賞直木賞授賞式にもかけつけている。
田畑氏を強引に誘って鶯谷「信濃路」で祝杯をあげる。
2013年7月18日
「したてに居丈高」第36回を書く。
宿題の番組同録DVD(日本テレビ「乃木坂46×HKT48 冠番組バトル!」)を観る。
田中英光『愛と青春と生活』を復読。『藤澤清造短篇集』を拾い読み。
2013年7月19日
フジテレビ本社で、午前9時50分からの生放送「ノンストップ!」に出演。学歴に関する討論。サバンナ高橋や西川史子と共演。
控え室で、日本テレビ「乃木坂46×HKT48 冠番組バトル!」のスタッフに審査コメントを伝える。審査員役を務めるため。番組冒頭で写真だけが映るという出演形式。
帰室。
礼状を5通書く。
2013年7月20日
雑用一束。終日在宅。
2013年7月21日
雑用一束。
坪内祐三の最新刊『総理大臣になりたい』(講談社)を読む。
2013年7月22日
浅草の演芸ホール。
藤澤淸造スポットである久保田万太郎旧居跡を廻り、安握り寿司を食べる。
帰室。
「したてに居丈高」第37回を書く。
2013年7月23日
葛西善蔵祥月命日。
フジテレビの湾岸スタジオで、クイズ番組「ペケ×ぽん」2013年9月13日放送分の収録。"辞書の間"コーナーの回答者役。
控え室で来月末収録のWOWOW番組(KAZEOKE)スタッフと打ち合わせ。
2013年7月24日
芥川龍之介祥月命日。
7月7日の古書大市で入手した芥川自筆書簡を眺める。
私小説がらみの創作や随筆ではない仕事依頼が手紙で届く。先週、青林工藝舎の高市真紀からも似たような依頼が来たところ。
深更、鶯谷「信濃路」で酒を飲みながら次作のネタ繰り。
2013年7月25日
サウナ後に帰室。
単行本『歪んだ忌日』の著者インタビュー掲載の『サンデー毎日』2013年8月4日号と、『スーパー写真塾』8月号(※原文ママ。正しくは2013年9月号)が届く。宮台真司との対談の第3回掲載号。
2013年7月26日
手紙を2本書く。
神保町で所用を済ませる。
新宿五丁目で、徳間書店の崔氏と酒を飲みながらの打ち合わせ。4年ぶり。『アサヒ芸能』編輯部以来。崔氏は文芸誌『読楽』の編輯長に就任した。
帰室。
雑用一つ。
2013年7月27日
『en-taxi』第39号が届く。水道橋博士との対談掲載号。
10年ぶりにモスバーガーを食べる。
2013年7月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に香華を手向ける。
『季刊文科』第60号用の随筆5枚(「諦観からの一歩」)を書く。
2013年7月31日
ワタナベエンターテインメント土井氏からもらった、SPEEDチャンネル「玉袋筋太郎の競輪場へ行こう! #14 久留米編」の同録DVDを観る。自分の出演番組を眺めるのは初めて。
来月末に収録するWOWOW「KAZEOKE」で使用する<間(あいだ)ストーリー>を一本考える。ラフを書く。
2013年8月
2013年8月1日
「したてに居丈高」第38回を書く。
藤野可織『爪と目』の「しょう子さんが忘れていること」「ちびっこ広場」を読む。後者は傑作、と述べている。
新潮2013年10月号用の原稿(疒の歌)の前篇150枚を書き始める。「苦役列車」のダイレクトな続編にあたるもの、と述べている。
朝方までノートに3頁分。
2013年8月2日
サウナ。
雑用。
明け方5時まで「疒の歌」をノートに12頁。
2013年8月3日
サウナ。
明け方5時半まで「疒の歌」をノート10頁。
昭和52年の毎日放送「横溝正史シリーズ」DVD収録の「獄門島」第1話を観返す。
2013年8月4日
「疒の歌」の下書きノルマを11頁と定め、夕方までに「3頁分の貯金を作る」と述べている。
朝6時まで9頁書き、本日の合計は12頁。「内容が面白いかどうか、甚だ不安になる」と述べている。
「獄門島」DVDの第2話を眺めながら晩酌。
2013年8月5日
深更、「疒の歌」をノートに8頁。
2013年8月6日
夜に予定があるので、日中より「疒の歌」4頁を書く。
玉袋筋太郎から携帯メールが届く。
中野坂上で夜7時に玉袋筋太郎と落ち合う。玉袋の聖地であるという加賀屋中野坂上店へ移動する。ライムスター宇多丸と合流。
本来、夜9時半に鶯谷「信濃路」ですばる編輯長の清田氏と会う予定だったが、酒を入れてしまったので、加賀屋中野坂上店に来てもらうことにする。
清田氏が合流する。打ち合わせ。文芸誌『すばる』に「デビュー以来8年間丸無視され続けていた」と述べている。編輯長が交代したのをきっかけに原稿依頼があり承諾した。
「風花」へ移動。清田氏は先に帰り、残り2名と深夜3時まで飲み明かす。
2013年8月7日
サウナ。
深夜一時から「疒の歌」をノートに3頁。
「獄門島」DVDの第4話を眺める。
2013年8月8日
終日かかって「疒の歌」をノートに4頁。
横溝正史シリーズDVD「悪魔の手毬唄」第1話を眺める。一昨年暮れにテレビを買い替えて以来の復鑑賞。
2013年8月9日
サウナ。
「したてに居丈高」第39回。
『季刊文科』第60号エッセイのゲラ。
幻冬舎の有馬氏より『けがれなき酒のへど 自選短篇集』のゲラが届く。
「疒の歌」をノート5頁。今日までに合計60頁となる。ここで下書きを中断して、明日から清書する。
「悪魔の手毬唄」第2話を眺める。
2013年8月10日
「疒の歌」の清書開始。「下書きは、結句叩き台に過ぎず、殆ど全改稿に近き修正を施しながらの作業」と述べている。
清書は21枚まで書いた。
「悪魔の手毬唄」第3話を眺める。
2013年8月11日
日中から、「疒の歌」の清書を28枚書いて、合計49枚。
2013年8月12日
書いている「疒の歌」のなかで、貫多が250円のカレーピラフ弁当を食べているというのに、27年後の自分は2300円の上天丼をかきこんでいる、そのことに「何とも顔向けできぬ気持ち」と述べている。
帰室。
「疒の歌」の清書つづきを21枚書いて、合計70枚。
2013年8月13日
「疒の歌」の清書を合計80枚になるまで書いた。
深更、ノート下書きのつづきを3頁。
2013年8月14日
「疒の歌」の「第三工程たる、八十枚分の清書原稿の読み直しを始める」と述べている。
加筆と訂正が多いため、1時間3枚弱のペース。完成原稿は真っ黒。
明け方4時に、半分の40枚が完成する。
2013年8月15日
「疒の歌」の残り40枚分の推敲。
食って寝て、起きて入浴後、推敲の続きをおこない、午前6時に合計80枚の完成稿を仕上げる。バイク便で送る。
『新潮』編集部に約束していた前篇150枚のうち、月末の校了までに2回に分けて渡す予定。
2013年8月16日
冒頭部分80枚の原稿が「合格」である旨が、『新潮』の田畑氏から携帯メールで届く。
「したてに居丈高」掲載の『アサヒ芸能』は今秋は合併号なので原稿書きは1回休み。
夜9時半に、鶯谷「信濃路」に田畑氏を呼びつける。酒を飲みながら、送った「疒の歌」冒頭部分について話し合う。「田畑氏、妙におだてるので、逆に疑心暗鬼になる」と述べている。
帰室。
2013年8月17日
サウナ。
雑用を片す。
「疒の歌」<前篇>の後半部分の下書きスタート。ノートに5頁分を書く。
2013年8月18日
体調悪く、微熱あり。
下書きした分を清書する。
夜11時をすぎたあと、体温が37度5分に達する。ルル服用してアイスノンを枕に早寝。
2013年8月20日
正午すぎに起床。体温が平熱に復す。原因を「クーラーの送風口の真下で、長時間作業をしていたこと」と推定している。
「疒の歌」の下書き。ノートに13頁。
2013年8月21日
勉誠出版『コレクション 私小説の冒険』(全8巻予定)の内容見本への推薦文(200字)を書く。第1回配本の第1巻『貧者の誇り』に、藤澤淸造「一夜」と共に西村賢太「一夜」を収録するため。
「疒の歌」のノート下書きを原稿用紙16枚に清書する。合計27枚。
入浴したのち、寝室の万年床で腹這いながらノートに下書きつづき。朝5時半までにノート15頁(小計40頁)を書く。
2013年8月22日
「疒の歌」の清書5枚を書く。
テレビ朝日のアーク放送センターで、沢村一樹MCの「事実は小説より奇なり」2013年9月4日放送分の収録。石田衣良と共演。
帰室。
「疒の歌」の下書き10頁を書く。これで前篇の下書きを完了する。
2013年8月23日
第149回芥川賞・直木賞の授賞式に行く予定だったが、原稿が遅れているため断念する。
夜7時までで「疒の歌」の清書16枚(合計48枚)。
「したてに居丈高」第40回を書く。
鶯谷「信濃路」で、田畑氏と飲み食いする。
帰室。
2013年8月24日
終日、「疒の歌」の清書をおこなう。小計70枚が完成する。先週提出したものと併せて合計150枚。「しかし、ここからが真の正念場」と述べている。
2013年8月25日
「疒の歌」前篇の清書のうち70枚分の訂正作業をはじめる。全改稿といえるほど直す。
夜食のため外出して、コンビニで買い出しをしてすぐ戻る。
朝6時半、訂正作業を終えた清書原稿をバイク便で『新潮』編集部に送る。
2013年8月26日
サウナ。
帰室。
「疒の歌」前篇の清書のうち先週渡し済みの80枚分の著者校に取り掛かる。
2013年8月27日
「夕方、よんどころなき用にて外出」と述べている。
深更に、「疒の歌」の著者校70枚分がバイク便で届いた。
2013年8月28日
昨日届いた「疒の歌」の著者校70枚分の訂正作業。直した5頁ずつをファクシミリで戻す、という作業方式。
午前5時すぎに「疒の歌」前篇が完成する。
2013年8月29日
藤澤淸造月命日。
サウナ。
「帰途、花屋で仏花を購(もと)め、淸造の室内墓地に手向ける」と述べている。
夜十時に、『新潮』の田畑氏より追加疑問2点の問い合わせあり。これに返答して「疒の歌」<前篇>が責了となる。
2013年8月30日
砧のTMCスタジオで、WOWOW「KAZEOKE」2013年11月9日放送分の収録。昨年暮れのパイロット版以来となる出演2回目。いとうせいこうMC、倉本美津留、鳥居みゆきと共演する。
帰宅。
「したてに居丈高」第41回を書く。
『新刊ニュース』2013年11月号用のアンケート「今年の秋冬、人に贈りたい一冊」を書く。
単行本『歪んだ忌日』著者インビュー掲載の『週刊現代』2013年9月7日号を眺める。
2013年8月31日
サウナ。
帰室。
大河内昭爾急逝によって、急遽『季刊文科』第60号に掲載することになった追悼特集用の短文を書く。
2013年9月
2013年9月1日
書類、雑誌、新聞の整理。
『新潮』2013年9月号掲載の小山田浩子による、単行本『歪んだ忌日』のsh評を読む。「まことに有難き、過分の高評」と述べている。
「したてに居丈高」第42回を書く。
2013年9月2日
サウナ。
半蔵門のTOKYO FMで「ビビる25」2013年9月22日放送分にゲスト出演。
いったん帰室。
6時過ぎに新宿の紀伊国屋サザンシアターで高田文夫主催のライブ「我らの高田”笑”学校~しょの四十三~」を観覧。隣の席に荒井香織、真後ろの席にライムスターの宇多丸氏がいた。『小説現代』の柴崎氏も同席。ワタナベエンターテインメント所属の芸人も出演。終了後に、楽屋で藺牟田氏にも久しぶりに会う。先々月の池袋リブロでおこなったサイン会には藺牟田市の御母堂も来たので礼を述べた。
新宿駅西口近くの居酒屋でおこなわれた打ち上げに参加する。
水道橋博士と玉袋筋太郎とライムスター宇多丸をあわせた四人で「風花」へ移動する。
2013年9月3日
サウナ。
帰室。
玉袋筋太郎の初小説集、新潮文庫『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』の解説文を書く。
2013年9月4日
テレビ朝日でクイズ番組「Qさま!! 3時間SP」2013年9月30日放送分の収録。
帰室。
アイドルグループの同録DVDを眺める。ワタナベエンターテインメントの土井氏に渡された、今後の収録のための宿題。審査員として勝利チームの判定をするため。
「したてに居丈高」第43回を書く。
2013年9月5日
サウナ。
新潮社の会議室で、『朝日新聞』の単行本『歪んだ忌日』についての著者インタビューを受ける。
新潮文庫出版部の杉原氏と打ち合わせ。12月刊行予定の新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』について。
矢野編輯長が「疒の歌」<前篇>について顔を出そうとしている、という話を田畑氏から持ちかけられるが謝絶する。「現在はいったん休戦中だが、しかし根が犬猿の仲だけに、できる限り顔を合わさない方が互いの為だ」と述べている。」
四谷三丁目で田畑氏と焼肉を食べる。「風花」へ移動する。
2013年9月6日
『新潮』2013年10月号が届く。「疒の歌」<前篇>掲載号。「しばらく、ひねくる」と述べている。
鶯谷の「信濃路」で、『野性時代』の山田編輯長と打ち合わせ。「不平、不満、並びに愚痴を一方的に聞かせつつ」と述べている。田畑氏と同い年(賢太の推定)の山田氏は小食らしい。
帰室。
2013年9月11日
雑用片づける。
夕方5時に室を出て、新潮社で藤野可織と対談。『新潮』2013年11月号所載、「平凡な人生、奇妙な小説」。
田畑氏、矢野編輯長、藤野可織と共に神楽坂の中華料理店で「対談時から引き続いての、オリモノ・月経談義。藤野氏が話のイニシアチブを取ってのもの」と述べている。
「風花」に流れる。午前3時に解散した。
2013年9月12日
サウナ。
池袋の喫茶店で、関西テレビのスタッフ2名と打ち合わせ。スタッフは、来週収録の番組について大阪から来た。
帰室。
礼状6通を書く。
2013年9月13日
新潮社の新館の会議室で、『宝島』のインタビュー取材。
田畑氏と鶴巻町「砂場」で飲み食いする。
帰室。
寝室で『斎藤緑雨全集』第3巻を拾い読み。
2013年9月16日
堀江貴文と対談。徳間書店の『読楽』2013年12月号(「カネと女と小説と」)。堀江が『文藝春秋』2011年4月号(「ダメな自分を追い詰める)に寄稿し、西村賢太も徳間文庫『拝金』に解説を書いた縁。「初の対面となった。こちらが勝手に抱いていたメディアイメージと違い、大層に繊細で生真面目な人物とのご印象」と述べている。
ドトールで『読楽』編輯長の崔氏と打ち合わせ。
帰室。
雑用一束。
2013年9月17日
サウナ。
四谷三丁目で、角川書店の榊原氏と初顔合わせ。山田編輯長も同席。2013年12月刊の単行本『一私小説書きの日乗 憤怒の章』について。
「風花」に流れる。
2013年9月18日
幻冬舎文庫『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』の見本が届く。26冊目の単著。※「自選」と銘打たれているが、その大部分は編輯者が提案してきたもの、しかし賢太が2篇を変更した……等の事情を述べている。この件については他の随筆(同人雑誌の頃『新潮』2013年11月号ほか)でも言及がある。
2013年9月19日
サウナ。
玉袋筋太郎より携帯メールで誘われたが、「本日は先約があり、涙をのんで徴兵忌避」と述べている。そのあと「夜六時半に外出」という記述があるが詳細は不明。※「カノジョ」案件?
帰室。
「疒の歌」<後篇>の準備をおこなう。
2013年9月20日
サウナ。
「したてに居丈高」第44回を書く。
東宝映画版「獄門島」DVDを見返す。
2013年9月21日
サウナ。
帰室。
雑用一束。
横溝正史<人形佐七捕物帳>シリーズから拾い読み。
2013年9月22日
昨夜から眠らず、午前5時に入浴して、6時に室を出る。
7時半からフジテレビ本社で生放送「新報道2001」に出演する。現文科大臣(平野博文)や大臣経験者と共演。貧困問題について討論するもの。
帰室。
『新潮』2013年11月号に掲載される藤野可織との対談ゲラに手を入れる。
2013年9月23日
「一私小説書きの日乗 野性の章」第5回の原稿20枚をまとめる。
『新潮』2013年11月号用の随筆(「同人雑誌の頃」)に取りかかるが、うまくいかず。
2013年9月24日
『新潮』2013年11月号用の随筆を書き上げる。7枚。
新潮文庫『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(玉袋筋太郎・著)の見本を開く。解説を書いたもの。装幀イラストを褒めている。「間違いなく名著」と述べている。このあと向かった鶯谷「信濃路」に携えている。
2013年9月25日
勉誠出版『コレクション 私小説の冒険』の第1巻<貧者の誇り>が届く。藤澤淸造「一夜」と西村賢太「一夜」が所収されているもの。内容見本用に寄稿した推薦文は帯文にも流用されている。
雑用一束。
2013年9月26日
終日在宅。雑用。
2013年9月27日
新潮社経由で、インタビュー(「太宰も安吾もオダサクも、小説は私小説が一番面白い!!」)掲載の『月刊宝島』2013年11月号が届く。
「したてに居丈高」第45回を書く。
2013年9月28日
雑用。
赤坂のTBSで、生放送「オールスター感謝祭2013秋」に出演。先生チームの一員。
2013年9月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に香華を手向く。
雑用一束。
2013年9月30日
サウナ。
四谷三丁目で、『en-taxi』の田中陽子編輯長と打ち合わせ。次号掲載の短篇について。そして、「対談では、かねてより一人、小説とは全く関係ないが会いたい方がいる。思い切って陽子編輯長に打診す」と述べている。
2013年10月
2013年10月1日
「東京者がたり」第16回を書く。「二箇月2ヶ月続けて落としてしまったので、冷汗三斗の思い。甚だ書きにくい。/半分書いたところで激しい自己嫌悪に陥り、酒に逃げる」と述べている。
2013年10月3日
サウナ。
雑用一束。
「したてに居丈高」第46回を書く。
午前4時すぎに玉袋筋太郎から携帯メールが届いた。「本日名古屋で買淫成功」とのこと。
2013年10月8日
東京駅から午後12時発ののぞみで新大阪へ向かう、その車内で藤野可織の新刊『おはなしして子ちゃん』(講談社)を読む。
関西テレビの楽屋に中江有里が訪ねてくる。中江は、きょう夕方の報道番組にコメンテーター役として出演するためであり、中江が2013年12月刊行の新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』に解説を書いてくれた件について挨拶と礼を述べた。
賢太がゲスト出演するのは、バラエティー番組「お笑いワイドショー マルコポロリ!」2013年10月13日放送分の収録。
局からタクシーで新大阪駅、そして夜8時半すぎに東京に戻る。
帰途。
先週末届いていた文芸誌のうち『新潮』2013年11月号のみ開封する。藤野可織対談と随筆「同人雑誌の頃」所載号のため。
「深更、寝室の万年床に腹這い、ノートを拡げる」と述べている。
「疒の歌」<後篇>の続きを書く。ノート3頁。
「やはり最初のエンジンのかかりが悪いのは、どうあっても改善できぬ」と述べている。」
2013年10月9日
「疒の歌」のノート下書き分を原稿用紙に訂正を入れながら清書する。4枚弱。
ノート下書きのつづき。6頁分。
2013年10月10日
サウナ。
帰室。
「疒の歌」の下書き。9頁。
2013年10月11日
「したてに居丈高」第47回を書く。
「疒の歌」の下書きを清書する。15枚。
ノート下書きを5頁。
2013年10月12日
「疒の歌」清書のつづき。15枚。小計34枚。
ノート下書き。3頁。
2013年10月13日
サウナ。
「疒の歌」清書を4枚。
ノート下書きを10頁。
2013年10月14日
「疒の歌」清書を10枚。
ノート下書きを6頁。
2013年10月15日
『読売新聞』の文化面<本のソムリエ>欄の回答を書く。
『小説現代』の柴崎氏と飲む約束をしていたが、台風が近づいて雨風が強いため日延べとする。
「疒の歌」ノート下書きを6枚。第7章まで書き上げた。
昭和52年の”横溝正史シリーズ”「悪魔が来りて笛を吹く」第1話を再鑑賞。
2013年10月16日
台風一過で晴れているが、終日在宅。
「疒の歌」を朝方までかかって清書16枚まで仕上げる。計64枚。
2013年10月17日
サウナ。
新潮社から、2013年12月上旬刊の新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』の著者校、そして角川書店から2013年12月下旬刊の単行本『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(シリーズ第2巻)の著者校がそれぞれ届く。
「疒の歌」第7章までの手直しをおこなう。「直しながら清書しているにもかかわらず、やはりまたもや全改稿に近い激しい訂正」となったと述べている。うち40枚を直し終える。
2013年10月18日
「したてに居丈高」第48回を書く。
届いていた『季刊文科』60号を開く。大河内昭爾の追悼文「徹底した文学の徒」、随筆「諦観からの一歩」所載。
稲垣潤一の所属事務所から贈られたニューアルバムのカバー曲集「男と女 4」をエンドレスでかけ続けながら、「疒の歌」の清書24枚分の訂正をおこなう。
朝6時すぎにバイク便にて『新潮』に発送。
2013年10月19日
『読楽』2013年12月号の堀江貴文対談のゲラや「したてに居丈高」ゲラなどに手を入れる。
小谷野敦の最新刊『面白いほど詰め込める勉強法』(幻冬舎新書)を読む。「感心しきり」と述べている。
夜十時に鶯谷「信濃路」で田畑氏と打ち合わせ。「疒の歌」<後篇>は『新潮』2013年12月号に一挙掲載の予定だったが、短期連載に切り替えることになった。
帰室。
2013年10月20日
「仕事の予定表を新規に書き直す」と述べている。※小さい手製のカレンダー形式?
「書きたくても発表の場を得られず、意図的に干され続けてきた数年以前のことを思えば、現時途切れず仕事の依頼がくるのはまことに恵まれた環境である」と述べている。
終日在宅の予定だったが、雄心勃発したので買淫。
帰室。
新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』のゲラ。
2013年10月23日
サウナ。
帰室して、改めて外出。
渋谷のタワーレコードで、稲垣潤一の最新カバーアルバム「男と女 4」発売記念のトークショーに聴客として参加する。所属事務所から誘われたもの。サイン会に並んで握手してもらう。
帰宅。
新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』のゲラつづき。
2013年10月25日
「したてに居丈高」第49回を書く。
「疒の歌」第2回、60枚のゲラ。
2013年10月26日
「疒の歌」の著者校。
「夜、些か不快な連絡あり」と述べている。
雑用ひとつ。
新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』のゲラつづき。
2013年10月27日
新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』のゲラ仕上げ。夕方に発送。「別個にもう一つ、雑用絡みのものを角川書店に発送。仕事であれば大歓迎だが、無駄な雑事を増やす馬鹿がいて困る。度し難し」と述べている。
「疒の歌」第2回のゲラを仕上げる。
2013年10月28日
藤澤淸造生誕日。
「一私小説書きの日乗(野性の章?)」第6回のゲラ。
2013年10月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に香華。
来月末に収録する、フジテレビ深夜特番用のネタを考える。「お笑い芸人四人と共にこれに参加するが、一応小説家という肩書きでの起用だから、当然求められているのはストーリー仕立てのネタであろう」と述べている。※今回はWOWOW「KAZEOKE」ではない。「土下座」の筋を組み立てる。
田畑氏から「疒の歌」第2回責了の連絡を受ける。
2013年10月30日
赤坂のTBSで、石橋貴明の深夜帯トーク番組「リシリな夜」2013年11月10日放送分の収録。
いったん帰室したあと、鶯谷「信濃路」で『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。そのあと「風花」に流れる。
2013年10月31日
雑用一束。
フジテレビ本社で、松本人志と東野幸治の深夜帯ワイドショー番組「ワイドナショー」2013年11月11日放送分の収録。ゲストコメンテーター役。
ワタナベエンターテインメントの土井氏に、「土下座」の脚本仕立てのものを渡した。
帰宅。
「したてに居丈高」第50回を書く。
稲垣潤一の初の自伝小説『ハコバン70’s』(講談社)を読む。「一気に読まされた、と云った方が正確か。素晴らしい青春小説」と述べている。
2013年11月
2013年11月1日
雑用一束。
夜7時半から中野坂上で玉袋筋太郎と飲む。9月初頭の高田文夫ライブ打ち上げ以来。玉袋筋太郎が出演しているTBS「たまむすび」ディレクターの津波古氏と合流する。午前0時まえに両氏と「風花」に移動。このとき玉袋筋太郎と口論、罵り合い、摑み合い、取っ組み合いに発展する。「てめえとは絶交だ!」とお互いに発して決別。店を出たあとも小競り合いする。
帰室。「不愉快極まりなし」「此度は無性に寂しい思いに苛まれる」と述べている。
2013年11月2日
正午起床。携帯電話の着信履歴をみると玉袋筋太郎から12本の着信、メール1通が届いていた。「こちらからも、ひとまず謝罪のメールを送る」と述べている。
羽田空港で、『en-taxi』誌の田中陽子編輯長、ライター橋本倫史(はしもと・ともふみ)
夜6時すぎ。有明佐賀空港に到着。
「根が自己中心主義にできてる自分はすぐと別行動を主張し、ホテルの部屋に荷を解いたのちは、単身八時半に街を出る」と述べている。※このあと、元日本ハムファイターズ永淵洋三が営む焼き鳥屋「あぶさん」に会いに行く。翌日に対談するにもかかわらず。
このくだりでは、西村賢太が小学生のころから日本ハムのファンだったエピソードを披露している。毎年ファンクラブに入り、特典の年間フリーパスで後楽園球場に通っていた。近鉄に移籍したあともファンだった等。ニッポンハムのホームランソーセージ、カレー味のミニソーセージ、十二球団の選手のカードが一枚封入、友人に無理矢理交換してもらった、名鑑の住所をたよりに自宅にサインをもらいにいった話など。
2013年11月3日
田中英光祥月命日。
佐賀のホテルで起床。
田中陽子編輯長とライター橋本氏と「あぶさん」へ向かう。
午後2時に永淵洋三との対談が終了。「持参した日本ハムの往時のデザインである野球帽(復刻版)と、現今のプロ公式球その他を差し出し、永渕氏にそれぞれ自分の宛名入りでのサインを所望する」と述べている。
5時半すぎ羽田空港着。
帰室。
2013年11月4日
午後3時半到着のつもりで六本木ヒルズのJ-WAVEで、南沢奈央のラジオ特番「Autumn BOOK Cafe」の1コーナーに生放送出演。
フジテレビの湾岸スタジオへ移動して、夜6時半からクイズ番組「ソモサン⇔セッパ!」2013年11月15日放送分」の収録。中江有里と同チームで共演する。
帰室。
先日、玉袋筋太郎に返信したつもりの携帯メールが未送信BOXに入っていることに気づく。
2013年12月刊行の角川書店単行本『一私小説書きの日乗 憤怒の章』のゲラをはじめる。
2013年11月6日
フジテレビの湾岸スタジオで、ゴールデンタイムのクイズ番組「ペケ×ポン」2013年11月22日放送分の収録。午後八時半に終了後、おなじフジテレビの”面白いVTRを作る”番組「OV監督」の、2回目の要件(原文ママ)。「「東京」の方の筋立ても完成」と述べている。
帰室。
単行本「一私小説書きの日乗 憤怒の章」のゲラ。
2013年11月7日
サウナ。
昨日届いていた文芸誌のうち、「疒の歌」第2回を掲載している『新潮』2013年12月号のみを開封する。
「したてに居丈高」第51回を書く。
単行本「一私小説書きの日乗 憤怒の章」ゲラの続き。
2013年11月8日
玉袋筋太郎出演のラジオ「たまむすび」を聴く。放送オープニングの十数分、昨夜の乱闘のはなし。「笑う」と述べている。
ラスト2分にも玉袋筋太郎が西村賢太に言及する。「少し泣く」と述べている。
『en-taxi』2014年冬号 vol.40掲載分の永淵洋三対談のゲラ。
「東京者がたり」第17回を書く。<錦糸町>篇
夜10時、鶯谷「信濃路」で、田畑氏と打ち合わせ。「久方ぶりに、天敵・矢野編輯長の悪口大会(云っているのは、一方的に自分のみであるが)」と述べている。
いろいろ飲み食いしたあと、賢太はソース焼きそばと味噌汁、田畑氏はラーメンをすすったあと午前二時すぎに解散。
2013年11月9日
池袋の東武デパートで買い物一式。
帰室。
単行本「一私小説書きの日乗 憤怒の章」のゲラ。「したてに居丈高」第51回のゲラ。
夜7時半、中野坂上の店で玉袋筋太郎との手打ち式をおこなう。玉袋は福砂屋のカステラ、賢太はユーハイムのバウムクーヘンを互いに贈り合う。※この件については、『週刊アサヒ芸能』2014年1月2日・9日合併号所載 <「2013下半期「スキャンダル大賞」西村賢太・吉田豪・浅草キッドが“激笑”選考>でも語られている。
そのあと「風花」に流れて、「四十六歳の中年二人がガン首揃え、玉袋氏の得意技<横井さん作戦>でママに謝罪す。やはり、離れがたき悪友」と述べている
2013年11月10日
サウナ。
帰室。
『en-taxi』次号用の短篇(「酒と酒の合間に」)を書き始める。
「初めて小説をノートへの下書きなしで、ぶっつけ本番で原稿用紙に書く」と述べている。
21枚分を書いた。
午前4時7分に、玉袋筋太郎から携帯メールが届く。「買淫広島死闘編」という題名のもの。
2013年11月11日
「東京者がたり」第17回のゲラ。
「en-taxi」用の短篇「酒と酒の合間に」を書く。6枚書いて合計27枚。終了。
2013年11月12日
「酒と酒の合間に」のゲラ。「ファクシミリで戻し、いったん責了となるも、その後夜九時までにあれこれと再訂正を繰り返してしまう」と述べている。
2013年11月13日
サウナ。
帰室。
単行本「一私小説書きの日乗 憤怒の章」のゲラ。
2013年11月15日
サウナ。
7年ぶりに講談社へ赴く。一回目の芥川賞候補の事前取材のときぶり。
「どうで死ぬ身の一踊り」のゲラか何かを校了時期の『群像』編集部に、夜中届けに行ったこともある。その後に出禁になった。
『FRIDAY』2013年12月13日号所載の稲垣潤一対談(「無頼派作家〉西村賢太が大ファン稲垣潤一と語り合った夜」)をおこなうため。
「(略)拙作中の”秋恵”が稲垣潤一ファンであるのは、何を隠そう、実は自分からの影響なのである」と述べており、それ以外にも熱く語っている。
西村賢太は、サインを所望するのは「心底、自身の長年の思い入れがあるかたに対してだけである」と述べている。色紙にまで揮毫をお願いしたのは石原慎太郎と稲垣潤一のみ。
終了後、移動して、フジテレビの「面白いVTR」番組スタッフと三度目の要件(原文ママ)。
ふたたび講談社に戻って、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。文芸局のシステムが改編。「小説現代出版部」ができた。これによって、過去に遺恨?がある「文芸第一出版部」から干されて本が出ないという状況を回避できた、と述べている。
2013年11月16日
「したてに居丈高」第52回を書く。
単行本「一私小説書きの日乗 憤怒の章」のゲラ。
2013年11月17日
単行本「一私小説書きの日乗 憤怒の章」のゲラ終了。
『すばる』2014年1月号(新年号)用の掌編「貫多、激怒す――または『或る中年男の独言』」を書きあげる。ファクシミリで送稿。
2013年11月18日
「夕方、魚屋へ晩酌用のお刺身(真鯛とムツを一人前ずつ)を購めに行った以外は、終日在宅。/ 終日雑用一束片し」と述べている。
※西村賢太研究ブログ 女地獄4 - War Is Over https://wellwellwell.hatenablog.com/entry/2022/06/22/131303 という記事にて、「魚屋」に行った日は半同棲先に滞在しているのではないか、という指摘あり。ただし、東京にいるっぽい6月1日や6月22日にも「魚屋」に立ち寄っているので、これは慎重に調査する必要あり。
2013年11月19日
『文學界』2014年1月号(新年号)用の随筆(「サイン」)を書く
『新潮』2014年1月号(新年号)用の「疒の歌」第3回に着手する。
2013年11月20日
「一私小説書きの日乗 野性の性」を書く
「疒の歌」第3回を書く。
2013年11月21日
「一私小説書きの日乗 野性の章」をファクシミリで送稿。
「したてに居丈高」第53回を書く。
「疒の歌」第3回をノート5頁書く。「十九歳時の、田中英光の私小説との出会いのくだりである為、往時をじっくり思いだしながら書く。感傷的にはならぬよう、慎重に。」と述べている。」
2013年11月22日
サウナ。
いったん室に戻る。
夜6時に外出して、集英社に7、8年ぶりに赴く。そのときは文芸関係の用事ではなかった。今回も他部署の用向きで、『週刊プレイボーイ』掲載の風俗関連のインタビュー
帰室。
「疒の歌」第3回を書く。
2013年11月23日
フジテレビの”面白いVTRを作る”番組「OV監督」からバイク便で完成VTRが届いたのでチェック。
池袋のデパートで、永淵洋三へのお礼の品の送付手続き。地下食品売り場で買い物。
(帰室等の記述なし)
「疒の歌」第3回を書く。
2013年11月24日
「疒の歌」第3回を書く。ノート下書きを完了する。
2013年11月25日
午後3時半。フジテレビの湾岸スタジオで「OV監督」2013年12月6日放送分の収録。
楽屋で、「数日前より突如現われたツイッター上での自分の偽者について、ワタナベサイドと協議す。」「この時代に、まだ小説家に憧れ(?)、なりすまして悦に入る、浅ましくも惨めな輩がいることに一驚」と述べている。
帰室。
「疒の歌」第3回の下書き分を原稿用紙に清書する。
2013年11月26日
「疒の歌」第3回の清書。
午後4時、中野サンプラザで、盆暮の恒例企画<アサ芸スキャンダル大賞>の座談会(『週刊アサヒ芸能』 2014年1月2日・9日合併号)に出席。メンバーは、浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)、吉田豪。
午後6時すぎに終了。玉袋筋太郎行きつけの居酒屋へ向かう途中、ブロードウェイ内の煙草屋のそばで帰宅途中らしき女子中学生に遠巻きに囲まれる。その当時の様子を書き記している。夜8時に解散。
『新潮』の田畑氏にバイク便の手配をしてもらう。
(帰室等の記述なし)
新潮社経由で来てた中国語版『苦役列車』(苦役列车、北京联合出版公司)。2013年8月発売のもの。※26冊目の単著として数えている。『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』を27冊目として数える。
中国語版には、注釈がつけられている。
友川カズキの2014年1月発売のニューアルバム『復讐バーボン』の帯文を書く。
"夜と夜と夜──友川さんの歌に朝はない。/ 寂しく明日を待つ永遠の夜と夜と夜だ。 西村賢太(作家)"
2013年11月28日
新潮文庫『寒灯・腐泥の果実』の見本が届く。中江有里の解説を再読する。28冊目の単著。
夜7時、新宿で知人と合流。末広亭で夜席を聴いて、焼肉を食べて解散。
帰室。
「したてに居丈高」第54回を書く。その途中に玉袋筋太郎から携帯メール。浮気がバレた件。
バイク便で届けられた「疒の歌」第3回のゲラ。
2013年11月29日
藤澤淸造月命日。
「疒の歌」第3回のゲラ。「途中、出来上がった分からファクシミリで戻してゆく」と述べている。夜8時に終了。
鶯谷「信濃路」で飲み食い。
帰室。
2013年12月
2013年12月1日
サウナ。
酒井順子の新刊『ユーミンの罪』(講談社現代新書)を読む。
田中慎弥の新刊長篇『燃える家』(講談社)を途中まで読む。
帰途。(帰室等の記述なし)
ワタナベエンターテインメントを経由して送られてきたソフト・オン・デマンドのAV(アダルトビデオ)のうち4本を鑑賞する。同社の年末恒例イベントにて<西村賢太賞>が創設されたので、グループ内26レーベルのエントリー作品から受賞作品を決めるため。「公正な審査の為、全作オナ禁にて鑑賞に臨むつもり」と述べている。
2013年12月2日
『燃える家』を3分の2まで読む。
AVを1本鑑賞(審査)する。
夕方5時半に外出。
所用を済ませる。
鶴巻町の「砂場」で田畑氏と飲み食い。
帰室。
AVを3本鑑賞(審査)する。
2013年12月3日
サウナ。
『燃える家』読了。
町田康の新刊エッセイ『ネコのよびごえ』(講談社)を読む。
AV3本を鑑賞(審査)する。残り15本。「これはいい仕事(傍点)と云えば、誠にいい仕事(傍点)ではある」と述べている。
2013年12月4日
AV1本を鑑賞(審査)する。
フジテレビの湾岸スタジオで、ゴールデンタイムのクイズ番組「ペケ×ポン 2時間SP」2013年12月20日放送分の収録。
前室で、伊集院光と顔を合わせたとき、玉袋筋太郎『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝」を激賞し合う。
帰室。
AV3本を鑑賞(審査)する。
2013年12月5日
AV4本を鑑賞(審査)する。「やはりオナ禁が、きつくなる」と述べている。
帰宅。
「したてに居丈高」第55回を書く。
2013年12月10日
木内昇の新刊長篇『櫛挽道守』(集英社)を半分読む。
『毎日新聞』2013年12月22日掲載の日曜読書欄の原稿を書く。
「したてに居丈高」第56回を書く。
2013年12月11日
『櫛挽道守』を読了。
届いていた文芸誌のうち、掌篇(「貫多、激怒す――または『或る中年男の独言』」)所載『すばる』2014年1月号、「疒の歌」第3回所載『新潮』2014年1月号、エッセイ(「サイン」)所載『文學界』2014年1月号を開く。「いずれも自分のページのところのみチラ見する」と述べている。
新潮社経由で届いていた女性誌『Domani』2013年12月号・女優の高田聖子氏の連載コラムに西村賢太の話題。「面白い内容」と述べている。
『週刊プレイボーイ』2013年12月23日号? 風俗関連のインタビューを開く。
夜8時半に、鶯谷「信濃路」で、『en-taxi』の田中陽子編輯長と打ち合わせ。
夜9時半から、同所で『すばる』の清田編輯長と合流して打ち合わせ。
「風花」に流れたところ、上京中の藤野可織と遭遇する。「他に、頭のネジがいかれてる感じの者にも遭遇。取るにも足りぬ」と述べている。
2013年12月12日
サウナ。
『野性時代』2014年1月号が届く。この号から「一私小説書きの日乗」の副題を「野性の章」と改めた。
「東京者がたり」第18回<音羽>篇のゲラ。
ソフト・オン・デマンドの<西村賢太賞>受賞作をキメて、ワタナベエンターテインメントの土居市に連絡する。発表イベントの開催日は2013年12月20日。
『文學界』用の短篇(「邪煙の充ちゆく」)を手につけ始める。
2013年12月13日
『東京スポーツ』2014年新春特大号用のエッセイを書く。
サウナ。
帰室。
「邪煙の充ちゆく」の続きを書く。
「疒の歌」第4回の原稿を気にしつつ「ものごとを並行してできぬ質なので、どうにも止むを得ない」と述べている。日乗の締め切りも気にしている。
雑用2つを片す。
2013年12月14日
「邪煙の充ちゆく」の下書き分を清書する。11枚。
半蔵門のTOKYO MXは「怒りの降板」事件以降、出禁になっているため、麹町警察署の横で、TOKYO MXの番組終わりの玉袋筋太郎と待ち合わせ。
マネージャーの吉田氏が運転するワゴン車で玉袋筋太郎が到着。同乗して、高田文夫宅のマンションまで行き、高田文夫を拾う。
中野の玉袋筋太郎行きつけの日本料理屋にて3人だけの忘年会。高田文夫は八時間心肺停止で倒れたあと回復した。ふぐ料理やヒレ酒のフルコース。「四時間、爆笑の連続」と述べている。その後、高田文夫を自宅まで送り、玉袋筋太郎と共同でポチ袋を差し出す。受け取ってもらう。「最高の一夜」と述べている。
そのあと玉袋筋太郎と「風花」へ。
2013年12月15日
サウナ。
終日、「邪煙の充ちゆく」を書く。
2013年12月16日
日中、「邪煙の充ちゆく」の前日下書きの清書をする。
夜は、同じく「邪煙の充ちゆく」の下書きの続き。
田畑氏に連絡して、12月19日期限だった今月校了号の「疒の歌」第4回提出が無理である旨を告げる。「白旗を掲げる」と述べている。
2013年12月17日
外食。
帰室。
「一私小説書きの日乗」を書く。
夜7時半に、帝国ホテルの野間三賞のパーティーに赴く。田畑氏と合流。
野間文芸新人賞を受賞したいとうせいこうに「遠くより心中にて祝意」を述べている。
会場内で矢野編輯長と顔を合わせる。田畑氏は「緊張を孕んだ気まずそうな表情に変わる」と述べている。
矢野編輯長に対して「疒の歌」第4回を落とした件について謝罪する。
町田康とも顔を合わせる。『文學界』の森氏とも会う。
『小説現代』の柴崎氏とも会い、田畑氏と共に鶯谷「信濃路」で飲み食いする。
2013年12月18日
サウナ。
「邪煙の充ちゆく」の掲載月を1ヶ月早く考えて作業を進めていたことに気づく。※この勘違いのせいで、「疒の歌」第4回を落としてしまったことを悔やんでいる。
帰室。
高橋三千綱の新刊『黄金の鯉 大江戸剣聖一心斎』(双葉文庫)を読む。
2013年12月19日
角川書店から、単行本『一私小説書きの日乗 憤怒の章』の見本が届く。29冊目となる単著。※カバー表裏と中扉の装画を提供してくれた信濃八太郎を絶賛している。「この点は氏に任せておけば間違いがない」
2013年12月20日
サウナ。
紀尾井町のホテルニューオータニのメインの方で、ソフト・オン・デマンド大賞のパーティーに出席。<西村賢太賞>の贈呈役。出番は15分程度。
帰室。
藤澤淸造の随筆をあれこれ読み返す。
2013年12月21日
原宿のブックカフェで、BSフジの本の番組「原宿ブックカフェ」2013年1月28日・2013年1月25日放送分にゲスト出演。
2013年12月24日収録予定だったクイズ番組が「バラシ」になったので、「原宿ブックカフェ」が年内最後のアルバイト仕事となる。
帰室。
「したてに居丈高」第58回を書く。年内最後の本業締め切り。
2013年12月22日
サウナ。
コンビニで、『毎日新聞』2013年12月22日を購める。日曜読書欄の「この3冊」に無頼派について書いたものを確認するため。藤澤淸造・葛西善蔵・田中英光、そして西村賢太自身の似顔絵イラストを和田誠が担当しているもの。「記念に、更に三部買い足す」と述べている。
帰室。
新潮社からの寄贈を受けている『山本周五郎長篇小説全集』の最新配本である第8巻「正雪記」(上)を途中まで読む。「初読。面白い」と述べている。
2013年12月23日
サウナ。
夜7時15分の到着を目指して西新宿のヒルトン東京に向かう。招待された稲垣潤一のディナーショーに出席するため。「久方ぶりにスーツにネクタイ着用の上」と述べている。
ディナーは固辞して、8時からのショーの方のみ出席。終了後、控え室に行き稲垣潤一の妻に挨拶する。
2013年12月27日
出先より帰室。
あらためて外出。
西新宿の「かに道楽」で、恒例の『新潮』忘年会に出席する。「年に一度の矢野編輯長との休戦日。但(ただし)、この会は今年で取りやめるつもり。やはり不快」と述べている。矢野氏、田畑氏、新潮社出版部の桜井氏、文庫部の杉原氏も出席。
毛蟹の甲羅味噌はあと一匹分しか在庫がない状態。「当然これは、仕方なく矢野編輯長に献上するかたちとなる」と述べている。矢野氏は「さして悪びれもせず、ごく当たり前のことのようにして、それを我が物とす。恐るべきパワハラ」と述べている。※ユーモアを感じるので賢太が心の底から怒っている印象はない。いつでも食べられるだろうし蟹味噌くらい。
そのあと「風花」に流れる。矢野氏と田畑氏。「風花」の店の女性たちオールメンバーが揃って忘年会が開かれていた。「島田雅彦氏に、いつホテトルを奢るのか、と難詰される」と述べている。「そう云えば三年前の芥川賞受賞時に、拙作を推して下すった銓衡委員の一人である氏には、その直後にホテトルを奢る旨お約束し、あと、それっきりとなっていた」と述べている。
2013年12月28日
サウナ。
『山本周五郎長篇小説全集』第8巻所収の「正雪記」を同時刊行第9巻(「正雪記」下巻)を読み終える。
佐伯一麦の最新刊『渡良瀬』(岩波書店)を読み始める。
夜、年賀状を25枚書く。
2013年12月29日
藤澤淸造月命日。
サウナ。
帰途のコンビニで『東京スポーツ』2014年新春特大号を購める。随筆「殺風景なわが熊手」を掲載しているため。
新潮社より届いていた、小島慶子のエッセイ集(『解縛 しんどい親から自由になる』)のゲラ刷りを読む。帯文を依頼されているため。
晩酌でマルシンハンバーグを食べる。
2013年12月30日
佐伯一麦『渡良瀬』を読了。
『山本周五郎長篇小説全集』の「火の杯」のゲラ刷りを読む。解説を書くため。
2013年12月31日
サウナ。
池袋の西口の東武デパートへ行く。地下食品売り場で食料の調達をするため。
「今年は去年よりも、仕事の量でははるかに勝さっていた。そこそこ、よく働いた方だと自画自賛しつつ、深更より晩酌」と述べている。
「疒の歌」第4回の連載原稿を落としてしまったことについて「返す返すも無念」と述べている。
*野性の章つづく