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第1章 浅草 朝から夜中まで(10)

生き物のごとく 七時

 夜の幕が落ちて来ると、今や五彩の光りは輝きはじめ、浅草は生物のごとく、むくむくと起きあがって、その精悍溌溂さを主張するもののごとく、第二段の活動を始めるのである。
 この頃から、一日の営みを終えた人々は、光の中に、甘い滋養を吸おうとして、集まって来るのだ。
 興行館では、女給が、表方が、弁士が、楽士が、役者が、改めて緊張する。
 飲食店では皿小鉢が音を高く立てる、女中が飛び交う。
 池の端、伝法院横には、夜店が並び、田原町から雷門への電車通りには、食べ物屋の屋台が長蛇の一列。
 飾窓(註※ショーウィンドウ)には新柄モスリン、流行の薄いシヨール、パラソル、帽子、下駄──。店の中からラヂオの饒舌が往来へ飛び出す。
 露天商人は、各々の商品の効能についてまくし立てる。モスリン、古着、靴墨、汚染抜液、古本、バナナ、おでん、さざえ壷焼、アイスクリーム、ラムネ、化粧品屋、植木屋、ブロマイド屋、靴
屋、草履屋、表札屋、ゴム活字屋。──あらゆる物が露店にさらされている。
 夕刊、夕刊、雷門に夕刊を売っているお爺さんは、もう二十年も夕刊を売っている。新聞を売るために、生まれて来たのに違いない。何の閃きもない、艶の失せた顔だが、また、苦しみのない、聖者のような顔でもある。
 杭のように人の激流に洗われているから、あんなに艶が失せたのだろうか。彼はきっと、未だに六区の光彩を見たことはないだろう。なぜって、彼がその持ち場を離れたことはまた絶対にないからだ。

底本

浅草底流記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916565/30
コマ番号 30~31