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第9章 浮浪者の天国(2)

ヅケ集めの贅沢

 塵芥箱の脇で、蠢いている物影。
 洋食店の裏口とおぼしきそこに、思わず立ち止まって見ると、何をか漁っているのだ。やがて破れ衣を昆布のごとくひきずッた姿は、闇から闇へ立ち去って行く。
 食うことなくして一日も生きられない。浮浪者は何を食って生きているか。
 飲食店の残食物が彼らの生命を保つ。
 まったく、労働もせず、出来ず、行乞もせず、一文の収入もない者で、飲食店の塵芥箱をうろうろと漁り廻って、半ば腐敗した、臭気をも平気で食っている者がある。彼らは廃物、腐敗物を食って、しかも伝染病にも悪疾にも罹らないのである。
 しかし、わが浅草の一大飲食店街においては、何も腐敗物に俟つ必要はないのだ。
「ヅケ」と称する、新鮮な残食物が彼らを待っている。この種の無料供給が、浅草における一つの規律をさえ成している。俗に「ヅケ集め」といって、これを貰いに来るのが浮浪者の重要な日課なのである。
「ヅケ集め」には、各自の縄張りがあって、「ヅケ」の謝礼の意味で、浮浪者はその店の附近の掃除をして行く慣習がある。
 飲食店は、捨てる物でも、食うに耐える物は、これを塵芥箱の上またはその附近に置いておくのである。すなわち浮浪者への「プレゼント」である。塵芥箱の中へ捨ててしまっても浮浪者はこれを漁るであろう。だから、これを箱の上に置くというだけの話なのだが、このわずかな境に、何かしらが、流れているように思える。

 塵芥箱漁りの浮浪者が、実に贅沢であることは、「カツなんか食い飽きた」の話によっても明らかだが、またある蕎麦屋の裏口で、こんな小景を見たことがある。
 客が食い終わったかけの丼の底に残ってるそばやうどんの切れぱしを、ザルに空けてたまった奴を裏に出して置いたのだ。そこへ「ヅケ集め」の浮浪者が来た。彼は黙って叩頭をして、それを食いにかかった。
 が、彼は渋紙のような顔をちょっとゆがめると、蕎麦屋の主人の方をチラと見やってから、そこの泥溝板の掃除口の四角い蓋をあけて、そのそばの切れぱしを放り込んでしまった。入れ物を返して、彼は、
「どうも御馳走さん」
 と声をかけた。と、振り向いた主人は、
「オヤッ、もう食っちゃったのか。」
「ヘイ。」
「いやに早えじゃねえか。てめえ食わなかったんだろう。」
「いいえ、頂戴しやした。」
「何、どうも早過ぎる。捨てやがったな。もうてめえにゃアとっといて遣らねえぞ。」
「いえ、そんなこたアありやせんよ。へえ、どうも、御馳走さんでした。」
 と歩き出しながらその浮浪者は、
「フェッ、なんぼヅケ屋だって、あんなものォ食えるかい。」
 と呟いたのを、私は聴いたのである。

底本

浅草底流記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916565/106
コマ番号 106~108