第一章 宿疾
午前中のことは一切知らないが、私が起きてからも其の日は、まるで底翳(※眼病)の目でも見るように、どんよりと曇っていて、其の陰氣さと云ったらないのだ。それに、一夜の中に秋が押しよせてでもきたように、四邊の風物が皆うすら寂しく白けて見えるのだ。私が寢卷にしている、洗いざらしの白地の浴衣を一枚つけていると、不意に剃刀でも突きつけられたような冷たさが、全身へしみてくるのだ。殊に襟元などは、厭にぞくぞくとしてきて、何となく味氣ない思いさえしてくるのだ。
一つはそう云った陽氣のせいからでもあろうが、其の日はまた、もう私が目を覺ました時から、私の左脚に持っている、宿疾の骨髓炎が痛みだしてきて、其の不愉快さと云ったらないのだ。私が顔を洗ってから、自分の部屋の机の前へきて坐って、病める方の脚を前へ投げだしていると、何時の間にか、内へ多量な瓦斯を注入されているような、ある壓力を感じてくるのだ。そして、それに依って、骨格の内の内なる骨髓に潜在している黴菌が一段と其の發生を助けられて、刻刻に化膿しつつあるもののような鈍痛さを覺えるのだ。で、私は氣になって溜らないところから、左手の中指でもって、患部を押してみると、骨格其のものまで、例えば一疋の二十日鼠が暇にあかして、石をもなお嚙みやぶりそうな、あの微細で、しかも銳利な齒でもって、窃にそれを嚙みつづけているのを目にするような苦痛を感ずるのだ。だから今度は其の指を引いて、掌でもって上から一面に、靜にそれを撫していると、なんのことはない、地下へ布設されたる地雷火が、今まさに爆發しようとして、點じられたる口火の延燒してくるのを、凝と待っている時のそれを見詰めているような、一種名狀しがたいある不安を覺えるのだ。
若しこれが、何時ものように、ただ一時季節の變化につれての現われであって、其の中に影をひそめてくれるなら、もう問題ではない。だがしかし、不幸にしてこれが、飽くまで經過不良で押しとおしてきて、化膿に次ぐ化膿をもってしたとどのつまりが、どうでも手術をしなければいけないとなった日には、どうしたら好いのだと思うと、私の心は、もう地雷火にかかったように、粉微塵になってしまった。其の時私は、ただ一圖に金が欲しくなってきた。そうだ。金さえあれば、明日をも待たず今から飛んでいって、名醫の診察を受けてみよう。其の上で、入院しなければならないものなら入院もしよう。若し手術をしなければならないものなら、直ぐ手術も受けようと思うにつけても、貧しい身の上が悲しまれてきた。全く今のように窮迫していては、一日十錢の買い薬をするのも、なかなか容易な業ではない。と云って、現在自分の知っている限りでは、誰一人あって、私の力になってくれるような者はありやしない。第一私には、ただの一軒だって、自分の窮狀を訴えて行くところがありやしない。だからこうして、日を追うてだんだん苦痛が加ってきて歩行も自由にならなくなってきたら、其の時は仕方がない。私とは過去になんらの關係がないだけに、私の最も嫌忌するところではあるが、あの區役所へでも泣きついて、何分の手當なり、方法なりを仰ぐことにでもするより外はないと思うと、私の心は、暗く墓の中へでも入って行くようになってくるのだ。
で、私は今更に、身の貧しさ、無知無能さを思い、そして、絶えず不治の疾患に惱まされなければならない哀れさを考えながら、仰向けに倒れて、凝と目を瞑っていた。がしかし、生ある者の悲しさには、そうはしていても、果てしなき思いはそれからそれと、蜘蛛の糸でも手繰るように、打ちつづいてくるのだ。──自分は今後どうして生きて行かなければならないのだ。自分は何をしなければならないのだ。そうだ。それより先自分には如何なる能力があるのだと考えてくると、私はいきなり魂を奪いさられでもした者のようになってくるのだった。ただ私が其の時感じたものは、無知無能な自分を痛むことの外には何もなかった。其の痛みは、死と隣りしたもののようになって、徒らに、私に無限の悲哀のみ齎してきた。そして、ともすれば其の悲哀は、我れと我が身を、隣りしている死の手へ渡そうともしたが、しかし、極度に自殺を卑しみ、且つそれを憎んでやまない心の働きに依って、纔にそれからだけは免がれることが出來たが、相次いで起ってきた問題はなお此の上にも生きて行こうとするには、何を措いても其の用意をしなければならないと云うことだった。それは、明日をも問わず、今日も今から──こう云っている今から始まるのだ。始めなければならぬのだと思うと、私は期せずして、現在自分が勤めている、ある靑年雜誌の訪問を思いだしてきた。そうだ。未來と云うものは、過去を絕して現在を考えられないように、現在を外にしては一歩も始めらるべきものではないと云う、此の分り切った論理の上に立たせられた私は、其の時また當然に、自分の現在やっている訪問記者と云う職業を思いだしてきた。
無論其處には、自殺にも比すべき卑醜さ憎惡さを、同時に併せ感じなければならなかったけれども、現在私に許されている職業と云うものは、それを外にしてはないのだと思うと、幾分心を安んじて、それに對することが出來てきた。そして、自分にもっともっと、新な能力が得られるまでは、それに伴う卑醜さ憎惡さをも忍んで力めることにするのだと思うと、其の時また、何處からか飛んできた一羽の鴉が、とある寺院の屋根へきてとまったように、私の心へ思いついてきたのは、明日か明後日、それをどんなに後らしても、明後日は尋ねなければならぬ、伊東博士のことだった。すると今度は、それが定められた出發點ででもあるようにして、私の心は、また現在痛みつつある私の脚へ歸ってきた。そしてまたしてもいろいろと、其の經過如何が案じられてきた。だが、これがどう云う結果になるかは、一に今後の經過に徴して(※照らし合わせて)みなければ分らないが、しかし一方糊口の問題は、もう今日明日に迫っているのだから、全然歩行が出來なくならない限り、二三日中には、是非伊東博士を訪問しなければならないと思うと、今度はまた新に、着物のことが氣になってきた。
何しろ世間の人達は、袷に袷羽織を重ねていようと云う時に、なんぼなんでも、自分のように洗いざらしの安單衣を纒っていては、自分獨りでいる時はとにかく、人を訪問する日になると、流石に氣が引けてくる。だから私は、どうにかして、伊東博士を訪問するまでに、物はなんでも構わないから、袷を一枚欲しくなってきた。ところで、現在の自分には、それを購求する金などは持っていない。と云って、それを商っているところには、ただの一軒だって近づきはない。こう云うことなら、此の春まで着ていた袷や袷羽織は、屑屋などへ賣るのではなかったと思ったところで、もう追っつかない。あれはあれで、自分には當時缺くべからざる必要から、賣り拂わなければならなかったのだ。よしそれか、一夜の買淫料に當てたにしたところで少くとも當時の自分には、他人が米鹽(※米と鹽)を買いに行くと同樣の必要からきていたのだと思って、其のことはそれで諦めたものの、諦められないのは、今度また必要になってきた袷のことだ。これをどうにかして、手に入れたいと思っていろいろと考えている中に、ふと思いついたのは石崎のところだった。そうだ。彼に事情を云って賴んでみたら、素氣なく拒絕するようなことはあるまい。彼も決してそれを喜びはしないだろうが、しかし事情を明して賴んだなら、屹度着古しの一枚位は惠んでくれるだろうと思った。で、それと思いつくと、一方脚のことが氣になりながらも、行ってみなければ凝と坐って居れなくなってきた。と云うのは、これも貧乏人のあさましさで、當ってみて、本當にそれを手にするまでは、少しも安心出來ないところからだ。
それと、其の時も一つ進まぬ私の氣を引きたてて、石崎のところへ出向かせた理由があった。それはなんだと言えば、私は起きてからまだ飯も食いに行かずに、まる半日と云うものを、そう云った風な悲しいことばかり思いつづけていたので、もう日が陰ってくると私はなんとも云えない寂しさを覺えてきたからだ。こう云う時には、誰でも好いから、友達でもきてくれたらと思ったけれど、誰一人尋ねてくる者と云ってはなかった。若しか今日あたりは、岡田がやってきはしないかとおもってみたけれど、彼もついぞ顔を見せなかった。もう彼がこなくなってから、五六日にもなるが、其の後どうしているのだろう。屹度彼は、職をみつけて歩くのだろうと私は思った。で、外からくる者は、くる日もあればこない日もあるから、それは當てにはならないが、其の日はまたどうしたのか、每日屹度二三時間は、此方から行くか向うからくるかして、無駄話をし合うことになっている同宿の吉川まで、其の日は早朝から外出したとか云うのでもって、とうとう話合うどころか、顔を合すことも出來なかった。それやこれやで、それこそ私は獨り、深山の奧に取りのこされたようにされたところから、少し位は無理をしても、石崎のところへ行ってみたくて溜らなくなってきたのだ。
で、私が宿を出る時に、天氣が案じられたから、用意の爲に傘を持って行こうかと思ったけれども、足には半月ばかり前に、十三錢出して買った山桐の下駄を履いて行くのだから、一つはそれとの調和も考えて、持たずに出掛けたのだ。そして、若し降りになったら石崎のところから借りてくることにしようと思ったのだ。それとも一つ、私は飯を食べて行こうかと思ったが、しかし、これも中をあらためて見るまでもなく、其の時私の持っていた蝦蟇口の中には五十錢あるかなしだったから、そうだ、飯は後廻しにしろと云うのでもって、私は食わずに出掛けることにしたのだ。と云うのは、若し向うでそれと察して、飯を出してくれれば、なんのことはない一飯助かるからだ。それが外れれば、歸りにおでん屋へ寄って、茶飯を食べてもことは足りると思ったところから、私は態と食べずに出掛けたのだ。
無論私は其の時も、自から身を勞せずして、徒らに人の厚意をのみ當てに、生活しようとする自分の心情に對しては、泣くに泣けないようなさもしさ悲しさを感じた。終いには、自分で自分を蹴殺してしまいたいと思うほど憤りをも覺えた。が同時に、無知無能な上に、極度の貧乏人に生れついている私は、今暫く、自分を守って行けるだけの力を獲得するまでは、其の卑醜くさ、その慚愧さを忍ばなければならぬと云う考えに制せられて、その癖、蛇に見込まれている蛙のように、顫えがちな心を抱きしめながら、とにかく出掛けることにしたのだ。
外へ出てからも私は、一日も早く今の境遇から脫したいと思って、どんなに頭を惱ましたか知れない。其の方法は、ちょっとつかなければつかないだけ、私はあの子供が積木をしているように、幾度積んでは壞し、壞しては積んで、味氣ない思いを繰返えしたか知れない。そうだ、一日も早く自分も、他の下宿人にように、間だけ借りているのではなく、賄付になりたい。そうすれば、三度三度食事をしに、一一外へ出掛ける必要もなくなるのだ。現在自分がそれを嫌っているのは、月に十圓と十五圓と纒った金を拂えるかどうかが疑われるところから、苦痛ではあるが現金でもって、近くの飯屋へ通って、ようやく飢えを凌いでいるのだが、早くこう云った慘めな境遇から足を洗いたい。でなければ、現にまた、明日か明後日、飯代の工夫に出掛けねばならないと思うと、私はもう目も眩んできて、行く手も分らなくなってしまった。