第二章 祈念

 それからわたしは、はくさんて、からでんしやったのだ。するとこんは、いしざきざいざいになってきた。わばびようしてのほうもんも、かれざいあいには、ぜんぜんなものになってしまうどうだから、なによりもあい、それがになってならなかった。だからときは、ただ一ねんかれざいたくであれかしと、それのみねんさせられた。ところでってみて、さいわいかれざいたくしていてくれるのはいが、まんいちりだしてみて、そっなくきよぜつされるようなことがあったらどうしようとおもうと、たまらなくあんになってきた。ちようそれは、ぶんかんしゆしているしゆうじんとうそうされたあとの、かんしゆこころちにもあんさだった。

 いしざきうちというのは、うしごめらいだった。らいぐらざかゆう便びんきよくさきの、おながわよこちようはいっていって、ずっとひだりほうまがっていった、みぎうえだった。で、わたしはまだころは、でんしやおおしん宿じゆくきがなかったぶんだったから、ぐらざかしたでんしやをおりると、さかのぼっていった。そして、ぐらざかゆう便びんきよくまえまでくるあいだに、またたまらなくさびしいおもいをさせられた。えば、それはりようがわてつらなるふくはきものようふくとりようひんなどのてんとうると、わたしはまたに、しみじみとぶんのうびんぼうさをかんがえねばならなかったからだ。

 それに、さかのぼりつめたところから、さかなちようかどまでのあいだは、べっしてひとどおりがおおかった。おそらくはそれらのひとたちは、しよくさんをかねて、いらをおうらいしているのであろう。ひとたちようぼうたいかくにすると、にまたまた、わたしふかぶんけんこうさをおもわねばならなかった。しそうがんぼうかなえるものなら、はんとしや一ねんおそうまれてもい。わたしはもっとけんこうからだうまれつきたかった。わたしいまのようなびようしんでなかったら、にちじようきよにもこんなろうはしなかっただろう。よしびんぼうはしていても、けんこうでさえあったら、もっとたのしく、こころやすらかにおくることがただろう。のようなへいをゆくにも、なおびっこきながらあしはこばねばならぬとう、そんな便べんみにくさがあるだろうか。それをおもうとわたしは、ひたすらのろわれたようなぶんからだうらめしくなってきた。

 だがしかし、これはうんで、いまさらどうすることもないことだとうなら、わたしいさぎよくそれはあきらめもしよう。かわわたしには、ひとつのじようけんがある。それはなんだとえば、わたしばいしようとして、いっしようひんなにものたるかをらないていの、ゆうぶんにしてもらいたい。そしたらたとえいっぽうしっかんがついてまわろうとも、ときかねかしてそれぞれのてもこうぜられるだろう。またほかよくぼうも、りあまるかねって、はんたっすることがるであろう。はやはなしが、わたしが、そうぶんだったら、すくなくともこんにちこんびようしてまで、とおりをするようなさんさからまぬかれることがたであろう。そうおもうと、わたしあたまからげきろうびたように、ぜんしんどうようするのをおぼえた。どうに、ときばかりは、せいとうとさもおもさも、いっさいていしたくなってきた。それどころか、ときむしかなしさいたましさにくことのやすきをおもうのねんむねいっぱいになってしまった。だからわたしは、わたししようねんだいに、いまはもうくなってしまったあねかれてとおったことのある、いんどうひととおっているように、じっせてあるいてきた。

 やがて、ゆう便びんきよくまえとおりすぎて、みぎよこちようまがいりぐちのところへくると、こんすべてのかんがえがまたもとかえって、いしざきざいざいになってきた。それとざいたくしているとしてからが、わたししんかいだくしてくれるかどうか、それがあらたもんになってきた。

 いしざきは、何方どちらかとえば、ぜんりようにんげんにはそうない。しようには、かれわたしたちゆうじんかんでは、うてのがままものであり、たんりよいってつにんげんだ。たとえば、ることは、いのちにもえてたすかわりに、はんたいにそまないあいには、いささかりよもなく、べてあしにしなければやまなかった。かれが、わたしなどとちがって、くまでゆううちていらしいちようしよたんしよっていた。それがときことわたしづかわれてきた。だからわたしまでくると、いっさいことのせいを、かれたいだんうえけっすることにしようとおもいながらも、こころうちでは、かれいたおこしていないように、またかねろうしたあとなどでないようにとおもって、そればかりをねんさせられた。