第二章 祈念
それから私は、白山へ出て、其處から電車に乘ったのだ。すると今度は、石崎の在不在が氣になってきた。云わば病軀を押しての訪問も、彼が不在の場合には、全然無意味なものになってしまう道理だから、何よりも此の場合、それが氣になってならなかった。だから其の時は、ただ一念彼が在宅であれかしと、それのみ祈念させられた。ところで行ってみて、幸と彼が在宅していてくれるのは好いが、萬一切りだしてみて、素氣なく拒絕されるようなことがあったらどうしようと思うと、溜らなく不安になってきた。丁度それは、自分が看守している囚人に逃走された後の、其の看守の心持ちにも似た不安さだった。
石崎の家というのは、牛込の矢來だった。矢來は神樂坂郵便局の先の、同じ側の横丁を入っていって、ずっと左の方へ曲っていった、右手の土手の上だった。で、私はまだ其の頃は、電車は大久保新宿行きがなかった時分だったから、神樂坂下で電車をおりると、其處の坂を上っていった。そして、神樂坂郵便局の前までくる間に、また溜らなく寂しい思いをさせられた。何故と云えば、それは兩側に建てつらなる呉服屋、履物屋、洋服屋、鳥屋、洋品屋などの店頭を見ると、私はまた其處に、しみじみと自分の無能さ貧乏さを考えねばならなかったからだ。
それに、坂を上りつめたところから、肴町の四つ角までの間は、別して人通りが多かった。恐らくはそれらの人達は、食後の散歩をかねて、其處いらを往來しているのであろう。其の人達の容貌や體格を目にすると、其處にまたまた、私は深く自分の不健康さを思わねばならなかった。若しそう云う願望が叶えるものなら、半年や一年遅く生れても好い。私はもっと健康な體に生れつきたかった。私が今のような病身でなかったら、日常の起居座臥にもこんな苦勞はしなかっただろう。よし貧乏はしていても、健康でさえあったら、もっと樂しく、心安らかに其の日其の日を送ることが出來ただろう。砥のような平地をゆくにも、なお跛を引きながら足を運ばねばならぬと云う、そんな不便さ醜さがあるだろうか。それを思うと私は、只管に呪われたような自分の體が恨めしくなってきた。
だがしかし、これは身の不運で、今更どうすることも出來ないことだと云うなら、私も潔くそれは諦めもしよう。其の代り私には、其處に一つの條件がある。それはなんだと云えば、私は其の賠償として、一生貧苦の何物たるかを知らない程度の、富裕な身分にして貰いたい。そしたらたとえ一方に不治の疾患がついて廻ろうとも、其の時は金に飽かしてそれぞれの手當ても講ぜられるだろう。また其の他の慾望も、有りあまる金に依って、過半は達することが出來るであろう。早い話が、若し此の私が、そう云う身分だったら、少くとも今日今夜、病軀を押してまで、此の通りを徒歩するような悲慘さから免かれることが出來たであろう。そう思うと、私は不意に頭から激浪を浴びたように、全身の動搖するのを覺えた。同時に、其の時ばかりは、生の尊さも重さも、一切否定したくなってきた。それどころか、其の時は寧ろ死の悲しさいたましさに就くことの安きを思うの念で胸が一杯になってしまった。だから私は、私の少年時代に、今はもう亡くなってしまった姉に手を引かれて通ったことのある、寺院の後堂を獨り通っているように、凝と目を伏せて歩いてきた。
やがて、郵便局の前も通りすぎて、右手の横丁へ曲る入口のところへくると、今度は凡ての考えがまた元へ返って、石崎の在不在が氣になってきた。それと在宅しているとしてからが、私の無心を快諾してくれるかどうか、それが新に疑問になってきた。
石崎は、何方かと云えば、善良な人間には相違ない。其の證據には、彼は私達友人間では、名うての我がまま者であり、短慮一徹な人間だ。例えば、氣に入ることは、命にも換えて果たす代りに、反對に氣にそまない場合には、些の顧慮もなく、凡べて足蹴にしなければやまなかった。其處に彼が、私などと違って、飽くまで富裕な家の子弟らしい長所短所を持っていた。それが其の時、殊に私に氣遣われてきた。だから私は其處までくると、一切ことの成否を、彼と對談の上で決することにしようと思いながらも、心の中では、彼が齒痛を起していないように、また金を浪費した後などでないようにと思って、そればかりを祈念させられた。