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続おれとこなちゃん(1)

こなちゃんの食べ方


 おれは柊つかさである。
 陵桜学園高等学校の2年E組に所属している。
 こなちゃんも同じクラスである。

 こなちゃんとおれは仲が良いので、おれは椅子をこなちゃんの机のそばに移動して、持参した弁当を広げて、こなちゃんと昼食を共にする。
 ある日のこなちゃんの昼食。チョココロネがひとつ。飲みものは瓶に入った牛乳である。小さい菓子パンと200ミリリットル程度の牛乳。こなちゃんは小柄なので胃も小さいのだろう。かわいい。

 こなちゃんと昼飯を食べているとき、食べ物の話題になった。
 たとえば、こなちゃんは目玉焼きの黄身をいつも半熟に仕上げて食べるらしい。その食べ方をこなちゃんが好むというよりも、こなちゃんのお父さんの好みの食べ方だという。
 こなちゃんのお母さんは、こなちゃんが幼い頃に亡くなっている。だから、こなちゃんはお父さんと二人で暮らす父子家庭である。父と娘が二人きりの生活だから、父親の好みに染まっていくのは自然なことだ。ちなみに、こなちゃんは目玉焼きに味をつけるときは醤油をかけるらしい。
 つかさは、目玉焼きにマヨネーズをかけて食べるという。おれは柊つかさだが、同時におれでもある。
 おれは目玉焼きにマヨネーズはかけない。かけるとしても、主食が米飯かパンかによって異なる。米食のときは目玉焼きに醤油。パン食のときにはトマトケチャップで味付けする。白飯はもちろんのことパンであっても目玉焼きにウスターソースをかけて食べることなど皆無だ。

 こなちゃん曰く、カレーライスの種類によってはソースをかけたり生卵を落として混ぜて食べたりすることがあるらしい。ただし、ウスター、特濃とんかつ、オイスター等、いずれかを断定できる言及はなかった。
 柊つかさはカレーライスにマヨネーズをかけて食べるという。おれは柊つかさだが、そのような食べ方をしたことがない。こなちゃん同様、ウスターソースをかけてカレーライスを食べることはある。
 ちなみに、おれが生卵を落とすタイミングは、白飯に比してカレーソースがきわめて少なくなった頃合いである。その場合にはウスターソースではなく醤油をかけて米飯と混ぜて食う。要するに、卵かけご飯をデザートのようにして食事を〆る。

 ある日の昼休み。お姉ちゃんがやって来た。おれに姉はいないが、おれは柊つかさである。柊つかさには双子の姉がいる。以降、おれは柊つかさの姉のことを「お姉ちゃん」と呼称する。
 お姉ちゃんの名前は「柊かがみ」である。二卵性双生児なので容姿はさほど似ていない。つかさの顔つきは父親に似ており、かがみの顔つきは母親に似ている。

 話を戻す。昼食の時間にお姉ちゃんが訪ねてきた。お姉ちゃんは手に弁当箱を提げてきた。おれやこなちゃんがいる2年E組の教室で共に昼飯を食べるつもりなのだ。
 やがて、こなちゃんの机を囲んで、おれ・お姉ちゃん・こなちゃんのランチタイムが始まった。
 こなちゃんは相変わらずチョココロネを持参して食っている。おれとお姉ちゃんは、自宅から持ってきた弁当を食する。姉妹であり同居しているため弁当の中身は同じである。
 友だち同士のランチタイム。いつものように楽しい時間を過ごせるかと思いきや……なぜか今日に限って、こなちゃんが不穏な発言をおこなってしまう。
 お姉ちゃん ── 柊かがみが、おれたちがいる2年E組によく遊びに来ることを指摘して「自分の教室には友達がいないの?」と揶揄したのである。つまり、こなちゃんはお姉ちゃんのことを「ぼっち」扱いしたのだ。
 お姉ちゃんこと柊かがみは2年D組に所属、おれとこなちゃんは2年E組に所属している。
 確かに、お姉ちゃんが所属しているD組に仲の良い友人がいるのであれば、そちらの付き合いを優先することが多くなるはずだ。おれやこなちゃんのE組に遊びにくることも自然少なくなる。ましてや昼食時間を共に過ごすかどうかは、女子にとって友情の深度を計るものだ。
 おれは柊つかさである。柊かがみの双子の妹である。お姉ちゃんに友達がいるかいないかについては、よく知っている。
 結論からいえば、お姉ちゃんは「ぼっち」ではない。お姉ちゃんが籍を置いている2年D組には、お姉ちゃんと親しい友人が少なくとも2名実在する。おれは妹だから知っている。
 要するに、お姉ちゃんの交友関係について、こなちゃんの指摘や批判は当たらない。こなちゃんの言いがかりである。

 おれはこなちゃんのことが好きだが、こなちゃんの無遠慮すぎる性格には危なっかしさを感じている。特に、お姉ちゃんに対する態度や言動については、目に余ることが多い。親しき仲にも礼儀あり、と思う。
 いずれにせよ、こなちゃんを断罪する気はない。おれにとって、こなちゃんは絶対不可侵の存在である。
 願わくは、どうか心身の成長と共に、こなちゃん自身が気づきを得て、お姉ちゃんだけでなく他者への接し方について悔い改めてくれることを。