第十一章 臆病

 そうだ。おかふさ・・ってから、ふたつきあまりになる。かれかんにおいて、はじめておんなうものをったのだ。おんなのありがたさとうものをったのだ。うまれてはじめて、五おんなあいたいすることがたのだ。かれは、こいうもののうれしさたのしさとともに、またくるしさいたましさをったのだ。

 おかのふたつきあいだに、ふさ・・と十五六かいっていたらしい。わたしいまはっきりかいすうおぼえていないが、なんでもかれは、ふさ・・ったつぎには、きっわたしのところへやってきて、

さくづきへいってきたよ。」とか、また、「うるさくふさ・・のやつがやってきてよわっちゃったよ。昨日きのうぎからやってきて、れまでぐずぐず・・・・してきやがった。」とかったふうほうこくしていったものだ。

 ところで、わたしっているかぎり、おかには、ふさ・・がいには、これとってかぞえるほどのれんあいけんなるものは、ほとんどなかったとってもいくらいだった。すくなくとも、それらしくかたちづくったものは、ひとつもなかったとってもい。てんでは、かれはまさしく、こいはなされたにんげんひとだった。とうのにへいがあるなら、かれは、こいえんどおにんげんひとだった。

 おかふさ・・るまでに、かれぶんたいしようとして、おもいをかけていたおんなは、それまでに二三にんはいた。そうだたしかに三にんはいた。ひとせんぞくちよういんばいだった。ひとは、わたしたちゆうじんこいびとだった。そして、いまひとは、かれしばら宿しゆくをしていたことのあるうちちようじよだった。だがこれは、三にんが三にんとも、みなあわびかたおもいで、せんぞくちよういんばいほかにしては、どうきんなどはおろか、それらしいことわさなければ、がみつうおうふくさえもないとったふうな、ないあいだがらぎなかった。ってみれば、それはみなほうもくてきをもって、トタンべい燐寸マッチりつけているのにもたとえたいような、あわれにもない、いちじようゆめぎなかった。

 それとうのもほかではない。かれびんぼうにんであり、だいおくびようものだったうえに、またいっそうだったからだ。

 はやはなしが、おかせんぞくちよういんばいのところへかよったのは、せいぜい五六かいくらいのものだった。これをかんいてえば、もののひとつきもすると、もうかれしんいんばいのことはわすれたようになっていた。えば、かれくらいんばいぶんっていようとも、もうそれじようかよいつめるりよくがなかったからだ。そして、にはまた、かれりゆうそうしゆはたらいていたからだ。

 これはさきにもちょっと・・・・ったが、かれれんあいじようしゆしやであるとともに、またけっこんそんちようろんじやだった。つまりかれは、つねに、れんあいあとにくるけっこんこそまことけっこんであるとりきせつし、したがってけっこんもくてきとしないれんあいは、一だいざいあくでなければならないとうのがろんだった。それが、きつづきりよくさえなくなったかれむねに、いまさらのようになって、えあがってきたのだ。かれは、ろんはすいとのように、けどもけども、なおみやくみやくとしてきないれんはあっただろうが、とにかくいんばいとのこいだんねんしてしまったのだ。でなおわたしおくそくけくわえてけば、おとこおとこは、あいしろうとあいには、えずにんしんうことがになってまわるように、かれあいいんばいいんばいが、かならずとってもいくらいにっているびようどくおもい、それをおそれるこころが、やがてこいだんねんに、かなりあずかってちからあったものかもれない。だが、それはとにかく、ほかふたおんなうちひとかれゆうじんであり、とうあいたるおんなじようじんだったそれにさまたげられて、かれむねおもいを、あいつたえるひまあたえられずに、むなしくこいやみからやみほうむられてしまったのだ。そして、のこりのひとは、これもかれまずしさ、とぼしさからとどこおらした宿しゆくりようのことからして、一かたらいさえもないうちに、われるようにしててしまって、もうふたは、それかぎえいきゆうはなれてしまわなければならなくなったのだ。だからってみれば、えきっているかれこころへ、ぐうぜんむすびついてきたのがふさ・・だったのだ。それはちようりつづくにっこうもとに、あえあえぎ、わずかめいたもっているくさへ、ぼんえすようになってりそそいでくる、しゆうのそれにもすべきものだったのだ。そして、おかふさ・・ったそもそものどうは、とあるばんに、わたしたちふさ・・のいたづきしる・・みにいったときからはじまるのだ。