第十一章 臆病
そうだ。岡田がふさを知ってから、二月餘りになる。彼は其の期間において、初めて女と云うものを知ったのだ。女のありがたさと云うものを知ったのだ。生れて始めて、五分五分に女と相對することが出來たのだ。其處に彼は、戀と云うもののうれしさ樂しさとともに、また苦しさ痛ましさを知ったのだ。
岡田は此のふた月の間に、ふさと十五六回は逢っていたらしい。私は今はっきり其の回數は覺えていないが、なんでも彼は、ふさと逢った次の日には、屹度私のところへやってきて、
「昨夜三日月へいってきたよ。」とか、また、「うるさくふさのやつがやってきて弱っちゃったよ。昨日も正午過ぎからやってきて、日暮れまでぐずぐずして行きやがった。」とか云った風に報告していったものだ。
ところで、私の知っている限り、岡田には、此のふさ以外には、これと云って數えるほどの戀愛事件なるものは、殆んどなかったと云っても好いくらいだった。少くとも、それらしく形造ったものは、一つもなかったと云っても好い。其の點では、彼はまさしく、戀に見放された人間の一人だった。と云うのに語弊があるなら、彼は、戀に緣遠い人間の一人だった。
岡田がふさを知るまでに、彼は自分の對照として、想いをかけていた女は、それまでに二三人はいた。そうだ確に三人はいた。一人は千束町の淫賣だった。一人は、私達友人の戀人だった。そして、今一人は、彼が暫く下宿をしていたことのある家の長女だった。だがこれは、三人が三人とも、皆鮑の片想いで、千束町の淫賣を外にしては、同衾などはおろか、それらしい言葉も交わさなければ、手紙一通の往復さえもないと云った風な、果敢ない間柄に過ぎなかった。云ってみれば、それは皆放火の目的をもって、トタン塀へ燐寸を擦りつけているのにも譬たいような、哀れにも果敢ない、一場の夢に過ぎなかった。
それと云うのも外ではない。彼は貧乏人であり、大の臆病者だった上に、また一個の理想家だったからだ。
早い話が、岡田が千束町の淫賣のところへ通ったのは、せいぜい五六回くらいのものだった。これを時間に就いて云えば、もののひと月もすると、もう彼自身其の淫賣のことは忘れたようになっていた。何故と云えば、彼は幾くら其の淫賣が自分の氣に入っていようとも、もうそれ以上に通いつめる資力がなかったからだ。そして、其處にはまた、彼一流の理想主義が働いていたからだ。
これは曩にもちょっと云ったが、彼は戀愛至上主義者であるとともに、また結婚尊重論者だった。つまり彼は、常に、戀愛の後にくる結婚こそ眞の結婚であると力說し、從って結婚を目的としない戀愛は、一大罪惡でなければならないと云うのが其の持論だった。それが、引きつづき買い馴染む資力さえなくなった彼の胸に、今更火のようになって、燃えあがってきたのだ。其處で彼は、無論蓮糸のように、引けども引けども、なお脈脈として盡きない未練はあっただろうが、とにかく其の淫賣との戀を斷念してしまったのだ。此處でなお私の憶測を附けくわえて置けば、男と云う男は、其の相手が素人の場合には、絕えず姙娠と云うことが氣になって廻るように、彼は此の場合、淫賣と云う淫賣が、必ずと云っても好いくらいに持っている病毒を思い、それを恐れる心が、やがて此の戀の斷念に、かなり與って力あったものかも知れない。だが、それはとにかく、其の他の二人の女の中一人は彼の友人であり、且つ當の相手たる女の情人だったそれに妨げられて、彼は胸の思いを、其の相手に傳える暇も與えられずに、空しく其の戀も闇から闇に葬られてしまったのだ。そして、殘りの一人は、これも彼の貧しさ、乏しさから滞らした宿料のことからして、一夜の語らいさえも經ない中に、其處を追われるようにして出てしまって、もう二人は、それ限り永久に離れてしまわなければならなくなったのだ。だから云ってみれば、飢えきっている彼の心へ、偶然結びついてきたのがふさだったのだ。それは丁度、照りつづく日光の下に、喘ぎ喘ぎ、纔に餘命を保っている草や木へ、盆を履えすようになって降りそそいでくる、驟雨のそれにも比すべきものだったのだ。そして、岡田がふさを知ったそもそもの動機は、とある晩に、私達がふさのいた三日月と云うしる粉屋へ飮みにいった時からはじまるのだ。