見出し画像

第54節

 それは昨年の後半期のことであった。私は私の手元にある雑誌や新聞に出ている新しい時代の人達の作を注意して読んだことがあった。私は国民新聞に出ている中戸川吉二(※小説家。里見弴に師事)氏の『北村十吉』を読んだ。福岡日々新聞にでている中村白葉(※ロシア文学者。英訳経由ではなく『罪と罰』をロシア語から訳したものは本邦初。中村融は白葉の娘婿で後に中村姓を継いだ)の『蜜蜂のごとく』(※自伝的小説)を読んだ。それから主婦之友に出ている久米正雄氏の『破船』を読んだ。改造(※)に出ている志賀直哉氏の『暗夜行路』を読んだ。
 私がM君にその話をすると、
「何うでした?」
 こうM君は尋いた。
「さア、不思議な気がするね。皆な若いんだからね。一生懸命でラブをしているところを書いているんだからね。一面では、読んでいて馬鹿々々しくなるような気がするよ」
「それだけ年を取ったっていうわけなんですな? 貴方が?」
「それにしても、志賀君なんて、一体、いくつぐらいになるんだね?」
 M君は考えて、
「もう随分、年は取っているでしょう。三十八九でしょう?」
「あ、そうかな、それじゃ無理はないかな。僕もちょうどその自分に『妻』を書いていたから──」
「そういう風なもんですか?」
「それは時代が違っているから、旨い拙いは別としても、その作者の心持は、よく似てると思うね。だから、若いなア! と思うんだよ。志賀君なんか、文壇に出て、もう久しいのに、ああいうものを書いている! こう思うんだよ」
「そうでしょうね」
「無邪気なもんだからね、君。あの鴨川のところで、細君を見染める所なんか、ほう! と思うくらいだからね。やはり、生活に困ったことのない階級出身の作者だっていう気がするね?」
「それで、物は何うです?」
「流石は志賀君だけのことはありますがね………。すっきりとしているにはいますよ。濁っていないところがあの人のいいところですね?」
「その他のものは?」
「そうですね。皆なラブストウリイですね。皆な自分のことを書いたもんですね。『北村十吉』は初めの方は好かったけれども、段々あとになればなるほど面白くなくなって行ったね。無闇に弁解ばかりしているような形になって行ったからね。自分のことを書いて、弁解するようになって了ってはもうおしまいだ!」
「それはそうですね?」
「あれはきっと、図に乗りすぎたんだね。いくらか始め評判が好かったんで、有頂天になって了ったんだよ。何しろ、あまり長すぎたよ。あの半分でいいんだ。もう少し引きしめて(※原文ママ)書かなければならない作だったんだよ」
「『蜜蜂のごとく』は?」
「あれも Ich-Roman だね。やはり、若いね。しかし物としてはまとまっているような気がしたね。『北村十吉』のようにあんなに長々しくないからね。それに、前半はわるくっても、後半がすぐれているからいいよ。前半が好くって後半が落ちているのでは閉口するけどもね?」
「『破船』は?」
「あれは不できだったね。女の雑誌だから、おとして書いていたのかも知れないけども、わるく気取ったところがあったり、もっと書かなければならないところを略したり、痛切でなくてはならないところが痛切でなかったり、随分、穴の多い作だったよ。それに、不真面目という譏を免れることはできないだろうね? ああした本気な材料をああいう風にいい加減に書くということも、決していいことではないね。さぞきまりがわるいだろうね。作者が自然派でもなし享楽派でもなし理想派でもなしというように中ぶらりんのためではないだらうかね?」
「一体、女の雑誌に落して書くということは、つまらんことですかね?」
「そう言われると、僕も耻かしい。現に、僕もやっているんだから………。それは本当は落して書くわけではなくっても、自然そうなるんだよ。やはり、書くなら、しっかりした舞台でなけりゃ駄目だね。緊張して、全力を挙げて書くような桧舞台でなくっては?」
「金にばかり目をくれるから、そういうことになって了うんですね? わるいことだ?」
「本当にわるいことだ………。それに、結局は損なんだからね。女の雑誌に書いて金は取れるようだけれども、拙けりゃ、あとで本にしたって、結局売れやしないんだから──」
「第一、芸術家として不真面目ですからね?」
「それはそうとも──」
 こんなことを私達は話し合った。雑誌と新聞と芸術とのことなども次第に私達の口に上って来た。
「しかし、それに対して苦情を言うことはできないね。雑誌も新聞も商売本位だから………。芸術のためにあるというよりも世間のためにあるんだから。だから、いくらでも変って行く方がいいんだよ。その方が活気が出て来るんだよ。作者などもぐんぐん変って行く方がいいんだよ」
「そうすると、雑誌や新聞に沢山出る人がやはり流行児ということになるわけですね?」
 K君は言った。
「それは何うしても、そういうことになるだらうね?」
「それじゃ、やはり、芥川とか菊池とか里見とかいう人が流行児と言うわけですね?」
「それはそうだろう?」
 私達はそのまま黙って了った。