第六章 食慾
外へ出てみると、雨はもうあがっていた。私は其處の横丁を拔けて、大通りへ出てみると、一つは雨の降ったせいからでもあろうが、兩側のそこもここも、皆店をしまっていた。そして、通りには如何にも秋の夜らしい靜寂さと、哀愁さとが漂いながれていた。私は思わず左の手で單衣の襟をかきあわせた。そして、窃っと空を仰いでみると、空は一面に薄墨を流したように曇っていた。
通りは斷わるまでもなく、時雨の爲に濡れていたが、それへ兩側の軒燈が反射して、まるで金泥へ赤銅でも加味したように、それが如何にも美しく照りかがやいていた。其の上を私はとぼとぼと、それこそ屠所の羊のような足取りで歩いてくると、しっとりと濡れた土が履きふるした私の駒下駄の底に吸いついてくるのだ。それが此の場合、私に妙に寂しい不安な感じを起させてきた。そして、それまでは忘れたようになっていた食慾が、一時に此の時起ってきた。同時に、一段と冷え冷えした夜氣が、私の體へ感じられてきた。それがやがて、宿疾に對する氣苦勞を增してきた。私は其處で思わず、輕く頭を左右へ振ってみたが、しかし、寂しい不安な思いは、少しも薄らぎはしなかった。
私は暫くすると、ああ、そうだ。彼處の毘沙門のところへ出ている、屋臺鮨を食べていこうと思った。そう思うと、今度は出ていてくれれば好いがと、そればかりを念じながら藁店の近くへくると、其處へ藝妓が一人歩いていった。初めは、私の後方から歩いてきたのだが、それがもう私を追いぬいて先へいくのだ。
すると、向うの方からまた若い藝妓か、左の手に褄を持って、一人の若い男と連立ってくるのに出會った。男と云うのは、茶のソフトを冠って、インバネスを身に纒った、中肉中背の男だったが、二人は何か今までの話のつづきでもしているのだろう。ぴたりと寄りそって、頻りと何か小聲に咡きあってくるのだ。それらを目にすると、私はまた、それでなくとも好い加減冷えきっている胸へ、氷でも當てられたようになってきた。私には獨りそればかりでなく、世の中の凡べてのものと云うものは、皆私に見せつけているように思われてきた。またも私は、しみじみと金が欲しくなってきた。金さえあれば、私も今から此の邊の待合いへいって、一人の若い女を買って、其處に暖い夢を結ぶであろう。食慾だってそうだ。待合いへいった上で、自分の好むものを通して、十二分に食慾を滿たすことも出來よう。ただ出來ないのは、自分が貧しいからだと思うと、もう歩く氣力さえもなくなってしまった。そして、私は其の時、竊盜若しくは强盜を働く者の心理を思いみた。私だけには、それがはっきり分るように思えた。其の中にもう、嵐に打たれた蝸牛(※かたつむり)のような足取りで歩いてきた私も、何時か毘沙門の傍へきていた。
目をあけてみると、不斷は每夜出ている筈の鮨屋の影も形もなかった。おでん屋でもと思って見廻したが、これもやはり同樣だった。私は、觸るとひやりとする程、手垢で塗られている蝦蟇口を、單衣の上から押えてみて、泣きたくなってきた。同時に、一段と空腹を覺えて溜らなくなってきた。試しにあっているのだと云えばそれまでだが、しかし、それにしても、餘りに悲しい試しだからだ。
其の時ふと、私の胸へ一人の女の影が映ってきた。それは四月ばかり前に、切れてしまったと云えば體裁は好いが、本當は向うの方から姿を隱してしまったのだが、其の女のことが心に浮んできた。女は、千束町の銘酒屋(※売春目当ての酒場)にいたのだが、私がそれと馴染んでいた期間はと云えば、それはそんなに長くはなかった。せいぜい長くて二月ぐらいのものだった。しかし其の間に、私達は生涯を賭して變るまい、變らないと云う堅い約束もした。私は其の女故に、ある時は友達を欺いて、借りてきた本を質屋へ持っていったこともあった。また知人先輩と云うようなところへは、それぞれに尤もらしい口實を設けていって、幾くらかずつかの借金もしたものだ。其の中に女は、私へは微塵斷りもなしに、もう行衞も知れずになってしまったのだ。私がある夜女に逢いにいって、それと知った時には、私は曾て知らない程のさびしさ悲しさ、また憤りを感じた。私は暫く、死んだ者のようになって、其處に凝としていたのを覺えている。其の時の其の女が、偶然私の胸へ返ってきたのだ。そして莫迦な話だが、切れてからの時間が、私が其の女に對する、凡べての惡感を洗いさってくれたもののようになって、後に殘っているのは、皆戀しい、なつかしい女の言葉や仕打ちばかりなのだ。
女は必ずしも、私に愛想をつかして切れたものではあるまい。其處には、云うに云われない事情があって、私の目から姿を消してしまったのだろう。私はそうも思ってみた。無論これは、戀を失って、寂しさに泣く男が、一時の負けおしみから云う自惚れだと云えばそうも云えるが、とにかく私は、無理にもそう信じたかった。そう思えば思う程、また私には、どうかして今一度、其の女に逢いたくなってきた。あの女が、引きつづいて私と同じ關係を繼いでいてくれたら、私の心は、どんな貧しい中にも、どんなに華やかだったか知れない。なるほど其の一面には、また泣くにも泣かれないような、悲哀や苦痛はあっただろうが、しかし、それもこれも、相手が女なるが故に、私が現在想像しているよりももっと能く緩和されて、一面には花咲く春の野にもたとえたいような、うれしさ喜ばしさがあったに相違ない。だがしかし、それもこれも、皆今になると、思うて返らぬ遠い夢になってしまったのだ。
忘れもしない私は、其の女のところへ通っている間は、女の方の熱と情とが、共に增してくればくる程、私はそれを喜びたのしみながらも、また一面に怖れかなしんだものだ。と云うのは、其の到着點、歸結點は同棲であって、當時の私には、迚もそう云うことは、出來ない相談だったからだ。──自分のみか、女の生活をも保證し維持していくと云うような、そんな働きが、當時の私にはなかったからだ。だから私は、只管に胸を開けて女の接近してくるのを待望しながらも、同時に心の中では、女が私から遠ざかっていくのを、どんなに熱望していたか知れない。そして、それが自分の祈願通りに成っていくのをみると、今度は悲憤と懊惱とに泣かねばならなかったのだ。思えば私には、凡べての場合に、私の貧しさが手をだして、根こそぎことを誤ってしまうのだ。
私が女と馴染んでいる間に、私が定った遊興費以外に費消した金はと云えば、それは後にも前にもたった一度、かの女が私の宿へやってきた時に、一緒に肉屋へ夕飯を食べにいった時に支拂った、三圓位のものに過ぎなかった。だから其の點から云えば、今逢ったところで、此の私は、女に對して恨みつらみなどは、ただの一言だって云われた義理ではないのだ。それにつけても、痛恨止みがたいものは、自分の無能さだ、貧乏さだ。こうなればもう仕方がない。私は永久に殘るなつかしい其の女の面影を胸に抱きしめて、寂しい夜夜を慕いあかすよりほかはない。
其處へ嵐のような音が聞えてきた。はっと思ってみると、それは飯田橋の方からきた電車の音だった。私は何時の間にか、其處の坂もおりつくして、電車通りの近くへきていたのだ。間もなく私は、其處へくる駿河臺行きの電車に乘こんだ。