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浅草底流記 序

 これは、浅草を愛する私の、浅草に関する記述である。したがってそれは、私の保つ角度から描かれている。そして、表題の示すごとく、主として、その底に流れを感じたい念願である。

 群集にとっては、浅草は「しよくもつ」である。しかも、他の人種にとっては、これは「しゆもつ」であるというのだ。

 私は、かびにも花が咲く、ということを唄いたいのである。

 とまれ私は、私の浅草に関する考えを一通りまとめ得たことを喜びたい。だがこれは、あまりにそうそつかんに行なわれた。一書としての形体としては、遺憾の点も少なくない。雑然たる、あるいは不用意なる、記述。──もし私が相当な厚顔さを持ち得たなら、これを、浅草の雰囲気を出すに相応しい、レビュー的叙述だ、と、勇敢なるを鳴らしたかも知れない。だが私はそれほど強気ではない。正直に、その至らなさを恥じます。

 内容的にいうと、とにもかくにも一冊で、浅草の全容を暗示したい、と試みたことによって、部分的に非常に食い足りないところがある。実際浅草は、書いても書いても、書き足りるということはあるまい。浅草における事象はその小破片にすら、それぞれ深い内容を持っている。しかく「浅草」は複雑である。まずこれを、私の浅草に関する第一の報告書として、続いて第二第三の報告を重ねたいと思っている。

 本書の一部に、かつて「改造」誌に載せた「浅草底流記」を加えてある。私が同誌にそれを発表した後、「続サラリーマン物語」なる本が出たが、その中にサラリーマンが浅草を散歩する一章ことごとく私の底流記からの抜き書きであるのを見て、その厚顔無恥に驚いたものであった。私は元来無精者であるので、かたがた、その特別あつらえらしい厚顔と無恥とに恐れをなして、その方はいまだに処理せずにあるが、マゴマゴすると、今度は逆に、本書がその偽本から抜き書したかの様に、バカげた槍でも向けられると困るから、念のため記して置く。

 本書の出版については、ざきろう君の助力に依ったことを厚く感謝します。私のわがままから色々同君を煩わしたことを、ここに深く御詫びする。なお、色々の方面で、助力して下すった諸君(一々名を挙げないのは甚だ失礼で申し訳ないが)に感謝の念を捧げつつ──。

  一九三〇・七・二三

茅ヶ崎にて

著  者