第三章 石崎

 いしざきのところへきてみると、あんじるよりはみやすいとたとえどおり、ちようかれは、いまそとからかえったばかりだとうところだった。わたしかれしよさいになっている、二かいの六じようとおっていくと、いしざきとうまるばちかたかざしながら、かたしきしま(※タバコの銘柄)をってぼんやりしていた。

「どうだい。かわったこともないか。」

 わたしいしざきすすめてくれるとんうえ胡床あぐらをかくと、れいって、わずらっているひだりあしみぎってきて、ひざかんせつからあしくびのところまでひとさすりさすりながら、こうってあいほうた。するといしざきは、

「ああ。」とあいそう調ちようって、かれもまたわたしかおをみた。

「どうしたんだい。めていかおをしてるじゃないか。──でもしてるんじゃないか。」

 わたしはこういながらてみると、かれちやあかしまはいったなセルていたが、それがしたている、うすねずじゆばんえりのあたりを、にもうつくしくせていた。いしざきくちぐせのように、「おれしやかりをするのは、ばいどくりんびようになったときだけさ。」とってるから、それをとおしてそうぞうされるかれたいかくは、うしぶたのように滿まんしていて、るからに憎憎くしいもののようにおもわれるが、じつはとえばちようそれとはんたいだ。そして、いしざきようぼうは、何方どちらかとえばうりざねがおほうだ。すくなくともまるがおではない。かれいっとうけってんりようのややひくいことで、ほそいながらもには、かんなくかれとくしよくむことがる。それがかれせんこうしているほうりつしよや、つれづれのあまりにしようせつるいはいっているならざいつくったおおがたほんばこ、それにすこがたではあるが、たんつくえなどをはいけいにしてしているのをにすると、わたしみようさびしくなってきた。いまがたぐらざかとおってくるあいだおもってみたかんがえが、またへきてよみがえってきた。わたしぶんけんこうさと、ぶんまずしさとをおもうと、それがやがていしざきたいするせんぼうじようかわってきた。そして、ぜんうちあつくなってくるのをおぼえた。

「ううん。そうじゃないよ。からすこあたまいたいんだ。」

 いしざきときこうって、ちょっとひたいってったみぎでもって、くちのあたりを二三ばかりじようさせながら、

さくやけに・・・あおったもんだから、てんばつ覿てきめんうやつでもって、すっかりたたってきやがったんだ。」

 いおわるとかれはまた、ひたいみぎっていって、おさえてみた。

ったんだい。さくはまた。」

 こうわたしくと、いしざきはこともなげに、

「なあに。」とうから、

れいのところか。──『おります』せんせいってきたのかい。」とったものだ。

「まあ、そうだ。」

 いしざきのなさそうなへんをして、しきしまはいおとした。

 わたしいしざきざけ(※ざけ)をあおったとうのをくと、ぐと「おりますせんせい」をれんそうした。──「おりますせんせい」とうのは、ぐらざかげいなのだ。かれはるからげいんで、ちかごろではずいぶんふかなかだぜとばかりにのろけているのだ。さくきっげいって、なにさわったことがあったところから、またびようおこしたのだろう。それから、「おりますせんせい」とうのは、げいかつて、いしざきのところへしたよびじように、「わたしっておりますわ。」とあったところから、わたしたちはそれらいなつげいを、「りますせんせい」とえてしまったのだ。

「どうしたんだい。けんかい。」

「そうよ。あまめたことをしやがるから、ばしてやったんだ、あとさけだ。どうしてたか。どうしてきたか。までまるでらないんだ。」

 いしざきはそれをくちにしながら、すこがんしよくえてきた。おそらくはかれは、またさくのことをおもいだして、ふんえられなくなったのだろう。しようじきうとわたしは、とくよるは、こんなはなしにはなんらのきようてなかった。はんたいわたしは、そうったふうまちりをしてかれしかれいっげいあいに、けんこうろんをしてくることのいしざきぶんのほどがうらやましくなった。だから、るものならこんなはなしは、もういらでちきりたいとおもったが、しかし、きがかりじようそうもならなかった。かたなく、

「どうしたんだい。あいろうでもたとでもうのかい。」とって、わたしのみ・・しのバット(※ゴールデンバット。タバコのめいがら)をふかってみた。

「そうじゃないんだ。いっそうなら、此方こっちにもかくがあろうとうもんだが、そんないたんじゃないんだ。なあに、ことはつまらないことなんだ。」

「じゃ、けてもけてもこないでいて、ようやくやってくると、ふさぎこんでいて、いっこうくちかない。そうったわけなのかい……」

 いしざきは、かるくびってだまっていた。

「じゃどうしたんだい。きみさくとまろうとすると、『おかえりなさいよ。おたくしゆもあってよ。』とでもったので、おこっちゃったのかい。」

 わたしはこういながら、ふとぜんこうけいそうぞうしたときには、たまらなくしっじようられてきた。うえせいしようどうさえもかんじてきた。

 「ううん。そうじゃないんだ。さくぼくは、はんえりってってやったんだ。──はんえりしいしいとうから、じゃったらいだろうとうと、『あなた、ってくれない』といいやがるんだ。かろう。そいじゃつぎってきてやろうとってやくそくしたそれを、ってってやったんだ……」といしざきうのだ。わたしかれはんせいおもいみて、ついしくなったところから、こえさずにわらってしまったのだ。するといしざきはそれをとがめて、

なにしいんだい。はんえりってってやったから、ってってやったとってるんだい。それがしいのか。」とって、しきしまはいきさしながら、すこ調ちようとがらかしてきた。

べつわらいやしないじゃないか。──それからどうしたんだい。」

 わたしはあわてて、しようちけして、わざことちかられてみせた。

わらったじゃないか。いま。」

 いしざきは、もう一それをくりかえしたが、いっぽうには、のりかかったふねだとちがあったせいだろう。

「ちったあ、しんみようにしてるんだなあ。」とこれはどく(※ひとりごと)のようにいながら、もなくあとをつづけた。

「で、ぼくはんえりってってやったんだ。するとおりますめ、それをってみて、いろるのらないのと、さんざんたくならべたあげに、『なんだかようは、やすっぽいわね。」といいやがるんだ。だがそれもいんだ。──ぶんがそうかんずるんだからかたがない。ところへちようはいってきたじよちゆうが、『まあ、てきだこと。』とかなんとかいながら、それをりあげて、ぶんむねのところへててみてると、おりますのやつめ、『ねえさん、あなたらない。』とこういいやがるんだ。そうわれればだれだって、『わたしらないわ。』とうやつがあるもんか。かたごとじよちゆうのやつは、『わたししいわ。』とったもんだ。するとおりますめ、『じゃおかけなさいましな。だんでも。やすものですが。』とって、わばまあ、まだおれものじよちゆうにくれてやるんだ。おれたるものおこらずにれないじゃないか。おれは、『そうどうもみませんわね、いただいていこと。』とって、かたみにおりますとおれとをながら、それをりようちそえて、しいただくのをるとどうに、おれおりますのやつをばしてやったんだ。おりますのやつめ、なんとかったっけ、『なにするのよ。ひどいわ。』とかなんとかったっけ。それがけいおれあおってきたから、いやうほどってって、ばしてやったんだ。それからあとさけだ。こんさけはいばんでもって、ぐいぐいけたんだ。それからあとは、までぜんかくなんだ。びおこされてきてみると、まえばんあばれたに、おれてるとまつなんだ。めると、またさけにしようとったんだが、まちいのやつらは、なんだかんだとって、いっこうりあわないんだ。そして、『なつねえさんもなつねえさんだけれど、いいさんもいいさんですわ。なつねえさんにきずでもついたら、それこそたいへんじゃありませんか。』てなことをいいやがるんだ。しやくさわるからおれは、かかあじよちゆうも、みんなころしてやろうかとおもったんだが、そうなるともう、しらほうがくせいくらいなさけないものはないや。あたまうかんでくるのは、けいほううやつだからいけねえや。しかったがおれは、のままくちかずにびだしてきたんだ。」

「そいつあさわぎだなあ。だがきみこうじゃないなあ。」

 わたしすこしくなったので、ついうこともひややかだった。わたしはもうへくると、よるもくてきがふいになったことをさとった。よし、わたしはなしすきをみて、りだしたところで、いしざきがそれをかいだくしてくれるはずのないことは、かれせいかくかれへいぜいからて、じんうたがのないことだ。それとわたしは、けんおこりとうのが、かれおんなってってったはんえりからだとると、もうそううことをりだすりよくはなくなってしまった。ただわたしには、さびしいあじないちばかりがのこってきた。ひとつはそれもつだって、わたしをしてそうったことかしたのかもれない。