見出し画像

第47節

 AとBとが話した。二人は深く文壇の状態や空気や傾向に通じているらしく、しきりにシガアを薫らしながら、いろいろなことに及んでいたが、Aは急に、
「そうすると、つまり、あの間にも時世は絶えず動いていたんだね。自然主義が凱歌を揚げていた時には、もうあとから芽が出し始めていたんだね?」
「それはそうだね?」
 Bは言った。
「つまり、そうすると、あの鷗外さんが顧問になっていた『スバル』、あそこいらからそういう気分が生れて行っていたのだね?」
「そうだね。そう言って了っては何うかわからないけれども、そうした形はあったんだね。鷗外さんは、末流文壇などと見縊っていた中から、ああした気運が勃興しようとは思いもかけなかったらしいからね。つまり、あの勢力(※原文ママ)絶倫であった鷗外さんも、あの気運には少なからず押されたという形だったんだからね。まごまごすれば、流されて了うような気がしたんだね。それはあの誰れかの訳したイプセンのマスタアービルダアの序文を鷗外さんが書いているが、あれをい見ると、そうした心持がよくわかるがね。何しろ、四十二三年のあの気運は盛んなもんだったからな。大抵なものは流されて了ったからなあ」
「本当だね。えらい勢だった!」Bは考えるようにして、シガアの煙をふうと長く吹き出しながら、『鷗外さんだから、踏留っていられたんだね」
「それはそうだ………。夏目さんなども随分ひどい追跡狂に悩まされていたって言うからな」
「それは何うしても鷗外さんよりも夏目さんの方がへまなだけそれだけ人が善かったからな。鷗外はあれで中々軍師だよ。山県公に取入っていた形などでもわかっているじゃないか。陸軍などでは、森軍医総督と言えば、政治家のまたその政治家だっていう風に入っているからね。腕も手も両方あった人だよ」
「それはそうだね。夏目さんなどよりも実際のことが気になった人だね。作とか芸術とかいうことよりも、実際の勢力を自分が握ることを好んだ人だね。」
「そうすると………」Bは考えて、「やはり、あの『スバル』は鷗外さんが間接にやらせたものなんだね?」
「それはそうさ、現に、与謝野君があれに関係しているじゃないか。与謝野君は、鷗外さんの弟子と自づから言っている人だからね。『明星』時分からの関係があるんだよ。それに、与謝野君だって、あの潮流に乗ることはできずに、他に外らされて了った人だからね。ヤキモキしていたに違いないやね。で、あの『スバル』をやったんだよ」
「そうすると、つまり、あの雑誌が当時の潮流に対する唯一の反対派だったんだね?」
「まあ、そうだね」Aは答えた。「それに、あの永井荷風、あれが、帰朝当座は彼方この方んい眼を配つていたが──何方に行こうかと迷っていた風だったが、急にそれが慶応に行くことになったので、その慶応がまた早稲田に対抗している形になっていたので、自然の成行として、あの早稲田と密接な関係を成している自然主義的傾向に反対する形となった。そしてそれが一方の『スバル』と相呼応した──」
「そうか………あまり独断にすぎはしないかな」
「いや、それはたしかだ」Aは主張した。「そういう潮流だから、ひとり手に、不運なもの、不平なもの、またこれから出ようとする芽などは、皆なそっちの方へと行った」
「つまり、そこに、一つの異なった流ができて行ったわけだね?」
「そうだ──鷗外さんの考えでは、自然主義もいいけれども、何もそれだけでなければならないというわけはない。こういう主義もある。ああいう主義もある。学者だけにそういう風に思ったんだね。」
「それはそうだろうな」
「それに、一方自然主義の方でも、四十三四年頃には、もう頂点に達したという形だったからね。言はば天下を統一したという勢だったからね。それからは下るばかりだったんだよ」
「面白いな」
 Bはさも感心したように言った。
「それに、作者の上から言っても、潮流は絶えず動いているんだからね。ぐんぐんと黒潮以上に迅く迅く流れて行っているんだからね。片時も留っていはしないんだよ。それに、作者の方にも疲労や退屈や生命の浪費が襲って来るからね。峠まで上って来る時のような元気は何うしたってなくなるわけだからね?」
「成ほどね………。それで少し休息したり、のんきになったり、まあいいじゃないかと言う気分になったりするんだね? そしてその間に潮流は遠慮会釈もなく、ぐんぐん流れ行って了うんだね?」
「そうだ………。そしてそれは何うすることもできないもんだ。人力で回らすことのできないもんだ。だから、何うもしようがないよ」Aはこう言って、「だから自然主義のすぐあとに、享楽ということが一時流行したじゃないか?」
「そうそう──たしかにそうだ。」Bは深く点頭いて見せたが、すぐあとをついで、「しかし、あの享楽主義というのも変なもんだったね? あれは別に大きな潮流でもなかったんだね?」
「いや、そうでもないと思うな。あの時代にも面白いものがあったと思うな。永井荷風、近松秋江、その他にもまだ沢山いたじゃないか。それに、こういう形もあるんじゃないかね。作者達──大真面目だった作者達が、段々年を取って、世間にも出る、金回りも好くなる、従って享楽もやって見ると言ったような形もあるんじゃないかな? だから、年齢によって、自然主義の流行る時期もあり、享楽主義の起る時期もあり、象徴主義の出て来る時期もあるというわけじゃないかね? 大きな『時』の潮流、それは厳として宇宙に𦲷(のぞ)んでいるが、それ以外に縦に作者の個人個人にそういう時代わけができはしないかね?」
「それはできるね」
「つまり三十四五の頃には、漸く世間も人間もわかって来るので、無所畏(※)というところまではまだ行かなくとも、いくらか大胆になって、今まで出て行けなかったところまでへも、ドシドシ出て行く。つまり自然主義的傾向だね。ところが、それが三十七八から四十ぐらいになると理屈よりも享楽の方がいいという風になるからね。何うしたって実際を重ずるようになるよ」
「それはそうだね」
「それから言うと、人道主義なんて言うものは、やはり、若い人達のいうことだね。まだ三十四五時代の自然主義までも達しないような人が言うことだね。とてもできもしない理想を越えて行動しているようなものだからね。時が経つにつれて、そういうものは、ひとり手に壊れて行って了うからね。」
 Bは黙って聞いていた。成ほどそういう形もないではなかった。独断にすぎるような気も何処かでするにはするけれども、縦に見て来れば、そういう風に見られないこともないではなかった。Bは言った。「そうすると、無限に生れ出て来る新しい時代にも、縦に見ると、いつでもそういうことが行われているというわけですね。いつでも人道主義と自然主義と享楽主義と象徴主義とがあるわけですね!?」
「作者の心の方に?」
「そうです」
 AもBも黙った。二人の胸には永遠に過ぎて行く人生が大きなスケイルで動いて行っているような気がした。
 しばらくは沈黙の中にすぎたが、やがてBは言った。
「何うも、皆なそうなんだから、しようがありませんね。厭でも何でも、そうなるより他為方がないんだから──」
「そうとも──」
「大きい人生の陥穽だ!」Bはさも悠々とした人生を身に感じたと言うようにして言った。