第九章 訃報

 わたしがようやく宿やど辿たどりついて、やぶじやすぼめると、たてつけわるがらを、なかやけに・・・たたきしめて、ったときには、それでもかすかながら、いっしゆあんさをおぼえた。とどうに、あめのしぶきにうるんでいるひとすそのあたりがになった。で、かさてかけて、っかけのやぶれかかっているスリッパをっかけて、いたじきへあがると、ひだりちやから、

「おかえりなさいまし。」とって、めずらしく宿やどおかみ・・・むかえてくれた。ところで、こころも、いしのようにかたむすぼれて・・・いるわたしは、それにはこたえもせずに、とおりぬけようとすると、しようあいだから、しどけない姿すがたをみせていたおかみ・・・が、

「さっき、おかさんてかたが、おえになりましたが……」とうのだ。

「ああ、そう。」

 わたしは、それをふかにもとめずに、こうなまへんをして、ぶんほうきかけると、

「そして、おかえりになったら、これをおあげしていただきたいって、これをいていらっしゃいました。」とって、一ようはくさししたから、わたしかえって、それをうけると、おかみ・・・っかけて、

そとにおれがおふたいらっしゃいました。」とって、ちょっといきをついて、「おひとはおひげをはやしたかたで、いまひとは、ふとったかたでした。」と、わずがたりをしてかしてくれた。わたしはそれをくと、れとうのはだれだろうとおもった。

ふとったおとこ。」

 こういながらわたしは、しよっこう(※ワットでんきゆう)のでんかげで、すかしながらかききにそそいだ。それには、

とくろうぼういたそうろうぐに、くだされたくそうろう。」とえんぴつはしりがきしたよこへ、「おかさくろう。」としてあった。わたしがそれをみおわると、ちようおかみ・・・は、

「なんとかおっしゃったようでしたが……」とうそれがれるところだった。わたしは、

ごろきたんです。ほどまえでしたか。」とっていてみたが、ときわたしこえが、おそろしいものまえにでも、たされているときのように、ふるえていたのは、ぶんにもはっきりかんじられた。

「さあ、あなたがおけになると、もなくでした……」とおかみ・・・うのが、にものなさそうな調ちようなのだ。こうして、いたのではわからないが、くにおかやまだとかうだけあって、かにへんなまりがあった。それがにもゆっくりと、しのすようなふううのだから、それがあいいたわたしあおってきた。で、わたしあぶなで、おかみ・・・とばしてやろうかともおもったが、どうわたしには、

「やっこさん、とうとうやっつけたなあ。」とおもうと、もうおかが、せんけつってはかんじがあらわれない。わたしには、どすぐろい、すみのようなしおにまみれて、あのちまえのおもいきりひらき、にきびのあとかたまっているほおしんけいひきっつらして、たおれているかれにざまが、はっきりえてきた。とおもうと、わたしはもうかれあやつられてでもいるように、ばこからつまかわ(※つまさきカバーきのはきもの)とうのもばかりで、もゆるく、うえに、ぶんあしくせとして、へんゆがめてきへらした、これもきりとはのみのふるあしつまみだすと、それへあしっこんで、かたいしざきからりてきたかさつかむと、おかみ・・・ほうへはくちかずにそとてしまった。

 まったく、一まいはんんだときの、わたしおどろきとうものはなかった。それはわたしにはそれまでにかつかんじたことのないおどろきだった。

 わたしかつて、ははとくでんぽうったことがある。だがときおどろきも、ときのそれにくらべると、ものかずではなかった。なにしろときは、いくつきまえから、わたしははびようしていることをしようしていたうえに、ちようわたしころいんしよくにさえわれて、あわれにもするのをたねばならないようなおちいっていたさきだっただけに、まことにもうわけのないはなしだが、わたしはそうあるようにとおもって、ちゆうしんひそかははなるものをがんぼうしていたのだ。とうのは、一ほうにするがさいわたしとうりをさしめられていたあねのところへけつけていって、りよをはじめごくせいかつしようまで、いっさいあねつことにしようとかんがえがあったからだ。──とうわたしははは、きようにただひとりをして、みずからかせいできていたのだ。だからときわたしは、おどろきはあっても一めんにはそれが、わたしためにはすくぬしともなってくれるかんけいじようかえってよろこびのほうさきっていたくらいのものだ。だからいまときおどろきにちかいものをもとめると、それはいまから四がつばかりまえにあったごとで、さき・・ゆくめいになったことをったせつくらいのものだった。じつわたしは、ときほかなんにもかんがえずに、ちゆうかれのいる宿しゆくしていそいだものだ。せいさんおうか、それともしゆうあくおうか、とにかくかれがいのある宿しゆくしてわたしは、びっこきながらいっしんきをいそいだのだ。