第四章　莫迦

「そうよ。利り口こうじゃないさ。」

　石いし崎ざきは忌いま忌いましそうではあったが、一應おうは私わたしの云いった言こと葉ばを肯こう定ていしたかと思おもうと、直すぐ其その後あとへ、

「だが其そ處こにはまた、莫ば迦かなだけでは分わからない意い氣きがあらあなあ。」と云いうのだ。其その言こと葉ばの中なかには、當とうの相あい手てたる私わたしを、冷れい笑しよう侮ぶ蔑べつするの分ぶん子しを多た分ぶんに含ふくんでいた。少すくなくとも私わたしにはそう感かんじられた。だから私わたしも、其そ處こで一いっ矢しを酬むくいなければならないような氣き持もちになってきた。

「じゃ何なにかい。君きみは其その莫ば迦かには分わからない、言いいかえると、利り口こうな者ものでなければ分わからない心こころ意い氣きの爲ために、見み事ごと莫ば迦かになって退のけたのかい。」

　私わたしは胸きよう中ちゆうの不ふ愉ゆ快かいさを、態わざと笑え顔がおに隱かくしてこう云いったが、それがとうとう短たん慮りよな石いし崎ざきを怒おこらしてしまった。

「そうよ。俺おれは莫ば迦かだよ。ああ、俺おれは莫ば迦かだよ。」

　石いし崎ざきは同おなじことを二度ど重かさねて、さも無む念ねんそうに云いうと同どう時じに、つけたばかりの敷しき島しまを火ひ鉢ばちの中なかへ投なげすてて、目めを見み張はり堅かたく口くちを結むすんでしまった。殊ことに其その口くち付つきは、韮にらでも嚙かみしめたような風ふうだった。私わたしはまた、始はじまったなあと思おもった。

　昨さく夜や彼かれが、小こ夏なつを相あい手てに喧けん嘩かをしたと云いうのも、畢ひっ竟きようするところは、丁ちよう度ど此この場ば合あいと同おなじように、心こころ持もちの問もん題だいであり、氣き分ぶんの問もん題だいから始はじまったことなのだろう。つまり、彼かれの蟲むしのいどころ如い何かんから起おこったことなのだろう。そう思おもうと、私わたしは本ほん當とうに莫ば迦か莫ば迦かしくなってきた。私わたしは短たん慮りよ無む比ひな彼かれを憫あわれむと云いうよりは、寧むしろ彼かれを憎ぞう惡おするの念ねんが先さき立だってきた。だから其その時とき私わたしは、其そのまま歸かえってこようかとさえ思おもったくらいだ。だが事じ實じつは決けっしてそうはせずに、私わたしはやはり石いし崎ざきと對たい坐ざしていた。と云いうのは、私わたしには私わたしの誇ほこりがあったからだ。──私わたしは此この場ば合あい、追おわれる者もののように石いし崎ざきの前まえを退のいて、重かさねて彼かれが侮ぶ蔑べつの目めでもって、見み送おくらるるのを惜おしむの念ねんに堪たえられなかった。其そ處こで私わたしは、もう一度ど自じ分ぶんの煩わずらっている脚あしを撫ぶしながら、坐すわりなおした。

「だってそうじゃないか。君きみはちと短たん氣き過すぎるよ。何なにも足あし蹴げにしなくたって、どうにか話はなしがつきそうなものじゃないか。結けっ局きよくは相あい手ての氣き持もちを惡わるくさせるばかりか、延ひいては、自じ分ぶん自じ身しんの氣き持もちまで、どんなに惡わるくしたか知しれないじゃないか。」と云いってやった。此この言こと葉ばの意い味みは、耳じ目もくにする通とおりの意い味みしか持もっていないのだが、ただ私わたしは、それを如い何かにも靜しずかに、如い何かにも優やさしく口くちにしたのだ。例たとえば、手て管くだ者ものの口くちから洩もれる口く說ぜつのように云いって、私わたしは凝じっと石いし崎ざきの方ほうをみた。石いし崎ざきはやはり默だまっていた。ただ目めだけは、彼かれの方ほうから見みて右みぎの方ほうになる、障しよう子じの棧さんの上うえに遊あそんでいた。

「そうじゃないか。折おります先せん生せいだって、何なにも惡わる氣ぎがあって、そうした譯わけじゃなかろうじゃないか……」と云いっていると、石いし崎ざきはまた敷しき島しまへ火ひをつけて、

「惡わる氣ぎがあってのことかどうか、それは僕ぼくには分わからないが、とにかく僕ぼくには、そう取とれたんだ。」と云いって、今こん度どは敷しき島しまを貪むさぼるように口くちにし出だした。ところで何ど處こをみても、彼かれの顏がん面めんには、依い然ぜんとして微み塵じん優やさしい表ひよう情じようはみられなかった。私わたしは彼かれの顏かおと、彼かれの言こと葉ばとを見み聞ききすると、いよいよ彼かれを輕けい蔑べつしたくなってきた。殊ことに彼かれのエゴイステックな點てんが、どう考かんがえても、憫あわれでもあれば、また憎にくくて憎にくくて溜たまらなくなってきた。

「それは少すこし無む理りだよ。我わがまま過すぎるよ。」

　私わたしは此この言こと葉ばを、彼かれの言こと葉ばに、おっ冠かぶせるようにして云いったものだ。そして、直すぐ後あとをつづけて、

「そうじゃないか。そりゃ君きみの身みになれば、君きみの立たち場ばからすればだ、相あい手ての仕し打うちなるものが、有あらゆる殘ざん忍にん酷こく薄はくな手しゆ段だんでもって、虐ぎやく殺さつして退のけても、なお飽あきたらなかったかも知しれないさ。だがしかし、そう考かんがえ、そうしちゃっちゃ、僕ぼく達たちに何なんらの思し慮りよも、何なんらの批ひ判はんも入いらなくなるじゃないか。そうだ。これは僕ぼく達たちの少しよう年ねん時じ代だいに覺おぼえのあることだ。僕ぼく達たちが母ははに能よく物ものねだりをすると、多おおくの場ば合あい母ははは、僕ぼく達たちの望のぞんでいる物ものよりは、ずっとつまらない物ものばかりくれたもんだ。すると、僕ぼくなんぞは、矢や庭にわにそれを其そ處こへ投なげだしたもんだ。それが壞こわれものででもあって見みたまえ、無む慘ざんにも其その場ばで、原げん形けいも止とどめず粉こな微み塵じんになっちまあなあ。若もしそう云いう時ときに、僕ぼくの母ははがだ、此この僕ぼくの態たい度どを憎にくんで、君きみが折おりますに對たいして取とったと同どう樣ようの態たい度どで臨のぞむとしたら、僕ぼくはもう今こん夜や此こ處こで、君きみとこうして話はなしなんぞしちゃ居おれなかったに相そう違いない。だから僕ぼくは、其その時ときの母ははの寛かん仁じんさを思おもうよ。そして、それが人にん間げんの取とるべき一いっ等とういい本ほん當とうの態たい度どだと思おもうよ。」と云いってみた。此この言こと葉ばには、殊ことに結けつ末まつの方ほうの、「母ははの寛かん仁じんさ云うん云ぬん。」のところへくると、石いし崎ざきよりも、先まず私わたし自じ身しんが感かん激げきせずには居おれなかった。同どう時じに、私わたしは此こ處こへくると、私わたしがそれまで、石いし崎ざきに對たいして取とってきた、私わたし自じ身しんの態たい度どに就ついて、深ふかく恥はじなければならなかった。そう思おもうと、ことの是ぜ非ひ善ぜん惡あくは暫しばらく措おくとして、石いし崎ざきが前ぜん夜や小こ夏なつに對たいして取とった態たい度ども、また其その心こころ持もちも、丁ちよう度ど晴はれゆく朝あさ靄もやの中なかから見みる遠えん近きんの山やま山やまの姿すがたのように、若もしくは、合あわせかけている兩りよう眼め鏡がねの度どが、ぴたりと合あった時ときのように、私わたしにはっきりしてきた。少すくなくとも私わたしには、其その際さい石いし崎ざきが小こ夏なつに加くわえた仕し打うちが、幾いくら苛か酷こく殘ざん忍にんを極きわめていても、それは決けっして、單たんなる憎ぞう惡おから發はっしたものではないことがはっきり分わかってきた。それどころか、石いし崎ざきのは謂いうところの可か愛わいさあまって憎にくさ百ひやく倍ばいしたそれだったに相そう違いない。そう思おもいかえして、私わたしが石いし崎ざきの方ほうをみた時ときにはいきなり私わたしは彼かれを抱だきしめて、彼かれの額ひたいに口くち付づけしてやりたくなった。