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第49節

 享楽派が次第に芽を出すようになって行った。
 私はここにしばらく近松秋江氏や、中村星湖氏や、谷崎潤一郎氏や、長田幹彦(※耽美派の小説家)について書かなければならない時期に到達したことを言わなければならなかった。それは大正二三年から四五年の事であった。こういう人達は、今ではすでに立派な作家であり、そのあとにもすでに新進作家が沢山に沢山にできているけれ共、それでも白鳥氏や、泡鳴氏や、秋声氏や、荷風氏や、藤村氏のすぐあとにでてきた作家と言えば、何うしても諸氏を数えなければならなかった。
 その時分であったと思う。私はY君を久し振りで牛込の加賀町の寓に訪問した。その時、私達はこんな話をした。
「早いね、実に早いね。君等が世の中に出たのは、ついこの間だと思うのに、もうあとのあとがあるんだね?」
「本当だよ」
「今では、君等の時代ばかりではない。谷崎とか、近松とか、長田とか、中村とかいう人だって、あとからぐんぐん押されているんだね。」
「本当だよ。それを思うと、作家などの寿命は短かいもんだよ。」
「君の家で逢った白石君(※─実三。小説家。花袋の弟子)などでも、もう新しいチヤキチヤキというわけには行かなくなっているんだからね。もうあのあとにすら新しい時代があるんだからな」
「そうだよ、本当だよ。頭が白くなるのも無理はないね」
 Y君は、話頭を改へて、「それにしても何ういう人があとに残るかな? 全くわからんね。あんな作者が………と思われるような人がかえってあとまで残るかも知れないね?」
「でも、いいものが一番多く残るわけだろう?」
「そうばかりは言えないよ。社会の批評や、評判なんかあてになったものじゃないからね? 何しろ、君、雑誌や本がどのくらいあとまで保存されていると思う?」
「それはごく短い間だらうね?」
「短い間も何にも──。何んなにえらい評判のことが書いてあったものでも、また何んなにえらい有益な研究が載せられてあったものでも、四年経っと、図書館以外にもう世の中に一冊もなくなって了っているんだからね──?」
「そうだろうな………」
「四年の命だからね。では、本なら何うかっていうと、それだってやはり同じことだよ。三年持ってはいやしないよ」
「何うもしようがないな………」
「とにかく、一度は何んなものでも埋められて了うんだね? そしてあとでまた生き返るのだが、その生き返る率なんてほんのわずかなものなんだからね。韓退之(※韓愈。唐代中期、古文復興運動の文人)の文章を読んでも、欧陽脩(※11世紀・北宋の文人。韓愈に倣った)の文章を読んでも、その序文などに、非常にえらい文章家がいるように書いてあっても、それが全く埋却して、今日まで伝らないようなものが沢山あるからね。その点になると、全く運不運だよ」
「そうかな」
 何ういう動機で、そういうことをY君が言ったのか、それは私にはわからないけれども、たしかにそれも一つの事実であらねばならなかった。私はY君や生田葵山氏や蒲原有明氏などと一緒に、イギリス公使館裏の小さな西洋料理で会をした時分の事を思い出した。長い間には、いろいろな事があった。何という理由なしに、──ただ、その作品を発表しないためばかりに、いつの間にか文壇から遠ざかって行っている人達もあれば、彗星のように出てすぐ引込んで行って了ったような人達もあった。私とY君とは、その時分懇意であった人達をそれからそれへと数えて見た。それは双手の指に余るほどそれほど多かった。
「そうして見ると、君なんかマア長い方だね?」
 Y君は笑いながら言った。
「そうだね。長い方だね。それというのも、文壇にくっついているより他、何うにもしようがないからかも知れないね。つまりそれより他に能がないのだね?」
「それもあるね」
「もう少し他にできる仕事があれば、ぐんぐんその方の方へ行って了ったらうからな………。文壇なんかにまごまごしていはしないからな──」
「………」
 Y君はそのまま黙って了った。かれの頭も、もはや半は禿げかけているのを私は見た。これがあの若い詩人か? 島崎君と恋の歌において拮抗した『野辺のゆきき』の作家(※)? 私は一種不思議な悠久の思いに撲たれずにはいられなかった。