2012年(平成24年) 西村賢太『一私小説書きの日乗』お仕事タイムライン
2012年(平成24年)の出来事
『人もいない春』(角川文庫、2012年1月)
『藤澤清造短篇集』(新潮文庫、2012年2月)
『西村賢太対話集』(新潮社、2012年4月)
『苦役列車』(新潮文庫、2012年4月)
『随筆集 一日』(文藝春秋、2012年5月)
『ベスト・エッセイ2012』(光村図書出版、2012年6月)
映画「苦役列車」(東映配給、2012年7月14日公開)
『どうで死ぬ身の一踊り』(新潮文庫、2012年10月)
台湾語訳『苦役列車』( 新雨出版社、2012年12月)
一私小説書きの日乗(シリーズ第1巻)つづき
2012年1月
2012年1月1日
年賀状30枚を投函。今年から元旦以降に出すことにした為。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。
2012年1月2日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。俗字や異体字の扱いを検討するために同時代同作家の新カナ本を参照したり。
2012年1月3日
『新潮』3月号用の日記(「創る人五十二人の二〇一一年日記リレー」)を書き上げる。ファクシミリではなく郵送で編集部に。
年賀状11枚を投函。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。
体調が悪いので、買い置きのルルを服用する。
2012年1月4日
悪寒で中途覚醒。38度。軽い吐き気と足の関節痛。寝汗まみれ。
体調が悪いとき(おもに痛風時)に「読む薬」として、岩波文庫の正岡子規『病牀六尺』『仰臥漫録』『飯待つ間』を拾い読みで復読。
2012年1月5日
「東京者がたり」第1回のゲラ。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。
37度2分に下がる。
2012年1月6日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。
年賀状4枚を投函
2012年1月7日
単行本『苦役列車』の映画化帯のラフが届く。主要キャスト3枚の写真を配したもの。
「東京者がたり」第1回のゲラを戻す。毎回版画カットが付される。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。本文校訂ほぼ完了。語注に取りかかる。
2012年1月8日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の語注ゲラ。
2012年1月9日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の本文・語注のゲラ完了。
2012年1月10日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラをバイク便に渡す。
横溝正史シリーズのDVD『仮面舞踏会』全4話を観る。昭和53年放映時に夢中で観ていた。横浜市緑区に隣接していた町田に住んでいた中学3年のときにテレビ神奈川で再放送をしていた。不鮮明ながらテレビ神奈川を観られた、という思い出。10年ほど前にTOKYO MXで再放送していたものをビデオ録画したこともある。原作小説は冗長に感じて好きな作品ではないが、テレビ版は好き。
2012年1月11日
野口氏(稲垣潤一のマネージャー)から連絡あり。昨年末のディナーショーで撮った写真が、ファンクラブ会報とホームページに掲載したことの報告。
中古DVD『横溝正史シリーズ』の『夜歩く』全3話。
2012年1月12日
新潮社から年賀状数枚が転送されてくる。うち1枚はNHK「課外授業ようこそ先輩」で赴いた母校である小学校に通う女子児童からのもの。その父親が1年先輩で、当時近所に住んでいた。
2012年1月13日
新潮社で、古浦氏と『藤澤清造短篇集』の打ち合わせ。
広告部から依頼された『週刊新潮』のJT広告頁インタビューを受ける。隔週2回に分けて掲載。
2012年1月9日月曜日の『通販生活』新聞折り込みに利用されたコメント?を、2012年1月17日火曜日の『朝日新聞』中の広告にも転用することの許諾を求められる。
映画化にあわせて『苦役列車』の早期文庫化を提案されるが、出版部に不信感がある為、あえて返答を保留する(いわゆる瀬戸際外交)。田畑氏は困惑。
文藝春秋で、『文藝春秋』臨時増刊号の企画「家にあるお宝」数点の紹介。赤木桁平(あかぎこうへい)の芥川龍之介宛献呈書名本(ただしボロボロ)。太宰治の直筆署名紙片。中原中也の自筆本詩集(真蹟/真筆かどうかは不明。朝日書林が公共機関にセールスしたことがあるが偽筆と判断されたものを安価で買い取った)等を含む6点。
『文學界』の森氏、田中光子編輯長、出版局の丹羽氏・大川氏と新年会。大川氏は「けがれなき酒のへど」転載時の編輯長だった。その次の編輯長の時代に干された。丹羽氏、3人目のお子さんが生まれたばかり。
「風花」で田畑氏と出会う。『読売新聞』文化部の鵜飼記者も合流する。
2012年1月16日
バイク便で『人もいない春』の見本10冊が届く。表題作の初出タイトルは掲載時のタイトルは「碧空を思う」(『野性時代』2008年7月号)。初出時のタイトルを変更したのは当作品と、『瓦礫の死角』所収の「崩折れるにはまだ早い」(初出は『群像』2018年7月号の「乃東枯」)のみ。文庫解説は南沢奈央。
2012年1月17日
表参道のワタナベエンターテインメント本社で、明日収録のテレビ番組の打ち合わせ。
大坪砂男『私刑』(昭和25 岩谷書店)収録の短篇を復読。
2012年1月18日
『随筆集 一私小説書きの弁』以降に発表したエッセイ(随筆)を整理。掲載誌のコピーをおこなう。
テレビ朝日で「ストライクTV」(2012年1月23日放送)を収録。
2012年1月19日
東京ドームシティでAKB48のライブを観る。これは『サンケイスポーツ紙』の依頼原稿(800時程度)のため。藺牟田市が同行。
サンスポの原稿を書く。
2012年1月20日
新潮社で、日本テレビ(「真相報道 バンキシャ!」1月22日放送)のVTR撮影。
険悪になっていた出版部との話し合い。桜井氏と和解した……直後に挑発する。
古浦氏に『藤澤清造短篇集』カバー画の決定案を確認。信濃八太郎・作。
2012年1月21日
『小説現代』2012年2月号が届く。「東京者がたり」連載開始。第1回掲載。担当の柴崎氏は、4年前に文芸第一出版部時代にも世話になったことがある。
先日書いたAKBライブ鑑賞記を確認するためにコンビニで『サンケイスポーツ』掲載紙を購める。サンスポは掲載前にゲラを送って来なかった。
2012年1月23日
書庫の整理。随筆の掲載誌で『SAPIO』と『朝日新聞』が見つからず。
2012年1月24日
『新潮』から紹介された税理士事務所。
2011年に新潮社から振り込まれた印税総額3,800万円(5冊の印税、原稿料、海外版など)。
ランキング2位は文藝春秋社。次いで角川書店。干されている講談社でさえ180万円。
2010年の年収は480万円だったが、今年は住民税だけでもその2/3を納税しなければいけないことにバカ笑いを発する。
角川文庫の高木彬光『二十三歳の赤ん坊』所収の短篇を復読する。
2012年1月25日
四谷三丁目、文言春秋の丹羽氏・森氏と打ち合わせ。
テレビドラマ『孤独のグルメ』を観て空腹をおぼえる。
2012年1月26日
「一私小説書きの独語」第7回を書く。
2012年1月27日
『サンデー毎日』から電話取材。芥川・直木賞特集記事のため。
『文藝春秋』臨時増刊号用の随筆を書きあぐねる。テーマは「震災後一年に際して」。
2012年1月28日
ルルを服用。
『文藝春秋』臨時増刊号用の随筆を書く。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。
2012年1月29日
藤澤淸造 祥月命日。没後80年目。本日は不参。芥川賞受賞以降、現地がうるさくなっているため、数日遅らせることに。
夜に、阿佐ヶ谷ロフトで、木村綾子氏(太宰治研究家)主宰の文学イベント(『文学とたにし』〜木村綾子の今どきブンガク論〜)にゲスト出演。ピース又吉が聞き手。
絶縁を申し渡したはずの田畑氏も顔を出す。追い返そうとするが、藺牟田氏になだめらる。ピース又吉を評して「三島由紀夫に風貌が酷似している」。
2012年1月30日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の解説を書く。
最近は、随筆類についてはノートに下書きせず、原稿用紙に直接書くようになってきた。藤澤清造の解説はまだノートから下書きしないと不安を感じる。
2012年1月31日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の解説つづき。
2012年2月
2012年2月1日
『文藝春秋』臨時増刊号用の随筆ゲラ。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の解説つづき、清書。
2012年2月2日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の解説の清書。バイク便に渡す。
「東京者がたり」第2回を書く。
2012年2月3日
雑用一束。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の解説ゲラ、カバー刷の見本、追加疑問等がバイク便で届く。
「東京者がたり」第2回のつづき。
2012年2月4日
「東京者がたり」第2回のつづき。
2012年2月6日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の一式の作業完了。
来週収録のテレビ番組の事前アンケートを書く。
古浦氏と電話でゲラの突き合わせ。
2012年2月7日
「東京者がたり」第2回のゲラ。柴崎氏の丁寧なコメント付き。
羽田空港から3時15分発のANA能登行き便に登場。4時半前に能登空港に到着。
6時前に七尾市入り。
小島町の西光寺で、第13回「淸造忌」。9日遅れ。参会者5名。
生前墓に新しい花と500ミリリットルのペットボトルのカルピスウォーターが供されていた。先月29日に若い女性が置いていったもの。
法要後に駅前の店で会食。
2012年2月8日
山の中にある健康ランドにて2時間。
1時過ぎの特急で金沢へ。
「徳田秋聲記念館」に立ち寄る。「藤澤淸造八十回忌特別展示」が開催されているために訪れたが、内容に不備があることに腹を立てる。不快感を抱くきっかけとなった5年前の出来事を思い出す。館長や女性学芸員の態度にも腹を立てて無視を決め込む。
金沢駅から小松空港。6時前のANA便で帰京する。
「東京者がたり」第2回のゲラ。
来週末に収録のJ-WAVEのラジオ番組の事前アンケート記入。
2012年2月9日
四谷三丁目の「叙々苑」で、角川書店の山田氏、『野性時代』の藤田氏と打ち合わせ。
「一私小説書きの独語」の連載期間が、当初の1年間にプラス1年延長となる。
山田氏が恐妻話を嬉々として語る。
2012年2月10日
書店配布の『LOVE書店!』から依頼された人生相談の回答を書く。
2012年2月11日
「信濃路」で、田中陽子編輯長と打ち合わせ。対談の人選と短篇の予定について。
ここで映画『苦役列車』のシーンを撮影したことを思い出す。
2012年2月13日
日本近代文学館の夏期講座について、ファクシミリで返答を督促されたので引き受けることにした。
出演決定済みのテレビとラジオの事前アンケート4本を書く。
2012年2月14日
砧のTMCで、テレビ朝日「大改造!! 劇的ビフォーアフター」2月26日放送分の収録。訊ねてきたメインゲストの若手女優(本仮屋ユイカ)からバレンタインデーのチョコレートをもらう。付添で来ていた2人(藺牟田氏・田畑氏)のうち、田畑氏が露骨に羨ましそうな顔をする。
2012年2月15日
雑用一束。
新潮社経由で、大関酒造からワンカップ大関1ケースが届く。朝吹真理子との対談映像内でワンカップ大関を飲んでいたのを見てのこと。(※ただし本人が愛飲しているのは「黄桜辛口一献」)
2012年2月17日
六本木ヒルズのJ-WAVEで、南沢奈央のラジオ番組「ガクケン DREAMERS ACADEMY」ゲスト出演(2012年3月3日放送)の収録。角川文庫「人もいない春」に解説を書いてもらった縁。山田氏のほか、呼んでもないのに田畑氏・藤田氏・田中陽子編輯長まで付添で現れる。
文藝春秋社で、田中慎弥と対談。初対面。
階下サロンで、『文學界』の森氏・田中光子編輯長・丹羽氏と打ち合わせ。
東京會舘で、第146回芥川賞・直木賞のパーティーに参加する。
新潮社出版部の斉藤氏・桜井氏、文庫の江木氏・古浦氏、『小説新潮』の堀口氏、『新潮』の田畑氏と居酒屋で打ち上げ。新潮との瀬戸際外交を詫びて、和解成立。
2012年2月18日
お台場のフジテレビ本社で、クイズ番組「ネプリーグGP」(2012年3月19日放送)の収録。ヲタ芸を踊った。
2012年2月19日
歌舞伎町の新宿ロフトで、岩井志麻子と徳光正行のトークライブ「オメ☆コボシ18」のゲスト出演。岩井志麻子の18歳の息子と対面する。
2012年2月20日
新潮社で、主婦の友社『mina(ミーナ)』2012年5月号のインタビュー。「大人になると云うこと」。
朝日新聞出版『朝日ジャーナル』(週刊朝日臨時増刊号 2012年3月20日号)のインタビュー。「私の考える原発」。
『藤澤清造短篇集』の見本10冊を受け取る。
2012年2月21日
赤坂のTBSで、ラジオ「小島慶子 キラキラ」3時台の「コラコラ」コーナーに生出演。小島慶子に会うのは、「ゴロウ・デラックス」「ゴロウ・デラックスSP」「ニッポン小意見センター」に次いで4度目。
TBS内の喫茶店で、藺牟田氏とBS11番組担当者3名と来週金曜日に収録する番組打ち合わせ。
「信濃路」で、『マトグロッソ』の山口氏と打ち合わせ。吾妻ひでお『失踪日記』をもらう。
2012年2月22日
雑用一束。
2012年2月23日
腹這いつつの作業。
2012年2月24日
赤坂のディジタルアーカイブス社で、元文藝春秋の菊池夏樹氏(菊池寛の孫)と対談。元新潮社の校條剛を顧問格とするウェブ文芸誌『アレ!』vol.8 2012年4月号(2012年3月29日 hontoで配信開始。2022年3月29日現在は公開終了)に掲載するもの。
江木氏、古浦氏と打ち合わせ。
2012年2月25日
対談、インタビューなど5種のゲラ。
ワタナベエンターテインメント関係の事前アンケートを書く。
吾妻ひでお『失踪日記』を全部読む。
2012年2月26日
多忙な日々のなかで、かつて自分を干していた文芸編輯者や新聞文芸評子への恨みを語る。
2012年2月27日
角川文庫『二度はゆけぬ町の地図』8刷の知らせ。カバー画を一新したもの。
表参道のワタナベエンターテインメント本社で、来週生出演するフジテレビの番組打ち合わせ。
「一私小説書きの独語」第8回を書く。
2012年2月28日
文春文庫『小銭をかぞえる』6刷の知らせ。丹羽氏によると、単行本版の発刊時には中年の女性読者から異常な猛抗議が来たという。
『暗渠の宿』は7刷10万部。『小銭』は第2位。
「一私小説書きの独語」第8回のつづきを書く。
2012年2月29日
藤澤淸造月命日。今月は不参。
新潮社出版部の桜井氏からバイク便で対談集ゲラが届く。
『藤澤清造短篇集』の1頁広告が載った『週刊新潮』2012年3月8日号と、『苦役列車』特報PR用のDVDも同封されていた。
2012年3月
2012年3月2日
神保町。BS11の番組(「小林麻耶の本に会いたい」)ロケ。藤澤淸造『根津権現裏』、大藪春彦『復讐の弾道』、北条民雄『いのちの初夜』を紹介する。2週(3月23日、3月30日)に分けて放送。
2012年3月3日
砧のTMCで、関西テレビ制作の関東地方のみで放映する深夜特番(「カキューン!! モテない国の大統領」3月15日放送)を収録。
「東京者がたり」第3回を書く。
2012年3月4日
赤坂の草月ホールで、俵万智が顧問格の「共感詩」を発表するイベント。
「東京者がたり」第3回のつづきを書く。
2012年3月5日
新宿のアルタで、フジテレビ「笑っていいとも!」生放送に出演。
アルタの控え室で、今月末収録のフジテレビ特番の打ち合わせ。
『西村賢太対話集』のゲラ。
2012年3月6日
『西村賢太対話集』のゲラのつづき。
『月刊アレ!(allez!)四月号 vol.8 』菊池夏樹との対談ゲラ。
『西村賢太対話集』のゲラのつづき。
稲垣潤一『三十周年記念ベスト~テーマ・ソングス~』を『男と女』に入れ換えて聴く。
2012年3月7日
『西村賢太対話集』の各篇の後日談的なものを書く。
2012年3月8日
確定申告の代行を依頼している税理士事務所へゆく。
新潮社で、『西村賢太対話集』と新潮文庫『苦役列車』の打ち合わせ。『苦役列車』のカバー装幀おおむね決定する。信濃八太郎・装画。「警察小説的な趣」と感じる。田畑氏を面罵する。
ワタナベエンターテインメントから近日収録予定の日本テレビの同録DVD(昨年のクイズ特番)が届く。
2012年3月9日
『文藝春秋(2012年4月号 田中慎弥 芥川賞「事件」の真相)』『野性時代(2012年4月号 一私小説書きの独語)』『朝日ジャーナル(週刊朝日臨時増刊号 2012年3月20日号「私の考える原発」)』が届く。掲載誌。
『文學界』2012年5月号用の短篇(「棺に跨がる」)の構想。
2012年3月10日
「棺に跨がる」の設計図を作る。
浅草で、『マトグロッソ』の山口氏と打ち合わせ。「日乗」の連載終了時期と単行本化について。
2012年3月11日
『西村賢太対話集』のあとがきを書く。「後日談」とゲラも共に宅配便で新潮社へ発送する。
「棺に跨がる」を書きあぐねる。
2012年3月12日
「棺に跨がる」を書きあぐねる。
2012年3月13日
ベランダで洗濯物を干していた際に軽く腰を捻る。
「棺に跨がる」を書きあぐねる。
2012年3月14日
腰痛が悪化する。5段階レベルで2と3の間。
「棺に跨がる」を書きあぐねる。
2012年3月15日
角川文庫『二度はゆけぬ町の地図』9刷の知らせ。夏のフェアの1冊に入った。
古浦氏から届いた新潮文庫『苦役列車』の解説ゲラがファクシミリ届く。石原慎太郎の直筆による訂正が加えられているものなので喜ぶ。原物(ママ)を譲ってもらえるよう古浦氏にお願いする。
「棺に跨がる」を書く。
2012年3月16日
雑用一束。
曙橋で、マツコ・デラックスと対談。『en-taxi』2012年春号 vol.35の企画。
石原慎太郎の直筆よる訂正を加えられたゲラの原物がバイク便のポスト投函で届いた。サインと西村賢太宛てメッセージ付き。
「西村大兄 あまり金持ちになるな。その内、必ず一杯やりましょう。」
「棺に跨がる」を書きあぐねる。
2012年3月17日
臨時増刊『文藝春秋 NEXT』(「家に眠るお宝紹介」)と『週刊新潮』2021年3月22日号(JT広告ページ随筆「師の年齢を超えてしまった」)が届く。
文藝春秋の丹羽氏から、第二随筆集『随筆集 一日』のゲラが届く。
ワタナベエンターテインメントを通じて、江戸川区の母校の小学校から「卒業式に代読するメッセージを寄せてほしい」という依頼あり(※たぶん引き受けた)。
『文學界』の森氏から電話があったので、短篇の進行状況を報告する。
2012年3月19日
汐留の日本テレビで、クイズ番組「ブレインアスリート」2012年4月1日放送文の収録。1回30分放送するものを3週分録り。
「棺に跨がる」のつづきを書く。
2012年3月20日
インタビュー掲載の『mina(ミーナ)』2012年5月号が届く。
「棺に跨がる」のつづきを書く。
2012年3月21日
「東京者がたり」第3回掲載の『小説現代』2012年4月号が届く。カット(挿絵)を楽しみにしている。
「棺に跨がる」のつづきを書く。ノート7頁分。
2012年3月22日
「棺に跨がる」のつづきを書く。ノート11頁分。
2012年3月23日
『西村賢太対話集』と新潮文庫『苦役列車』の用事を片付ける。
「棺に跨がる」のつづきを書く。ノート12頁分。
2012年3月24日
「棺に跨がる」のノートに書いた分の清書を並行してはじめる。17枚。
「棺に跨がる」のつづきを書く。ノート4頁分を追加。合計41頁。
2012年3月25日
「棺に跨がる」の清書。
2012年3月26日
「棺に跨がる」の清書。50枚にて完成。
森氏にバイク便の手配を依頼する。
ワタナベエンターテインメントからファクシミリで送られてきた明日の収録台本を読む。
雑用一束。
バイク便で「棺に跨がる」のゲラが届く。
加筆訂正して、ふたたびバイク便で返送。
2012年3月27日
フジテレビ本社で、「小娘のツボとオヤジの引き出し」(2012年4月22日放送)を収録。出演者の石原良純に挨拶する。
「日乗」を書く。
「一私小説書きの独語」第9回を書く
2012年3月28日
「一私小説書きの独語」第9回のつづきを書く
上原善広『日本の路地を旅する』を半分ほど復読。
2012年3月29日
藤澤淸造月命日。不参。
半蔵門のTOKYO MXで、生放送「5時に夢中」に出演。レギュラーである新潮社の中瀬ゆかりの代打(2度目)。司会は今週いっぱいでクビになる逸見太郎。
桜井氏・古浦氏・田畑氏と単行本・文庫・中篇の打ち合わせ。
2012年3月30日
田中光二の自殺未遂のニュースに衝撃を受ける。直接の面識はないが、20年前に手紙の返信をもらっていた(※つまり賢太から手紙を出していた?)。新宿一丁目に住んでいた頃、田中光二が仕事場に使っていた山の上ホテルを訪ねてくるようにと手紙で誘われていた。(※田中英光の墓の思い出話を少々)
「一私小説書きの独語」第9回のゲラを戻す。
2012年4月
2012年4月1日
上原善広『日本の路地を旅する』(文春文庫)の解説を書く。
新宿南口のK'sシネマで、ドキュメンタリー映画『加地等がいた──僕の歌を聴いとくれ』レイトショウ上映後のミニトーク出演。
終了後、知り合いとばったり会ったので、共に軽く一杯やる
2012年4月2日
上原善広『日本の路地を旅する』(文春文庫)の解説のつづき。
「東京者がたり」第4回を書く。
祖母の祥月命日。昭和52年に亡くなった。35年が経った。
2012年4月3日
『随筆集 一日』のゲラつづき。あちこち文章をなおす。
2012年4月4日
テレビ朝日アーク放送センターで、「Qさま!!」2012年4月23日放送分を収録。衣裳はツメ襟の学生服。実際の中学校ではブレザーだった。
この付近は田中英光の生誕の地。
『随筆集 一日』のゲラつづき。
2012年4月5日
大泉学園の東映東京撮影所で、映画『苦役列車』の初号試写。新潮社から5名、ワタナベエンターテインメントから2名来る。そのほか出演者、関係者、出資者等、百数十人での観覧。公開は2012年7月14日。
2012年4月6日
『文學界』2012年5月号が届く。「棺に跨がる」掲載号。同誌2009年6月号「焼却炉行き赤ん坊」以来、丸4年ぶりの掲載。
2012年4月9日
藤野可織の新刊『パトロネ』(集英社)を復読。小谷野敦の新刊『小谷野敦のカスタマーレビュー』(アルファベータ)を拾い読み。
新潮社PR誌『波』2012年5月号用の4枚(新発見作も付して──西村賢太編『藤澤清造短篇集』解説)を書く。
2012年4月10日
田中慎弥の新刊『田中慎弥の掌劇場』(毎日新聞社)を読む。
町田康の新刊『バイ貝』(双葉社)を読む。
赤羽で、痛風の薬をもらう。イトーヨーカドーで下書き用のノート20冊とボールペンの替芯10本を購める。(※PILOTの油性ボールペン「Opt.」品番:BOP-20F-MT 替芯:BPRF-6F)
最上階の書店で、『文學界』2012年5月を保管用として2冊購入。8年前のデビュー作(※けがれなき酒のへど)転載以来。
2012年4月11日
六本木のテレビ朝日本社で、クイズ番組「お願い!ランキングGOLD presents 眠れる才能テスト2時間SP」5月5日放送分の収録。新潮文庫の古浦氏と電話でひと悶着して激怒する。
2012年4月12日
高田文夫が病院に緊急搬送されたことを知って動揺する。
半蔵門のTOKYO MXで、「5時に夢中!」生放送に出演する。中瀬ゆかりの代打(3回目)。新司会者ふかわりょう。桜井氏・田畑氏・古浦氏がやってきて和解する。桜井氏から『西村賢太対話集』の見本10冊を手渡される。
フリーペーパー『LOVE書店!」が届く。「人生相談欄」所載号。
2012年4月13日
『西村賢太対話集』の見本を眺めながら、自著としては18冊目であり、干されがちの割に「案外書き手としてはそう不遇ではないのかもしれぬ」と自賛する。
2012年4月14日
「5時に夢中! サタデー」に玉袋筋太郎が出演しており自分のことを少しイジっているのを観て、爆笑する。
宅配便で、新潮文庫『苦役列車』の見本10冊・パネル・POPなどの販促品が届く。19冊目の単著。
『随筆集 一日』のゲラつづき。同書の「あとがき」を書く。
2012年4月16日
浜松町の文化放送で、「くにまるジャパン」番組内の1コーナーの録音(2012年5月7日~11 日・5回分)。
近くの喫茶店で『編集会議』誌のインタビュー取材。藺牟田氏が来ていた。
文藝春秋社で、『随筆集 一日』のゲラを戻す。装幀の打ち合わせ。『本の話』2012年6月号の著者インタビュー(エッセイの「私」と小説の「貫多」は同じなんです。)の取材。
森氏・丹羽氏・田中光子編輯長と蕎麦屋で一杯やりながら打ち合わせ。自作の提出忌日を決めた。
2012年4月17日
雑用一束。
フジテレビ本社で、深夜番組「おもしろ言葉ゲーム OMOJAN」5月1日放送分の収録。
2012年4月18日
手紙を1本書く。
『日刊ゲンダイ』の電話インタビュー取材。「今のテレビ番組について」。
六本木のテレビ朝日本社で、「Qさま!!」2012年5月14日放送分の収録。石原良純が楽屋に来る。献本などの礼などを述べられる。同氏は宝酒造の純CMに出演していた。
2012年4月19日
『文藝春秋』2012年6月号用の短文(「私小説書きの素朴な疑問」)を書く。
新潮社で、『週刊ポスト』の取材(週刊ポスト2012年5/4・11日号 芥川賞作家・西村賢太が指南する「失敗しないフーゾク選び」)。女性記者の横田氏が自らも下ネタを連発する。
新潮社の新刊2冊(『西村賢太対話集』、新潮文庫『苦役列車』)の5段広告が産経新聞に出ているのでコンビニで購める。
『en-taxi』2012年春号 vol.35(マツコ・デラックス対談)と『小説現代』2012年5月号(「東京者がたり」第4回)が届く。
2012年4月21日
各インタビューゲラ、来週のラジオのアンケートを書く。
礼状2本を書く。
「信濃路」で、『マトグロッソ』の山口氏と単行本(『一私小説書きの日乗」第1巻の打ち合わせ。
2012年4月23日
雑用一束。
「一私小説書きの独語」第10回を書く。
2012年4月24日
有楽町のニッポン放送で、高田文夫が休養中で不在の「ビバリー」に生出演する。メインパーソナリティーは火曜レギュラーの東MAX氏。
「一私小説書きの独語」第10回のつづき。
各種雑用を済ませてファクシミリで返信。
昭和56年の角川映画『悪霊島』のDVDを眺めながら晩酌。
2012年4月25日
テレビ朝日本社で、クイズ番組「お願い!ランキングGOLD presents 眠れる才能テスト」5月12日放送分を収録。高卒以下チームとして。
『野性時代』編輯部から「一私小説書きの独語」第10回のゲラが届いていた。訂正して返送。
映画『苦役列車』のポスター(各サイズ5枚ずつ)、チラシ60枚が宅配便で届く。
ファクシミリを返信したりや手紙を書いたりする。
2012年4月26日
文藝家協会編『ベスト・エッセイ2012』(光村図書出版)に再録される、「醜文の弊害」(初出:『新潮』2011年7月)ゲラに手を入れて返送。
『週刊ポスト』2012年5月4日・11日号が届く。
『波』2012年5月号が届く。『西村賢太対話集』の書評(豊崎由美)と新潮文庫『藤澤清造短篇集』の随筆が掲載。
青林工藝舎の高市真紀氏から、実姉・山田花子の著書5冊その他が届く。(※この時点で、『自殺直前日記』と『嘆きの天使』しか読んだことがなかった、と書いている)
山田花子『定本 神の悪フザケ』(青林工藝舎)を読む。(※『ヤングマガジン』初出時に何篇か読んだはず、と書いている)。
自分と同年生まれであること、当時の日雇い暮らしについて思いをめぐらせる。
2012年4月27日
山田花子『改訂版 花咲ける孤独』(青林工藝舎)と『改訂版 魂のアソコ』(青林工藝舎)を読む。
東MAXの新刊『下町のプリンス東MAXが教える 東京スカイツリー下町完全ガイド』(アース・スターエンターテイメント)を拾い読みする。
東映のプレスシート用の原稿「映画『苦役列車』に寄せて」を書く。(パンフレット掲載の『「苦役列車」のこと』とは別コメント)
2012年4月28日
小学館から、吉田聡の新刊『七月の骨』第3巻(ビッグスピリッツコミックススペシャル)が届く。推薦の帯文を書いたもの。
2012年4月29日
藤澤淸造月命日。不参。
雑用一束。
先般入手した水谷隼『エキストラお坊ちゃま』(昭21 岩谷書店)を読む。ユーモア探偵小説。
2012年5月
2012年5月1日
フジテレビ本社で、深夜番組「おもしろ言葉ゲーム OMOJAN」(5月22・29日放送分)の収録。
鈴木詩子『女ヒエラルキー底辺少女』(青林工藝舎)を読む。献本。
2012年5月2日
コンビニで『東京スポーツ』を購める。「テレビについて」のインタビュー記事が掲載されているため。読者プレゼント欄で、『西村賢太対話集』のサイン本、おまけで2011年2月本紙「西村賢太3P」の縮刷版が付く。
同『日刊ゲンダイ』を購める。
2012年5月3日
「東京者がたり」第5回を書く。
上原善広『異貌の人びと』(河出書房新社)を読む。
2012年5月4日
緊張を要する手紙を1本書く。
コンビニで『産経新聞』を購める。映画欄に、映画『苦役列車』の紹介記事が掲載されているため。森山未來の「貫多観」の断片。
『週刊文春』の随筆を書く。
2012年5月5日
『随筆集 一日』の再校ゲラ。
藺牟田氏から催促されて、来週収録番組のアンケート回答、来週収録のラジオ番組のアンケート2枚を書く。
2012年5月6日
『週刊文春』のゲラが届く。
王子駅前で、『文學界』へ異動になった丹羽氏と、単行本担当を引き継いだ文春出版局の大川氏と打ち合わせ。『随筆集 一日』の再校ゲラも渡す。カバーラフを見る。信濃八太郎の装画。
2012年5月7日
「東京者がたり」のゲラ戻し。
礼状を2通書く。
新宿の「かに道楽」で、『新潮』の田畑氏、出版部の斉藤氏(左腕を吊るしている)・桜井氏、文庫の江木氏・古浦氏、珍しく矢野編輯長(松葉杖)も参加した会合。
2012年5月8日
新潮文庫『苦役列車』2刷の知らせ。単行本と併せて累計31万部。
青林工藝舎の「山田花子フェア」ペーパー用の400字を書く。
2012年5月9日
汐留の日本テレビで、深夜番組「芸能★BANG+」(5月15日放送分)の収録。
書庫(5畳半)の整理。
昭和52年の毎日放送「横溝正史シリーズ」DVDを観る。『本陣殺人事件』の第1話と第2話の半分まで。
2012年5月10日
本日付の「東京スポーツ」掲載の高橋三千綱連載コラムに言及あり。
『文藝春秋』2012年6月号(「私小説書きの素朴な疑問」)と『週刊文春』2012年5月17日号(「まだ時期尚早」)が届く。ともに「橋下徹」について。
インタビュー所載の『編集会議』2012年夏号([特集3]ハダカの自分を書いて生きる)、「一私小説書きの独語」第10回掲載の『野性時代』2012年6月号が届く。
『文學界』2012年7月号用の短篇(「脳中の冥路」)の準備。
『本陣殺人事件』の第2話後半と最終話を観る。
2012年5月11日
六本木ヒルズのJ-WAVEで、ロバート・ハリスの「ヴィンテージ・ガレージ」(2012年5月27日放送分)の収録。神保町を車で廻るという内容。
該ロバートは、ジェームス・ハリスの子息であり、ラジオ「百万人の英語」以前のジェームス・ハリスが、終戦直後に日本語でミステリ小説を書いていた。
(※賢太が)十代後半の頃、古本屋で買った1冊300円の旧『宝石』にて短篇をいくつか読んだ。だから探偵小説作家という認識を持っている。
新潮社を経由して、町田市民文学館から講演依頼あり。断わる。
2012年5月14日
玄関脇の仕事部屋(4畳半)を片付けあぐねる。
届いたあと包装されたままの『苦役列車』皮装特製本(新潮社の単行本が10万部以上売れたら記念として限定4部作成してうち2部を著者に贈るもの)や自著の見本が積み上げられている状況。数十箱のダンボールが床を埋め尽くしている。インタビュ掲載誌も重ね置き。
新潮社で、『週刊大衆』カラーページのインタビュー取材。
『太陽を盗んだ男』のDVDを半分観る。
2012年5月15日
映画『苦役列車』マスコミ用の試写会状10枚とスチール写真が届く。この映画に一片の興味もなし。
手紙2本を書く。高橋三千綱へのハガキを書く。
『文學界』用短篇(「脳中の冥路」)のシノプシスをまとめる。厚紙カレンダーの裏紙に設計図を書き込む。
『太陽を盗んだ男』DVDの残りを観る。
稲垣潤一『セルフ・ポートレート』を聴く。
2012年5月16日
コンビニで『週刊現代』2012年5月26日号 (発売日2012年05月14日?を購める。六角精児が連載コラムにて映画『苦役列車』を取り上げているため。
2012年5月17日
「脳中の冥路」を書きあぐねる。
2012年5月20日
池袋リブロで、上原善広と久田将義のトークショーに参加する。
電話で『文學界』森氏と打ち合わせ。提出期限を延ばしてもらう。
イースト・プレス社に、今までの連載分をまとめた『一私小説書きの日乗』単行本化を断る旨を伝える。
『日乗』は、2012年6月から文藝春秋社のホームページ上で新連載が始まることに。
2012年5月21日
青林工藝舎から、「山田花子フェア」用のペーパー(「(いつの時代)も生きづらい人たちに──没後二十年・山田花子再評価」)が届く。
「脳中の冥路」を書く。
2012年5月22日
「脳中の冥路」のつづきを書く。
2012年5月23日
『随筆集 一日』の見本が出来上がる日。第二随筆集。
2012年5月24日
『随筆集 一日』の見本が届く。
文春の文庫出版部から、上原善広の新刊『日本の路地を旅する』が届く。解説を書いたため。
映画『苦役列車』の劇場用宣伝バナー(横断幕)が届く。サイズは、2メートル四方。
映画『苦役列車』の制作サイドの不備について不満を述べる。
「脳中の冥路」のつづきを書く。清書に取りかかる。
2012年5月25日
帰り道の花屋で紫陽花を2鉢購める。毎年ベランダに置いて水をやっている。しかし半月で枯れてしまうのが恒例。生家の庭にたくさん植えられていた。
「脳中の冥路」の下書き完了。ノート35頁分。
2012年5月26日
「脳中の冥路」の清書がほぼ完了する。44枚。
2012年5月27日
「脳中の冥路」の訂正を終えて、バイク便で「文學界」へ。
バイク便にて「脳中の冥路」のゲラ到着。ファクシミリで返信。
一私小説書きの日乗 憤怒の章(シリーズ第2巻)
2012年5月29日
イースト・プレスへ、「一私小説書きの日乗」最終回を送稿する。ウェブ文芸誌『マトグロッソ』掲載分。1年2ヶ月間、週1回更新、計61回。当初の約束期間プラス2ヶ月間。
稲垣潤一の所属事務所から、2012年6月発売のニューアルバム『ある恋の物語 My Standard Collection』の見本が届く。
「一私小説書きの独語」第11回を書く。
2012年5月30日
「一私小説書きの独語」第11回のつづきを書く。
2012年5月31日
高田文夫事務所から、入院中の高田文夫から自分宛のメッセージがファクシミリで届く。
先週届いていた『随筆集 一日』の見本を開封する。カバーに使用した「渋い光沢を放つ紙」は、石原慎太郎『生死刻々』と同一のもの。みずから希望した。『人もいない春」に次ぐ、自著では数少ない角背本。
2012年6月
2012年6月1日
新潮社で、『BRUTUS(ブルータス)』No.735 2012年7月15日号で、ミュージシャンの志磨遼平と対談。新結成したバンド「ドレスコーズ」のデビュー曲が、映画『苦役列車』の主題歌(「Trash」)であるため。
大会議室で、映像部を中心に打ち合わせ。そのあと、田畑氏・桜井氏・古浦氏と四谷三丁目で焼肉を食べる。
昭和52年の毎日放送『横溝正史シリーズ』の「三つ首塔」のDVDを観返す。
2012年6月4日
「東京者がたり」第6回を書く。「上野」篇の前篇だが、映画『苦役列車』の不快ポイントを書いてしまう。
2012年6月5日
新潮社で、『キネマ旬報』2012年7月下旬号のインタビュー取材。
田畑氏・古浦氏と鶴巻町の「砂場」に行く。古浦氏、サッカー遊戯中に鎖骨を折る。右腕を吊るして手術待ち。
昭和52年のATG映画「不連続殺人事件」を観る。
2012年6月6日
半蔵門で、『週刊アサヒ芸能』2012年6月28日号掲載のテリー伊藤の連載対談。
地下鉄で神保町に行き、古書店を廻る。
九段で、武道館の西側入口で共同通信の記者と合流。観覧寄稿の取材(2012年6月●日掲載)で、AKB総選挙を見る。
2012年6月7日
『文學界』2012年7月号が届く。「脳中の冥路」掲載号。
『週刊文春』 2012年7月12日号の「日活ロマンポルノ女優」特集の原稿を書く。
2012年6月8日
先日のAKB総選挙の感想原稿を書く。
JTの広告エッセイ「喫煙室」用の2枚弱を2本書く。
2012年6月9日
フジテレビ本社の屋内喫茶店で、東海テレビの番組スタッフとロケの打ち合わせ。
お台場ヴィーナスフォートで、稲垣潤一のカバーアルバム発売記念イベントに参加。トークゲスト。『ある恋の物語』限定版と通常版と宣伝ポスターにサインをもらう。
2012年6月11日
新潮社で、映画絡みの雑用一束。
田畑氏と矢野編輯長と連れ立って、四谷三丁目で焼肉を食う。
2012年6月12日
王子駅前のホール「北とぴあ」で、六角精児と対談。『週刊現代』2012年7月28日号の企画。ホール会議室で写真撮影したのち、近くのモツ焼き屋で酒を飲みながら対談。携帯のメールアドレスを交換する。
2012年6月13日
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!!」の収録。
映画「苦役列車」劇場用パンフレットの一文を書く(※ついでに映画の文句を述べている)。
2012年6月14日
先週こなした4種のゲラ。
東京駅から、のぞみで名古屋へ。
東海テレビの深夜バラエティー特番「有吉弘行のヘベレケ」7月22日放送分のロケ収録。夜9時に終了したのち打ち上げに参加する。深夜2時半まで飲む。
2012年6月15日
名古屋の宿で起床。
新潮文庫『苦役列車』3刷の知らせ。刷り部数が多い。
紀尾井町の文藝春秋社で、『日経エンターテインメント!』2012年8月号 NO.185 のインタビュー取材。
2012年6月18日
『野性時代』2012年7月号が届く。「一私小説書きの独語」第11回掲載号。ざっと目を通して、第12回を書く。ふたたび映画『苦役列車』の不出来さについて書く。
『文藝春秋』2012年8月号に掲載する「この人の月間日記」を書く。
朝6時に原稿をやめたあと、上原善広の大阪の実家の精肉店から贈られた霜降り牛を焼いて飲む。
2012年6月19日
新潮社で、『TV bros.(テレビブロス)』2012年7月7日 創刊25周年超特大号のインタビュー取材。(※またしても苦役列車の悪口を述べている。宣伝だと)
矢野編輯長と話し合う。一昨日に口論となってクビを言い渡した田畑氏について。和解する。4年間で通算6度目か7度目となる和解。
「砂場」で、田畑氏と共にウーロンハイを飲む。
2012年6月20日
『新潮』2012年8月号用の随筆(「結句、慊い」)を書く。当初のタイトル案は「リアル貫多、映画を観て失笑す」。
2012年6月21日
西新宿で、『en-taxi』2012年夏号 vol.36用の対談。木内昇。
「この人の月間日記」つづきを書く。
2012年6月1日
「結句、慊い」のつづきを書く。
「この人の月間日記」のつづきを書く(※この原稿も映画『苦役列車』の悪口)。
2012年6月25日
『小説現代』2012年7月号が届く。「東京者がたり」第6回掲載号。
「結句、慊い」と「この人の月間日記」のゲラ。
藤沢周の新刊『武曲』(文藝春秋)を読む。
昨日入手したメディコム・トイの金田一耕助のフィギュアをポージングさせたりして眺めながら酒を飲む。
2012年6月26日
藤沢周の新刊『武曲』を読み終える。
映画『苦役列車』関連の印刷物の校正をおこなう。
2012年6月27日
知人が上京する。浅草で寄席を聞いたあと、バッティングセンター、鮨を食べる。(※このあと、この「知人」が複数回登場する。葛山久子のモデルの可能性は?。知人の初登場はいつ?)
2012年6月28日
夕方、昨日の知人と合流する。東京ドームで日本ハム対楽天戦のナイターを観る。そのあと、鶯谷の「信濃路」で一献。
「信濃路」の店長が、西村賢太の著書を5冊買い置いており、それに署名を求められる。喜んで応じる。そのおかげなのか本日の会計はロハとなる。
2012年6月29日
新潮文庫『苦役列車』3刷の見本が届く。この版から帯デザインが変更。
虎ノ門のホテルオークラ別館で、新潮三賞(三島由紀夫賞、川端康成賞、新潮新人賞?)のパーティに出席。
そのあと、田畑氏・古浦氏と焼肉屋へ行く。レバ刺しをめぐって古浦氏を軽くキレさせる。
2012年7月
2012年7月1日
映画「苦役列車」の鑑賞券30枚(有償)の手配を新潮社に依頼する。無償で入手できるのは20枚までだった為。会う人に「映画観に行きます」と言われることが多いので、「根がかなりのエチケット尊重主義にできている」あまり、鑑賞券をプレゼントせざるを得ない。
木内昇『笑い三年、泣き三月。』を読む。
2012年7月3日
新潮社で、『東京スポーツ』のインタビュー取材。映画「苦役列車」のスポンサー。
田畑氏と次回作の中篇小説の打ち合わせ。期日の件で揉める。矢野編輯長も加わるが怒りおさまらず、食事の誘いもタクシーチケットも断って怒りの帰宅。
ファクシミリで田畑氏にクビを通告する。
2012年7月4日
四谷三丁目の焼肉店で、『文學界』の森氏と打ち合わせ。ほか、丹羽氏・田中光子編輯長、出版局の大川氏も加わる。
「風花」に、映画「苦役列車」の大判ポスターが掲示されているのを確認。
2012年7月5日
昨夜クビを通告した田畑氏から音沙汰が無いことに苛立ち、矢野編輯長宛てにファクシミリを送付する。
2012年7月6日
矢野編輯長から誠意ある返信ファクシミリが届く。
(※矢野編輯長との確執の歴史を語っている)
「風花」のボトルに「矢野殺す」と書いたことがある、等。『新潮』だけは自分を干したことがない事実を評価している。
「東京者がたり」第7回を書く。
2012年7月7日
『東京スポーツ』をコンビニで購める。インタビュー掲載号。映画「苦役列車」の悪口が削除されていた。(※またもや映画の悪口を述べはじめる)
新潮社へ行くと、雨のなか社外入口で矢野編輯長が出迎えてくれる。
新館の応接室で、矢野編輯長と話し合う。田畑氏へのクビ通告を撤回する。そして四谷三丁目の焼肉屋で手打ち式をおこなう。2週間ぶりのクビ通告であり和解となった。これを「瀬戸際外交」「一人北朝鮮」と称しているおのれに対して自嘲の笑みを浮かべる。
2012年7月9日
「この人の月刊日記」掲載の『文藝春秋」2012年8月号と、六角精児との対談が掲載されている『週刊現代』2012年7月21日・28日合併号が届く。
古浦氏から、2012年7月新刊の電車中吊り用広告ポスターが届く。
2012年7月10日
町田康の最新刊『餓鬼道巡行』を読む。「矛盾まみれのラーメンショップ」の一章がお気に入り。
フジテレビ本社で、「おもしろ言葉ゲームOMOJAN」7月17日・24日放送分の収録。
『読売新聞』2012年7月15日用の読書面の原稿を書く。
2012年7月11日
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!!」2012年7月30日放送分の収録。学生服着用で「ブサイクインテリ軍団」の一員として出演。おなじ江戸川区出身作家である石田衣良と共演。
次の中篇の準備をする。
2012年7月12日
テレビ番組での対談予定が延期となる。「毎回ホスト役をつとめておられるお相手の方」(石原慎太郎)が風邪をこじらせた為。
新潮社から宝酒造「純」1ケース、東映からも同じく1ケース、「en-taxi」誌の田中陽子編輯長から高級そうなタオルセットが届く。誕生日祝い。読者からもCDがプレゼントとして届く。
2012年7月13日
神保町、銀座へ行く。丸の内東映のまえに佇み、明日から公開される映画「苦役列車」の看板を見上げる(※またまた悪口を書き連ねている)。前売り券を1枚購入する。特典である「お札型メモ帳の入った北町貫多の給料袋」を入手する。(※参考 http://blog.livedoor.jp/swan333/archives/53448868.html)
35年前ほど前に「東映まんがまつり」を観に来たことを思い出す。
2012年7月14日
銀座の丸の内東映で、映画「苦役列車」の初日舞台挨拶。蕎麦屋で、「新潮社のかた」と蕎麦屋で飲む。
高田文夫事務所から「朗報」と大書したファクシミリが届く。400字詰め原稿用紙1枚の直筆退院メッセージ。『小説現代』の柴崎氏経由で転送。
2012年7月15日
コンビニで『読売新聞』を購める。「本のソムリエ」欄に掲載。
一昨日に届いていた『野性時代』2012年8月号に掲載されている「一私小説書きの独語」第12回をパラパラはぐり、木内昇の新連載『光炎の人』第1回を読む。
飯田橋で、『朝日新聞』のインタビュー取材。「逆風満帆」欄に全3回(2012年8月4日・11日・18日)。駅頭で写真撮影したのち、新潮社の会議室で2時間半の取材。
田畑氏と四谷三丁目で焼肉を食べる。
2012年7月16日
雑用一束。
酒井順子の最新刊『もう、忘れたの』(講談社)を読む。
2012年7月17日
『サンデー毎日』2012年7月29日号が届く。「意中の総理」について短いコメントが掲載。
新宿バルト9で、映画「苦役列車」を観る。鑑賞券50枚を、サウナの受付嬢。焼豚を購めることがある肉屋の夫婦などに配りまくったが、5枚残ってしまった為。東映から漏れ伝わっている興行成績は「中の下」(※ふたたび映画の悪口、すこし褒め)。
2012年7月18日
韓国映画「プンサンケ」(キム・ギドク脚本、チョン・ジェホ監督)の推薦コメント。80字(「昨今の生ぬるい青春映画で感動してる輩は、この哀しみの世界にぶん殴られてみるべきだ」)。
『週刊文春』2012年7月26日号が届く。JTの広告エッセイ2回目(「コーヒーの用途」)が掲載。イラストは信濃八太郎。
額縁屋で、簡単な作りのポスター用の額を購める。稲垣潤一に為書きでサインしてもらったポスターを入れるため。リビングの壁に掛ける。
玄関すぐ横の短冊額を、平賀元義から尾崎一雄のもとのへ変更。寝室の色紙額を菊池寛から笹沢左保に差し替え。文言は「流離の人、木枯し紋次郎」。
2012年7月19日
新潮社で、『週刊プレイボーイ』のインタビュー取材。
田畑氏・古浦氏と「砂場」で飲む。
解散後、野暮用に赴く。
2012年7月20日
『小説現代』2012年8月号が届く。「東京者がたり」第7回掲載号。『en-taxi』2012年夏号 vol.36が届く。木内昇対談の掲載号。
新潮社から宅配便で、東映経由の映画関係掲載誌が一箱分届く。
既知の読者から、扇子と映画DVDのプレゼントが届く。
2012年7月21日
中篇を書きあぐねる。
宮野村子『紫苑邸の謎』(穂高書房 昭33)を復読。
汐留の日本テレビで、生放送の「五択プロトタイプ」に特別出演。共演者の吉田豪とは初対面。挨拶する。
2012年7月23日
葛西善蔵祥月命日。
四谷三丁目で、『週刊ポスト』の女性記者と飲む。(※同誌「失敗しないフーゾク選び」の取材を担当した下ネタを厭わない女性記者か? )。「風花」へ流れると、坪内祐三が講談社の編輯者3名と連れ立って来たので合流。
2012年7月24日
芥川龍之介祥月命日。
町田康の最新刊『この世のメドレー』(毎日新聞社)を半分読む。
原稿仕事が不調。
2012年7月25日
慈眼寺の芥川龍之介の墓で一礼する。
新宿バルト9で知人と待ち合わせ。映画「苦役列車」のミッドナイト上映を観る。(※またもや悪口を述べている)
2012年7月26日
町田康の『この世のメドレー』を読了。
藤澤淸造『根津権現裏』を元本で読み返す。(※電子書籍版では「藤」が竹かんむりになっている)
2012年7月27日
藤澤淸造『根津権現裏』を完読(※「儀式終了」と記している)。
中篇の準備(設計図)が全完了する。
文春文庫『小銭をかぞえる』7刷の知らせ。
2012年7月29日
藤澤淸造月命日。不参。
中篇を書きはじめる。
2012年7月30日
雑用一束。
夕方に「楽しきことあり」。
2012年7月31日
銀座で、知人と合流。
知人の奢りで、丸の内東映で映画「苦役列車」を観る。テケツの窓口で、前にならんでいた他人がジャラ銭をぶち撒ける。知人は「わざわざスカートの膝を折って~ジャラ銭を一緒になり拾ってあげている」。(※ここで知人が「女性」であることをあえて記している。これは交際している女性がいることを仄めかしているように窺われる)。(※やはり映画のちょっとした悪口を述べている)。
2012年8月
2012年8月1日
雑用片付かず。
夜に楽しきことあり。
2012年8月2日
雑用一束。
中篇を書きあぐねる。
2012年8月3日
有楽町のよみうりホールで、日本近代文学館による第49回「夏の文学教室」の2時限目の講演。演題は藤澤淸造に関してのこと。十分経過したところで早くもシドロモドロになった。過去に、小説を書く前に、石川近代文学館、七尾の新聞紙者の文化教室、図書館などで4回おこなったことがあるが慣れない。苦手だという。
控室で、色紙を書く。田畑氏・森氏・丹羽氏・田中光子編輯長があらわれる。文庫部の古浦氏が来なかったことに軽く抗議する。
帰宅後、「うれしき手紙」が届いていた。
2012年8月4日
『朝日新聞』2012年8月4日別刷の『be』が速達で届く。 逆風満帆 (上) 「ニートのヒーロー」掲載号。
このインタビュー記事中に「丸の内東映で映画を観た」と答えているが、「東映まんがまつり」の記憶違いだったことに気づく。
2012年8月5日
中篇を書きあぐねる。
「東京者がたり」第8回を書きはじめる。
2012年8月6日
中篇の下書きがパタリと止まる。
手紙を書く。
本を読む。
2012年8月7日
新潮文庫『藤澤淸造短篇集』を収録順に復読する。
「思うところあり、買淫を一時中止しているので、逃げ場と云えば、好きな私小説の復読以外なし」という記述あり。先の「知人女性」と関係があるように窺われる。
2012年8月8日
「東京者がたり」第8回のゲラ。
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!! 天才脳決定戦SP」10月15日放送分の収録。
信濃路へ行く。「墓前生活」「春は青いバスに乗って」「けがれなき酒のへど」「瘡瘢旅行」「膿汁の流れ」「昼寝る」「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は、ここのカウンターの左隅っこに陣取りつつ、設計図のメモを書いていたことを想起する。「信濃路文学に過ぎぬことを確認」と卑下してみせている。
2012年8月9日
『週刊プレイボーイ』2012年8月27日号。「俺のズリセン」掲載号。
2012年8月10日
新潮社の出版部経由で、某誌から「風俗についてのインタビュー依頼」が来たが「思うところあって」断る。インタビュー取材を断ったのは過去に1度だけなので珍しい。
(※例の「知人女性」による影響が窺える。)
大河内常平『25時の妖精』(昭35 浪速書房)を復読。
(※好きな「ヘタうまの文章」を書く小説家として、田中英光・川崎長太郎・大河内常平・石原慎太郎を挙げている)
2012年8月11日
『THE21』2012年9月号。テリー伊藤のコラム連載「成功者からの正しい学び方」第30回にて言及あり。カラーページ見開きの長文。映画『苦役列車』のネガティブキャンペーンについても言及している。
2012年8月13日
中篇の下書き、進まず。
角川書店の藤田氏から、開催中の「横溝正史生誕百十周年記念フェア」のポスターとPOP複数枚が届く。復刊される杉本一文によるカバー装画数十点をあしらったデザイン。
東京堂で展かれた原画展に案内の葉書(招待状?)が届いたが遠慮していたが、書店で見かけて欲しくなった。
届いたポスターのうち1枚を額に入れて、寝室の壁面にかける。
2012年8月14日
中篇の下書き、進まず。
朝日書林から宅配便で届いた荷物を開封する。藤澤淸造『根津権現裏』聚芳閣(しゅうほうかく)特装本。
現在所有しているのは、「元版の日本図書出版のものが完本、裸本を併せて十七冊、聚芳閣版の普及本の方が九冊。〝該上製の特装本は、これまでに一冊きりの架蔵しかない」と述べている。
「知るかぎりこの特装本を所有しているのは石川近代文学館だけ。」と述べている。
「今回朝日書林を通じて照会して下すった前所有者の提示額は四十万円だったが、当然ミズテンで購入」したと述べている。
「現物を見てみると、自分がすでに架蔵しているものよりも函背がヤケているが、まあこれに関しては、そう贅沢も云えまい。 本体、函に手ずからパラフィン紙をかけ、六畳の〝書庫〟の、造関係専用のガラス付きキャビネット中に収める」と述べている。
2012年8月15日
田畑氏に電話して、『新潮』2012年8月号に掲載予定だった「中篇」について白旗宣言をする。田畑氏、激怒を押し隠して食い下がってくる。
そのあと夜に田畑氏から「恐ろし気な」ファクシミリが届く。
2012年8月16日
田畑氏に、あらためて「完全降伏」を告げる。しかし田畑氏、食い下がってくる。明日弁明することを約束する。
池袋で、ワタナベエンターテインメントの藺牟田氏・土居氏と打ち合わせ。
東武デパートで、名刺ホルダーと新刊本2冊を購める。
古浦氏から、10月発刊予定の新潮文庫『どうで死ぬ身の一踊り」のカバーデザインがバイク便で届く。
トーハン『新刊ニュース』2012年11月号のアンケート回答を書く。
2012年8月17日
東京會舘で、第147回芥川賞・直木賞の贈呈式・祝賀パーティー(受賞者は、芥川→鹿島田真希氏『冥土めぐり』・直木→辻村深月『鍵のない夢を見る』)。
大森望と出くわす。メッタ斬りコンビによるトークライブにて、ゲストの朝吹真理子と道尾秀介がメンバーによる「西村賢太被害者の会」について、「おいしくイジって下すったこと」に感謝を述べる。
矢野編輯長と出くわす。メガネのフレームを丸いものに変えたことに気がつく。「何だか昔の憲兵隊長みたいな雰囲気」と述べている。
四谷三丁目の焼肉屋で、田畑氏・古浦氏に謝罪する。
2012年8月20日
『朝日新聞』2012年8月11日別刷の『be』が届く。「逆風満帆(中) 父からの解放、母への復讐」掲載号。「写真は19歳時のもの。十代から二十代半ばまでの写真は、これ1枚しか持っていない」と述べている。痩せた人足スタイルだが、横浜市内の造園会社で働いていたときのもの(疒の歌)。カメラフィルムが余っていたとき主任格の者にパシャリとやられた写真。
2012年8月21日
新潮社経由で、韓国映画「プンサンケ」のパンフレットが届く。コメント掲載。
青林工藝舎の高市真紀から贈られた「粕漬」を焼いて食べる。
2012年8月22日
文春文庫『小銭をかぞえる』7刷の見本が届く。
水谷隼『獣人の獄』(昭7 新潮社)を復読。
『文藝春秋』2012年10月号用の短文を書く。中国人による尖閣諸島上陸について。
2012年8月23日
『週刊文春』2012年8月30日号を読む。宮藤官九郎の連載コラム「いまなんつった?」で、映画「苦役列車」について言及しているため。(※「中途半端に陳腐な青春ムービー」を気に入っていないと述べている。これは映画「プンサンケ」に寄せたコメントなので、やはり当てこすりだった)
(※またしても映画「苦役列車」の悪口の書き連ねている)
宮藤官九郎が「私小説を娯楽作品へと転化した」と書いていることについて、「自分は私小説を娯楽以外のものに思ったことは、ただの一度もない」と述べている。
「信濃路」に飲みに行ったら、頭上の品書きの短冊中に混じって、映画「苦役列車」のチラシが貼り出されていた。(※こんなことを日記に書き残すってことは、やっぱり映画化が嬉しくてたまらないことが窺える)
2012年8月24日
田中英光「狂気の太陽」「愛と青春の生活」を娯楽として復読する。
2012年8月27日
体調悪し。
2012年8月29日
藤澤淸造月命日。不参。
体調悪し。
2012年8月30日
先月に朝日書林から届いてたダンボール函を開封する。今年の明治古典会大市で落札した品。川崎長太郎の生原稿二点(創作、随筆)。尾崎一雄の句入り署名本。石原慎太郎氏の限定十五部本(通し番号12のもの。当時の定価30万円、バブル期は45万円のプレミア。のちに「東京の窓から」のテレビ対談で持参して結局石原本人に進呈してしまう https://www.youtube.com/watch?v=YS_eOCzCiPw )、これは肉筆油絵が表紙に仕立てられた『太陽の季節』(昭55 成瀬書房)。夢野久作の『山羊鬚編輯長』(昭12 春秋社)すべて下札にて落とした。
川崎長太郎の肉筆物で所有しているのは、原稿3点、葉書20枚、色紙や署名本。(※目につくと蒐集欲がじわりと湧いてしまう、と述べている)
2012年8月31日
終日無為……に近い状態。
2012年9月
2012年9月1日
フジテレビの湾岸スタジオで、特番「アウト×デラックス」9月19日放送分の収録。
2012年9月3日
体調すぐれず。
仕事やったり、やらなかったり。
2012年9月4日
ダンボール函を7箱ほど整理する。映画「苦役列車」関連のものが多い。(※また当てこすりを述べている)
2012年9月5日
テレビ朝日で、クイズ番組「Qさま!!SP」10月8日放送分の収録
2012年9月7日
テレビ朝日で、クイズ番組「芸能界雑学王3時間SP」9月27日放送分の収録。
2012年9月8日
池袋の東京芸術劇場で、「東京福袋」の催しをこなす。
本谷有希子との自作朗読と対談(『en-taxi』2012年冬号 vol.37?)。
田畑氏・森氏と四谷三丁目で焼肉を食べる。
2012年9月9日
届いた文芸誌のうち『群像』その他を封も開けずにゴミ箱へ捨てる。
『文藝春秋』2012年10月号を開く。「戸締まり用心」を掲載しているため。
2012年9月10日
テレビ朝日本社で、「超タイムショック 最強クイズ王トーナメントSP」9月20日放送分の収録。
2012年9月11日
寄贈を受けている『週刊大衆』と『アサヒ芸能』を数週間分まとめ読み。『アサヒ芸能』のモノクロページで、四谷プロ「怪奇大作戦」のDVDボックスが再発売されることを知る。購入を決意する。
2012年9月12日
手紙を2本書く。
注文していた古書が届く。武田武彦の詩集『信濃の花嫁』(昭22 岩谷書店)の墨署名入本。全32頁。終戦直後の仙花紙の仮綴本。はじめて入手したのが18歳のとき、4千円で。岩谷健司や城昌幸にも言及している。
四谷三丁目で、『文學界』の森氏・丹羽氏・田中光子編輯長・大川市と打ち合わせ。
「風花」で、「毎日新聞」の鈴木記者、「朝日新聞」の記者氏とも出くわす。
帰宅後、知人と電話で和解する。日曜日の夜にちょっと気まずくなっていた。
2012年9月13日
鶯谷の「信濃路」で、『en-taxi』の田中陽子編輯長と打ち合わせ。
2012年9月14日
ワタナベエンターテインメントの土居氏から観るように言われていた某番組の同録DVDを3本観る。
2012年9月15日
仕事やったり、やらなかったり。
2012年9月16日
痛風の兆候あり。
2012年9月17日
『クイック・ジャパン』から依頼されていた雑文を書く。ただし編輯者から返信が来ず。
田畑氏に電話する。締め切りに間に合わないこと謝罪する。
2012年9月19日
浅草の演芸ホールで時間をつぶす。
2012年9月20日
新潮文庫『どうで死ぬ身の一踊り』の見本が届く。ただし開封せず。
酒井順子の最新刊『この年齢だった』(集英社)を読む。
2012年9月21日
銀座松屋の「ベルサイユのばら展」に行く。知人に頼まれた「会場限定グッズ(オスカルグッズを100点ほど)」を入手するため。少年時代にテレビで流れていたが眺めたことはない。会場で3人の女性に握手を求められる。
2012年9月22日
『文學界』2012月11月号用の短篇(「豚の鮮血」)を書き始める。秋恵もの。構想して、ノートに下書きを開始する。
2012年9月23日
短篇「豚の鮮血」。下書きしながら並行して清書をおこなう。
2012年9月24日
池袋で、TOKYO MXのプロデューサーや構成作家氏らと打ち合わせ。来月から始まる夜の報道バラエティー番組(生放送)について。ダイアモンド☆ユカイと火曜日レギュラーを担当。ニッポン・ダンディ。
「豚の鮮血」のつづきを書く。
2012年9月25日
明け方5時前に「豚の鮮血」の下書きが完成。ノートに28頁分。
2012年9月26日
「豚の鮮血」の清書のつづき。全体を音読しながらの訂正作業。
『文學界』の森氏にバイク便を手配してもらう。
2012年9月27日
森氏から「豚の鮮血」を採用するという連絡が届く。
しばらくのち、バイク便でゲラが届く。
やりとりして、「豚の鮮血」が完成する。原稿用紙35枚。
2012年9月28日
新潮社経由で『クイック・ジャパン』のゲラを受け取る。そもそも受け取り連絡をして来なかった『クイック・ジャパン』の編輯者に対して不満を述べる。この編輯者は、今年の2月には『朝日ジャーナル(週刊朝日増刊)』の「私の考える原発」を担当した者。
2012年9月29日
藤澤淸造月命日。不参。室内墓地に手を合わせる。
『毎日新聞』の鈴木記者から電話あり。同紙に掲載したインタビュー記事を、11月上梓予定のちくま文庫『今夜も赤ちょうちん』に「飲み屋に関するエッセイ」を収録したい旨。快諾する。
銀座で、『週刊アサヒ芸能』の松尾氏と打ち合わせ。11月からの新連載コラム(したてに居丈高、下手に居丈高)について。
2012年9月30日
四谷三丁目の焼肉店で、田畑氏と打ち合わせ。
『新潮』2012年11月号に掲載予定だった中篇小説をとばしたにも関わらず、『文學界』に別の短篇を提出したことについて釈明をおこなう。
田畑氏が発売されたばかりのiPhone5に機種変更していることに気づく。
2012年10月
2012年10月1日
新潮文庫『どうで死ぬ身の一踊り』の見本と購入分の梱包を解くが、希望していた「背文字等にズレがないもの」が届かず。状態が気に入らず半分を返品する。(※いままで新潮文庫の担当者が何度も「不手際」を重ねていることを長々と述べており、他部署を巻き込んだり、電話で口論となったことを説明している)
2012年10月2日
半蔵門のTOKYO FMで、新番組「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。火曜日レギュラー(初のレギュラー番組)。共演者はダイアモンド☆ユカイ。レッド・ウォーリアーズ時代のことに一言だけ触れている。
2012年10月3日
雑用一束。
木内昇の最新短篇集『ある男』(文藝春秋)のうち2篇を詠む。
2012年10月4日
羽田空港から小旅行に出かける。
2012年10月6日
帰京。帰室。
届いていた文芸誌のうち、『文學界』2012年11月号だけ開封する。「豚の鮮血」掲載号のため。「「どうで死ぬ身の一踊り」の後日譚である「棺に跨る」「脳中の迷路」の連作、と述べている。
2012年10月8日
次の短篇のネタ繰り。うち1本は秋恵もの。
2012年10月9日
TOKYO MXの控室で、フジテレビとWOWOWと打ち合わせ。
「ニッポン・ダンディ」リハーサル。そのあと夜9時から生放送。番組内で石原慎太郎をジャッジするコーナー有り。もちろん肯定的に答えた。
「東京者がたり」第9回を書く。
2012年10月10日
明日収録のテレビ番組の準備をする。クイズではないが「虫食い問題」に埋める言葉の準備。
「東京者がたり」第9回のゲラ。
2012年10月11日
砧のTMCで、フジテレビのゴールデンタイム新番組「世界は言葉でできている」2012年10月24日放送分の収録。ワタナベエンターテインメントの土居氏、『新潮』の田畑氏が付き添い。パソコン形式で回答するため、操作ができないので田畑氏に「代打ち」に指名した。「出たがりバタちゃん」というニックネームをつける(※新潮社は残業手当てがつかないことを述べている。)
前室で、大竹まことが『文藝春秋』に書いた雑文を褒めてくれたこと、に感謝を述べている。芥川賞受賞直後に大竹まことのラジオに出演したことがある。
田畑氏と「信濃路」で反省会。
2012年10月12日
WOWOWの番組で「解答」となる「ストーリー」を準備する。「若い女性が主人公の空想話」。
『静かなるドン』第104巻を購める。
帰室。
2012年10月13日
『新刊ニュース』2012年11月号が届く。「つい人に勧めてしまいたくなる3冊」のアンケート掲載号。
2012年10月15日
新潮社で、『BITTER』の取材。
本館の資料室のトバ口で、『BIGtomorrow』の取材(2013年1月号?)。
文庫部の者が、例の『どうで死ぬ身の一踊り』の見本の「不手際」の件で弁解にやってくるが無視する。
四谷三丁目で、田畑氏と焼肉を食べる。
2012年10月16日
帰宅後、「小不快事あり。気分悪し」と述べている。「ゲラを放棄」とあるので、その関連か。
TOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。リハーサル時に、あらためて『BIGtomorrow』誌の写真撮影あり。
帰室。
鶯谷の「信濃路」で飲みながら『en-taxi』誌の短篇用のネタ繰り。
2012年10月17日
不快は続く。
玄関の靴箱上の額を、太宰治の自筆葉書(※決してファンではないと述べている)から大河内常平の自筆葉書に入れ替える。その横の平賀元義の短冊を川上眉山のものに差し替える。
浅草の演芸ホールで時間をつぶす。
帰室。
2012年10月18日
大森望の最新刊『新編SF翻訳講座』(河出文庫)を読む。(※SF小説といえば、海野十三、蘭郁二郎を読んだ程度で、と述べている。)
(※小学生時分には、姉の本棚にあった眉村卓の角川文庫もいくつか読んだ。そして後年には田中英光関連で田中光二氏も……、述べている。)
四谷三丁目で、幻冬舎の永島氏・有馬氏と待ち合わせ。この2人とは5年前と4年前に1度ずつ小説の打ち合わせをしたが、何も提出できず没交渉になっていた。
2012年10月19日
特別区民税の第1期分と第2期分を郵便局で払い込む。延滞利息込みで170万円。
『俳句界』2012年12月号用の葉書アンケート(「私の好きな一句」)を書く。
『小説現代』2012年11月号が届く。「東京者がたり」第9回掲載号。カットを見るのを毎回楽しみにしている。
2012年10月20日
鶴巻町の「砂場」で、田畑氏と「新潮文庫の者」と和解の一席を設けたが、「文庫の者がチラリと見せた、不貞腐れた態度と魔太郎めいた目つきに」激昂して、一時間も経たないうちに「文庫の者」を追い払う。(※文庫の者の悪口が続くが、すこし怯える)
2012年10月22日
痛風の兆候。
砧のTMCで、WOWOWの特番収録。大人番組リーグ KAZEOKE。いとうせいこう司会。物語を即興で創作するやつ。
「したてに居丈高」第1回を書く。この連載タイトルは編集部から提案されたものを断って、みずから命名したもの。
2012年10月23日
痛風発症。右の膝。
半蔵門のTOKYO MXで、生放送『ニッポン・ダンディ』に出演。
夜10時終了後、「絶対に外せぬ野暮用」のため浦安へ向かう。
2012年10月24日
銀座で買い物。
午後2時すぎまでに空港へ行く。夕方、タクシーで一人帰室。(※あえて「一人」と書いているのはなぜか? 空港に誰かを見送ったということか?)
2012年10月25日
一昨日届いていたファクシミリの確認。
「新潮文庫編輯部の奇妙な姓の者から少しく不快な内容」が届く。その着任したばかりの新部長に対して挑発するようなファクシミリを返信する。(※そのときの文面を転載している。)
2012年10月26日
痛風による腫れがひかない。
「魔太郎めいた文庫の者」から留守電あり。(※これを受けて、上司(新部長)を含めて、馬鹿呼ばわりする旨を述べている。)
2012年10月27日
痛風やまず。3年前に10日間寝込んだことがあったことを思い出す。
2012年10月28日
藤澤淸造生誕日。123年前の今日。西村賢太より78歳年上。
痛風、右膝の腫れと痛みはおさまったが、今度は右の踝(くるぶし)の内側が腫れる。27歳のとき痩せていたが痛風をはじめて発症した。
TSUTAYA『シネマハンドブック』用の原稿(横溝正史原作映画の十作品)を書く。
2012年10月29日
藤澤淸造月命日。不参。
痛風やまず。病院処方の強い痛み止めを服む。
新宿一丁目で、本谷有希子と対談(en-taxi』2012年冬号 vol.37)。
「風花」で、本谷有希子・女性マネージャー氏・田中陽子編輯長で飲む。女性用ショーツ「クロッチ」について熱く語り合う。
2012年10月30日
痛風やまず。
TOKYO MXで、WOWOW特番の追加撮影。
生放送「ニッポン・ダンディ」に出演。
「原稿仕事、はかがゆかず」。
2012年10月31日
テレビ朝日本社で、深夜枠のバラエティー番組用の「挨拶文の一面」を撮影込みで書く。
学生服着用のクイズ番組「Qさま!!」2012年11月26日の収録。
原稿、はかがゆかず。
2012年11月
2012年11月1日
田中慎弥の芥川賞受賞後第一作『夜蜘蛛』(文藝春秋)を詠む。
ノートで下書きするがはかどらず。
帰室。
2012年11月2日
テレビ朝日本社で、「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」2012年11月13日放送分を収録。
ワタナベエンターテインメント経由で土居氏から、満寿屋の包みを受け取る。「ニッポン・ダンディ」内のコーナーで満寿屋の原稿用紙を使っていることが紹介されたため。原稿用紙の包みには「社長直筆」の丁寧な手紙が入っていた。
同人誌時代は、200字詰の原稿用紙を使っていた。その後、第111番のクリーム色の紙にグレーの罫がかかった400字詰の原稿用紙に変えた。手書きについて少しだけ述べている。
「したてに居丈高」第2回を書く。
帰室。
2012年11月3日
田中英光祥月命日。以前に「ひとり野狐忌」を行っていたことを思い出す。
フジテレビの湾岸スタジオで、「ホンマでっか!?TV」2012年11月21日放送分の収録。
楽屋にて、『ザテレビジョン』のインタビュー取材。
2012年11月4日
痛風による右足の痛み、7割方回復する。
東北新幹線で仙台へ。
東北大学の学園祭トークショーに出演。
原稿、はかがゆかず。
2012年11月5日
痛風による右足の痛み、9割方回復する。
フジテレビの湾岸スタジオで、とんちクイズ番組「ソモサン⇔セッパ!」2012年11月20日放送分の収録。
帰室。
2012年11月6日
コンビニで『アサヒ芸能』を購める。新連載「したてに居丈高」第1回が掲載されているため。寄贈分は別途あした届くが、きょうの生放送時に宣伝するためのもの。
TOKYO MXの控え室で、NHKのEテレ番組との打ち合わせ。
「ニッポン・ダンディ」の打ち合わせとリハーサル。そして生放送。先週共演した俳優の村松利史が火曜ダンディを毎週見ていることを知らされる。
帰室。
2012年11月7日
西新宿で、石原慎太郎と対談。
TOKYO MXで、石原慎太郎がホストとして月1回おこなっている対談番組「東京の窓から」2012年1月5日放送分の収録。ゲスト選定は石原慎太郎がおこなっている。
持参した『太陽の季節』(昭55 成瀬書房)を見せると、石原慎太郎が「現在手元になく、探していたから売ってくれ」と言われ、喜んで進呈した。このとき『生死刻々』(文藝春秋)も持参して署名を入れてもらった。『随筆集 一日』のカバー紙を踏襲したネタ元のため。
2012年11月8日
インタビューや対談のゲラ。
映画『苦役列車』DVD関連のチェック確認物(※)などが次々届く。
渋谷のNHK放送センターで、Eテレ平日夜の帯番組「ハートネットTV」2012年11月19日放送分の収録。生活保護問題の討論的な内容。山田賢治アナウンサーと共演。
帰宅後、『en-taxi』の短篇に取りかかる。下書きはノート1頁分のみ。
2012年11月9日
昨夜のノート1頁分の下書きを清書する。タイトル決まらず。
「したてに居丈高」第3回を書く。
短篇の続きを書く。ノート4頁分。
2012年11月10日
雑用のため外出。
短篇のつづきを書く。ノート8頁分。
2012年11月11日
短篇のノート下書きを終えて、すぐに清書。
少々面倒なことになった(※)対談ゲラ。
2012年11月12日
短篇の清書の訂正に取りかかる。題を「形影相弔(※)けいえいそうちょうのルビあり)」と付ける。
『en-taxi』編輯部からゲラがバイク便で届く。
ゲラを微調整したのち戻す。
2012年11月13日
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
2012年11月14日
インタビューのゲラ。
Eテレホームページ用のコメントの修正。
「京都府立綾部高等学校図書館だより」の読書アンケートを書く。
ワタナベエンターテインメントから「明細書在中」の封筒が届く。「賞金」の別途振込みの知らせ。クイズ番組の団体戦で優勝したときの頭割りの金額。
原稿、はかがゆかず。
2012年11月16日
新年号用短篇2本の原稿のうち、片方を断念する。どちらも間に合わなくなるため。
「したてに居丈高」第4回を書く。
2012年11月17日
『en-taxi』編輯部から、『BRUTUS(ブルータス)』誌転載用のゲラが届く。2012年12月15日号 No.745 の「文芸ブルータス」特集のため。短篇小説「形影相弔」。
『en-taxi』vol.37 WINTER 2012 発売日:2012年11月21日
BRUTUS(ブルータス)』誌転載用のゲラが届く。2012年12月15日号 No.745 発売日:2012年12月01日)
もう1本の短篇小説の構成を立てる。
2012年11月18日
短篇を書き始める。
2012年11月19日
新潮社の本館会議室で、『毎日新聞』のインタビュー取材。衆議院総選挙のこと。
鶴巻町の「砂場」で、田畑氏と打ち合わせ。短篇の筋を別のものにすることを希望。50枚見当から30枚見当に変更することを承諾してもらう。
2012年11月20日
TOKYO MXで、「東京の窓から」関係者から、石原慎太郎の西村賢太宛署名入本2冊(評論集『石原愼太郎の思想と行為」の第1巻と第2巻産経新聞出版)を受け取る。
『ニッポン・ダンディ』生放送に出演。
帰室。
『新潮』用の30枚の短篇(「感傷凌轢」)。筋をまとめて設計図を作成する。最終期日は27日。
2012年11月21日
『en-taxi』vol.37が届く。「形影相弔」と坪内祐三対談の掲載号。
「感傷凌轢」を書く。ノートに4頁。
2012年11月22日
「したてに居丈高」第5回を書く。
『俳句界』2012年12月号が届く。アンケート回答掲載号。
「感傷凌轢」を書く。ノートに3頁。「これは昨年母から届いた二十数年ぶりの消息を伝える手紙を、ほぼそのまま引き写した部分」と述べている。
2012年11月23日
雑用で1日がつぶれる。
2012年11月24日
ノートに書いた下書き7頁分を清書する。
さらにノート12頁。
2012年11月25日
痛風発症。左足の踵。
昨夜の下書き分を清書する。
ノート6頁分を書く。
朝方に下書きが完成する。
2012年11月26日
「感傷凌轢」の清書をする。
帰室。
深夜から訂正作業。
「感傷凌轢」が、きっかり30枚で完成。
明け方5時半に、バイク便を呼んで送る。
2012年11月27日
『新潮』の田畑氏から採用連絡あり。
TOKYO MXで、『ニッポン・ダンディ』生放送に出演。
帰室。
「感傷凌轢」の著者校ゲラが届く。
ゲラ修正後にファクシミリで送稿。
2012年11月28日
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!!SP」2012年12月17日放送分の収録。百田尚樹・佐戸井けん太・田尾安志と休憩時間に話す。初対面の百田尚樹について「ベストセラー作家的尊大さのない、感じのいい方」と評している。
帰宅。
田畑氏から校了の連絡。
『文學界』の原稿は落とした。
横溝映画『蔵の中』DVDを観返す。
2012年11月29日
藤澤淸造月命日。不参。
帰室。
町田康の最新刊『スピンク合財帖』(講談社)を読む。
虚室に帰室?
2012年11月30日
ワタナベエンターテインメントの土居氏から届いた「ザテレビジョン」を読む。インタビュー掲載号。
『ニッポン・ダンディ』先週分の同録DVDを観る。
仕事の予定を立て直す。
2012年12月
2012年12月2日
「したてに居丈高」第6回を書く。
2012年12月3日
半蔵門のホテルで、岩井志麻子と対談(『週刊アサヒ芸能』2013年1月17日号掲載)。
池袋の東武デパートで、来年用のカレンダー(伊東屋)を購める。
2012年12月4日
TOKYO MXで、『ニッポン・ダンディ』生放送に出演。
帰室。
水道橋博士『藝人春秋』を読む。
新潮社経由で届いた『BITTER』と『BIG tomorrow』を拾い読みする。
2012年12月5日
「したてに居丈高」第7回を書く。
2012年12月1日
『新潮』2013年1月号が届く。「感傷凌轢」掲載号。
「したてに居丈高」第8回を書く。年末進行。
2012年12月7日
ホテルオークラで、文藝春秋の忘年会。『文學界』の森氏・丹羽氏・田中光子編輯長と合流して、四谷三丁目の焼肉店。
2012年12月8日
「東京者がたり」第10回を書く。
よみうりランド傍の生田スタジオで、日本テレビの深夜クイズ特番「タカトシのクイズ!サバイバル」2012年12月25日放送分の収録。初・生田スタジオ。
帰室。
「東京者がたり」第10回のつづきを書く。
2012年12月10日
『東京スポーツ』2013年新年特大号用の随筆(「魔の期間」)を書く。
2012年12月11日
TOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送に出演。
同番組の年末放送用・映画SP(金曜メンバーが担当する)で使うコメントVTRを撮影する。
帰室。
『朝日新聞』土曜版別刷(Be)の「作家の口福」第1回(2013年1月5日朝刊)を書く。
2012年12月12日
「したてに居丈高」第8回を書く。
『文學界』2013年2月号用の短篇(「破鏡前夜」)を書き始める。下書きノート7頁。
2012年12月13日
昨夜ノートに書いたぶんを清書する。
赤羽の病院で痛風の薬をもらう。
帰宅。
「破鏡前夜」のつづきを書く。ノート8頁。
2012年12月14日
下書きを清書。
「破鏡前夜」のつづきを書く。ノート8頁。
2012年12月15日
エッセイ3本のゲラ。
対談ゲラ。
「破鏡前夜」の下書きの清書。ノート9頁を書いて合計32頁で下書きおわり。
2012年12月16日
「破鏡前夜」の清書は計40枚(訂正作業前)になった(※編輯部に伝えなければならないのでここで確定させる必要がある)。しかし欄外の書き込みなどを含めて合計42、3枚になってしまう。
『文學界』の森氏に伝えてバイク便の手配。
2012年12月17日
痛風の症状が出る。右足の膝。
森氏から「破鏡前夜」の採用連絡が届く。
フジテレビの湾岸スタジオで、深夜枠のとんちクイズ番組「ソモサン⇔セッパ!」2013年1月15日放送分の収録。
帰室。
痛風ひどくなる。
『文學界』からバイク便で著者校用ゲラが届く。
ゲラ訂正。ファクシミリで返信。「破鏡前夜」完成。
「棺に跨がる」「脳中の冥路」「豚の鮮血」との連作。間に「一夜」が入り、このあとに「膣の復讐」「腐泥の果実」と続く。
2012年12月18日
痛風がピークを迎える。
TOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ』生放送に出演。
ダイアモンド☆ユカイから新アルバム「Respect」を受け取る。
鶯谷の「信濃路」で、田畑氏と打ち合わせ。来年(2013年)上半期までの予定。帰室。
2012年12月19日
痛風の痛みが続く。
「作家の口福」第2回(朝日新聞 2013年1月12日朝刊)を書く。
2012年12月20日
痛風の痛み、すこし軽減。
池袋の東武デパートの伊東屋で、プレゼント用の万年筆を購める。
帰室。
「作家の口福」第3回(朝日新聞 2013年1月19日朝刊)を書く。
2012年12月21日
大塚の萬劇場で、芝居を観る。(※ひとりとは思えない。知人女性は?)
帰室。
「したてに居丈高」第9回を書く。
2012年12月23日
痛風の痛み、すこしぶり返す。
砧のTMCで、「平成教育委員会2013!! ニッポンの頭脳決定戦SP」2013んE1月12日放送分の収録。ビートたけしと共演することを知らず、冷や汗をかく。(※高田文夫、ひいては「ビートたけしのオールナイトニッポン」の思い出がたりを述べている。東国原英夫やガダルカナル・タカや水道橋博士との共演話も。水道橋博士が「中年エレジー」コーナー云々)
収録中、ビートたけしに「失業者」「浅草の浮浪者」「変質者」「楽屋泥棒」等々とイジられて喜ぶ。
番組収録後、水道橋博士にアテンドされてビートたけしの楽屋へ挨拶にゆく。そして、スタジオ近くの寿司屋で酒席をともにする。ソープランドにゆこうとするが閉まっており、六本木のカラオケに変更する。アル北郷がスマホで動画撮影する。賢太嘔吐する。
別れ際、ビートたけしから革ジャンを贈られる。
「人生最良の、忘れられぬクリスマス・イブとなった」と述べている。
2012年12月24日
「したてに居丈高」第9回と「作家の口福」第3回のゲラを返送。
織田啓一郎の書き下ろしデビュー作『谷中ゲリラアーチスト』の帯文を書く。徳間書店の崔氏から依頼を受けたもの。
2012年12月25日
「京都府立綾部高等学校図書館だより」の読書アンケートの掲載プリントが届く。2012年11月に書いたもの。(※西村賢太以外のラインアップは6名の誰か)
半蔵門のTOKYO MXで、「ニッポン・ダンディ」生放送の収録。「言わせろダンディ」のコーナーで、たけしと一緒に飲んだ自慢を披露する。
帰室。
藤澤淸造の短篇を4本復読する。
2012年12月26日
「一私小説書きの日乗」を書く。『本の話WEB』用。
西新宿5丁目の「かに道楽」で、『新潮』の田畑氏・矢野編輯長と忘年会。出版部の桜井氏は都合つかず欠席。
矢野編輯長が、毛蟹の甲羅入り味噌・二人前を独り占めする。
田畑氏・矢野編輯長と共に「風花」へ移動する。
「有難き一夜」と述べている。(※このときはまだ関係は壊れていない)
2012年12月27日
TSUTAYAの『シネマハンドブック2013』(西村賢太が選ぶ横溝正史原作の映画十本)が届く。新潮社の桜井氏経由。
「一私小説書きの日乗」の著者校に手間取る。
虎ノ門で、「ニッポン・ダンディ」の忘年会。金曜日に出演している水道橋博士が、先日撮影したビートたけし&西村賢太のツーショット写真をプレゼントしてくれる。
2012年12月28日
郵便局で、年賀状40枚を購める。
仕事部屋の片付け。
2012年12月29日
藤澤淸造月命日。
コンビニで、『東京スポーツ』2013年新年特大号(「魔の期間」)を購める。
「作家の口福」第3回の著者校。
2012年12月30日
年賀状26枚を書いて投函する。
昨年分の来簡の整理。
2012年12月31日
池袋の東武デパートで食糧の買い出し。
帰室。
『新潮』2013年3月号用の短篇(歪んだ忌日)の設計図づくり。
東宝版『獄門島』のDVDを観返す。