第1節
私が初めて新しい文学に接触した時には、まだ明治の文化は全く渾沌としたものであった。私などでも漢文や漢詩をつくることを学んだ。和歌を詠むことを学んだ。所謂発句というものをつくることを学んだ。一方では新しい舞踏が物議を醸しているのに、一方では国家を憂うるという志士が袴を裾短かに穿いて、犬殺しの持つような太いステッキを持って街頭を往来した。維新の破壊の悲劇の跡が、まだあちこちに残っていて、大きな邸の立腐れになっているようなのをもそこここに見かけた。私等の眼には何が何んだかわからなかった。何れが本当だか、何れがうそだか、全く見当がつかなかった。
その時分には、『佳人の奇遇』 という本が売れていた。『雪中梅』 という政治小説が売れていた。そしてその一方には、春のや主人 の『書生気質』 などがあった。それもかなりに評判であった。その他にも維新時代を追想して書いたような作だの、外国の小説をわるく此方に翻案して書いたようなものだの、支那 の雑曲 の感化を受けて出来たようなものだのが混雑とあたりに満ちていた。この中から本当に価値のあるもの、本当に価値のある芽のようなもの、それに縋ってつかまって行きさえすれば大丈夫と言ったようなものを捜し出すのは容易なことではなかった。それに外国から入って来る文化は、丸で洪水か何ぞのようであった。唯、無闇に流れ込んで来た。流れ込みさえすれば好いというようにして流れ込んで来た。従ってその方面に於ても、本当のものを攫むのは容易なことではなかった。否、皆なてんでに不知半解の語学の力で、或はその輪郭を、或はその片鱗を、或はまたその尾を掴んで来て、そしてそれが本当の文化であると言った。外国は皆なそういう風であると言った。いつまでも漢文学や和文学に取り縋ってぐずぐずしていては、とてもうたつのあがりっこはないと言った。従って、その議論の多かったことは? その揚足取りの多かったことは? 是非の議論の喧しかったことは?