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心と肉眼ー竹山広『空の空』 (1):歌集を読む

  『空の空』は2007年にながらみ書房より刊行された竹山広の第8歌集で513首を収める。まずは有名なこの歌から。

コマーシャルのあひだに遠く遅れたるこのランナーの長きこの先

 話者はマラソンなどの長距離走の中継を観ている。少しの間、コマーシャルが入ったのち中継に戻ると、ひとりのランナーがずいぶんと集団から遅れをとっている様子が映る。そしてランナーの「コマーシャルのあひだ」の時間を思い、「この先」を思い遣るーーといった内容である。
「この先」とは、レースの残された道のりであり、また、いま敗者となりつつあるこのランナーのレースの後にも続く人生のことでもあるだろう。長距離走の息も絶え絶えの疲労や孤独感をまとって示される「長き」という形容が印象的である。
この語にこもる主観には、話者の生きてきた時間や人生観が小さく織り込まれており、遅れを巻き返すことの険しさや敗北を抱えて生きてゆく苦さを示唆するような含みがある。

 読者として私は、〈見ているもの〉とそこから〈見出されもの〉を行き来しながら一首の末尾までたどり、ランナーのこの先を長いと断じた話者の背後にひろがる透徹とした時空間を垣間見るような感覚をおぼえる。

 掲出歌において話者が〈見ているもの〉はコマーシャルといつのまにか遅れを取っていたランナーであり、〈見出されたもの〉は「コマーシャルのあひだ」にランナーに流れていた時間と「長きこの先」である。
話者の思考は過去や未来へ向かい、心の中の複層的な時間の流れを感じさせる。しかし、「このランナー」「この先」という二度の指示語が、肉眼が捉えた現在とそこから展開される思考を強固に取り結んでいる。
人間は肉体やそれが属する時間を離れては思考しえず、また一個人の捉えるものは数多くあるもののうちのほんの一部であるーーそのような認識が、掲出歌の「この」という指示語に貼りついているように思われる。

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 完全に余談だが、掲出歌を読んだときに必ずといっていいほど思い出す曲がある。佐山雅弘(p)、織原良二(flb)、福森康(d)からなるジャズトリオThe Bridgeが2018年に発表した『B'ridge』というアルバムに収録されている「ヌデレバの追走」という曲だ。
ヌデレバとは、2004年アテネオリンピック女子マラソン銀メダリストのキャサリン・ヌデレバ選手。ライナーノーツでは、

野口みずき選手を不気味に追いかける、キャサリン・ヌデレバの追走をスタート前のウォーミングアップ(イントロ部)からレース中(本編)、ゴール後、次に向かい走り続ける様子(アウトロ部)を実況中継のように描いた

と作曲者の織原氏が述べている。
個人的には、同型のフレーズを繰り返すベースからは走者の内なる炎を、さまざまなニュアンスで呼応するドラムからは変化していく局面を、起伏に富んだピアノからは物語を感じる。聴く人のイマジネーションを刺激する作品である。

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これから、こうして少しずつ短歌(とときどき音楽の話)を書いていけたらと思っています。気長にお付き合いくだされば幸いです。

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