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27歳の決意 -ゴッホに重ねて考える-

また今回も大それたタイトルをつけてしまいました!笑 個人的に区切りがいい歳のため、ざっくり振り返ってみます!

27歳という齢

「27歳」と聞いて、皆さんはどんなイメージがありますか?

27歳という齢は、ゴッホが画家になることを決意した齢ということで、かねてより私が一つのアンカーとして意識していた指標でございます[1]。

(ゲーテが最初に話題となった小説を書いて評判が出てきたのもこの頃とか。。?詳しくないですが、事務として働きながら実を結び始めたというエピソードはとても好きです。)

時代背景も違えば、環境も違いますが、ここから始めてもいいんだな、と思えるいい時期かなと個人的には思っています。

一方、「27歳」でGoogle検索をしてみると、下記のような記事が出てきます。

27歳は人生の大事な節目! 生誕10000日目にあなたは何を思う?[2]
「将来が何となく不安」な27歳女性が抱えるモヤモヤ #4人の生き方 、働き方vol.1[3]
「若さ」という魔法が解ける瞬間、自分にはなにが残るんだろう[4]
自称「27歳が最高値」の女性、「女のピークは20代は事実」[5]
“27歳”は人生の分かれ道!? 幸せになる将来設計/長屋なぎささんの場合[6]
27歳女性、転職を考えたときに知っておくべきこと[7]
25歳・26歳・27歳女性は結婚を焦る?結婚ラッシュの時期でも迷わない方法とは?[8]
【実体験】26歳で婚活をはじめて27歳で結婚した女の物語[9]
27歳。自分が何者でもないことに不安を感じています。[10]

キャリアやライフステージに悩む女性に共感する記事が目白押し!!現代ではどうやらそういう時期を表すのが27歳というタイミングのようです。

それでは、私がどんな27歳の決断をしたか、宣言させていただきます!

[1]ゴッホ展HP
[2]東京カレンダーHP
[3]SODATTE HP
[4]note 雨宮紫苑
[5]telling
[6]MINE
[7]type女性の転職
[8]ハナマリ
[9]やってみよう
[10]NEXT WEEKEND

(余談)面白いなと思って、「年齢+XXX」の予測変換をみてみると、29歳から徐々に男性が多くなっていき、33歳から逆転する模様。ヤフーのデータ・ソリューションやそのほかの検索サービスで少し集計したら面白い結果が出てきそうな感じがします。

都市工学分野のファクトドリブンデザイナーになる

私はまちづくりの分野でファクトドリブンデザイナーとなることにしました!

ファクトドリブンデザイナーとは、事実を元に環境をデザインする人を指しています。詳細は後ほど、別の記事で掲載予定です!

今回は、具体的にどのような分野で何をしていきたいかを整理してみました。

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すごく雑な図で申し訳ないのですが、これから私が関わっていきたいと考えているのは上記のテーマです。(もっとうまい図解を知ってる方いたら教えてください。。)

キレイなデータであふれた社会にするために必要なのは、人々の認知に関わる領域とデータを整理して利用する領域だと考えています。

人々の認知に関わる領域については、ソフトで公益性が高く、すぐに効果が得られにくいHRテックの領域が挙げられ、一方で、データが整理されやすく収益性も高い領域はマーケティング領域であると考えています。

これらの領域について、社内でのコスト削減中心のRPAや情報システム、社外へ価値提供していくデータの利活用戦略を広く行なっていきます。

9月1日から社内ベンチャー企業へ出向しております🎉

そのうちのマーケティング×データ利活用の領域を中心に、新しい活動へ着手しました!

9月1日付で出向が決まり、ベンチャーとしての事業化検討を行なってまいります。

事業内容の詳細はまだ言えない状況ですが、一年目の時、1年ほどお世話になったプロジェクトの方が企画した事業で、1年間の事業化検討を経て会社設立のための出資をいただけるように全力で取り組んでまいります!

役割はデータ戦略の立案担当として、論文を読んだり、ロジックの検討をしたりすることが中心の、一時期離れてしまったエンジニアの業務により近くなれます。

まだ一人前でない中で、ブランクもあり、不安な点も多く残る中で、一緒に業務をしてきた先輩に仲間に入れてもらえたことは心から嬉しいですし、いつ何時も、目の前の仕事に向き合ってこられた時間に感謝しています。

微力ではありますし、どの選択が正しいのかわからなくなる時も多いですが、少しずつ前進していけたら嬉しいです!

前進!

次のベンチマーク50歳に向けた挑戦

ゲーテが戦争に行ったと言われる43歳も小休憩として次の目印にしていますが、メインは50歳です。

50歳というのは、伊能忠敬が地図の道に関わり始めた年齢のようです。[11]

この歳になったら、私はまた骨格標本に触れる日々へ帰りたいと思っています。

多くの人がジレンマを抱えながら生きていくことへの意識も強く感じていましたが、その前から心が奪われていたものがありました。

それがキレイな形をしたものです。

小さい時は折り紙やあやとりばかりしていて、絵を描こうとなれば、建物や構造物のものばかりを描いていました。

「好きならいますぐやればいい」「本気で好きならそれ以外のことはできない」ーーいろんな意見があると思います。

ただ、理由は一つではないし、結果として、私は骨格標本が好きだし、それは今直接的に関わりたいと思っている訳ではない、という事実があるということです。

これは、私と骨の問題であって、他者は関係のない、閉じた世界なのだと思います。

私は、私が好きだと思う形で、その方法で、この距離で、今もなお骨格標本や野生動物、自然との関係を続けています。

誰になんと言われようと、誰からどんな見え方があったとしても、今私が感じているこの状態、この事実、ファクトは変わりません。

伊能忠敬は地図を、ゲーテはファウストを完成させて程なく亡くなりました。

私もそんな人生を紡いでいきたいです。

[11]伊能忠敬~50歳で勉強をはじめ、56歳から日本地図をつくった凄すぎる偉人

おわりに

毎年、ちょっとずつ変容していく誕生日ですが、今年はちょっと違いました!

誕生したという喜びに加えて、ここまで生きてこられたことが嬉しいです。

かつてはここまで生きるのも大変だった時代がありました。

これから一年が素敵になるようにという思いとともに、今年も一年素敵に過ごせた喜び、新しい歳の自分に出会える喜びを感じていきたいと思っています。

長文拙文失礼しましたが、以上です!ありがとうございました!


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