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マカロニサラダと1回目の結婚についての想ひ出

わたしは一児の母、現在独身である。

子供の父親は日本人だが、その相手とは
妊娠中からゴタゴタしてすぐに婚約解消となった。

そして毎回説明するのが結構めんどくさいのだが、
ニューヨークにいた時期

一回アメリカ人と短い結婚をしている。

というわけで
書類上はバツイチだが

子供の父親は元旦那ではない。


マカロニサラダというメニューの

正式なレシピというものを

わたしは知らないが、

ほとんどが粉と油のそのヘルシーとは言い難い一品を作るたびに、

大好きだった元だんなさんのことを思い出す。



彼はアメリカ人だったが、

情緒的にはわたしよりも
かなり繊細なおとこであった。


日本の民俗学とか宗教を研究しており、

妖怪が大好きで、

日本の伝統的な食事ではなく

日本の現代的な食事が好きであった。



つまりは、

牛丼とか、親子丼とか、おにぎりとか

食堂ででるカレールーのカレーとか、

そう、「マカロニサラダ」

とかである。



わたしは数年間マクロビオティック(陰陽の哲学の上になりたっており、玄米菜食中心の、その土地に合わせて食べると健康になりますよってやつ・正確にはベジタリアンじゃないけど、ざっくり和製ベジタリアンてとこかな)


の店で

料理をしていたので、

玄米・穀類や野菜を駆使したメニューは

当時ひととおり得意であった。


そんなわたしだが

さほど和食が好きではないので、

(参照記事 米より米麺女神の台所より


まかないでは毎日オリーブオイルでパスタとかを
こしらえて食していた。



短い結婚生活であったが、

わたしは毎日のようにせっせと美味しいご飯を作って

ニューヨークのマンハッタン、
アッパーウェストサイドのアパートで

彼と一緒にそれを食べた。


彼はいろいろ持病もかかえていたため、
食事制限があったようだが

わたしが「美味しい」と思うような

華やかでたくさんの野菜とかナッツとかをつかった

ハーブのサラダとか、

わたしが「美味しい」と思うような

味付けを、私の母とおなじで
とにかく好まなかった。



わたしは確かに健康志向ではあるが、

それよりも何よりも食いしん坊なので

菜食の店とかにいって

味が薄かったり淡白すぎて物足りなかったりするのは

大嫌いである。


まずいもん食うなら
ハンバーガー食べ続けて早死にするわ、と思う。


いつもテーマは、

1に「美味し」く、2に「見た目」がきれいで、

そして、3に

「体に負担をかけない」

みたいな感じ。



だからぶっちゃけ、

わたしの作ったご飯が美味しくない

というわけではなかったと思う。



や、まあ彼にとってみれば
おいしくはなかったに違いないけども。

彼はとても保守的なタイプだったので、

わたしの自由な性質にいつも呆れていた。



よく、

「アメリカ人の無神経なところが嫌いだ」とぼやきながら

早く日本に引っ越したいと言っていた。


わたしは一度、「君は日本人じゃないね?」と言われたことがある。



そんな彼との生活のなかで、

わたしは自分のための食事と

家族のための食事についてたくさん学ばなければいけなかった。




わたしは当時、

肉とか魚を料理するのが
本当に苦痛だった。

いまでこそ雑食だが

当時は肉や魚をスーパーで買うことすら、

激しい抵抗があったのにもかかわらず

かなり無理をして

彼の食事を用意していた。



肉売り場の前を通るだけで、
吐き気を催すくらい

その匂いに反応していたのに、

薄切り肉を求めて遠くの日本のスーパーまで
わざわざ足を運んだりした。


今から思えば、

もっと柔軟に対応できたのだろうが

とにかく生真面目に完璧にやろうとして
「彼のご飯はわたしが毎日作らなければいけない!!」

と普通に勘違いしていたのである。


「野菜のメニューは作っておくから、
お肉が食べたかったら自分でやってね❤︎」

くらいでよかったのだろうに。


でもそのときは料理に対して真剣すぎて、わからなかった。


一生懸命、彼のために、

押し付けがましく、

とんかつとか、

唐揚げとか、

にくじゃがとか、

マカロニサラダとかをせっせせっせと
作ったのである。



ちなみにアメリカのマヨネーズと日本のマヨネーズは

全然味が違うので、

いわゆるマヨネーズ味のメニューを作りたかったら
日本の赤いキャップのチューブを常備しておかねばならない。

キューピーマヨネーズは

確か当時だいたい6ドルくらいかな。
(チョイスはキューピー以外にほとんどない↑)

高級品だわ....。



ひとは、自分の好きなことをしているときは

輝きはじめる。

でも逆はどうか。


大好きなはずの料理が、

どんどん嫌いになるように
自らを追い詰め、
わたしは、どんどん自分を見失っていった。

わたしはそして、

彼との関係がうまくいかなくなった頃

精魂尽き果て

一切料理をつくるのをやめてしまったのだった。




なんていうか、

いまもさほど変わってはいないのだが

自分でも本当に不器用だなあとそうおもう。


ゼロか10かしか、当時選択肢はなかったのだった。



あれこれバラエティに富んだメニューを

どれだけがんばって作っても、彼の喜ぶ顔はあまり見れなくて、


レトルトの味とか

化学調味料いっぱいの
出来合いのソースとかを使った一品には

とっても
喜んで「美味しいね」と言ってくれた。


かれも私も、一生懸命だったと思う。

すれちがいまくりながら。


どれも自分の作った料理には違いないのだが、

ぶっちゃけ

「牛丼」

とかは、

わたしにとって「料理」のうちに入っていなかった。

作っていて楽しいわけがないし、
ほとんど味見もできないのに

機械的に作業していただけだけ。



そしてある日、

いつかニューヨークから電車で小一時間でつく、
河の向こうにあるニュージャージーにある

彼の実家に遊びにいったとき、

家族が彼に尋ねた。



「マイは料理が上手なんだってね。

シェフやってたんだろ?

どんな料理が得意なの?」



今はもう料理の仕事から離れ、ひとまわりして
こうして戻って

とても柔軟に「食」と関わることができるようになったし、

全然美味しくないものができてもまったくもってノーダメージだが、

そのときはまだ、違った。


勝手にプレッシャーを感じたり、
いろいろなプライドもあったし、

いつもいつも、

ひとに食べてもらうのが怖かった。


なんというか英語と一緒で、
料理もまた、ブラッシュアップし続けないと

腕はどんどん落ちていくものだ。


「美味しいものを作りつづけなくてはいけない」

という呪縛のなかに、

わたしはいた。



そして家族に対する
彼の答えは、

まさかの


「えー、なんだろう、

マカロニサラダかな?」



であった。(↑英語でね)

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