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声を、預ける


わたしは、愛を語ることなどしない。


好きだとか、尊敬してるとか、
その人のどこが凄くて、なにがどんな風に優れていて、
だから生きている価値があるなんていうことを言うつもりは毛頭ない。



だいたい自分もその人も、こう言ってはなんだが
本当に大した人間じゃない。


ただ、わたしは、一番最初から、
その人を通してでてくる「音」に、自分の全てを奪われていた。


それはもちろん声の話ではなく
音楽のことを指しているのでもなくて

もっとなんていうか、
そんなロマンチックなものではなくて、

もっと原始的で、構成要素でいうところの最も大枠の部分で、

掴まれたらもう二度と、逃げることはできない

とても無情な
そういう世界だったと思う。




わたしが何かを書くということを初めて知った場所は
その人だった。

その人は別に、

わたしの手を引くこともしなかったし、
わたしに何かを期待することもしなかったし、

書く喜びについてとか、
何かを作り上げる尊さとか、

そんな高尚なことはおろか

そこにはいつも、
何も、なかった。



そこには
いつも、

声が転がっていて、
そして、音があった。

そして秒単位の時間があって、

入り混じった「情報」という混沌としたものを
間髪入れずにふり分ける

合間に

無造作に、

言葉は転がっていた。




わたしは決して、
愛を語ることはしないし、

その人はまた、
決して何かを語ることはしないと思う。



わたしはその人と、繋がっていたいとか、
これからも一緒にいたいとか、

何かを成し遂げたいとか、

そういうことではなくて

ただ

「何かを創る」という
シンプルなことが

この世界を動かしていることを

そのひとの「音」の真ん中で、
ずっと

感じていたいと願っている。



わたしはただの、素材で

それはどんな風にでも調理されることはあって

指一本触れさせたくない相手も
もちろんこの世にはいるのだろうが

自分の「声」は、
その人に捧げていいと思っている。



先日

ヘッドフォン越しに自分の声を聞きながら話すその時に

その人の「うん」という相槌が2回、

たった2回
その間に入ったとき

わたしは

一瞬で喋るのを辞めて

きょとんと振り返った。


「なに?今の」

と聞くと、

何食わぬ顔した優しい様子で、



「相槌入ると、いいやろ?」

とその人は言った。




わたしはその人が、とても優しい仕草で

いつも、スタジオの中にいる喋り手に

キューを出すところを、頷くところを

後ろから見ていた。




そのキューは、

スタジオの中にいる喋り手に静かに語りかけるように、

一寸違わぬ正確さと極限までの優しさと


思いやりと尊敬のこもった手のかえりであったことを

その日、

10年以上経って

思い出した。




そして、相槌の正体を
初めて自分の声の隙間に

耳から味わったとき、

背筋は震えて、



わたしは涙をこらえた。




そしてその瞬間、

本当に変だが、


”声を失ってもそれでいい”と、

そう思った。



そもそも「声」は所有したりされるものではない上に

だいたいが人間一人あたり、ひとつの声が割り当てられているように

たぶん、わたしの声は、

一般的にはわたしのものなのかもしれないが

その人が別に興味ないし、



要らないと言っても、

その日から、

その瞬間から、



自分の「声」だけは勝手にその人に所属させている。






わたしは決して、
愛を語ることはしないし、



その人はまた、
決して何かを語ることはしないが、

その間には「音」があり、「声」があり、


その声を


言語として交わす

それ以外のツールとして

わたしはその人に預け、

目に見えぬ何かを交わす。






ものを創る素晴らしさを語る代わりに、

わたしとその人は、


おそらく死ぬまで淡々と、

ものを創るのだ。


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