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エスプレッソ、少なめで

コーヒーを飲まなくなって、かなり経過する。

飲まないと言っても、日常的にという意味であり、
時々外食したときにはこれみよがしに注文する。


できることならエスプレッソ少なめで。


 学生時代に一度、当時働いていたラジオ放送局の仕事帰りに
仕事場のひとたちとデニーズに行って、わたしは初めて

カフェオレ的なものを注文した。

当時付き合っていた、胡散臭く勘違い業界人代表みたいな
貧乏臭いおじさんに、恥ずかしくも振り回されていたころである。


ウブでバカな若い女学生と薄汚れた中年の、わかりやすいくらい
愛のない典型的不倫であった。

それはさておきわたしは注文を取りに来たお姉さんに、

「極限にまでコーヒーを少なく入れてください」と言った。


運ばれて来たコーヒーは、白い牛乳に薄っすらコーヒー色のついたもので、
わたしは満足した。

そこにいた誰かが、笑いながら

「それコーヒーじゃなくて牛乳じゃん!」と指差した。

わたしは、若くてバカで純粋で、みんなから愛され、
可愛がられていた。

そしてそれは純粋な女子にとってはれっきとしたコーヒーであった。

 コメダにはミルクコーヒーというメニューがあり、

これがまさにカフェラテとは一線を画する

「コーヒー風味の牛乳」である。


コメダにモーニングにいったら、
コーンスープかミルクコーヒーを注文して、

ミルクコーヒーのときは、あつく熱されたボテッと丸いカップに
口をつける前に砂糖をいれてかき混ぜるのだ。


りょうほうとも、コーヒーチケットで買える。

その味は、わたしがいつかデニーズで頼んだコーヒーによく、似ていた。


 そのあとブラックでガバガバコーヒーを飲む時代や
家でドリップするための機器を揃えた時代を経て、菜食になったころ、

お酒もコーヒーも自分のからだには必要なくなった。

ときどき気が向いてブラックコーヒーを一杯飲むだけで、
胃がむかついて目眩がするようなくらいカフェインに弱くなり、

「紅茶」はパートナー、「ハーブティー」は親しい友人たち、

「コーヒー」は顔を思い出すのに時間がかかる

遠い親戚の従兄弟のような存在になった。


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