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自分にとって当たり前すぎて普通すぎて見えないことを才能という


誰もが自分の持っている才能みたいなものを

受け入れて開花していくまでに結構な道のりを経て辿り着く。


わたしももちろんそのうちのひとりで、
この仕事をして発信をして、そこである程度のひとびとが
何かしらの影響を受けていくまでは、


自分にはなにひとつ、取り柄はないのだと

そう思ってきた。


別に昔から、写真をとったりとか、センスのいい音楽が好きだったりとか
料理をするのが好きだとか

日常のささやかな風景に胸をときめかせたりとか

延々と、「生きるってなんだろう」「愛ってなんだろう」

みたいな哲学ごっこをするのも


そんなのはまったく今も変わっていないけれど、



とにかく、全て役立たずだと思ってきた。



そんな無意味な思想や趣味に費やす時間があるくらいなら、

大学で修士を終えて、心理カウンセラーとして
地道に働くほうが

よっぽど世のためひとのためになると。


でもわたしはいつまでたっても出来損ないだったし、

親にもひとにも迷惑ばかりかけて


未だにそれもまた、変わっていない。



枠のなかで社会通念に沿って、自分を構築していくのではなく

自由にそれをやってもいいのだと気づいてからは、


ようやく好きなように仕事をし始めることもできて

そんな中で、


写真をとることがすきなことや、延々と哲学思索ごっこにふけることも

なにひとつ無意味なことでは無くて、


ほかのひとにはない、自分のカラーなのだという認識に変わった。



自分の中に当たり前にありすぎるものというのは、

あたりまえすぎて「価値」を見出しにくくて当たり前だとおもう。



よく、「誰にでも必ず才能がある」とか

「誰にでも必ずほかのひとにはない良さがある」


というのは実際事実だし、

軽々しく「自分の才能に気づく」


とかいうけれど、



それってほんとうに一番ハードルが高い部分なんだよね。


だからこそのギフトでもあるわけなんだけど。

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