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【7月8本目】マルハン草薙アピア店は韓昌祐の執念か、崩壊への序曲か

マルハン最大の失敗

野球ファンにはお馴染みの県営草薙球場からほど近い場所にグランドオープンしたマルハン草薙アピア店。アピアというとショッピングセンターかなと思ってましたが、あれはアピタか

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アピアはマルハンの作ったレジャーセンターだったもよう。元々の歴史は意外に古く1972年です。

戦後、朝鮮半島から密航してきた韓昌祐氏(ハン・チャンウ、以下敬称略)は、実の兄の元へ身を寄せます。朝鮮奨学会の奨学金を使って法政大学を卒業しました。お兄さんは日本に見切りを付けて帰国したようです。

兄は兄でも義理のお兄さんは京都府で設置20台規模のパチンコ店を経営していました。韓昌祐はこのホールを手伝うことで商才を発揮し、義理の兄から経営を引き継ぎます。

念願だった「音楽の流れる喫茶店(店名・るーちぇ)」を作りつつ、ブームの兆しを見せていたボウリング場経営に乗り出し、成功させました。

ボウリングブームのピークは1972年。全国のボウリング場は3697箇所、レーン数は12万を超え、スポーツ市場の約半分をボウリングが占めたほどの大ブームでした。韓昌祐は静岡県草薙に、当時東洋一となる120レーンもの巨大ボウリング場を作りました。そのボウリング場こそ「アピア」です。

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