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文楽「摂州合邦辻」を見る 上

 文楽「摂州合邦辻」は、中世に伝わる俊徳丸伝説をもとにしている。
 高安の長者の息子である俊徳が継母に毒を盛られ籟病と思われる業病にかかった。それを、四天王寺の法力と妻の力で回復するという話だ。
 
 元々は古代からある夕日を拝む信仰が背景にあるらしい。河内にある高安から四天王寺にいたる信仰の道である俊徳道というものが残っているらしい。四天王で夕日を拝むとどんな病気も治るという話だ。
 
 それを基に中世には説教節「しんとく丸」が作られた。
 そして、それを基にしたもので一番有名で芸術性が高いとされるのが能楽「弱法師」だそうだ。
 
 かつて、三島由紀夫が翻案した戯曲「弱法師」にいたく感動した。舞台も何回も見たと思う。そして、それが、能楽である「弱法師」を基にしていることを知った。
 
 その後、折口信夫の伝説の詳細な研究があり、それを基にした傑作である「身毒丸」を読んだ。美しい青年を主人公にしたうっとりとした物語だ。
いろんなバージョンがあるのである。
 その伝説をもとにした江戸時代の「摂州合邦辻」を見るのが念願になっていた。
 
 「摂州合邦辻」は今までの読んだ作品と全然違っていた。
まず、主人公が俊徳丸に毒を盛った継母である玉手御前の父である合邦であったことに驚いた。
これは中世でなく近世の物語なんだと実感した。

 すでに能楽「弱法師」で、四天王寺の功徳でも俊徳丸の盲目は治らない。仏法の功徳はいかほどのものかっていうのは、中世にすでにあった。
 
 近世では、年老いた長者の後妻にされる女中であった玉手御前は気の毒なんじゃないかっていう話になっている。
そりゃ、若くて男前の継子に恋を仕掛けて恨んで毒も盛る。無理な婚姻を忠義のため認めた父である合邦は悪い。
今作では、彼と娘である玉手御前の葛藤がテーマの芝居になっていた。
 
 舞台は四天王寺近くの合邦の家。侍時代に深い業を負った合邦は、仏門にいる。そうして、毒を盛ったことが露見して逃げた娘を死んだものとして、念仏の供養をしている。そこに死んだはずの娘が助けを求める。

 そこで、俊徳丸を恋い慕う玉手御前のあられない姿が父母の前でくりひろがれる。しかし、親としてはわかる。つい、かばってかくまってしまうのである。
 そこに同じくかくまわれていた病んだ俊徳丸と妻の朝香姫が表れてと話はなる。

 ここまでの話で感じるのはこれは今もある話なんだってことです。出来の悪い娘と子を損なってしまった責任を感じる親とのみっともない馴れ合い。
多くの家庭で起きる。でも、そのゆがみを支えてるのは、社会の規範だとか世間体です。
 
 中世からの物語も本質は親のゆがみが子を損なう話だ。俊徳丸の父が後妻を求めなければ、彼は毒を盛られることはなかった。
 それが起こるのは強い立場の人間のエゴを後押しする社会なんだ。中世だと宿業なんだと宗教にすがる。母なる人の業を責める。
 でも、近世だとそれを許した父はどうなんだとなる。だからこそ、父なる合邦が主人公になるのだ。
 
続きます。



 
 
 
 
 

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