好きな小説2
好きをだらだらと書いていく。
最近に発見したなって思ったのは原民喜の「夏の花」。原民喜のことは昔の文壇もののエッセイで名前だけ知っていた。奥さんと白樺派の作家に応援を頼みに会いに行ったとき、引っ込み思案で喋れなかった話だった。
愛された人なんだなって感じだった。
原爆直後の様子のメモを元に描いた、「夏の花」で、これは東日本大震災のときの社会学者の方の聞き書きと同じだなって思った。人は自分の傷を隠すため記憶を改変する。その前に生なことを聞いてないと真実はわからないということだった。
これは日記と文学の間にある小説だと思う。夏の花というのは墓参りという日常に捧げられる花のことで、戦争とは日常が破壊されることであることを実感とフィクションで描いたもんだと思う。
義弟は解説でいろんな困難で心が死んだ人で原爆を描いた一連の小説と詩だけが生き生きとしてる残酷に書いている。
昔、たった一度だけ行った吉本隆明の講演で太宰治が一番健康だったのは戦争中であったと言ってた。それと同じものを感じる。社会が復興すると居場所がなくなったのも一緒だと思う。それは明治からの教育虐待とかも関係してるかなって思う。彼が軍需工業で成功した人の息子であることもあるかなって思う。
吉本ばななを知ったのは子供を産んだ直後の初めての外出だった。映画を見に行ったあと、ドゥマゴ賞の広告があり、原マスミの表紙に惹かれて読んだのが始めだった。「不倫と南米」だ。吉本ばななは短編の達人だと思う。
「みどりのゆび」とか「田所さん」が心に残っている。長編だと「アムリタ」かな。しばらく、心が揺さぶられて変になったと思う。
最近では「吹上奇譚」が好きだ。好きすぎて多分、舞台である館山に行ってしまった。なんだろう、ファンタジックで子供っぽいのだけど、真実に触れているように感じる。苦手な人は苦手だろうなって思う。初期はまだ、日常に近い感じがするけど。
私は吉本隆明を知らなかった。だから、彼女を通して知った。彼が唱えた、共同幻想論はもうすでに多くの人の心に入っていると思う。多くの人に受け入れられることは何かしらの意味があるという直感だと思う。
多くの人に受けいられるものは誤解を含んでいたとしても、普段、届かない苦しすぎる人に響くと思う。虐待されていた子が持たされていたドラえもんのバックのように。
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