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好きな小説3

ますます、ダラダラと書く。西村賢太が死んだあと、NHKが特集を組んでいた。再放送もされていたのだが私は見れなかった。

気になる作家だった。私は芥川賞を取った「苦役列車」といくつかの短編集を読んだ。色んなところに突っかかるので、だんだんメジャーな仕事は無くなったので、やがて読まなくなった。

彼はそれでもコツコツと作品を紡ぎ出していたようだ。
彼の話で思い出すのは「すき家とかのどこが悪い。今どきのチェーン店は、栄養にも配慮してくれてる、だらしない食みたいな言い方をするな」
って感じの言葉だった。

まったく、丁寧な生活ができる人ってそうはいないのである。みんな自分の範囲で最善をめざしている。

彼は古本で教養を身に着け極限まで行った人である。

いじけていた友達のできない私は下町の古本屋と貸本屋に出入りしていた。そこでエドガー・スノーの「中国の赤い星」とかの共産党のドキュメントや「忍者武芸帳」を読んだ。俺たちは戦ってるんだという叫びが聞こえるようだった。

西村賢太はそういう男たちの代表のように感じた。だから、触れてみたんだと思う。理不尽を耐えていた、ずるくて、小汚いけど、賢かった男たち。

苦役列車では肉体労働をしている作者をモデルとした男が女の人に変な絡み方をして嫌われる。
読書を通じてできたインテリの青年との友情を損ねる。
それを自虐的にイライラと描いている。
彼の小説は気分が悪い。女性蔑視も耐えられない。

たまたま、社会学者の岸政彦と朱喜哲のトークショーに引かれて配信で聞いてみた。なんでかなって思った。
私は若い哲学者の共著「ネガティヴ・ケイパビリティを生きる」がひきこもりの息子の支援の話のときに話題になったとき、言葉を教えてもらい、記憶の底にあったんだと気がついた。そのとき、岸政彦の話のなかで、加害者をどう考えるかの話題のなかで西村賢太が出てきた。

そうか、彼は人々の記憶に残ったんだなって思った。ずっと、静かに読み続けられるんだと思う。
うん、実生活ではとてもたまらない人のなかでそのイライラを表現できる人がいる。彼らも隣人であり、自分に似た人なんである。

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