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盛りの陰り「一条天皇」

来年は念願の紫式部の大河だということで考証の倉本一宏さんの著書である
一条天皇の評伝を読んでみた。
永井路子さんが亡くなられたとき、彼が彼女の歴史学者のパートナーであった方とのご縁が深いことを知ったので読んでみたかった。うん、一条天皇の大河の配役が決まったときなんで、我ながら軽薄なんですけど。

2003年の本なんで古すぎないかと思ったけど、まとまった本は貴重だ。色々と知らないことが多かった。私もだけど、枕草子で彼のイメージが固まっていたけど、背景を知ると色々と気づきがありますね。
それは摂関政治における道具としての天皇と妻たちの立場で。この人の人生は夫に愛されなかった母の恨みに彩られている。権力者である彼女の父の傲慢を憎んだ夫に子供を生むのと愛情は別だぞと明確に分けられてしまったのは、理不尽というしかないけど。

そういう背景を知ると、孤独だった一条の姉弟のような妻、定子への執着がわかりますね。彼女は歌人である母の薫陶を受けて、明るく聡明であり楽しい人であるように思う。気さくでもあったらしいし、高貴さもあったんだろう。ゆえに清少納言との対等の付き合いもできたわけだ。稀有の人だ。摂関家が妻を選べるような盛りをむかえた時代の花であった。

コントロールしやすいように自我が薄く育てられた姫君たちとは違う。
のちに道長が才能のある女性たちを娘の彰子のところにかき集め支援したのは当然だろう。それゆえに王朝文学が最も栄えたのかも。

しかし、定子の兄は権力者の父がなくなったあとのひどいな。教養を鼻にかけ、人を見下し依存心がつよく傲慢で我慢がない。権力を握ると危なかしくて仕方がない人だ。一条天皇が、常識のある道長を尊重し、定子との忘れ形見に天皇に譲るのをためらったのは仕方がない。

その一条天皇だけど、定子が兄の失脚で出家したあと、公然と子供を作るのはなあ。当時の倫理観では許されないことだと思う。どっちも必死だったんだろうけど。
一条天皇は教養があって穏やかな人とされているけど、貴族として、王としての傲慢さはすごく感じる。傲慢を摂関家にとってかわってやろうという後の院政へのつながりがある。

倉本一宏はこの中世の貴族社会の暴力性に対する批判性を失っていない。
とてつもない格差がある社会で人を大切にすると言う建前がゆるい。
奈良時代の人のほうが人への対等感があるって万葉学者の方がよく言っているけど、王朝文学の背景にある差別感はたまらないもんがあるな。

倉本一宏は枕草子を描いた清少納言へは批判的だ。一条天皇は可愛がっていた猫に対して官位を与えるという反抗をしているのであるけど、それを面白がる清少納言が当時嫌われていたのはわかるな。他者への配慮がないのである。
彰子の取り巻きの紫式部や和泉式部が地方生活を知っている人たちで、年齢が長けてから宮中にあがり、随分と大人なのは、そういった宮廷周辺だけで育った定子の取り巻きへの批判があったのだろう。

しかし、社会の理不尽で不幸な母に振り回され、妻への愛を踏みにじられる男の話は普遍性があるし、どんなに豊かな人だけで小さい社会を作ろうと、人間の不幸と幸福は変わらんよっていうのは面白い。

うん、子供がまだできないのに夫を独占している彰子と一条が御所の夜中の火事で焼きだされ、たった、ふたりで歩いて逃げ出すような意地悪をされるエピソードはたまらんな。人の傲慢に対する無言の敵意に満ちてる。
愛は深まったみたいだけどね。


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