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メガンテ裏の想い人・メルル物語 〜ダイの大冒険(2020年版)第30話〜

ダイの大冒険(2020)の第30話が放送された。竜魔人バランによる圧倒から、ダイが城の表に出てきてポップがバランのところに行かせまいとして捨て身のメガンテを仕掛け、ダイの記憶が戻る&紋章を右手に移すところまでが描かれた。

今回見ててふと気づいたのは、原作からもそうだったのだが、ポップが竜魔人バランを見て「ハドラー以上かも」と感想を漏らすところ。視聴者の多くが知っているとおり、竜魔人バランと、魔軍司令ハドラーの戦闘力差はとてつもないわけで(なぜなら魔軍司令ハドラーにタイマンで勝利できるヒュンケルがバランには全く太刀打ちできない)、この感想は、読者からすると違和感がある。
と、思ってきたのだけど、この感想は視点をポップの立場に移したときに、極めてもっともだなとなる。なぜなら、ポップはバルジの島の戦いで、マァムが傷つき倒れ、自分ひとりでハドラーをなんとかしなくてはいけないという絶望的な経験があるからだ。しかも、師のアバンですら、ハドラーに敗れている。敵は討ちたいが、戦力差はあまりに大きく、タイマン。その状況に置かれたら、ハドラーから感じる威圧感は相当なものだったはずだ。
こう考えれば、今回竜魔人バランから感じた威圧感が「ハドラー以上かも」という感想になるのは至極納得がいく。今回は、かつては敵であったが今は極めて頼もしい仲間であるクロコダインとヒュンケルがいる。通常クラスの敵なら、どうやっても圧勝できる布陣だ。その状況なのに、タイマンでハドラーと向き合ったときを超える威圧感があるというのは、いやはやバランの存在感、恐ろしさといえよう。
原作の一番最後、バーンvs竜魔人ダイの決戦では、バーンはダイを評して、特にその目に宿る殺気を、バラン級だと感じ取っている。戦闘力では竜魔人バランより双竜紋ダイのほうが上かもしれないが、バランの持つ底知れない殺気はなかった、と。
今回のエピソードで描かれた竜魔人バランは、その殺気を十二分に放っている、その一方で、息子ディーノを取り返したいという「守るものを手にしたい」欲求という矛盾するものを抱えている。

バランというのはいろいろな意味で矛盾に苦しむキャラクターとして描かれていて、それこそ過去にソアラのやさしさに心開かれながら、そのソアラの父である王はじめ人間たちに強い恨みを持って全滅させた過去がある。そして、以後はそれを正当化して生き続けているが、一方でそれが「正当化」だということをどこか自覚している。その矛盾を特に鋭く、ヒュンケルに突かれたため、その矛盾を突きつけてくる相手であるヒュンケルを殺すことでまたそこから目を背けようとする。
そして、これはアニメで言えば次回になるが、取り戻したいと願っていた息子ディーノの記憶を消すことができずに敵対することになった結果、その矛盾からも目を背けるために「竜魔人は目の前の敵を滅ぼすだけの存在」という言い訳を使ってダイに全力で攻撃してくる。

のちに、バランは死の大地で、ハドラーに埋められた黒の核晶の爆発からダイを守るために命を落とすことになるが、結局その道だけが、これまでに犯してきた「矛盾から目を背ける」ための暴力行為の罪を自ら受け入れる清算だったのかもしれない。

そういえば今回の30話で、バランが記憶の消えている状態のダイに「母親の血のほうが濃いから竜魔人と化すことはできない」という予想を話している(原作からそうだが)。これも、最後のバーンとの決戦への伏線だと考えると極めて面白い。この予想は半分正解で半分ハズレだった。実際にバランの紋章を受け継いだダイは、そのバランの紋章のほうの力も開放することで捨て身の竜魔人的なパワーアップを果たし、顔の雰囲気や目の殺気はバランを彷彿とさせる。しかし身体的には、今回描かれたような、魔物やドラゴンのような人間離れした形状にはほとんどならず、服もそのままである。そこから考えるに、最後のダイの状態は、「竜魔人的な戦闘力を発揮することが可能ではあるが、人間の血の濃さが強いために身体的には竜魔人にはならなかった」と言えるのかもしれない。

さて話を本編に戻す。
今回の主役は誰がどう見てもポップなわけであるが、まさにこのポップの人気を劇的に高めた(それは漫道コバヤシで作者の三条さんも語っていたが)エピソードが、アニメで実際どのように描かれるのか、ちょっと心配なところもあった。しかし実際のアニメを見ると、出来は素晴らしかった。ビジュアル、サウンド&BGM、声優の豊永さんの演技、どれをとっても非の打ち所がなく、まさに待ち望んでいたシーンだった。30年間かかったファンの想いが凝縮された30話。
正直、泣いた。「泣かせにくるのがよい映像作品」だとは1mmも思わないが、このダイの大冒険は話がまったく違う。むしろ昔からずっと思いを持っていた視聴者や作り手たちのみんなの思いがここにつながって、2020年のプロジェクトが進み続け、満を持してこの場面で涙することができた。そんなことを思うのだ。

声優の豊永さんがどういう思いで今回演じていたかを、ダイ好きTVで話されていた。これがプロであり、大ファンであるからこそできる演技なんだなぁと感じ入った。
6/1までは視聴できるそうなので興味ある方はぜひ。

そういえば、バランに組み付いたポップが、原作では「神の祝福を受けた僧侶の肉体なら万に一つ蘇生させることができる」というあたりの、いわばドラクエ的な職業分類を踏まえたうえでのメガンテの解説をするところがあったが、アニメではほぼフルカットだった。まあ、今回のおもな視聴者である子ども層にとってそもそもそのドラクエ的前提情報があまり意味がないということと、演出のテンポの問題だと思うので、全然よいのだが。あとでレオナがかけるザオラルはそういう意味ではカットされる可能性もあるのかな?とちょっと思っている。

あと今回のエピソードでは、ポップがメガンテを仕掛けた後の各キャラの一言のなかで、ヒュンケルのそれがとても印象的だった。原作だと「音」がないので、キャラの表情とセリフの文字の表現で感情を想像するわけだが、それだと「涙のにじむ声」みたいなものは当たり前だけど表現が難しい。しかし今回ヒュンケルが「そのための犠牲はあまりに大きかった」というところで、声優さんの感情がこもって、涙ぐむような声だったことで「ああそうか、このときのヒュンケルは、大切な弟弟子が犠牲になったことが辛くてたまらないのだ」ということが見ている私にもよく伝わってきた。

ただ今回のエピソードで、原作から違いがあったのは、メルルだろうと思う。まずメルルが、ポップの命の危機を予感するシーン。原作だとメガンテを仕掛けるためのバランへの飛びつき直後にこの予知が発動するのだが、アニメではわりと序盤で描かれた。
そして、メガンテ後にバランがふたたび思念波をダイに送り込むところで、原作では2コマで独白が描かれるが、アニメだと視点変更も含めて、結構丁寧に描かれた。というか、私は原作での「竜の神よ」と竜の神に祈っていたことは完全に忘れていたのを、アニメを見て気づいたというのが事実なのだが(笑)。

いずれにせよ、メルルはポップとの関係という点でも今後の重要キャラのひとりなので、原作完結したのちに作られるアニメという意味では、その存在感を高めるような描かれ方をしているという理解がいいのかもしれない。

さてこのあとストーリーでは、ダイは頭脳支配から逃れるために紋章を右手に移すことに成功するが、この理由に関して、バランはソアラの想いがそこにあると感じ取っている。たぶんアニメで次回描かれると思うがヒュンケルは「人間の血+友を思う気持ち」と予想している。ただこれもメルルの立場からすると、竜の神が特別な力を与えた、という見方になるかもしれない。
しかし、登場初期においてナバラもメルルも、何かあっては祈ってばかりのテランの人々に若干否定的なところがあった気もしたが、いざどうしようもなくなると神に祈るというのは、それもまた人間だよな、と思わされるところがある。とはいえ、この祈る気持ちと、本人の眠らせていた超コミュニケーション能力が後にバーンの企みの阻止につながるわけなので、要するに、やることはちゃんとやりつつも祈る気持ちも大事だよね、ということなのかもしれない(笑)。

さて次回は、バランvsダイの決戦だ。たぶん2話くらいかかる気がする。楽しみだ。

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