地獄から立ち上がる際に叩き落される絶望

一番初めのストレスでバイトをやめざるを得ない時、本当に虚しくて、過呼吸・ヒステリー球・呑気症のストレス症状やお金が入ってこなくなる事が怖くて、でもそれは気のせいだと何度も残酷な扱いをされて酷かった。
なんとか生き返りたいと絵などに救いを見出した結果、そこは私にとっては最終的に暖かい手がさし伸ばされて、〇〇素敵だよねと賑わえる場所ではなく、現実が辛い方がなんとか逃げてきてるから余裕がなく、必要以上に厳しくなる、そして普通の人生を送ってこられて穏やかめな方でも、無垢で残酷なので軽い。そういう印象が強く絶望しました。
例えば、怒りって、悲しみ無念の蓄積によって起こりやすくなると思うんです。
それが無いだけで、知らないだけで、だいぶ平和に見えてしまいます。
穏やかな環境の中、必要な努力に専念し健全に生きてこられたんだなあと悲しくなる。学びの一部と言われるかもしれないけれど、いい形で諦めるとか、バランスよく考えて生きないと本当にすぐ呼吸困難(詳しくはもう少し下へ)何も他にない絶望感に叩き落されるし、誰にも知られない。
焦りすぎとかじゃなくて、なんで一緒に楽しもうとか楽しめますようにと言ってくれないの!?となる。穏やかの種類が全然違う。
得られる方だけ楽しめるのが当たり前みたいなものではなく、もがいてる最中の方も今後楽しめるように願ってるの一言で違う。こうでありたいを求めすぎなのではとかはなんか違うんですよね。
形だけの正論で家族か友人か専門の方に相談するもの!と言われたのだって、専門の場所合計3か所、なんとか死にかけながら、なんとか呼吸しながら行ったのも無駄でしたし(労力を返してほしい)家族は元凶の一つですし、もともとほぼいない友人とも上手く話せない状態だったから違う場所を探してるのに、そこまで配慮できずに説教だけして終わらせる方とかもあほらしいと思いました。当時その方は今の私と同じくらいの歳ですけれど。
わかりやすくいっぱいいっぱいの方でも、好きな人にはできますという感じなので、私はどうでもいい人と言われてるも同然、そして優しい人がいたら当たり前に存在する事をやっぱり暴言で否定するんですよね。それ自分の首も絞めることになりますよ。私はできませんなのか、そんなの存在しないなのか知りませんけれど。
誰かしら支えがいるのに自分の足でなんとか踏ん張れますみたいな感覚の、まだ死の間際にいってない感じの方の押しつけがましさもあるんですよ。私もできたから貴方もできる系ですね。きついです…。他人同士でもできる事は支え合えるのが良いなあ。


その後更なる地獄を見て、ドライマウスみたいな症状・ヒステリー球・過呼吸・緊張による喉の締付け・えづき・胃荒れによる飲み込みにくくなった胃液が喉に詰まる・ストレスによって上がる誤飲率(自然に出てくる唾液含む)・お腹も苦しくなるといったら普通に呼吸するのが奇跡の中、いつ救急車行きか窒息死か怖かったのです。
一番厄介なのは、苦しいので唾液をティッシュに包もうとすると、えづきで呼吸困難、無理やり飲み込もうとすると喉がどんどん苦しくなって、お腹も苦しくて呼吸がしにくい事。本当に死ぬかと思いました。
多分強く当てはまる物としては、愛着障害・重い鬱状態、パニック障害、セルフネグレクトはありました。
でもそれが強い時は誰も目にしてませんし、病院で記録もつけられず、改善されてきたらなかった事になるんですよね。言いたくないですけれど、軽い鬱の人の方が丁重に扱われるから気持ちに余裕ができやすそうな気がして羨ましくなってしまいます。薬でも抑制できるみたいですし。上から目線で攻撃されてきたのでこう思いがちなのを抑えてる。味方がいる人もずる賢いことをするのにすごく辛いと言ってくる。受け入れたくてもやり方が卑怯な面が受け入れられないです。
家のすぐ解決できない不衛生な環境面との相性も重なっていたらもう最悪で相当重かったですし、よく死ななかったなあと思ってしまう。今もありますし、今を生きるために生活費分の借金だってできてしまった。ごみ捨てですら何故か出来なくなるときがあったんだから、人間らしい生活が本当に保てないのも当たり前でした。
それにも関わらず、それも結局軽く扱われ、時間をかけて小銭をなんとかかき集めて(100円を作るのでも一円、五円、十円をかき集めてなんとかという事も何度もありました。流石に身内にもこれを使うのはちょっと気が引ける…と言われました。)
できる限りの所まで生活を整えた先、光が見えるかと思いきや、また叩き落されて。
もうどう立ち上がっていいかわかりません。
より詳細な事は本当にきちんと書けているか不安ですが、こちらにまとまってます。【https://note.com/enzyu/n/n57b033f6792a】
荒療治、応急処置ばかりで、本当に頑張ってきたんだねなんて相手の方も涙してくれるような、暖かい対応なんて幻なんだろうか。
私はそうは思いたくないです。
こんなところもわざわざ読まないであろう。悔しい。
私の命の扱いなんてそんなものだとか変に病んだ傾向には行きたくありませんが、あんまりです。
私だって辛いんだよ攻撃、よくわからない・ちょっと落ち着いてとか必死過ぎて怖いよみたいな攻撃もやめてください。

受け止めてくれそうな優しい人に言う必要のあるシーンと
しっかりしなさいと叱ってくれる人にいうべきシーンは確かにあったんだろうなと思うけれど
救われないずっと傷つけられたままな部分に対しての対応を求めても難しいです。

傷付いた救われない方に必要なのは、正論や立ち上がる方法のサポートではなく、「君は傷つけられていい子じゃない」と言ってくれる、親と結べなかった依存関係のやり直しだという言葉が本当に沁みました。依存は本当によくないけれど、親しい関係や暖かい場所が欲しい。
結果、だからまだ数回だとしても、明るくて穏やかで健やかな未来や生活を願って頂けるのが、〇〇で頑張ってきたのは凄いと思いますと言って頂けるのが本当に嬉しかったんだ。
人だと依存になるから、そういう安心できる楽しい居場所が欲しくて、バイト先でも、Twitterでも、相談をできる場所でも、ずっとずっとずっとこれを求めてたんだ。呼吸困難になりながら、感情が本当に動かなくて不安感しかない中でも一人でどうにかしないといけないと必死にやってきたんだ。

そして、ここから更にはっきりとしてくるのは、〇〇は傷つけられていい存在ではないと守られているけれど、片方が他人に対して暴言が酷いのは不十分で歪な事という部分に関して。
傷付けられていい存在ではないと守られる部分が満たされているという形なのはとても素敵ですけれどね。
穏やかにそれでも許し合えたらいいよね~と押し付けられても苦しい部分は、平和主義の暴力とここでは名付けておくが、それも本当に不十分だと思うのです。
相手も苦しいかもしれないけれど、私の手や貴方の手には負えないねと最後にきちんと気遣う。言われなくてもわかりますけれど、とりあえず口に出したい教えと気遣いはセットにする。無理な時は本当に重たい荷物が増えるので。そしてその後今は貴方とのお話だから、貴方へ必要な言葉だけ授けましょう。とにかく貴方は幸せになるべきですよという形が凄く望ましいと思う。

それ以前の2年以上の不登校生活でも外にほとんど出ていなかったですし、熱中症やあまり大きな声では言えませんが、便秘で本当に死にかけました。呼吸ができないほどの腹痛、息苦しさ、吐き気などに襲われていました。

https://www.jprime.jp/articles/-/19600 女性の貧困問題の一例

家での洗髪一つでも、ガス缶代がないから温めきれず冷たい水でやらないといけないだけでも辛い気持ちの中ではついていけませんでした。お風呂問題一つでも、銭湯に行けても当たり前に多少なりともカビの生えたボディスポンジを使わされてました…リ。見た目的に派手か派手でないかそういう問題ではありませんし、一人で行ける代金を出せないので長年、成人を超えても尚大変でした。人に引かれるエピソード盛りだくさん。

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