逮捕されてから勾留が決定するまで

前回までのあらすじ
私人逮捕により警察へ引き渡され最大72時間の勾留が決定し、警察から家族へ連絡がされた。

前述の通り、逮捕された日は完徹を余儀なくされており、面会が可能な曜日ではなかった。
タバコの離脱症状で睡魔に抗えず泥のように眠っていたが、翌日に検察庁と裁判所に行くことを看守から伝えられた。この日も食欲はなく食事はほとんど取らなかった。

ちなみに、出所後も言われたことで明確に否定しておきたいことがあるのだが、プリズン・ブレイクのようなオレンジ色の服を着るわけでもなく、ましてやボーダーの服を着ることもない。それはもし日本でそういうことがあっても刑務所の話で、留置所の話ではない。留置所は犯罪者であるかどうかが確定していない人もおり、刑務所は実刑受けた有罪判決の人のみが存在する場所である。

さて、食欲も回復せず翌日を迎え、09:00くらいに看守から番号を呼ばれ検察庁へ向かうことになった。
留置エリアから出る際は手錠をかけられるのだが、今回はそれに加え、手錠の上から布製の「手錠見えないくん」のようなものがかけられた。
多分『そういうこと』なのだろうが、周りから見ればその手錠見えないくんから頑丈な紐が生えているので一目瞭然であろう。まして、周りには「私は警察です」と言わんばかりの人や車両がわんさか停まっており、出てくる車両もそれ仕様である。(本質的ではない施策をする日本社会の古き悪き文化だな、と思った。)

「手錠見えないくん」をかけられ、検察庁および裁判所のあるところにバスで移動した。バスへの移動は、いつも通るルートとは別のルート(面会エリアの別ルートがある)から1Fへ移動し(留置エリアは2F)、駐車場へ出ることができ、そこに横付けされたバスへ乗る。
バスは装甲車両のような、窓の中は檻のようになっている。手錠に紐が通され全留置者が一本の紐につながれ、始点と終点は連行者(警察)のカラビナを通り手に握られるようになっている。

検察庁につくと、留置室のような扉が備えつけられている、バス停のベンチが3つ程並んだ部屋(検察待機エリアとする)に通された。留置エリアから検察庁まで、一番近い留置所だったためか、留置所をでたのが09:30くらいで、その検察エリアに通されたのは移動を含め11:00くらいであった。
検察待機エリアでは、

  • 私語厳禁

  • 中の人での会話厳禁

  • 水はもらえる

  • トイレにいける

  • トイレ行く時、片手錠にできる

  • ランチ時間がくるとランチが出る

  • 現在時刻や状況も看守?に聞けば教えてもらえる

など、人としての権利はある程度叶えてくれる。(そもそも私は否認の立場なのでこんなへりくだって話すのもおかしい話だと思うが)
私語厳禁に関しては、主に常連と思われる人たちは守る気がなかった。看守(?)がいないときは、このときもその後もこっそり会話していた。

その時の常連の会話で聞いたのは、「勾留決定すると20日感がかたい」ということだった。

また、勾留が確定したときにそれを伝える先についての案内と記載を促されることがあった。逮捕時と異なり、住所 or 電話番号の記載ができるようだった。

順番に呼ばれて検察官と話す市区k実になっていた。私はだいぶ後半に呼ばれて、20時頃に検察官に呼ばれ、検察室(?)に入室した。

検察官(検事さん、と呼ばれる人と同じ立場)が、取調調書をもとに再度取り調べのような質疑が行われた。質疑応答の前に供述拒否権についての説明があった。
不利になるような質問をメインで行われ、検事による「作文」が行われ、「勾留請求書」を記入しながら、「私は勾留請求を行います」と宣言された。私は、当時の状況を目撃者による虚偽報告があったと確信していたため、「なぜですか?被害者の立場では確かに私が犯罪者だと思うと思いますが、私の立場で当時の行動に動機は紐付けられないと思いますが」と藩老した。そんなことは通らず、勾留請求をされ、形だけの裁判所で勾留を言い渡され私は最大10日間の勾留が決定した。
最後に、看守から

  1. 住所がない

  2. 証拠隠滅の可能性がない

  3. 逃亡のおそれがない

の中から該当するものを読み上げられ、勾留が決定したことを伝えられる。

余談
時間が伸びたこともあり夕飯を検察エリアでとることになった。常用している薬を留置されている警察所+留置番号で呼ばれ、本名を確認の上で服用するのだが、私に渡された書類及び薬は他人のものであった。私はその彼の本名や罪状を知る機会を得てしまい、確認体制の杜撰さを知ることになった。

私は初めてのことで納得できない部分は大いにあったが、ここで反論する意味はないと思い受け入れた。他の留置候補者も特に抵抗することもなく、「はい」以外の回答をせず、みな勾留が決定した。

すべての儀式が終わった後、同じ部屋にいた人は、ここに来るときと同様に手錠に通された縄を通じてひとつにされ、各留置所へバスで連行された。
一番近い警察署へ連行された私でも、消灯時間を過ぎた時間に到着になり、留置所に入る前に荷物検査をされた部屋で食事を行い(記憶によるとその時だけ薬は与えられなかった)、そっと1室に布団を運んだ。

1室には私が検察庁に行く前にはいなかった人が追加されていた。

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