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人間関係、こだわらないと楽しくなる?

人間関係はこだわると苦しい。
今の私はそう考えている。

「何故この人は思い通りに動かないのだろう」
そう思ってしまうから。
ある時期、とてもこだわっていた時期があり苦しかったから、どうすれば悩まないかを考えた結果だ。

人はそれぞれ違う生き物で、同じ人間はいない。
同じ親から生まれ、同じ家庭で育った双子ですら異なる部分が多いし、思考内容はまるで違うのだから、違う環境で育つ人から全く同じ人間を作るのは不可能だ。

なので今この瞬間も、周りにいる人は、同じ空間にいながら誰一人同じではない。

この事は当たり前な事であるが、身近な人だとそれを忘れがちだ。
画面向こうの芸能人であれば、自分の思い通りになる訳ないと分かるけども、毎日会う家族や学校・職場の人は手の届く位置にいるから「うまくやれば思い通りになるのでは」と思ってしまう。
しかし、どんなに近づこうとも中身は一つに交わる事は決してない。必ず差異が存在する。

カテゴライズ化のメリットとデメリットを以前書いた。相手と自分が同じカテゴライズに属すれば、大体は同じだろうと勘違いしやすい。これは危険だ。
一時期同じ場所にいたとしても、先述の通り、人は決して同じにならない。

結論として、誰に対しても「自分とは異質である」という感覚を持つ必要がある。
それは親でも恋人でも親友でも。
相手に対して考えを集中させるほど、まわりが見えにくくなる。自分の中で心的距離が近くなり、異質が許せなくなる。
相手へのこだわりを捨てて、自分とは別物、と思うと楽になる。
「まあ、仕方ないか」と思えるし、もっと自分の事に集中しようと思える。他人にこだわる程、自分にこだわる時間が少なくなる。
そうなると結局、「あの人に振り回される時間が多かった」と感じ、苛立ちが強くなってしまう。
こだわりを”ぽーい”と捨てて、「あの人はあの人、私は私」と考えられれば少し楽しくなるのかもしれない。
異なる考えや行動に触れても、「そうする人もいるんだ、へえ」と特にまともに受け止め無い方が、楽になれるのだろう。

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