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欠点に囚われなくてもいいのでは、と思ったり。

多くの人が自分の欠点とぶつかる最初のきっかけは、「学校での評価」ではないだろうか。

教育の効率性と品質を上げるために、学校教育はあるのだろう。そして、学校での評価を分かり易くするために「成績」と「点数」がある。合理的だ。

ただ、評価軸が限りなく「少ない」事が気になる。

私は、少ない評価軸に囚われすぎない方が良いと感じる。私自身、学校での評価を引きずってしまったタチだから、より強く思う。

数学、英語、国語、科学、社会、体育、、、。どれも基礎ではあり、大切な科目であることは揺るぎないが、何十億といる人間をたったこれだけの科目で、しかも(多少の地域差はあるが)0〜100点の1つの評価軸で測ることは、かなり乱暴に感じる。

もちろん今は教育は見直されており、科目が増えている事や、新しい学力テスト等も導入されているだろう。

現在の教育制度に口を挟むのは、私の立場ではお門違いかと思う。

ただ、どうしても危うさを感じるのは、その少ない軸で「人を測る」という行為だ。その基準に上手く適応できない場合、人間の自己肯定感を下げてしまうのではないか。

人間は群れをなす生き物だ。1体では非力で、集団で補わなければ満足できる生活はできない。分業が人間社会の根本だ。

人が集まる限り、そこには「言語」があり、「共通認識」がある。

遥か昔でいえば、「武力」が価値であり、「領地」が力の大きさを表した。日本なら「米の生産力」が価値であった。今は「通貨」が世界の価値を統一させている。

集団で生きる為には、価値を持たねばならない。すなわち今なら「通貨」つまり「お金」。この量が多いほど、強さを表す事ができる。

この価値基準は分かり易く、物事の優劣をつけ序列化し、秩序を整えるのに役立った。

学校教育も同じで、何十億という人間を統制する為には、分かり易い価値基準が必要だったのだろう。「学校」というシステムがなかった場合、世界はもっと無秩序だったと思う。法律と同じで、集団を基本とする人間社会には重要な体系なのだ。

ただ、これは「マクロ」なお話であり、「ミクロ」側の私たち個人には、別の捉え方を必要とする。

結論としては、「学校での評価は気にしない」という心持ちだ。

評価とは、「内申点」や「成績」だけではない。「部活」や「人間関係」等も含まれる。

何故かと言えば、「評価軸が少なすぎるから」だ。

学校で経験できることは、人生全般で経験できる事のごく少数にすぎない。田舎から都会に出て思ったことは、「多種多様なもの・人がいる」ということ。もっと複雑であること。学校は、ある程度ルールが決まっているから、実は単純化されたミニ世界だ。

私は仕事でもプライベートでも様々な生き方をしてきている人と多く会ってきたが、「学校での評価」や「履歴書・経歴書の内容」と現在は必ずしも合致しないという事を感じている。

学歴が高く、いわゆるエリートコースを歩んできた人が、現在幸せというわけでもなかったし、逆に学校では芳しくなくても今最高に輝いている人もいる。

当時、部活に精を入れていなかった人が今一芸に秀でていたり、友達がいなかった人が今周りの人に恵まれていたりする。

もっと言えば、幸せの基準も人それぞれだ。私のようにのんびり暮らせれば満足する人もいれば、仕事に全力を打ち込むのが好きな人もいる。

1番に価値がある人もいれば、バランスに価値を置く人もいる。100点を採れば誰でも幸せではないのだ、実際は。

某有名アニメで「力ある人がその力を世の為に使わないといけない」というセリフがあった。

それを聞いて、「おお、分業社会を表した言葉だ」と思った。

確かに「できる人がやる」のが社会としては望ましいが、当の本人がやりたいか、がもっと大事だと思っている(その登場人物は、自身も役に立ちたいと思う素敵なキャラだったので、感動したわけだが)。

絵や歌、体育の才能があっても、その道以外に幸せがある人もいる。

専門性が高い事が価値とは限らないし、収入が高い事が価値とも限らない。

何か評価が低かったとしても、「欠点」として捉えない事だ。

だからと言って、「長所を伸ばせ」とか「持ち味を活かせ」とは私は思わない。だって暑苦しい。欠点や短所を克服することも、長所を伸ばすこともその先の目的があってする行為だ。

私は、別にその先がなくても良いと考えるたちなので、欠点を深く捉えたり、直したり、逆に長所を探したりしなくても良いと思っている。

ただ欠点があることを気にしたり、誰かと比較してしまうことは、自分の人生を狭める行為になってしまうから危険だと思っている。

何十億、こんだけの人間がいて、何かで1番をとるなんてかなり気の遠くなる話。人生を賭けてやりたい人がやれば良く、1番でなくても良いなら自分なりの幸せを探すことだ。

欠点とは、「ある評価軸での欠点」でしかなく、本当は上も下もないのだと思う。

現実問題、統制された社会では一般的な価値基準はあるわけで、どうしても優劣をつけられがちだが、個人である私たちは、心の中ではそんなに気にしなくて本当は良いのでは、という話だ。

その方が私は救われるなあ、と思う。


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