自己依存/自分愛

※素人の日常的に気付いたことの考察です


自分中心で物事を考える、
自分の利益を考えて人付き合いをする。
一見、自分にとっては得であって、イージーに見える。
けど、自分勝手でありながらも人には嫌われたくない。

回避依存。自己依存。自己愛。
嫌わないように遠ざける回避依存の強い自分愛の人もいるように見える。
この仕組み、自己依存や自己愛性人格障害の人は本人も本当に辛いと思う。
嫌われたくないのに無意識に自分勝手に振る舞う。
自分勝手だから勿論、無意識に嫌われる。
嫌われると気付いたら嫌われる前にわざと嫌がらせをする。

解決方法なんて、簡単に言ってしまえば
自分勝手に振る舞うことをやめる
それだけである。

様々な精神疾患って、環境、トラウマ、コンプレックス色々とあって
自己愛や自己依存者の原因は、
特に家庭環境が大いにあって根深いものだろうなと思う。
必要であった愛が不足して、それを自分で一生懸命補おうとしてる状態。

いわゆるネガティブな鬱やある意味『マイナス』の思考に対して
自己への愛が強い『プラス』の思考。

マイナスであるものをプラスにしようとしたりプラスに近付けようとする作業って自然であると言うか、"負"とされてるものは重くて見るからに辛いので解放させようという力が働いて然るべきかなと思う。

しかし自己愛や自己依存は一見『プラス』であるため、適度にマイナスさせる作業って難しい。
それに、今までの経験や環境に基づく自己防衛でもあるので凝り固まったそれはまるで石のようにツルツルになった泥団子みたいなもので、解すのは骨が折れる。

ある程度の高さなら落としたくらいじゃ割れないし、場所によっては床が傷つき、
柔らかいクッションだとクッションは沈み、泥団子は守られる。
無理に強い力で叩きつけて落とすとパカッと割れてしまう。

なにが大変かというと、中に爆弾を抱えているため、
このパカッと割れてしまった時に中の爆弾がすごい勢いで爆発する。

その泥団子が熱かったりしたらどうだろう。もう触れることはできず、みんな近づくことすらやめる。
時間が経てば経つほど熱は高くなっていく。

歳を重ねるごとに、周りには誰もいなくなり
静かに一人で燃え尽きて終わるんだ。


必要な作業は長い時間かけて水に漬けて
時には優しく撫でながら崩し、柔らかくするしかない。
せっかく貯めたお湯に水を足されるような、
砂漠で雨を降り続かせるような、
白夜に暗闇を待つような、
海の中で温泉を探すような苦労である。

成熟した自己愛は他者を愛せるとはよくいったもので、
強すぎる自分愛、自己依存者も成熟させれば、人に与えられる愛は莫大に広がる可能性を秘めてる。

もしかしたら、それは心が健康に過ごせてきた人の愛よりも大きく温かくものかも知れない。

それもあり、特に私はそれが一番の"見捨てられない"理由になってる。
信じていて、ある意味期待してるのだ。
未知の期待ではあるし、期待なんてものはエゴでしかないけど
そんな彼らを救えるとしたら、彼らは自分を自分で癒すだけではなくたくさんの人を癒すことが出来るかもしれない。
いや、出来るのだ。

自己愛性人格障害の克服は限りなく難しいとは言われているようだけど、ゼロではない。
それに克服は100%じゃなくていい。
ある程度崩してあげると、あとは創造したりアウトプットしたりして自分で救える。
彼らは元々そういう力を持ってる。

難しいかも知れないけど、可能なんだ。
RADWIMPSもとい野田洋次郎の綴る『愛し(かなし)』を聴いた時に確信した。

彼は、苦しんで苦しんでもがいたけれど、愛に触れて克服してきた人だろうと感じた。

焼け石は水をかけたくらいではさめない。
少ない水では、水が沸いてしまう。
けど流れる水に触れ続けることで、時間をかけてさめていく。
大海では見失い、大河では飲まれ、ドブ川では汚れて泥にまかれ形が歪んでしまう。
必要なのは、綺麗な小川なのだ。
適温で、しかしいつも同じ季節で同じ温度では熱が下がりにくい。
水が冷たい季節もあってちょうどいい。
長い四季の中で、柔らかくなっていく。


嫌いだよ私だって自分勝手な人は。
だけど私は嫌いになりたくない。
彼らの自分勝手に傷つけられ嫌いにならないように苦しみ耐える。
けど彼らも自己勝手でありながら苦しんでいる。
彼らを救えるのは、傷つけられてもなお諦められなかった人達なんだろうなと。
けど期待はそこにはない、私は信じてる。
私は自分を信じてる。確信がある。


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