ちっぽけなサッカー人生

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
n村です。

今回、僕の15年間にわたるちっぽけなサッカー人生を振り返って、そこで起きたたくさんの失敗、気づき、学んだことについて全てさらけ出す。

僕は、小学2年生の頃にサッカーに出会い、
大学4年生の12月までサッカーを続けてきたけど、
ほとんど実績を残せなかった。
所属するチームは成績を残していたけど、自分は試合にほとんど絡めない。
15年ほどサッカーをしてきて、全然人に言えるような結果を出せなかった。

noteやSNSツールでたまに見るのは、苦労したけど最後に結果を残しプロになったり、全国大会に出たり、といったようなパターン。
本当に凄すぎるな、と思う。
逆に僕は、長年サッカーをしてきたけど個人としてちっぽけな選手で終わった。
でもサッカーを通して色々な経験ができて、自分の今後の人生に役立つ知恵をたくさん得られたなと思ったから、
自分のためにも、
そして、
これを見てくれてる誰かのために、
自分のサッカー人生の中での多くの失敗と気づき、学んだこと、
それを発信して
これを読んだ人の人生が少しでもより良くなればいいなと思う。

自分のこれまでのちっぽけなサッカー人生を振り返って、多くの失敗、そこからの学びや気づきを発信し、自分・読者の人生を少しでも良くしたい。

〜超弱小だった少年サッカー〜

小学2年生の時、近所の仲良かった友達が一緒にサッカーをやろうと誘ってくれて地元の少年サッカーチームに入団した。
週に1回の練習で、試合をすれば0-24とかがほとんど。笑
でも自分たちにはそれが当たり前だった。
勝つことはほぼない。奇跡。
保護者はどんな気持ちやったんやろう、笑
でもやってる本人達は気楽にまあいいかぐらいの感じ。
5.6年生になってくると0-8とか1桁失点で抑えられるようになった、それでも大敗やけど。笑
ちなみにGKは女子。
そんなチームにいた僕はそのチームの中では1番うまかったと思う。
そして傲慢やった。
1つどうしても忘れられない思い出がある。

小学6年生ぐらいの頃の地域リーグで、試合中僕はイライラして周りに当たっていた。
もっとうまくできるやろって。
試合終わって休憩しようと思ったら恩師のコーチに思いっきり怒鳴られた。
「お前のチームじゃないねん!!ええ加減にしろ!」
心の底からビクッとした。
でも怒鳴られて一瞬で分かった。
おれが悪かったって。
自分で自分の弱さに薄々気づいてた。
そして、僕はちょっと離れてドリブル練習しながら泣いてた。
みんなのところへ戻るのが怖かった。
でも戻るとみんなはすんなり僕を迎え入れてくれた。
それから自分の中でサッカーが少し変わった。
良くも悪くもちょっと周りに気を遣うようになった。
自分を押し出すことをためらうようになり、周りといかに同調するかを考えるようになった。
いや、なってしまったというべきか。
次の試合では、僕はパフォーマンスが悪かった、というより、余計なことを考えながらサッカーをし始めた。
あまり楽しくなかった。

サッカーは、(いやチームスポーツかな、)
難しい。
自分を表現することの意味を少し間違えれば、
周りと協力するということの意味を少し間違えれば、
うまくならない。
そして、大事なものを見失う。

この経験から、僕は人として大切なことを学んだ。

自分の感情は自分でコントロールするものであり、それを周りへぶつけるのは圧倒的に自分の弱さだということ。

そして、

周りに気を使うということの意味や使い方を間違えると自分の成長を阻害する要因になってしまうということ。

これかな、周りをめっちゃ気にするようになった原因は。笑
でも良い経験やった、起きる物事は捉え方次第で良くも悪くもなる。

そして、小学6年生の頃、
他のチームの練習に週1で参加させてもらいボールタッチやリフティングを学んだり、
地元で有名なサッカースクールへ通って地元ではうまいとされる人達と練習できる環境へ飛び込んだ。
そこで自分は完全に井の中の蛙だったことを知り、
猛練習した。
練習の1番の意識は、どれだけグランドにいる時間を長くするか。ほぼそれ。
何もない日は1日8時間ほどグランドで1人でドリブルやリフティングをしたりしていた。
その練習や練習に対する意識が正しい努力だったのかは自分の結果が物語ってる。
1番大切なものは何か、それに気付いていない限り何をしても間違った努力になる。
いや、自分が不器用だけやったんかも。
でも、周りからは"努力の天才"や"練習の虫"と言われ
そこに喜びを感じて"しまっていた"。

だけどそんなんクソガキだった自分はわからない。
正解なんて分からない、ただ周りのうまい人らに追いつきたくて、何も考えずひたすらに練習するしかないと思っていた。

“やった感"や、"周りからの評価"にとらわれてはいけない、"公式戦で"活躍するために、自分で考え続けた先にしか未来はない。

だから、本当に大切なものは目に見えない部分にある。

正解はない。

〜地元のクラブチームへ進んだ中高時代〜

中学は地元では有名だったクラブチームのセレクションを受けてたまたま受かり、30人ほどの同級生と切磋琢磨した。
結局、公式戦にはほとんど絡めず、
"練習はめっちゃするけど試合で全然活躍せんやん"
って選手。情けないわ、まじで。笑
ほんまに公式戦に出た覚えがない。
悔しすぎて意味わからんかったけど、おれの悪いところはめっちゃ落ち込むところ。
落ち込んだ先には何もない。
自信を無くし前へ進む活力を削ぐだけ。
そんなんじゃそりゃサッカーも楽しくない。
チャレンジする、というより、ミスをせんように、
プレーしていた。活躍できるわけがない。
悔しすぎる時や、どん底にいるような気持ちの時に、自分でどういうメンタルにするかが命運を分ける。
うまくいかないからとりあえず練習しよ、そうすれば気持ちが楽になる。
つまり、試合で活躍するための練習ではなく、自分の気持ちを落ち着かせるために練習。
本質を完全に捉えられてない。
ここでも、自主練はめっちゃしてた。時間的には。
ずっとグランドや近くの公園におってずっとボール蹴ってた。
でもうまくはならない。
本質から目を背けてた。そのほうが楽や。
僕は耐久力は自信があった。
つまり、苦しいことや長時間何かをすることに耐えること。
でも、自分で考えて結果のために行動する、っていう面が圧倒的に足りなかった。
だから、チーム練習より自主練に重きを置いている時もあった。
全ては自分の心の安定のため。逃げ。ダサい。

結局中学サッカーは手応えなんてものは何もなく、チームではムードメーカーとしてサッカー外で盛り上げたり笑わせたり、で終わった。
ただ、いつも練習終わり一緒に帰るサッカーがうまくて本質を無意識的にだろうけど捉えられてる人がいた。
今思うと、その人たちがどんどんうまくなっていったのは納得がいく。
そのうちの1人にある日言われた。

「お前はめっちゃ練習してるかもしれんけど、おれはチーム練習での意識は誰にも負けへん。1番意識高い自信ある。」

胸にぶっ刺さった。笑
でも逃げた。
自分よりいわゆる練習してないであろう、そして、自分より圧倒的にうまいやつにそんなことを言われた。
プライドはズタボロ。
だから逃げた。
でも、本質的にそいつのほうが圧倒的に"練習を"していた。
それは大学生になってから気づいた。

もう1人は自主練をしている時、
「イメージ膨らませるわ!」
といって公園で15分ほど寝転んでからボールを蹴りだした。
蹴っている時も相手はこうきたらこう行くとか、イメージすることをとても大事にしていた。
かたや僕は、とにかく長い時間ボールを蹴ることに重きを置き、そのイメージの15分間ボール蹴ったらええやんと思っていた。
そこには本当に大きな大きな差があったと大学生になって気づいた。

結果を見据えることでしか正しい努力はできない。

過程にこだわると本質を見失う。

そして高校は同じクラブチームのユース年代チームへと進む。

〜少しだけ何かを得たような高校サッカー時代〜

高校では、高体連ではなくクラブチームへ行く選択をした。
高校サッカーに魅力も感じたけど、僕は同じ仲間と高校でもサッカーをすることに魅力を感じていた。
それでも同期のうちユースを選んだのは3分の1ほどやけど。
高校サッカーは今までとは違い、1.2.3年生混ざって活動する。
最初は全くついていけなかった。
同期とも差があるのに、先輩とも大きな差があった。
試合に全く絡めなかった。
なんなら下手くそすぎて3年生の先輩に
「あいつなんなん?」
って言われたこともあった。
今思うとそんなん大したことないのに、当時の自分は地獄のめっちゃくそ熱い池にぶち込まれたような気持ちになった。
悲劇的な自分を自分で勝手に作りあげる。
そんなことをしていても未来は見えない。
いかに自分が置かれた状況をポジティブに捉えて楽観的に捉えて自分の成長のために行動するかが大事なのに。
中学生の頃と何も変わっていない。

最も忘れられない辛かったエピソードは、

地元のトレセンに落ちた連絡が来た時のこと。
(トレセンとは、地域の選抜みたいなもののこと。)
その時、夜にトレセンのトレーニングがあることが分かっていて、当時いた同期は自分も含め前回あったセレクションで受かっていると思っていた。
夜練習だったため学校から帰宅し少しだけゆっくりトレセンの練習へ行く準備をしていた。
もう練習着も着たし、ソックスも履いた。
準備は完了。
そして、いざ出ようかってその時
チームの監督からメールがきた。
チーム全体への一斉送信。
"今回のトレセン、西村は落選したため不参加です。"
少しの間理解できなかった。
ん?どゆこと?ってなった。
その時1番思った感情は、恥ずかしい。
同期のみんなの顔が浮かんだ。
なんか申し訳なさそうに自分に気を遣ってるみんなの顔。
頭が真っ白だった。
自分の部屋の椅子に1時間ほどボーッと座ってて、お母さんが仕事から帰ってきた。
「あんたトレセンは?」
って聞かれたから、笑って、
「落ちた!」
って言った。
どう自分の心を整えればいいか分からなかった。
結局、夜遅くに自転車で10分のところにある公園へ行き自主練しようとしたものの、もぬけの殻。
力が入らない。
次の日の練習、みんなに対してどんな顔をすればいいのか分からず、とりあえず笑って余裕を装った。
みんなそんなこと気付いてる、それすら嫌やった。
いじってほしかった、バカにしてほしかった。
そのほうが楽やったから。
結局自分はいつも楽なほうへ逃げてしまう。
だから試合でも活躍できない。
こうした挫折のようなことがあるとすぐに自信を無くし思考停止してしまう。
自分に起きた物事をどう次に活かすか、
それが1番大事。落ち込んではいけない。
常に平常心で、楽観的にいてこそ次につながる。
物事は捉え方で180度変わる。
変えれる、とも言えるし、変わってしまう、とも言える。
その捉え方で天と地ほどの差が出る。

そして、自分3年生になり最後の1年。
チームの方針が少し変わり、試合のメンバーを自分達で決める風に変わったら少し出られるようになった。
みんなが、自分の練習に取り組む姿や自主練をたくさんする姿を見てそれを評価をしてくれた、と思う。
純粋に嬉しかった。
みんなにそう思われてることが。
でもそれは本質じゃない。
サッカーにおいて、公式戦において、活躍するために最も大事なことを自分はしていなかった。
やってる風だった。

試合を想定した練習

まさにこれ。
めっちゃ簡単な言葉かもしれんけど、1番大事。
そして1番難しい。
考えることが大事。
ただボールを蹴っているだけじゃ試合では活躍できない。
自分は考えていなかった。
想定できていなかった。
自分で薄々気付いてた。でも逃げた。
考えんとひたすらボール蹴ったりするほうが楽やし。
考え続けながら練習することはストレス。
だから逃げた。
結局いつも、心の安定のために苦しいことから逃げてる。
それじゃ結果は得られない。

そんなこんなで高校サッカーは終わった。
中学と同じようにめっちゃムードメーカー。
ずっと1発ギャグをしていたような気がする。笑
帰りのバスではいつもMVP。
たまーにそんな自分が情けなかったけど、そういう選手も必要なんだと自分に言い聞かせてた。
本当に欲しいものはそうじゃなかったのに。

高校サッカーは最後の最後にご褒美があった。
本当の引退試合。
そして、チームの県リーグ参入をかけた試合。
勝てば最高の引退。
自分はたまたまスタメンで、結果的に4-0で勝利することができたけど、
僕は先制点を取ることができた。
嬉しすぎてスタンドみたいなとこへ走り超ダサいジャンプガッツポーズを決めた。
でもほんまに嬉しかった。
この瞬間のためにサッカーをしてたとまで思った。
ちっぽけなことかもしれんけど、自分にとっては大きな大きなゴールやった。
チームに貢献するということ、公式戦で活躍するということがこれほどの喜びやったなんて知らんかった。
最後の最後にこんなご褒美くれた神様?いや、過去の自分かな?
まじでありがとう。
そうして高校サッカーは終わり、
次の日から大学受験の猛勉強が始まった。
もう大学ではサッカーはしない。
そう決めて受験勉強に明け暮れた。

〜世界が広がった大学サッカー〜

結局大学へは一般受験を経て入学が決まった。
めっちゃ勉強した。笑
超嬉しかった。それはええとして、
サッカー部への入部はしないつもりやった。
てか、そんなこと考えてもなかった。
受験の合格発表があってからは、何しようって感じで、そんな時、
中学のチームメートで高校は強豪校へ行き選手権で点も取ったことのある、自分と仲が良くそして尊敬してる友人に、自主練しよや!と誘われた。
なんとなく公園へ行った。
ボールを蹴った。
楽しすぎた。時間も忘れるほど。
夢中とはこれのことかって感じ。
大学でもサッカーしたくなってきた。
でも親には金銭面で迷惑をかけてしまうし、大学ではサッカーをしないとハッキリ言っていた。
でもしたすぎてたまらない。
そんな時、その友人の家へ行きその友人のお母さんも混じえて話し合った。
「1回練習行ってみんか。」
とお母さんが。
「大学サッカーしよや!」
と友人が。
これだけで決意した。
そして母に恐る恐る大学サッカーをしたいと言った。
すると、熱意が伝わったのか、恐らく胸の中では色々思うことはあっただろうけどすんなり認めてくれた。
親の鏡。こんな親になりたい。
そして、入学前の春休みの段階から練習があるということで、入部説明会へ行った。
度肝抜かれた。
「俺たちは日本一を目指すチーム。覚悟ないやつは入るな。」
って。
そんなんワクワクするやん。日本一って。
やばいやろ。
そして次の日からラントレーニングが始まった。
地獄すぎた。
全身筋肉痛。極度の。
それが毎日。
泣きそうどころじゃない。
でも余計に火がついた。
今までの自分を塗り替えたい。
走りだけでもええからうまいやつらに負けたくない。
闘争心の鬼のようなメンタルやった。
たまにサッカーできる時は死ぬほど喜んだ。
やっぱりみんなうまかった。
そして、そんなこんなを2ヶ月ぐらいして入部が決まった。
もうあんな2ヶ月過ごしたくない。
それほど濃密できついけど、なんかその試練、悪くなかった。周りに仲間もおったし。
変な絆も生まれてた。笑

そして、大学サッカーがスタートして、1〜3年まで5チームあるうちの1番下のチーム。
240人ほど部員がいて、1番下のチームに70人ぐらいいた。
自分はそこの1人。
中から見れば、みんな実績とかあってうまい。
"1番下のチーム"そんな風に全く見れない。
熱いし、一生懸命。
自分はそこでたまに試合に出たり出なかったり。
朝練やったから毎朝5時30〜45分ぐらいにアラームセットしてなんとか起きる。
悪くなかった。充実してた。
熱い環境が最高やった。
自分はめっちゃ下手くそやけどなんとかして自分の存在意義を探そうとした。
ムードメーカーは相変わらずやった。
でもほんまに求めとるのはそれじゃない。
活躍すること。
FW(1番前のポジションで1番ゴールに近い位置にいる選手)やったから、点を取ること。
でも結局4年間で公式戦での得点数は6点。

大学3年生の後半から1つ上のチームに上がり、いわゆる4番目のチーム。
自分的にレベルが違った。
うますぎるやんって思った。
またしても自分の存在意義をなんとか探そうとしてた。
これぐらいの時から、なんか意識変わっていった。
色々な人と話したり、本を読んだりすることで、成功する人のメンタルを必死につけようとした。
もがいた。
自分の理想像に辿り着けるよう、サッカーを通じて、サッカーだけでなく人としての成長ができるよう、カッコいい人間になれるよう、
意識することを紙に書いて読み上げてから練習へ行ったり、サッカーノートも真剣に書くようになった。
自主練も試合での状況を意識するようになった。かな。
そしたらすんごい楽しくなってきた。
サッカーをすることが、過程自体がすんごい楽しくなってきた。
サッカーを楽しむことがいかに大事かに気づいた。
小中高はサッカーを楽しむというより、恥ずかしくないプレーをするとか、そういったことを考えてた。
大学では、そんなんいいから、恥ずかしい姿でもいいから、全力でプレーする。
サッカーを理解しようとして、チームメートを理解しようとする。
そして、1番大事かもしれん、自分を理解しようとする。
何ができるのか、何ができないのか。
頭が悪い自分やからこそ、考えることを省いて迷いを消すために出来ることと出来ないこと理解して、自分の得意な場面をより作り出すことを考えた。
めっちゃ楽しい。どんどん楽しくなっていった。
まあ下手くそやけどな。笑
人としての部分も成長できるように、
挨拶とかめっちゃ大事にしてた。
朝早いしみんな元気ないからおれめっちゃ元気でおろうって思ってた。
サッカーのプレーの中でも、自分は何か思ったことがあっても黙るタイプやったけどあえて意見をぶつけたりもしてみた、後輩に別に怒ってないけど気付いてほしいと思って叱るということも覚えた。
めっちゃ難しかったけど、難しいってことは自分が今できひんってことやし、これができるようになればもっと楽しくなるし、成長できるっていう考えでやってた。

大学でもムードメーカー気質は健在やったから、みんなを笑わせたり雰囲気盛り上げたり、そういうキャラをブラさないことを意識した。楽しんでた。
1発ギャグとかそーゆーのもたくさんやった。
周りにそういう人も多くて居心地が超良かった。

4年生になり、最後の年。
サッカーに本気で向き合うのも最後。
自分は同期60人から応援団長を任された。
僕の大学は、応援をとても大切にする。
本当に大切にする。
4年間、週末は応援ばかりしていた。
そして、1〜3年生まで応援団長の姿を見ていて、
こんなん自分にできるんかよ!って思った。
でもやるしかないと腹を括って自分なりにどう取り組むかを紙に書いたり人に話したりしてスタートした。
将来経営者になりたいって思いが薄らあったから、(今もある)そのためにリーダーシップ論的なものも学べるし、最高だなと思ったけど、
いざ始まればもう大変どころじゃない。
全然思ったようにいかない。
自分に自信も無くなってくる、ああ、でもそれじゃ中高の時のような自分と同じマインド。絶対あかん。
とにかく考えることを意識した。
無理やじゃなくて、考え続ける。
思考停止したらもう終わり。
サッカー選手としてうまく強くなりたい自分と、応援団長として人の前に立ちみんなにとって理想のリーダーでありたい自分に押しつぶされそうやった。
でも成長してる感がすごかった。楽しかった。
幸いなことに、周りに恵まれてたから僕に何かあってもいっつも助けてくれた。
ミーティングで応援団長として言いたくもないことを言ってみんなに嫌われるのが怖かった時も、飯いこやって言われて行ったらいっぱい仲間がいて一緒に頑張ろやって言ってくれる。ふざけ合う。
ラインでメッセージをくれる仲間もいた。
嬉しいどころじゃない。幸せどころじゃない。
恵まれてるって言葉じゃ全然足りない。
絶対日本一なりたいって思った。
自分は応援団長として、日本一になった時全員で死ぬほど喜べるような集団を作りたいと心から思った。
でもそんな簡単じゃなかった。笑
難しすぎた。
トップチームの試合に絡めず悔しい思いをしている選手が応援をする。
悔しい気持ちは絶対に忘れてはいけないっていう思いと、目の前で戦う仲間のために本気で応援するっていう葛藤。
それを僕は1人1人をしっかり見て、みんなの気持ちを汲み取り、震い立たせ、素晴らしい集団を作れるのだろうか。
至難の技。坂本龍馬とかのレベルでギリできるんちゃうんってレベル。
みんなの温度を常に感じ取ろうとして周りに目を配り、そこに自分を合わせていく。
でもそうじゃなかった。
自分から溢れ出る想いをみんなへ伝え、また、みんなから溢れ出る想いを伝え、それを伝染させていく。
それだけ。
その想いがどれだけ強いか、それだけ。
変に考え込む必要はなかったかもしれん。

"想い"

それだけ。
想いが強いか弱いか。それだけ。
チームのことが好きか。
日本一なりたいか。
それだけ。
形なんかに囚われる必要はない。
1人1人の想いを表現させる環境を整える。
自分に必要やったのはそれだけやったなと今になって思う。
自分は1番熱くなる。そう在る。何があっても。
そこに覚悟を持って、プライドを持ってた。
自分がみんなの基準になりたかった。
僕は1人だけずっとピッチじゃなくて応援してる200人ぐらいを見てたから分かる。
まじでえぐい時はほんまにえぐかった。
もうなんか魂が揺さぶられるような、なんか笑ってまう。興奮しすぎて。
ほんまに色んな思い出がある。
1番震えたのは夏の全国大会の準決勝の時。全国3位に終わったあの日。
結果的に負けてしまった。
前半は試合内容的にもやばいってなっててみんな萎えてた。
ハーフタイムに休憩しようとしたら、1人の同期がハーフタイムも応援しよや!って言った。
そこからみんなどんどん乗ってきてそこから試合終了までノンストップ。笑
えぐかった。想いが溢れ出て止まらんかった。
客観的に"応援"ってだけで見たらめちゃくちゃやったかもしれん、声もガスガスやし、あんま何言ってるか聞き取れんかったかもやし、でもそんなんどうでもいい。
自分たちの世界。
ピッチで戦う11人と、それを支えるベンチ・スタッフ、そしてスタンドのみんな、その世界。
自己満足にも近い爆音。
でもそれでよかった。それがよかった。
感動どころじゃない。
おれは試合に負けて、応援団長としてみんなを誇りに思った。
誇り以外の何にも思えんかった。
キラッキラしてた。
これやん。って思った。
あの熱さとか、あの光景とか、あのサッカー部が忘れられへん。
あんな素晴らしい"モノ"は今後の人生なかなか出逢えへん。
子どもができたり、結婚したりしたらまた出逢えるかもしれん。楽しみ。
応援は他にもたくさんの思い出がある。
それを共有した仲間はもう大切でしかない。
楽しかった、幸せやった。
この場をお借りしてありがとう。

応援のことでこんなに長くなったけど、
選手としての自分はどうだったのか。
結局4番目のチーム止まりで、日本一を目指してたけど、関西の決勝トーナメントも行けずリーグ戦で敗退。
自分はリーグ後半からスタメンも増えてきて、得点することもできたけど、下手くそ。
でも自分的にはとても成長できたし、物事への捉え方や、考え方、サッカーに対しての取り組み方や、人とのコミュニケーション、たくさんの学びや気づきがあった。
スタッフにも仲間にも恵まれて、環境が超よかった。
悪い部分に目を向ければたくさん出てくる。
良い部分も同様。
物事には良い面と悪い面両方ある。
人によって同じ物事への捉え方は違うから。
どっちが幸せか、自分で選択する必要がある。
そういった考え方も大学サッカーから学んだ。

・物事を楽しくするのは自分。
・全ての物事をプラスに捉える。
・全てを肯定する、否定しない。
・明るく元気に楽しく
・笑顔

これは紙に書いて意識してたこと。
大学サッカーを選択して良かった。
大学サッカーへ引きずり込んでくれた友人とそのお母さんには感謝しかない。

それでもまあ1人の選手としては本当に平凡で何もなかった。
下手くそやった。15年間ずっと。
でもたくさんのことを学んだ。
そして、これを活かすも殺すも自分次第。
自分の心。自分の行動。
どこを目指すのか。どうなりたいのか。
どう在りたいのか。
どうすれば自分は幸せになれるのか。
どうすれば困ってるあの人のためになれるのか。
自分に何ができて、何ができないのか。

笑う門には福来たる。

まさにこれ。
どんな時でも笑えるような心を身につけたい。
辛くても楽しくても何があっても笑ってる。
最強。
楽観的、何でもできる。
楽しむ。

最後に、
今回サッカーを通して自分を振り返ってみた。
平凡な1人の選手やった。
それでも平凡なら平凡なりにたくさん感じたことがあったし、失敗があった。
成功なんてたまに。
でも、自分の基準が大事やなって思う。
自分の基準で成功ならそれはもう成功。
それで幸せを感じていい。
人と比べる必要はない。
過去の自分や、今の自分、そして未来の自分と向き合う。
幸せも成功も失敗も人それぞれ。
自分の基準や価値観、考えをしっかり持つ。
自分を理解する。
人生はその旅のような気がしてならない。
まあ22歳の社会も経験してないペーペーが何を言ってるんやろってなるやろけど、
こうやって文字に残すことで未来の自分の楽しみになる。笑

ちっぽけなサッカー人生、悪くなかった!

めっちゃ長くなったけど、めっちゃ詰め込んだ。
誰かの心に届いたら嬉しい。
誰かのために生きるって素晴らしいことやと思う。

ではこれで終わります。
良かったらフォローとかしてください。
では!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?