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ゴッホ展 響き合う魂 ヘレーネとヴィンセント (2021)





■はじめに

行ってきました。上野の東京都美術館。
コロナ禍ということで、入場制限があり、予約を取っての観覧でした。
一日の中で入場時間の枠(30分間)がいくつかあります。
その時間に入れば、中で過ごす時間の長さは特に制限なく、入れ替えもありません。

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「ご予約のないかたは入場できません」という看板が立てられていました。

東京都美術館に向かう際には上野動物園の入り口を横目に進むことになりますが、上野動物園も整理券を使って入場制限をしている様子でした。出入口は工事中です。双子のパンダ、シャオシャオとレイレイが生まれ、すくすくと育つ様子が最近のニュースに花を添えていますが、パンダ舎も改装中のためパンダは展示されていません。シャオシャオとレイレイの公開に合わせて、新装オープンするのでしょう。

12月に入ったところでしたが、紅葉が美しかったです。

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■ 概要

ゴッホ展 響き合う魂 ヘレーネとフィンセント

場所:東京都美術館(上野)

開催期間:2021年9月18日(土)~2021年12月12日(日)

東京都美術館のサイト⇒https://www.tobikan.jp/exhibition/2021_vangogh.html

展覧会の特設サイト⇒https://gogh-2021.jp/

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■ヘレーネってだれ?

今回の展覧会のサブタイトル、『響き合う魂 ヘレーネとフィンセント』。
フィンセントは言わずと知れたゴッホその人ですが、ヘレーネってだれでしょう。

ヘレーネ・クレラ―=ミュラーは20世紀前半に活躍したドイツ人の美術収集家です。父はミュラー商会という商社を経営しており、ヘレーネの婿アントンがその後を継いで大変発展させ資産を築いたということで、膨大な美術コレクションはアントンの財力と理解によるものです。

ヘレーネは娘の美術教師であるブレマーに影響を受け、そのアドバイスを用いて美術品を収集していきます。

ブレマー本人にとって、とても興奮する展開ですよね。自分が愛好してやまない美術品をお金を出してどんどん収集してくれるマダムが身近にいるわけですから…。
ブレマーの肖像は今回の展覧会の最初のセクションにヘレーネのそれと共に飾られていました。
「よかったね、満ち足りた、楽しい人生だったでしょうね」
と、心で語りかけました…。

ヘレーネは実に1万点以上の美術品を収集し、オランダにクレラ―=ミュラー美術館を開きました。

ゴッホに早くから注目した収集家の一人で、ゴッホの油絵848点のうち90点をコレクションとしています。

今回の展覧会は彼女の収集した、クレラ―=ミュラー美術館のコレクションに加えて、オランダ、アムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館から数点を借用した作品群となっています。

■ゴッホについて

フィンセント・ファン・ゴッホは1853年から1890年に生きたオランダ人の画家です。世界一有名な画家のひとりでしょう。長く精神的な病気に苦しみ闘病しましたが、若くして自ら命を断ちました。

彼の作品は、唯一無二の画風と、非常にドラマティックに解釈された人生を記した伝記によって死後評価され、
『芸術家=苦悩あるいは狂気』
といった一種のステレオタイプの象徴となりました。

また、彼の作品の中でも特に人物や花など特定のモチーフを中心に据えた力強い作品は現代のオークションで非常に好まれ、価格が高騰し、何千万ドルという取引が行われたことも有名です。
『ひまわり』については日本の企業安田火災海上保険(損保ジャパン日本興亜)が53億円で落札し、SOMPO美術館に収蔵していることで有名ですね。

最近では、ゴッホの作品が見られるWebサイトもニュースになっていました。ここでは彼の作品の半分ほどが見られるそうです。光のあて具合などを変えて(横から光を当てたレーキや、赤外線カメラなど)様々な撮影をした作品を見ることができますし、画像をダウンロードすることもできます。英語で検索することも可能です。
almond,
lemon,
yellow house
など、好きな絵のキーワードを入れると、検索結果に表示されますよ。
 URLをご紹介しておきます。

もっと詳しく、というかたはWikipediaが丁寧に作品についても触れています。

■展覧会の構成

展覧会の構成にそって、実際に行ってみた素人ながらの感想を交えつつご紹介したいと思います。

1 芸術に魅せられて:ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者(3点)


導入はゴッホの収集家ヘレーネの紹介です。
先ほどもお話ししたように、ヘレーネの肖像やコレクションの助言者であったブレマーの肖像が飾られていました。

早く作品が見たいという思いで早足で通り過ぎてしまったのですが、パネルには丁寧にヘレーネのコレクションについての説明がされていました。

2 ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで(18点)


ヘレーネが収集した、ゴッホ以外の絵画が展示されています。
ミレーの「グリュシー村のはずれ」、
ルノワール「カフェにて」、
カミーユ・ピサロ「2月、日の出、バザンクール」、
スーラ「ポール=アン=ベッサンの日曜日」、
ルドン「キュクロプス」など、
見ごたえのあるコレクションが並びます。

私はずっと楽しみにしていたルドンが見られて、うっとりしてしまいました。愚かに描かれる巨人族の憧れとやさしさ、不気味な恐ろしさが、とても詩的です。
そして、ルノワールはやっぱり女の人の肌や服の手触りがはっきり伝わるような新鮮な空気を発していて、1作品だけなのに無視できない感じがすごかったです。なんというか、ひとつだけ絵画ではなく魔法の絵に閉じ込められた人間のように感じました。

こうして、ゴッホ以外のコレクションもつれて来てくれると、ヘレーネという人や美術館に興味がわいてきますし、また別の展覧会に行く動機にもなりますね。

3 ファン・ゴッホを収集する

3-1 素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代(20点)

素描、つまりスケッチって、そんなに期待はしていなかったんです。
なぜかというと、メイキング的な、資料としての面白さはあっても、作品単独での面白さはきっと油絵の比ではないのではないか、という思い込みがあったからです。
でも、意外と見ごたえがあったんです。
人間であっても植物であってもドンと中心に据えて来るゴッホの持ち味である力強さが、この時期のスケッチでも顕著でしたし、
当時の民衆の風俗としても興味深い絵がたくさんありました。
魚干し小屋は、ひし形の魚を干しているようにも見えたけれども、あれはいったい何なんだろうか…。ヒラメ?
それともあれは魚ではないのだろうか。


『ジャガイモを食べる人々』では、ジャガイモはあまりはっきり描かれていないのは、人々に着目しているからでしょうか。有名な作品ですね。

3-2 画家ファン・ゴッホ、オランダ時代(8点)

油絵になりました。オランダの農村の民衆の暮らしをえがいた作品たちです。
暗い室内をほのかな光で描くことに、やけに固執した時期であったようです。解説にあるテオへの手紙でもいかにそこにこだわりがあったかがわかります。
ゴッホがのちに大変明るい、昼日中のように燦然とした夜を描くのは、この時期の暗がりに合わせた露出そのままに明るみに出てしまい、絞ることができなかったからかもしれない、
ふと、そんな気がしました。

3-3 画家ファン・ゴッホ、フランス時代

「あ、ゴッホになった」、このエリアに入ると、そう感じます。
今までの作品も確かにゴッホであり、生まれながらにしてゴッホなのでしょうが、このエリアに入ると、今までの作品とは打って変わって
作風が確立されたことが感じられます。

画面は明るく、かげりすらも明るく、まぶしいほど。

解説を読んでも、
「オランダの田舎からフランスのパリ、世界の最先端にやってきて、
イケてる人たちと知り合い交わった」
という劇的な環境の変化を感じます。

3-3-1 パリ (5点)

さすがパリ。しゃれた風物が並びます。特に『青い花瓶の花』は可愛いですね。ゴッホの作品の中で、気軽にお部屋に飾るとしたらこの作品が良いなと思います。
でもそれにしても、花を活けるときにこんなにいっぱい詰め込みますでしょうか。このサイズの花瓶に飾るとしたら、せいぜい半分か、3分の1くらいがふさわしいように思いますが…。量だけでなく花の種類も、多すぎますよね。可愛くて素敵だけれど、やっぱり普通ではない感じがします。


3-3-2 アルル(6点)

また田舎に引っ越したゴッホですが、もう暗がりへは回帰しないんですね。
全てが光に満ちています。

特に『種まく人』(F422)では、太陽がシンボリックに中央に位置して種まく農夫を照らしています。農夫が何をめやすに種をまいているのか、その姿からは計り知れません。ただ日の光に命じられて決められた所作を繰り返す人のようにも見えます。
地平線には赤い屋根の家があり、あそこに暮したら気が狂ってしまうだろうな、という予感がします。晴れがましくも呪わしい、豊穣と再生の絵です。

3-3-3 サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ(8点)

『サン=レミの療養院の庭』は、花の咲き乱れる美しい絵です。中心あたりに白く光るベンチがあり、そこに座りたい、その一部となりたい、という心持がするのですが、一方でそこには絶対にたどり着くことができないという確信があって、ゴッホはやはりかなりきつい思いをして生きていたのだ、と感じられてひどく悲しい気持ちになりました。
感じやすくなっているのか涙が出て、傍らの解説を読んでやり過ごそうとしてもそこにも悲しいことが書かれていました。
苦しみながら生きたのだということは確かに感じるけれど、
その苦しみを想像することはとてもできませんでした。

病とは、そのように、共感することの難しいものなのだと思います。

  「夜のプロヴァンスの田舎道」は、ゴッホが好んで描いた糸杉を
中央に配し、右の空には三日月、左の空には星がかがやく
明るい夜を静かにそぞろ歩く人々を描いた油絵です。
目から音を聞いているような、不思議な絵です。
この作品は今回の展覧会の目玉で、特別に飾られていました。

サイズも大きく、大変立派で、白眉という感じでした。
この絵はもっともっと後ろから、ひとりきりで見られたら素晴らしいですね。
柵がもっと後ろになっていると、良かったなと思います。

特別出品 ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション(4点)

ヘレーネのコレクションではありませんが、ファン・ゴッホ美術館より
「ニューネンの牧師館」
「モンマルトル:風車と菜園」
「サント=マリー =ド=ラ=メールの海景 」
「黄色い家(通り)」
の4点が寄せられています。
展示の位置としては3-3-1 パリの後ろに挿入され、
ゴッホの知名度が上がった時期として紹介されています。

「黄色い家(通り)」は、たそがれを受けた黄色い家と、その向こうに深く青く沈んでいく東の空が美しい作品です。
私はこの作品をぜひぜひ見たくて、とても楽しみにしていました。

そしてやっぱり素晴らしかった。なんという青でしょう。
美術を見るときにはいつも、この作品の青い空のような、この世のものとは思われない、生きることも死ぬこともできないような時間を探しています。
いつか命が尽きたとき、ああいった場所に行くのだ、という気がしています。


■さいごに

「響き合う魂」、の 『合う』ってどういうことかな、というのが、展覧会に行く前の私の疑問でした。直接交流があったわけではなく、ヘレーネがゴッホの作品を収集し始めたのは彼の死後なのに、「響き合う」ことって、できるのかしら、と。

どうなんでしょうね……。
ヘレーネはゴッホの作品の評価が定まらないうちから高い評価をしていた収集家であることは確かですし、作家の精神性に共感して数々の作品を集めています。そして、彼女のような志の高い収集家がいなければ多くの作品は散逸してしまったかもしれません。

でも、ゴッホの側には響きようがないのですよね。交流していなかったから、という意味にとどまらず、ゴッホという人が、そもそも誰かと響き合うことが可能であったのかどうか……。

ゴッホの生涯において、彼に響き渡ったものが何であったのか。
色と光、そして弟テオへの膨大な手紙以外、現代の私たちにはわからないわけですけれど。
ゴッホはそこまで自分の作品が受け入れられたり人に影響を与えたりといったことに興味があったようには思えません。
もっと言えばそこまでの精神的な余裕はなかった、という気がしてなりません。
もしそれがあったなら、サン=レミ療養院の庭にあるベンチはもう少し、人を座らせようと、その存在を開いてくれていただろう。
そんな気がします。

※感想は全て私個人の主観によるものです。

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