経過 #1

04/03/2007

昨日4月2日、16時突然妻の動脈瘤が破裂。くも膜下出血となり、一時的に呼吸停止となった。目の前のできごとだった。あくる日に予定されていた破裂を防ぐための動脈瘤手術まであと一日のできごとだった。くも膜下出血を予防するために、その準備に一週間をかけてやってきたことが、最後の日になって覆されてしまったわけだ。手術は夜7時から夜中の2時におよんだ。手術そのものは成功した。

血管内治療では神業を持つといわれるK医師に出会ったことが大きい。くも膜下出血の生存率が50%、後遺症なく社会復帰できる者はそのなかの50%といわれるが、それは発病のタイミングと病院と医師に全面的に依存している。正確な統計データはゆえにありえない。腕のいい医師に当たればその確率が上がるだけである。医学は信用できないが、信用できる医師はいるのだ。

6時間以上にわたる手術を待ち続けることの辛さは、自分たちの無力さに理由がある。つまり待つことしかできないという待ち方にある。妻の両親の慟哭や非難はその無力さをあらわにするだけだった。子どもは退屈でゲームをしつづけていたが、その子どもに「事態がのみこめていない」というのは間違っている。想像力の貧困は悩むだけで考える能力を持たない側、いつまでも同じ悲嘆にくれるだけの側にある。彼らには無能な幻想しかない。むしろ現実は子どもにこそあるのだ。最後は血管造影を見るだけで、手術の経過が読めるようになってしまった。余計なスキルだ。後遺症の可能性もあり、道のりはまだ半分である。

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