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ピアノアレンジの段取り

人はなぜピアノアレンジをするのでしょうか。
原曲が好きなら、原曲を聴けばいい。演奏したいなら原曲通りの楽器編成で演奏すれば良いと思いませんか?

私がピアノアレンジをする動機は「原曲の感動を自分だけで再現したい」というものです。自分の手で弾いた音が大好きな原曲の雰囲気を纏っているように感じられると、なんとも言えない高揚感に満ち溢れます。

この記事では、普段自分がどのようにピアノアレンジを作っていくのか、その思考過程や根底の考え方を、なるべく言語化してお伝えします。「ピアノアレンジとはかくあるべき」ということを語るつもりはありません。どちらかというと、これは将来の自分に宛てたメモのようなものです。アレンジャーによって様々なアプローチがありますし、私も他の人のピアノアレンジを聴くのは好きです。ただ、私と同じように「原曲の雰囲気をなるべくそのままに両手で再現したい」と考えている人の参考になれば嬉しいです。

(↑記事ヘッダー画像はこちら)

記事のおけるピアノアレンジの定義

主にポピュラー音楽を対象として、原曲の雰囲気をそのまま感じられる忠実なフレーズと構成でピアノ独奏向けに編曲すること

この記事で扱わないこと

・曲の雰囲気を変えるようなアレンジ
→テンション/コード/拍子/楽曲構成等を変えるアレンジは対象外
→原曲がCMajで鳴ってるのに「響きを良くするためにCM7にしましょう」と原曲で鳴ってもいないBを付け足すとか、そういう方向性は考えない

・ピアノの演奏技術
→演奏技術は編曲そのものに密接に関わってきますが、今回は対象外

・耳コピの方法論
→ネットに沢山の情報があるので割愛

段取り

私の場合はこんな流れです。順に説明します。

・楽曲を聴く
・弾くパートの取捨選択
・右手のアレンジ
・左手のアレンジ
・両手のアレンジの統合

本記事の性質上どうしても音楽用語が出てきてしまいます。よくわからない場合にはSoundQuest準備編がおすすめです。

この記事は「弾くパートの取捨選択」セクションの途中から有料(370円)になっています。有料部分ではかなり具体的なピアノアレンジの手順を記載しました。370円というのは大好きなドトールのアイスカフェラテLサイズの料金です。コーヒーを奢ってくださると嬉しいです😄

楽曲を聴く

当たり前なんですが、これができていない人がめちゃくちゃ多い(自戒)
聴こえない音は弾けない。全パート”歌える”ようになってるのが理想です。

では聴こえる環境を用意するにはどうすればよいかというと

良い再生環境を用意する
耳コピ専用アプリを使う

の2点が重要です。

良い再生環境
「聴こえない音は弾けない」ので、できるだけ原曲の音をそのまま再生できる機材を揃えます。どこにお金をかけるべきかは様々な意見があると思いますが、耳コピという目的を考えると最もお金をかけるべきはイヤホンです。

もしこれまで視聴環境を気にしたことがない方は、こちらのイヤホンをおすすめします。スマホでいつも聴いている音楽をこのイヤホンで聴くだけで、今まで聴こえなかった音が聴こえます。

私が耳コピで愛用しているのはER-4Sですが、残念ながら製造終了。

イヤホンを長時間装着するのは疲れるので、普段使いはこちら

耳コピ専用アプリ
大好きな曲とはいっても、何十回も集中して聴くと心が折れそうになります。現代には高度に発達した魔法のようなテクノロジーがありますので、積極的に使っていきます。

結論としては、iPhoneをお使いの方はこのアプリを買ってください。

・ベースは音程変更でオク上げで楽勝
・高速フレーズは再生速度変更(最大1/2速)
・一部を繰り返し聞けるループ区間設定機能

これだけの機能がついて610円。安すぎます。

楽器の音を知る
できるだけ多くの楽器を知っておくことは大事です。ある楽器がどんな音が鳴るのかを知っておくと採譜がちょっと楽になります。知らない楽器の音って認識しづらくないですか?

学生の頃「オーケストラの楽器と音がわからん」と悩んでいたら、音大生が「これ聴くといいよ」とおすすめしてくれました。この動画は洗足の先生の解説付きなので更にわかりやすくなっています。

耳コピと料理の関係

お店で食べた料理を家で再現するのが上手な人がいます。料理を食べて、使われている食材がなにか、調味料はなにか、調理方法はなにか、逆算して推理する精度が高いと再現が上手になります。上手な人は、単に味覚嗅覚が鋭いのでしょうか? いえ、上手な人の脳内にはそもそも今まで食べた食材、調味料、完成された料理の風味の記憶が大量に蓄積されています。食べている間「出汁にわずかに酒の風味がするから日本酒が小さじ○杯はいってるな」「この色合いでメイラード反応の風味があるから○○℃で焼いたかな」など、脳内データベースを照合してレシピを推測しているわけです。
クミンというカレーによく使われるスパイスがあります。クミンを知らない人は、クミンが入った料理を食べて「何だこの風味は」と"感じる"ことはできても、それが「クミン」であると特定することはできません。このように感覚の鋭さだけでは解決できない領域がかなりあります。

耳コピも、料理の再現と同種のプロセスではないでしょうか。耳コピする上では純粋な音感の鋭さだけでなく、コード進行、ジャンルの特徴、楽器の音域、作曲者や奏者の手癖…といった周辺知識も同じくらい重要です。周辺知識に偏りがあると「ピアノの耳コピ得意だけどギターは苦手」「ポップスは得意だけどジャズは苦手」といった状況がありえます。

純粋に音感を鍛える正攻法も良いですが、周辺知識を動員してパズル的に音の特定を試みるのも良いアプローチだということをお伝えしたいです。

--「楽曲を聴く」のまとめ--

・楽曲をよく聴くのが大事
・いいイヤホンを入手し、iPhone使いならmimicopyを買う
・いろんな楽器の音を知っておく
・コード進行、ジャンルの特徴、楽器の音域など周辺知識をヒントにする

弾くパートの取捨選択

人間の指は10本です。また、手を広げて指が届く範囲には限界があります。

ピアノアレンジしたい曲が、たとえばギター弾き語りならギターとボーカル両方の音を素直に拾えば良く、そこにあまり独創性はありません。誰がアレンジしても似たような印象になるでしょう。

では、もし原曲の楽器編成がエレキギター×2、ベース、ドラム、ボーカル、コーラス×2、ピアノ、シンセ、ストリングスだったら?

→弾くパート、弾かないパートの取捨選択が必要になる

手が2つ・指が10本という事実はどんなに巧い人も乗り越えられない物理的成約なので、取捨選択はピアノアレンジを行う上で避けて通れない工程と言えます。

では、どのような基準で取捨選択を行うのか。○○パートの音は必ず弾く、という単純なルールでしょうか。同じパートの音でも曲によって主役なのか脇役なのか、また曲中でも展開によって目立つソロを弾いたりバッキングを弾いたりちょっとした隠し味のようなフレーズを弾いたりと役割は時間軸上で如何様にも変化します。ということを踏まえると、何を弾くか決めるにはパートではなく役割を基準にしたほうが良さそうです。

ベース・メロディー・コードを必ず弾く
なぜこの3つなのかというと、これらが楽曲の雰囲気を構成する最も大きな要素だからです。

これを聴いてみてください。宇多田ヒカル「Flavor of Life」です。スーパーの店内で流れてそうなアレンジですね。ところで、このように原曲そのものを流していないのに、なぜ一発で宇多田ヒカルの「Flavor of Life」だと認識できるのでしょうか。

ベース、メロディー、コードを変えていないから

ではないでしょうか。この3つさえ正確に譜面に落とし込めれば最低限のピアノアレンジは完成しそうです。

(※)コードにはベースも含まれているのでは?という指摘はごもっともですが、記事後半で具体的にピアノアレンジの手法に触れる時に説明しやすいので、あえて分けています。

(1)ベース

昔、東京フレンドパークという番組に「フール・オン・ザ・ヒル」というゲームがありました。2人1組になって、1人が光るパッドをタイミングよく叩くとメロディーが鳴り、ずっと流れているベースとドラムの音と合わせてもう1人がなんの曲か当てるゲームです。

上の動画をご覧ください。TOKIOの長瀬智也が上手くパッドを押せず、ほとんどのメロディーを聞けなかった坂口健太郎がベース音だけでなんの曲か当ててしまい会場が盛り上がります。

これはつまり、楽曲を同定する上でベースの情報は重要ということです(もちろんテレビなので仕込みの可能性もありますが、それはさておき)

ベースの採譜ミスはピアノアレンジに限らず時に致命的になります。右手が同じ和音を弾いていても左手の根音が異なると、コードの機能が大きく変わる場合があるからです。

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左手がラ 右手がラドミ → Am

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左手がファ 右手がラドミ → FMaj7

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左手がファ# 右手がラドミ → F#m7-5

例:Sound Horizon「星空へと続く坂道」のカラオケ動画
サビの「諦めながら生きてた~」のコード進行は本来GMaj7-A-F#m7-Bm(4536。俗に言う王道進行)ですが、この動画ではベースが4-3-3-6と2つ目が誤っているため、コードが5にならず、サブドミナント→ドミナントの動きが消えています。

「ベースは普段目立たないけど、間違えたときだけ目立つ」という、ベーシストあるあるの愚痴があります。

(2)メロディー

メロディーが重要な理由は説明不要だと思いますが、挙げておきます。ボーカルが歌っていればボーカルを、歌っていなければ楽器のソロ、あるいはリフなど際立って聞こえるフレーズを弾きます。

光と闇の童話の1サビの直後にギターの印象的なフレーズがありますが、これがリフです。ボーカルが歌っていないときは積極的に拾うべきです。

メロディーは聴き取りやすい中音域で鳴っていることが多く、そうでなくてもリスナーに注目してほしい音なので聴き取りやすいように原曲がミックスされているはずです。高速なフレーズの場合はアプリで再生速度を下げれば難なく取れると思います。

(3)コード

この記事はポピュラー音楽のピアノアレンジを対象としているので、3つ目はコードとします。時間軸でどのようにコードが変化していくかを表現したものをコード進行といい、ポピュラー音楽の設計図と言えるものです。特にJ-POPはメロディーを重視することから、海外の楽曲と比較すると曲中で細かくコードが変化することが多いと言われています。

CMaj(ドミソ)を聴くと明るい印象、Cm(ドミ♭ソ)を聴くと暗い印象があるように、コードの違いによって「開放感、穏やか、元気、アンニュイな、切ない、エモい…」など様々な印象を与えることができます。このようにキャラクターの異なるコードを時間軸上で組み立てて、リスナーに緊張と弛緩を与えて感情を揺さぶります。

近年、シティポップの再評価の動きから若い世代に刺さっていると言われるコード進行の一つに「丸サ進行」というのがあります。(後述するJust the two of us進行の派生形)
名前の由来となっている椎名林檎「丸の内サディスティック」サビの「マーシャルの匂いで飛んじゃって大変さ」の箇所のコード進行

AbMaj7 G7|Cm7  Eb

ここの2番めのG7に、なんとも言い表せない「エモさ」があります。

ちなみにYOASOBI「夜を駆ける」のサビにもまったく同じAbMaj7 G7 Cm7のコード進行があり、同様のエモさがあります(「思いつく限り眩しい明日を」の箇所)

ピアノアレンジにおいてもコード進行をできるだけ正確に再現することにより、作編曲者が狙っていたリスナーの心理変化も合わせて再現され、結果としてリスナーがピアノアレンジを聴いた時に感じる"心理的な"再現度も高くなります。コードを構成する1音が異なるだけでも印象が変わってくるため、メロディーの採譜でほとんど差がつかないことを考えるとコードを如何に正確に採譜できるかどうかが原曲の再現性に大きく影響します。

ポピュラー音楽でコードは中音域を担う楽器、つまり主にギター、ピアノ、ストリングスによって演奏されます。したがって、コードの再現性を高めるにはこれらのパートの音を正確に採譜することが鍵になります。

とはいっても、和音の耳コピってかなり大変ですよね。効果的なトレーニング方法があれば私も知りたい…ここでは正攻法と時短テクニックを書いておきます。

コードの響きを覚える(正攻法)
赤いものを見て「赤い」と分かるように、CMajの音を聴いて「CMaj」と分かるようになるのが理想です。コードの耳コピはそれだけで記事が書けるくらい大きなテーマなのでここでは詳細を割愛しますが、重要なポイントの一つは「CMaj」をドミソに分解しないことです。「ドとミとソが聴こえるからCMaj」ではなく、CMajをあくまで”集合の響き”として記憶します。私達は自動車を認識する時にいちいち「車輪が前後左右に4つあって、ドアが左右についていて、ブルルルというエンジン音がする…ということはあれは自動車だ」といちいち考えずに、ぱっと見て瞬時に自動車を認識しています。対象を構成要素に分解せずにありのまま理解する、コードの耳コピもこれが大事なように思えます。

定番コード進行を覚える(時短テクニック)
ポップスにはよく使われるコード進行があります。コードの響きを逐一聞き取らなくてもよくなるので、覚えておくと時短になります。

王道進行
小室進行
枯葉進行
カノン進行
Just the two of us進行
など

YouTubeなどで検索するとこれらがどのようなコード進行なのか、どんな曲に使われているか分かるので、興味のある方は調べてみてください。(各進行名にリンクを貼っています)

特定の作曲家の楽曲のピアノアレンジをよく行う場合は、その作曲家の手癖を把握しておくと同様の理由で時短になります。私はSound Horizon主宰であるRevo氏の楽曲が大好きでピアノアレンジすることも多いので、氏の手癖になっているコード進行を脳内にストックしています。以下に代表的なものを紹介します。(名前は勝手に命名)

Revo進行 VIm-IIm/V-IV-I/III-IIm-V7-Isus4-I-III7sus4-III7

例:「檻の中の箱庭」サビ、「朝と夜の物語」サビ

タナトス進行 VIsus4-VIsus2-VIm 

例:「冥王」バンドイン前、「黒の予言書」バンドイン前

有名曲であれば市販の楽譜やChordWikiなどにコード進行が掲載されているのでそちらを参照しても良いですが、正確性が怪しいものも混じっているので違和感がある場合は自分の耳を信じてください。

--「弾くパートの取捨選択」のまとめ--

・ピアノ独奏の物理的限界から、弾くパートの取捨選択が必要
・ベース、メロディー、コードの情報が再現性の要
・メロディーが無い区間は楽器ソロや目立つリフを拾う
・コードの情報はギター・ピアノ・ストリングス等の中音域の楽器が担う
・コードの聴音は響きを覚える正攻法とコード進行による時短を使い分ける

右手のアレンジ

弾くパートの取捨選択が大まかに固まってきたところで、譜面を作っていきます。まずは右手のアレンジから説明します。

右手の役割は下記の2つです。

・メロディーの再現
・コードの再現

メロディーの再現
この記事では「原曲に忠実なフレーズで」アレンジすることを目指しているので、奇を衒わずに原曲のメロディーをそのとおりに弾きます。メロディーの再現を右手で行うのは、ほとんどの人がすんなりと納得できるかと思います。ポップスのボーカルが概ねピアノの真ん中~やや上の音域であること、また(後述しますが)ベースの再現のため左手が取られてしまうことを踏まえると、自然にメインメロディーの再現は右手の役割になります。実際、世間のピアノ演奏動画の99.9%は右手でメロディーを弾いています。

コードの再現
コードの正確な採譜がピアノアレンジ全体の再現性にかなり寄与することは先にお伝えしました。ここではシンプルなルールを一つだけ。

コードチェンジと同時にメロディーと一緒に右手でコードを弾く

これを守ると、コードの情報が十分に含まれた違和感の少ないアレンジになります。

コードチェンジのタイミングでコードを弾く

Sound Horizon「星屑の革紐」のピアノアレンジ(拙作)の1番Aメロ「嗚呼…私は星を知らない」の箇所です。原曲では赤枠のタイミングでアコギのコードをじゃらんと鳴らしているので、それに合わせてピアノアレンジでもコードを弾いています。

あえてメロディーを弾かないことも
私の場合、あえて一部分のメロディーをまったく弾かずに伴奏のように弾くことがあります。賛否が分かれるアレンジだと思いますが、メロディーに固執するあまり全体としての再現性が低下するのは、個人的には本末転倒だと感じます。

--「右手のアレンジ」のまとめ--

・右手の役割はメロディーとコードの再現
・コードの変化と同時にメロディーと一緒に右手でコードを弾く
・あえてメロディーを弾かない選択肢もあり

左手のアレンジ

左手の役割は下記の2つです。

・ベースなど低音楽器の再現
・ドラムなどリズム楽器の再現

(1)ベースなど低音楽器の再現

低音域は減点法と考えます。セクション「弾くパートの取捨選択」でもお伝えしたとおり、ベースは普段は目立たないくせに間違えるとはっきり分かるという困ったパートです。したがって、ベースの再現ではあまり冒険や主張をせず、原曲のベースの音を素直に採譜するのが良いと考えます。

ただし、細かい動きは要注意です。上手いベース奏者ほどオカズやゴーストノートと呼ばれる細かいフレーズを入れてグルーブをコントロールしていますが、これをピアノアレンジで再現しすぎないようにします。演奏中はサステインペダルを踏んでいることが多く、低音の細かいフレーズはごちゃっと濁ってしまうからです。(もちろん、ペダルオフなら全然OK)

(2)ドラムなどリズム楽器の再現

ポップスにおけるリズム楽器はほぼドラムであるので、ここでは原曲のドラムをどう再現するかを考えていきます。一言でドラムといっても、スネア、キック、ハイハット、シンバル、タムなどの複数の楽器の集合体になっています。

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画像出典: ベータミュージック WEB SHOP

ドラマーは両手両足を使いますので、これだけの楽器の音を、ピアノ奏者が左手だけで再現するのはかなり厳しいということがまず分かります。

楽音と噪音
はっきりと音の高さを感じられる音を「楽音」、そうでない音を「噪音」と呼びます。ピアノはどの鍵盤を鳴らしても必ず楽音がなり、それぞれの音はドレミに対応付けられます。一方、ドラムの各部位を鳴らしても音の高さをドレミに対応付けられないので、ドラムの場合は音高という概念がありません。実際、ドラム用の楽譜は下記のように各部位の位置が決まっています。
(注:もちろん、ドラムであってもスネアやタムなどチューニングでピッチを変えて音の硬さを変えることは普通です)

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画像出典:サウンドハウス

悲しいことにピアノは楽音しか鳴らすことができません。リズムの情報だけ再現したいのに、鍵盤を鳴らすと必ず「音の高さ」を伴ってしまう。ここにピアノアレンジの難しさの一面があります。(バルトークピチカートみたいに、噪音を鳴らす手段があるとよいのですが…)

アレンジャーによってリズム情報に差が出る
楽音しか鳴らせないピアノでも、奏者によっては同じ曲でも感じられるリズムに違いがあります。ここで米津玄師「Lemon」を例に、アレンジャーによってどの程度リズム情報に違いが出てくるのかを見ていきたいと思います。

原曲のメロディーとキックの音に注目すると、この曲は16分で「ハネた」リズムであることが分かります。タッタタッタタッタタッタというリズムです。曲の最初から最後まで続くので、「ハネた」リズムの情報をピアノアレンジに取り入れることが再現性の向上につながることが分かります。

まずは「ハネた」リズムの情報が十分含まれている例です。y kanapyさん(チャンネル登録者数2.01万人)のピアノアレンジです。右手はメロディーとコードを弾いていますが、メロディーの「ハネ」は常に再現されています。また、左手もキックの「ハネ」がきちんと再現されています。原曲の躍動感がよく伝わってきます。

次にあまり良くない例です。CANACANAさん(チャンネル登録者数97.7万人)のピアノアレンジです。Aメロから既に気づきますが、ところどころメロディーの「ハネ」が再現されていません。また、左手の伴奏もつねに8分音符のため、キックのハネが抜け落ちてしまっています。メロディーやコードの情報は正しいのですが、リズムがのっぺりとしてしまい、原曲のタイトなリズム感が感じられません。
(個人的には、ポップスのピアノアレンジ動画でクラシック畑の演奏者が「ハネ」を再現していないことはよくあるなと感じます)

ここまでをおさらいします。

・ドラムはそもそも左手だけで再現困難なほどパーツが多い楽器
・楽音しか鳴らせないピアノにはリズム楽器(噪音)の再現は困難
・とはいえ、リズム情報の欠けたアレンジは再現性を低下させる

ドラムの精密な再現は無理ゲーであることが分かったので、妥協点を探しましょう。

ドラムの音をドッタンドドタンと表現することがあります。このとき「ドッ」と「タン」は何に対応しているのでしょうか。キックとスネアですよね。ドラムのすべての部位を再現するのは諦めて、キックとスネアに着目するのが良さそうです。実際、先に挙げたLemonの例ではアレンジャーによってキックの情報量に差がありました。この記事では、5度と8度を活用してキックとスネアの情報を伝えることを目標にします。

8度はオクターブ上なのでどのような音かイメージしやすいと思いますが、5度の響きはどのような感じなのでしょうか。参考動画を挙げます。

神聖な、厳かな、宗教的な雰囲気を感じます。

5度や8度のハモリは3度や6度と比較すると(ポピュラー音楽に慣れてしまった現代人としては)響きが物足りなく空虚と感じられがちで、実際5度は空虚5度と呼ばれることもありますが、ピアノアレンジにおいては空虚だからこそ楽音の意味合いが薄れて"噪音"的に使うことができると考えます。

5度と8度が左手の選択肢に加わると、ベースの音を邪魔せずに左手だけである程度のリズムパターンを表現することができるようになります。

5度と8度をどのように組み込むかは無数のパターンがありますが、私がよく使うパターンを以下に列挙しました。括弧()内には、根音をRとして1小節をすべて8分音符で弾く時に音列がどのようになるかを表記しました。括弧[]は括弧内の音を同時に弾くことを表します。

・オクターブ交互弾き(R-8-R-8-R-8-R-8)
・パワーコード交互弾き(R-[58]-R-[58]-R-[58])
・パワーコードアルペジオ(R-5-8-5-R-5-8-5)
・6thアルペジオ(R-6-8-6-R-6-8-6)
・3rdアルペジオ①(R-5-8-5-10-5-8-5)
・3rdアルペジオ②(R-5-8-10-12-10-8-5)

(1)オクターブ交互弾き
ベースの音とその1オクターブ上の音を交互に鳴らす音形をここでは「オクターブ交互弾き」と呼ぶことにします。

もっとも単純なベースのピアノアレンジ方法の一つと言えます。特に原曲が4つ打ちのリズムの場合、キックのタイミングと根音を鳴らすタイミングが同期するので原曲の持つ前進感が再現されることから相性が良いです。

一部のピアノ弾きYouTuberがオクターブ交互弾きを避けるべきアレンジと主張していますが、あまりに多くの人がそのようにアレンジをしていて陳腐だと言っているだけで、オクターブ交互弾きそのものに価値がないわけではないことに注意してください。

(2)パワーコード交互弾き
オクターブ交互弾きの音形でオク上を弾くと同時に5度も弾く音形です。
後述するローインターバルリミットの高い3rdの音を省略しているため音の濁りが少なく、それでいて根音単体よりも力強くベースとリズムを印象づけることができます。

(3)パワーコードアルペジオ
根音と5度で構成されるパワーコードをアルペジオで弾く音形です。

(4)6thアルペジオ(パワーコードアルペジオの派生形)
5度と8度を使うと言っておいてなんですが、6度もよく使います。パワーコードアルペジオ: R-5-8-5 に対して、6thアルペジオ: R-6-8-6 と5度を6度に変化させます。これは特にベースが半音動く時に頻出するパターンです。

darakoさんの「宵闇の唄」の演奏がとても分かりやすい例だったので「復讐は罪が故に~」の箇所の左手に注目してください。ここのコード進行はF#m C#/F | F#m E/G# | A E/G# | A F#/A# | Bm F#/A# | Bm A#/C | C#sus4 | C# で、この演奏では太字のコードの箇所で6thアルペジオが使われています。
ベースに着目すると F# F | F G# | A G# | A A# | B A# | B C | C# と、半音上がるor半音下がる動きが頻繁にあります。このような時、もしパワーコードアルペジオで弾いてしまうと、左手の5度が右手の音にぶつかります。たとえばC#/FのときにFのパワーコードアルペジオ(ファ-ド-ファ↑-ド)を弾いてしまうと、左手のドと右手のド#が半音でぶつかります。かなり嫌な濁りになるので、無意識に6度にしていた方も多いと思います。

(5)3rdアルペジオ①
パワーコードアルペジオを基に、10度、つまりオクターブ上の3度を弾くことで中音域のコード情報を補助的に加えて、再現性の向上を狙います。

(6)3rdアルペジオ②
R-5-8まではパワーコードアルペジオと同じですが、そこで引き返さずにオクターブ上の3rd-5th-3rdを弾く音形です。右手のメロディーが高音域を弾いている場面では中音域がガラガラになるので、積極的に採用したい音形です。ただし、根音が1小節の間に動く場合にはこの音形はあまり適しません。

Sound Horizon「薔薇の塔で眠る姫君」のピアノアレンジ(拙作)に、ちょうど左手の音形が複数入っている箇所があったので、聴きながら違いを感じてみてください。
・「迷いの森の~」は3rdアルペジオ②の音形
・「僕をいざなってくれるのか?」はパワーコードアルペジオ
・「愛しい姫のもとへ」はパワーコード交互弾き

なぜ低音域でコードを弾くのはやめるべきか

ベースを左手、メロディーを右手で弾くことは多くの人がすんなりと納得できると思います。一方、この記事ではコードを弾くのは右手の役割とお伝えしました。左手でもいいのでは?と考える人もいるかと思いますので、ここでは「ローインターバルリミット」という概念を使って理由を説明します。

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画像出典:Sleepfreaks

ある音高より下で和音を鳴らすと音が濁りはじめて汚く感じます。この「ある音高」をローインターバルリミットと言い、和音の間隔(インターバル)によってその音高は異なります(上図)

どの程度低い和音から“汚い”と感じ始めるかは主観的なため、この五線譜もまた経験的に得られたものです。(実際、クラシックでは下の音域で3度の和音を弾くピアノ曲もあります)ですので、ここでは厳密な音高よりもインターバルによって相対的なリミットの位置が違うことに注目してください。

左手の演奏パターンで5度を使う理由はこのローインターバルリミットの図でも説明できます。P5th(5度)のローインターバルリミットは最も低音域になっています。ゆえに、濁りを心配することなく安心して左手の低音域で使えるのです。また、m6th(短6度)やM6th(長6度)も5度ほどではないものの、やはりローインターバルリミットが比較的低いので、こちらも低音域で使うことができます。

私のアレンジでは概ねC3(左から三番目のド)より下ではm3rdやM3rdの和音を弾くことはありませんし、アルペジオであっても3度はあまり弾きません。理由はこのローインターバルリミットでほぼ説明できます。

--「左手のアレンジ」のまとめ--

・左手の役割はベースとリズム楽器の再現
・ベースは極力原曲に忠実に取るが、オカズは無視して良い
・リズム楽器は噪音のためそもそもピアノで再現するのが難しい
・5thと8thの音を使ってキックとスネアのシンコペーションを再現する
・おおむね左から三番目のドより下で3和音を弾かない(濁る)

両手のアレンジの統合

ここまで右手と左手のアレンジを別個に考えて整理してきましたが、通常、これらは完全別個にやることはなく、同時並行に進んでいきます。このセクションでは両手のアレンジの統合について説明します。ここからは細部の作り込みになります。

アボイドノートの処理

お手元に鍵盤がある人はドミソの和音とオクターブ上でファの音を同時に弾いてみてください。音がぶつかっている感じがしませんか。

詳しい解説はSleepfreaksさんの上記記事に譲るとして、これまでピアノアレンジを進めてきて、左手単体の譜面、右手単体の譜面では問題がなくても、左手の音と右手の音の間で音のぶつかり(アボイドノート)が発生していることがたまにあります。

「このコードのときはこの音がアボイドノート」という大まかな対応表はあるものの、いかなる時もアボイドノートはNG、というわけでもないです。その都度、ぶつかりを許容するか判断し、許容できないのであれば音を移動する省くなり鳴らすタイミングを微妙にずらすなりして対処します。

ちなみに、訓練された人であれば譜面だけパッと見て判定ができます。以前、作った楽譜集の出稿前に音大生にチェックをしてもらってたことがあって「ここ濁るけど大丈夫?」と一発で見抜かれたのは流石でした。頭の中で音鳴らせる人本当にすごいですよね…。

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当時見てもらった譜面。この中にアボイドノートがあります。

中音域の改善
左手と右手のアレンジを独立して考えた結果、中音域がスカスカになってしまうことが往々にしてあります。特に、メロディーが高い音域で推移する時に左手が低音域でベースを弾いたままだと起こりがちです。

スカスカ感を解消するには、左手でベースを弾いたあとサステインペダルで伸ばしつつ、真ん中に左手を移動して中音域の何らかのフレーズを弾く、あるいは、前述の3rdアルペジオ①or②の音形で弾く、のいずれかをおすすめします。

Sound Horizon「薔薇の塔で眠る姫君」のピアノアレンジ(拙作)で「燭台の揺れる焔~」の箇所は、左手が中音域に"出張"しているわかり易い例です。もし左手でベースだけ弾いてたら原曲のピアノの情報がごっそり抜けるので再現性がかなり失われてしまいます。

--「両手のアレンジの統合」のまとめ--

・左手と右手の音がぶつかって濁っている音に対処する
・左手が暇なときは中音域に出張し、何らかのフレーズを弾く
・あるいは、左手を3rdアルペジオ①or②の音形とする(前述)

まとめ

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。納得できる部分できない部分色々あったかもしれません。原曲のコピーではない以上、アレンジのアプローチはアレンジャーの数だけあると思います。この記事でお伝えしたことが、あなただけのピアノアレンジを作り上げるためのヒントになれば嬉しいです。

5つの章のまとめです。

楽曲を聴く
・楽曲をよく聴くのが大事
・いいイヤホンを入手し、iPhone使いならmimicopyを買う
・いろんな楽器の音を知っておく
・コード進行、ジャンルの特徴、楽器の音域など周辺知識をヒントにする
弾くパートの取捨選択
・ピアノ独奏の物理的限界から、弾くパートの取捨選択が必要
・ベース、メロディー、コードの情報が再現性の要
・メロディーが無い区間は楽器ソロや目立つリフを拾う
・コードの情報はギター・ピアノ・ストリングス等の中音域の楽器が担う
・コードの聴音は響きを覚える正攻法とコード進行による時短を使い分ける
右手のアレンジ
・右手の役割はメロディーとコードの再現
・コードの変化と同時にメロディーと一緒に右手でコードを弾く
・あえてメロディーを弾かない選択肢もあり
左手のアレンジ
・左手の役割はベースとリズム楽器の再現
・ベースは極力原曲に忠実に取るが、オカズは無視して良い
・リズム楽器は噪音のためそもそもピアノで再現するのが難しい
・5thと8thの音を使ってキックとスネアのシンコペーションを再現する
・おおむね左から三番目のドより下で3和音を弾かない(濁る)
両手のアレンジの統合
・左手と右手の音がぶつかって濁っている音に対処する
・左手が暇なときは中音域に出張し、何らかのフレーズを弾く
・あるいは、左手を3rdアルペジオ①or②の音形とする(前述)

さて、最後に少しだけ。

同窓会ってありますよね。

卒業以来会っていなかったクラスの女の子が、同窓会で大人っぽくなっていて心が動く体験。「知っているのに、知らない」ような不思議な感覚。

人は懐かしいものが少し姿を変えて現れるのに弱い。ピアノアレンジという営みが広く楽しまれるのも、よく知っているはずのものが少し姿を変えて現れて新鮮な感動がある、そこに心惹かれる人間の普遍的特性から来るのではないでしょうか。

この「少し」違うというのが非常に重要で、これがまったく同じだと刺激が少なくて退屈だし、かといって変えすぎると「原曲破壊」「自己満アレンジ」などと感じられて楽しめる人が少なくなってしまう。自分が想定できる範囲内で、変化がちょうどよいほど心地よい。これは「予測可能な予測不能性」という概念にも繋がってくる話題でワクワクしてきますが、いずれまたの機会に。

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「記事のこの箇所がよく分からなかった、詳しく知りたい」

そんな方のために、個人相談を受け付けます。

有償ではありますが、あなたの演奏スキルと楽曲内容を考慮して、ピアノアレンジをする上での悩みに対して一緒に考えていきます。