結局誰も、誰のことも


好きだった芸能人が麻薬所持で捕まった。

これは最近の話ではないけれど、少なくともその時まで芸能人と括られるなかではきっと一番好きだった。

好きといっても私はその人のコンサートを一度、舞台を一度のその二度しかファンらしきことをした覚えがない。情報やSNSを追うでもなく、たまに思い出しては今何をしているのかな、と数分ネットサーフィンをする程度。いつだって、私の他人に対する興味は薄い。

それでも、ニュースに映る長い手足を持て余したスーツ姿の当人を、事務所から言われたであろう本音か何かも分からない"誠意"を懸命に語る当人を、泣きながら歪んだ表情をさせた当人を、ただただ美しいと思った。野次や怒号、フラッシュの飛び交う中、確かにその人は一番美しく凛とそこに立っていた。


「芸能人で誰が好き?」
と聞かれると最初に脳裏をよぎるのは間違いなくその人で、だけれどもその知名度からして説明するのもダルいと思う私はいつも、二番目か三番目に好きな皆よく知る格好良い芸能人の名を口にする。冒頭のニュースになってしまった以上、知らない人は最早大分少ないだろうが、尚更口にすることはない。

正直、何だってどうだってよかったのである。麻薬を吸おうが所持しようが本当は誰かに唆されただとか騙されただけだとか。大人として逮捕されるようなことがあってならないのは尤もだが、それで悲しみに暮れたり幻滅したりするほど暇じゃなかった。だって元からお互い他人だし。

私はどうも、深い感情が得意じゃないらしい。いつだって過激派なのは、信者とアンチだし。人の愛って、良くも悪くも想像以上に重たい。そこかしこに地雷が埋まっていて、踏まずとも近寄るだけで起爆するような感知式のものばかりだから、私のような半端モノはそれを避けきることに疲弊してしまう。やがて、近寄らないことが一番だと察し距離を置くこととなる。盲目であるということがまるで酩酊のように如何に素晴らしく、如何に愚かか、その両面を知っているからこそ恐ろしい。

今だってこうして記事に書いたのも、ふと思い出したからで、特段理由はない。今も細々と芸能活動をしているのは知っているけれど、だからどうということもない。私の生活には関係がないし、それはお互い様で、私たちはこれからも他人として生きてゆく。

数年前に軽く追いかけただけの存在だ。彼は当たり前に歳を取り、未成年だった私もいつの間にかアラサーになろうとしている。


美しいものに対する純粋な破壊衝動と形を少しも損なわず美しい状態のまま手元に置いておきたいというコレクター魂が、かなり危険な状態で競っているその均衡こそ、美しいものにそういう手出しをさせまいという抑止力になっている。要するに私は分不相応な劣情を抱きつつも、翼が焦げないギリギリの位置にいる。イカロスの二の舞にはならまいと。だから身近なものにはそれとなく浅薄な興味が湧いて、適当に戯れるけれど、当の太陽にはもとより関係がないものと思っている。本当は畏敬の念すら抱いているくせに。

知らぬ存ぜぬ、纏めて心底どうでもいい。


(下書き供養)



気ままにどうぞよろしくお願い致します。 本や思考に溶けますが。