続き 逆説の日本史 近世爛熟編(井沢元彦、小学館文庫)

井沢元彦氏の逆説の日本史が面白い。

江戸時代の繁栄、綱吉の治世についての考察が白眉だ。

綱吉は明君だった。

「生類憐みの令」の発布以前は戦いが恒常化しており、武士という武装集団よる殺人が恒常化していた。

それが生類憐みの令以降は「太平の世」となり、商業が発展し、近代の資本主義経済の礎となった。

これは慧眼である。

社会の安定がなぜ必要か。現代日本に住んでいると、平和や社会の安定が、当然の前提となっている。戦乱の世は過去の時代を歴史として学ぶ。

綱吉の時代までは、武士による戦乱の時代の名残がまだあった。

「生類憐みの令」は、武士らによる戦乱中心の武士社会から「太平の世」に変えるエポックメイキングな政策だった。

私は、幕末における江戸城の「無血開城」さらに「大政奉還」に至る太平の治世は、この時代に確立されたのではないかという気がする。

結果的に、慶喜や、幕臣らは華族として明治後を生きた。 

少し論旨が飛躍することをご容赦願いたい。

私は、社会の安定性という観点で、最近の、一部の社会主義思想の再評価に、強い違和感を禁じ得ない。

私自身は、日本人が、かつて、ソビエト連邦を忌避したり共産主義や社会主義を忌避する理由が分かるようで分からなかった。

最近、やっとそれが論理的にスッキリとわかるようになってきた。

少し話が広がるが、ロシア革命、ソビエト連邦の成立などを目にした昭和の人々や、多くの国家元首が、共産主義を忌避した理由は、彼らが社会を破壊する恐れがあることに気づいていたためだと思う。

いざとなれば「暴力で政権を取ったもん勝ち」の共産主義者がいたら、怖くて、商売なんか出来ない。通貨や貨幣、財産までも否定するとなると、商業が発展しようがない。
貿易とて出来まい。
国家が未来永劫存立するという「信頼」がないからだ。 

極端な例だが、昨今の、某国の横暴のようなことがあると、国家が滅びる。
日本企業に関係あるところでは何と某国領土の天然ガス施設を国有化しようとした動きすらあったのは記憶に新しい。

そういう「あり得ない事をして社会を潰そうとする」のが、共産主義や社会主義だ。

私はこれらの主義を個人の思想に矮小化して理解していたが、その理屈だと説明出来ないことがあまりに多い。

かつて、商業、商人は日本では「穢れ」とされてきた、と。江戸時代があったから近代日本の資本主義がスムーズに立ち上がった、と。その根本には、社会秩序の維持、経済の安定が前提だった。

と、キリがないのでここまで。



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